33 ライン再構築
「ねえ、中尉。諦めませんこれ」
「……いやでもな」
「諦めるという言い方があれなら言い換えます。新しい情報が入ってくるまで保留にしませんか?」
それは現実的な判断だろう。
実際情報が少なすぎて殆ど推論を重ねるしかできていない。
推論を前提とした推論を何というか。
人はそれを妄想という。
「まあそうだな……」
仕方ないと仁も今すぐの結論は諦める。
ただ、そうなると。
「澪には俺から言っておくよ」
シャーリーがこうして東郷家に通う理由も無くなる。
少しばかりの寂しさ。それと澪への言い訳をどうするか。
そんな思いが去来する。
「はい?」
だがそれに対してシャーリーは何を言っているのか分からないという顔をする。
した後、何かに気付いたように笑いだす。
「ああ、なるほど。そういう事ですか」
「な、なんだその邪悪な笑み」
「いえいえ。そんな邪な笑みは浮かべてないと思いますけど」
「浮かべてるよ。お前。電極刺す時と同じ笑み浮かべてるって」
「そんなあくどい笑み浮かべてませんよ!」
電極刺そうとした時はあくどい笑みだった自覚あったのかと仁は驚いた。
「もしかして中尉。この件が終わったら私が来なくなるって思っていたんでしょう?」
「……そりゃあな」
仁は素直に認める。
ここで抗弁しても墓穴を掘るだけだと分かっていた。
「私は、構いませんよ。嬉しい事に澪ちゃんが会いたがってくれてますから。仁さえ、良ければ」
多分、シャーリーが今一歩譲った。
澪の為。
それを名分にしていいと。
中尉と軍曹から変化しても良いと。
だが仁は――。
シャーリーとの交流がまた今まで通りになる事に対して寂しさを覚えた仁は。
脳裏に過った令の姿に返事を躊躇った。
苦し気に指輪を握り締める。
それをシャーリーの瞳が捉えて。揺れた。
良い。
たった2つの音を発するだけでいいのに。
仁の喉は引きつったように動かない。
そこで仁は気付く。
気付いてしまった。
ジェイクには先の事など考えられないと言った。
だが違う。
既に答えが出てしまっている。
自分の心の中にあった令の席。
そこに別の誰かを座らせる事は絶対に許せないと。
例えそれが誰であっても。
自分が帰ってくる場所だと感じられるのは令の隣だけだと理解してしまった。
「澪ちゃんには会いに来ますよ。中尉」
一度は譲られた道。
今シャーリーがそっと線を引きなおしたのが分かる。
「ああ。頼むよ……」
同じ部屋に居ながら。
急に冷えた様に感じる。
「中尉は、本当に優しくないですね。他人には優しくなりましたけど、自分には本当に優しくない――そんな事しても辛いだけなのに」
今の仁の逡巡を見透かしたようにシャーリーはそう言う。
「まあ私、人間は専門外なので分かりませんけど……でも、きっと中尉はこれからずっと辛いですよ」
「すまない。軍曹……だけど俺は……」
忘れたくない。
夜の闇にその声が溶けて消える。
仁の悲痛な願いがシャーリーの耳に届いてしまう。
「本当に、馬鹿ですね」
忘れてしまった方が楽なのに。
それに必死で固執して自分から苦しい方に行こうとしている。
かつてのシャーリーは、仁を見捨てた。
戦う理由を見つけられず、その答えを与えられず。
彼が必要とする帰る場所。その場所に自分ではなれない。
それが分かってしまった時に。
自分以外の誰かがそれを与えてくれることを願って。
自分の元から手放した。
結論から言えば、仁はその後答えを見つけた。
答えを見つける切っ掛けか。或いはそのものを与えてくれた人と出会えた。
だから仁の事を考えればシャーリーの選択は正しかったのかもしれない。
だけど。
だけど本当は。
自信が無かっただけなのだ。
自分なんかじゃ。
人間は専門外と口癖になってしまっている自分なんかが。
この人を支えていけるのだろうかと。
自信が無かっただけなのだ。
その時の選択を、本当は――。
「そんなバカな仁には、誰かついていないと心配です」
一線なんて知ったことか。
シャーリーは自分で引き直したラインを踏み躙る。
「軍曹?」
「正直に言いますよ、仁! 私は、六年前の選択を間違っていたとは思ってません!」
ずっと二人の間では触れられなかった事。
別れた時の事をシャーリーは自分から口にした。
「あの時のあなたは控えめに言っても面倒くさい奴でした!」
「なっ……」
「付き合うまでならまだしも、結婚して一生を支えろって言われたらちょっとためらう様な地雷物件です!」
「てめ。あの時俺がどれだけ傷ついたか」
「でも二年後あっさり次の人見つけて、その二年後には結婚決めてたじゃないですか! むしろその時私は滅茶苦茶傷つきましたよ!」
「自分から振っておいてその言い草は無いだろ、おい!」
まあ確かにとシャーリーも思う。
凄い自分でも身勝手な事を言っているのは分かっている。
「だけどそのお陰で仁は、令さんと出会ったんでしょう! 一生を共にしていい人と出会えたんでしょう!」
あ、いけないとシャーリーは己の感情の高ぶりを察した。
ずっと我慢してきた物が零れそうになる。
いいや、吐き出してしまえと。自分の胸の内を仁の元に晒す。
別れた六年前にも見せなかった内面を見せる。
「今も引きずる位素敵な人と出会えたんでしょう!」
悔しい悔しい悔しい。
シャーリーの中でその言葉が何度も何度も繰り返される。
だって仁は自分を失った時にそこまで引き摺らなかった。
翻ってそれは、仁にとってシャーリーという存在はその程度でしかなかったという事。
その程度の影響しか与えられていなかったという事。
「好きだった人が安らぎを得られた。私では得られなかったものを得られた。その事で別れた六年前の選択は間違ってなかったと思ってます!」
でも。
「でも本当は。私は、私が仁に安らぎを与えたかった! 私の手で幸せになって欲しかった! ずっと六年間後悔してました!」
シャーリーの瞳から涙が零れ落ちる。
「だから、私はもう後悔したくない。もう見捨てたくない。お互い傷つかないライン何て知ったことじゃありませんよもう!」
「ぐん、そう?」
「そんな、他人行儀な呼ばれ方。本当はずっとずっと嫌だったんですよ! 分かってくださいよ!」
ああ。本当に今の自分は面倒くさいと。シャーリーはそう思う。でも言いたい。
今言わないと。きっと一生言えない。
きっと永遠にこの人とは中尉と軍曹のままになってしまう。
それでもいいとシャーリーは思っていた。
何時かこの思いも忘れて。誰か別の人と結婚して。まあそれなりに普通の家庭を築いて。
実現可能かどうかは別としてそうするべきだと思っていた。
だけど六年ぶりの仁の隣は心地よくて。
右も左も、もう埋まっちゃっているけど。
それでもその背に張り付くくらいはしたくて。
そう思ってしまったらもう駄目だった。
今の職務上の距離感では我慢できなくなってしまった。
そうするべきだと思った未来図はゴミ同然になってしまった。
「澪ちゃんの前だからとか理由なくても名前で呼んでくださいよ。前みたいに呼んでくださいよ」
うっかりでも。
澪の前だからでも。
どんな理由でも名前を呼ばれたら嬉しかった。
そうなってしまえばもう。自分の心に誤魔化しは利かない。
「しゃー、りー?」
「仁が、私に興味なくても。令さんの場所に誰も座らせる気が無くてももう知りません! 誰が何と言っても奪い取ってやります! 地雷物件上等です!」
怖い。
本気で拒絶されたらどうしようと思う。
でももう我慢できない。
言わずにはいられない。
「だって仁ボロボロじゃないですか! 誰からも癒してもらえなくて、傷つくばかりで! そんな人放っておけませんよ!」
この傷ついた人をもう見捨てたくない。
今度こそ、自分の手で幸せになって欲しい。幸せにして欲しい。
すぐ側で一緒に歩んでいきたい。互いに支えあっていきたい。
六年前に諦めて手放してしまった物を。もう一度掴みたい。もう一度手に取って欲しい。
もう諦めたくない。
「ねえ仁。聞いてください。本当は。本当は私六年前、あの別れた日もずっと――」
「シャーリー……」
「ずっとずっと好きでした。大好きでした。今でも大好きです」




