1.星を見つける
カン、と音がするたび火花が飛ぶ。
サラマンダーの吐き出した火が轟々と鋼を舐める。金属を彩る鮮やかな赤色は、いつまででも見ていられるほどに美しい。軌跡を描く様子は、まるで小さな流星のようだった。
ナタリアは小さな流星に唱える。
赤い流星、我らが女神様。どうか、どうか。
一瞬の内に消える火花に、願いを三回繰り返せるはずもない。次の輝きに繰り返す。
どうか、女神フィーニ様。
次の火花に、その次の火花に、飽きることなく何度も何度も。
心休まるいつもの時間。休憩中のサラマンダーの隣、部屋の片隅に座り込んで作業の様子を眺めていた。羽毛のあるトカゲの姿をした精霊の口に、たまに床に落ちた鉄くずなどを放り込んでやって、また火花の輝きへと目を向ける。二本のツノをナタリアに擦りつけて餌を催促されたら、再び鉱物を差し出して、火花に直る。
そんなナタリアを呼び戻したのは、鍛冶場の扉が開く音と共に飛び込んできた、聞き慣れた声と知らない声だった。
「だから、今は忙しいっちっとるだろうが!」
「そこをなんとか。なあ、竜の胃から出て来た隕石だぜ。しかも魔力がこもってんだ。親方も気になるだろ?」
「気にはなるが、そこはそれじゃ。先約が終わったら聞いてやるから、一週間ほど待っとれ!」
ええー、と子供のように不満を叫ぶ男は一体誰だろう。親方が作業場に人を通すだなんて珍しい。
火花のように明るい赤髪の男が、素気なくあしらわれて唇を尖らせた。随分大きな体をしている。騎士だってあれほど鍛えられている人は珍しいだろう。それなのに、妙に子供じみた仕草をするのが可愛らしい。
ふと彼がこちらを向いた。ばっちりと目があって肩を震わせるナタリアに、野生の獣のような足取りで近寄ってくる。
「お前、どうしたんだこんなとこで。親でも待ってるのか。なんかあったか?」
答えかけて――口を閉ざす。答えてしまえば、きっと彼の端正な顔は嫌悪に染まるはずだ。
「え、と」
突然話しかけられたのなんて久しぶりで、上手い誤魔化しが浮かばない。とにかく何かを返さなければならないと考えて、出てきたのは質問に掠りもしない感想だった。
「あなたの目、鋼みたいな色をしてるのね」
しまった、と思ったときには遅かった。
丸く見開かれた目に、慌てて謝罪をしようと言葉を探す。けれど、返ってきたのは屈託のない笑顔だった。
「そうか、ありがとな」
「おい小僧! 嬢ちゃんに絡んでんじゃねえぞ!」
空気を割るような怒声が響く。
「小僧はやめろって!」
「うるせえヤンチャ坊主! さっさと帰れ!」
鍛冶甲冑師の親方が大槌を振り上げて向かって来ると、男は俊敏に身を翻して熱気溢れる空間から立ち去った。
後に残されたナタリアは、目まぐるしい光景に口を開けるばかりだ。
確かに綺麗だという意図で口にした言葉ではあったが、そんなに喜んで貰えるようなことだっただろうか。
「嬢ちゃん、アイツになんかされちゃいねえか。大丈夫だったか?」
「ううん、何も。私がどうしてここにいるのかって、心配してくれたみたい」
そういえば、せっかく心配してくれたのに、お礼も言えていなかった。
気難しいことで有名な親方と親しいようだったが、一体誰なのだろう。
「誰って……ああ、顔なんぞ知るわけねえか。話題の英雄だよ」
白い髭を撫でる親方は――名前をヘザというのだが、長いつきあいの中で一度も呼ばれているところを見たことがない――作業場へと戻りながら、何でもないようにさらりと言う。
意味を呑み込むのに少しかかった。英雄、というと。
「赤竜を討伐したっていう、ギデオール辺境伯の次男さん?」
「それだそれだ。ワシはあそこの領で鍛冶修行をしとったんだが、アイツとはそのときからのつきあいでな。師匠の鍛冶場に入り込んできては武器を物色しやがるのに、何度ゲンコツを落としたことか。魔物ばかり相手にして遊んどった悪戯小僧が、今じゃ魔物討伐部隊の隊長で、まさか竜まで退治するとはなあ」
竜の中でも一際強く凶暴な赤い個体が初めて討伐されたとして、王都は沸きに沸いている。事情によりナタリアには関係のないことだが、半月後には叙勲式が開かれ、祝賀のパーティーなども予定されていると聞いた。辺境伯領は遠き土地だ。万が一を考えて、早めに到着しているのはおかしくない。
しかし、まさかそんな注目の人に会えるだなんて。
「嬉しい。女神様、素晴らしい邂逅に感謝いたします!」
「フン、ただのクソガキだ。それよりホラ、待たせたな。整備ができたぞい」
ドンと置かれた鋼の塊に、ナタリアの高揚しかけた気分が均された。
磨き直されて輝く、小柄なナタリアにあわせてつくられた特注の全身鎧。名工の手により何度も改良を重ねられた逸品は、重厚な見た目に反して軽く、通気性がよく、頑丈だ。女神を象徴する鳥の意匠が美しい。
「考えとる足甲が中々上手いこといかんでなあ。もうちょい待っとってくれ」
「今のものでも困ってないのよ?」
「重いし、動きづらいだろ。いいから任せとくれ。嬢ちゃんにはなんでもつくってやりてえんだ」
「でも、英雄様の」
「あんなもんシュテルでええ」
「……シュテル様のご依頼が……」
「差し迫った依頼じゃねえから、ほっときゃいい。アイツの装備は現役だ」
いい、と言うならいいのだろうか。でも、せっかく遠い辺境伯領から出てきたのだから、いつでも足を運べる自分より、あちらを優先すべきなのでは。
鎧を装着しながら眉を下げるナタリアの頭を、親方がぎこちない手つきで撫でた。
「いいんだよ。ワシはやりたいモンからやってんだからな。それで困るほどこの鍛冶屋はヘボくねえ。なーんも気にせず、楽しみにしとれ」
「……うん、ありがとう、親方」
ふにゃりと笑って礼を言う。
ナタリアがごちゃごちゃと遠慮しても、彼は好きなようにするだろう。それなら素直に笑顔で礼を告げた方が、祖父のようなこの人はきっと嬉しい。
「よし、肘のパーツを変えるから、三日後にまた来い」
「はーい」
ナタリアを取り巻く環境は複雑で、ときに少々厳しいけれど、不幸だと思えないのはこういう瞬間のおかげである。
最後に顔を覆う兜を装着して、ナタリアは足音高く歩き出した。