3.流れ星の君
ナタリア・リーンを知らない彼との気軽な会話は楽しかった。流れ星のことを怖がらない、新しい知人。何せ知らないのだから怖がらないのは当たり前だ。
小さな後ろめたさを抱えていた日常は、ある日唐突に終わりを遂げる。
「……ナタリア? その鎧って、もしかして……」
「シュテル……」
彼が武器屋を訪れたのは、あとは兜を着用するだけという瞬間のことだった。
内緒の事実はあっさりとバレた。それはそうだ。騎士でもないのに全身を甲冑に包む女など、ナタリア以外に存在しているのなら、ぜひともお目にかかりたい。
鍛冶場に通う少女、ナタリアは、流れ星の君の名で有名なナタリア・リーンだった。それで何が変わったかというと――彼はなぜか、やけにナタリアに構うようになった。
「まさかこんな小さいのが流れ星の君とはな。全身鎧を着込んでるっていうから、もっと女騎士みたいなゴリ……いや、頼りがいのある体格のヤツだと思ってた」
「あなたに比べたら誰だって小さいじゃない! これでも色々やって鍛えてるのよ」
「そうかあ? 腕相撲するか?」
「絶対イヤ」
武器屋で会うこと更に数回。この頃になると、親方を説得しに来ているというのは嘘ではないが、暇を潰しに来ているという方が正確なのではないだろうかと思えてきた。
それというのも、彼は武器屋を訪れるたび、脇目も振らずにナタリアの元へと寄ってくるからだ。
今日も今日とて菓子の包みを遠慮なく広げて、甘いものが嫌いな親方に嫌そうな顔をされている。
「ナタリア、これ食ったことあるか? 人気らしいぞ」
「わあっ、ありがとう。一度食べて見たかったの……あのね、嬉しいけど、いつもお菓子持ってきてくれなくてもいいのよ。凄く、凄く嬉しいけど」
「傷薬くれたお返しだよ」
「家に余ってたものだし、気にしなくて平気なのに」
「気にするだろ。めちゃくちゃよく効いてるんだぞ。ただ……欲を言えば、直接渡して欲しかったとは思うけどな……」
「だって、私から渡すより効果がありそうだったんだもの」
傷薬は最速で彼の手に届くよう、親方に託した。
約束をしているわけではないから確実に会えるとは限らないという理由の他、親方から説教がてら渡されれば、面倒でもきちんと治療をするだろうと目論んだためである。
案の定正解だったようで、顔の細かな傷が消えている。細かい傷まで塗ったのなら、きっと服の下にあったのであろう大きめの傷は真っ先に処置したはすだ。
布の向こうまで見通すようにジロジロと怪我の有無を確認する。彼は悪戯のバレた子供のように目を逸らし、咳払いをして誤魔化した。
「まあ、礼ってのも嘘じゃないが、今の楽しみがお前の餌付けなんだよ。どうせ街中はあんまり歩き回れないし、数少ない娯楽を奪うな」
「餌付けって……歩き回れない?」
「人が多いんだ。どっからあんなに湧いて出るんだか」
聞けば、一人でフラフラ出歩いていると、大人気の英雄殿は声をかけられて大変らしいとのこと。
シュテルの見た目はどの角度から見ても素晴らしい。顔は精悍だし、実践でしなやかに鍛えられた体格にはついつい目が吸い寄せられる。野生の獣のようなどこか荒々しい雰囲気は、物珍しさもあって目立つだろう。
やや遅れて英雄の絵姿が出回ったらしく、今はどこへ行っても気が休まらないのだとか。有名人は大変だと、違う意味で有名なナタリアはしみじみ思う。
貰った小さな焼き菓子は見た目からして可愛い。数個目の芳醇なラムとバターの広がりを口の中で楽しんでいると、いいことを思いついたという顔でシュテルが人差し指を立てた。
「ナタリアどっか一緒に行こうぜ。ツレがいればさすがに遠慮するだろ」
それはどうだろう。声をかけるほど好きなら、一人が二人になったところで突撃するような気もするけれど。
しかし、それは同行者が普通の人だった場合のことである。
「そうね……私が一緒なら、誰も声はかけてこないかもしれないわね」
「ん?」
「流れ星が当たったら怖いもの」
肩を竦めるナタリアに、シュテルは怒ったように眉を吊り上げた。
だから一緒に出かけるのは止めた方がいい、という言葉を口の中へと押し戻す。
「なんだそれ。お前、もしかして避けられてるのか?」
獣の唸りのような声に首を縮めた。
「怒らないで。当たり前のことよ。私は鎧を着てるからいいけど、他の人は生身なんだから。当たりどころによっては痛いじゃ済まないでしょう」
「回避するか叩き落せばいいだろ、落下物くらい」
「無茶言ったら駄目よ」
落下物は、本当に突然どこからともなく降ってくるのだ。常に上を向いていたって察知できるものではない。
竜を倒せる戦闘能力があれば、上空に出現したものを避けるくらい、もしかしたら簡単なのかもしれないが。
……簡単、なのだろうか。それなら彼となら一緒に出かけてもいい?
ちらりと男を見上げると、据わった目でこちらを見ていた。たじろぐナタリアに、ずいと指を突きつける。
「わかった。お前が俺に家名を名乗らなかったの、俺に避けられたくなかったからだろ」
「うっ……」
「答えろ」
「それは……うん、そう」
躊躇った先で渋々肯定すれば、大きな頷きが返ってきた。よし、と突きつけた指をしまい、代わりにナタリアの頭に、大きく重く分厚い手のひらを乗せる。
「明日暇か。暇だな?」
やることがゼロとは言わないが、社交の類をしないので時間をあけることはできる。重みに押されるまま頭を下げた。
「じゃあ明日は出かけるぞ。迎えに行くから準備して待ってろよ!」
強く宣言すると同時に、シュテルはさっさと踵を返す。
でも、も、だって、も届かない、遠慮を許さぬ素早さは、ナタリアの胸に温かさを灯した。
「……おい、鎧のバージョンアップができたぞ。説明するからこっちゃこい」
――親方の元から返ってきた鎧の臀部に、不用意に触ると雷が流れる仕掛けが追加されているのはどうしてだろう。
「男に襲われたらいけねえからな!」
鎧の臀部を撫でる奇特な人はいないと思うので、取ってくれても大丈夫。嫌疑をかけるのも止めてあげてね。さすがに不名誉がすぎるから。