25 結婚とは
澪はけっこんってなに? と首を傾げているし。
シャーリーは魂が抜けたように呆然としている。
ダメだ。この二人からの援護射撃は期待できそうにない。仁は独力でこの唐突な発言に対処する必要に迫られた。
「いきなり、何故そんな話になった」
「いや、少し考えていたのだがな。澪ちゃんは私のご飯を食べたい。でも貴様からは離れたくない。こうすれば折衷案として丁度良いのではないだろうか、とな」
「それお前と澪だけの折衷案だよな。俺の意志は全く含まれてないよな。というかだ」
睨む。
「さっきの人の話聞いてたか?」
つい数分前に仁は今も令を、死んだ智の姉を愛していると告げたばかりだ。
その流れで結婚しようとか何を考えているのか本気でわからない。
「聞いていたさ。その上で、私が姉さんより愛されれば良いのだろう?」
「すげえ。そう取るのか」
この空気の読まなさ。強すぎる。
「それに大事なのは当事者の意志だ」
「おかしい。当事者は俺のハズなのに」
何故ご飯を食べる人と作る人との間だけで結婚話が進んでいるのだろうか。
「実際、利だけで見ると悪くない話だと思うが?」
「利だけで結婚はしたくねえな……」
まあ、と仁は渋々認める。
自分が結婚しようとは思わないが、仮定として考えれば智は悪い相手ではない。
ただちょっと思い込みが強くて、激情家な側面があって、喧嘩したらサイボーグの腕力でボロ負けするのが確実ということが欠点だろうか。
並べると一般人には少々敷居が高い。
「姉さんに似て顔立ちは悪くないと思うし、料理は自分でも自信が有る。後こう見えて尽くすタイプだし、何より若い」
最後でシャーリーが大ダメージを受けていた。二十代後半独身には刺さるワードだったらしい。
「最後から二番目は嘘だろ」
「おい、何を根拠にそんな事を言うか」
「むしろお前が何を根拠に自分は尽くすタイプだと言っているんだ……」
「自分で言うのもなんだが思い込みが激しいからな。一度コロッと言ってしまえばきっと誠心誠意尽くすぞ」
隣でシャーリーが「ヤンデレ……」と小さく呟いた。仁はその意味が分からないけど、多分今の智を指した言葉なのだろうと推測した。
「おとーさんおとーさん。ケッコンって何? ご飯いっぱい食べさせてくれること?」
「それはまた違う言葉じゃないかな……結婚っていうのはな。そうだな、好きな人同士が二人でずっと一緒に居ることだ」
「ずっと?」
「そう、ずっと」
「おー。じゃあみお、おとーさんと結婚する!」
ちょっと、いや仁はかなり嬉しい。それだけ好かれているというのはこの半年近い生活を認められたようで嬉しくなる。
智のおざなりな言葉とは比べ物にならないほどだ。
だが残念なことに。
「澪、親子は結婚できないんだ」
「おーそれは残念」
ということである。
「くそ、目の前でいちゃいちゃしおって……で、どうなんだ。東郷仁」
「むしろ、勝算有るって考えている方がおかしいよ……断るに決まってんだろ」
と言うか本気で何を考えているのか分からない。令のこともそうだが、今しがた敵対宣言をしたばかりだと言うのに。
そんな相手を追い出しもしない時点で、自分も相当甘いなと仁は思っているのだが。
「そうか残念だ」
「残念だ、じゃないですよ! け、けっこ、結婚だなんて! そんな気軽にするものじゃありません!」
シャーリーが再起動した。
「いや、何。一度くらいは結婚してみるのも悪くないかと思ってな」
「結婚ってそんな気軽にするものじゃないでしょう! 一生物ですよ! もっと大事に考えましょうよ!」
「だがなあ。選り好みしていると時期を逃しそうだし。ダメだったらダメでその時はその時かなと」
うめき声を上げることもなく、シャーリーがノックアウトされた。
意外である。結構気にしてたんだな、婚期……と仁は微妙な表情で元カノを見つめる。
中々仁には手の出しづらい話だ。
しかし、智の考え方はなんとも刹那的と言うか。後先を考えていない。
こう言っては何だが、令はかなり保守的な人間だったと仁は思う。
令と智の母親も、話した回数は少ないが、堅実な人だった様に仁には感じられた。
その親と、姉に育てられた娘が、ここまで衝動的に生きるだろうか。
ほんの少しの違和感。
先程の会話から感じられた信念めいたもの。それと今の智の言動が上手く一致させられない。
「しゃろん結婚したいの?」
「……まあ人並みには」
「みおは名案を思いつきました」
いつものゆるーっとした表情で澪は己の大発見を発表する。
「おとーさんとシャロンが結婚すればいいと思います」
今みお、良いこと言った。という顔をしている。
「中尉と結婚……シャロンじゃなくてシャトー? シャウ……? じゃなくて。澪ちゃん、ごめんなさい。中尉……仁はちょっと」
中尉呼びで澪に睨まれたので、訂正する。
「それに私、人間は専門外なので……」
「シャロン殿。子供の前で特殊性癖を暴露するのはどうかと思うぞ?」
「とくしゅせーへーき?」
「あなたの方がよっぽどどうかしていることを一度自覚していただきたい!」
澪が変な言葉を覚えようとしている。
「しゃろんはおとーさん嫌いなの?」
「いえ、嫌いじゃないですよ……嫌いじゃないですけど」
なんとも言えない表情がシャーリーの心中を表している。単純に好き嫌いの二元論で語れるほど簡単な関係ではなくなってしまった。
『私は仁の恋人にはなれるけど、奥さんにはなれないよ』
何時か言われた言葉を思い出す。
結局それが全てなのだ。仁とシャーリーでは求めているものが違った。
それだけの話である。
「澪。結婚っていうのは実は結構ややこしいんだ」
「そうなの?」
「ああ。そうなんだ。大人にならないと分からないけどな」
「大人はタイヘンだ……」
しみじみとそういう澪が何だかおかしい。
「で、どうだ。東郷仁」
「この流れで結婚しようって言えるやつの顔を見てみたい」
するわけがないだろうと仁は突っ込む。
「残念だ」
ちっとも残念そうに見えない声音でそう言うと、食べ終わった食器を下げ始める。
「洗い物! 洗い物なら私でも出来ますから!」
「そうか。ならばシャロン殿に頼もう」
何故か必死なシャーリーに洗い物は任せる。
そうこうしている間に、良い時間になってきた。
澪をナノマシン洗浄して、寝間着に着替えさせる。
「何ですかこの寝間着! スケスケじゃないですか! 却下です却下!」
「何故私はシャロン殿に寝巻きの査定を受けているんだ?」
その背後ではシャーリーによる仕分けが行われていた。曰く、いやらしいものはダメらしい。
「中尉。くれぐれも気をつけてくださいね。ハニートラップかも知れないので」
「ああ……その可能性は今言われるまで気づかんかった」
むしろ全くそういう対象に見れないと言うか。赤の他人の方がまだ成功率が高いだろう。
「くっ、既に懐深くまで入り込まれてますね」
「お前疲れてるんだよ。熱でもあるんじゃないか?」
「健康体です」
どうにも今日のシャーリーはネジのとんだ発言が多い。
「でも本当に気をつけてくださいね」
「だからハニートラップは……」
「いえ、ではなく。寝ぼけた彼女に骨を折られないようにです」
「肝に銘じておく」
サイボーグの腕力で殴られたら骨の一本や二本は簡単に折れる。普段はリミッターをかけているだろうが、寝起きなどは危険かも知れない。
……そう考えると、ビンタの時は相当手加減していたのだろう。
「朝は近寄らないでおく」
「そうすることをオススメします。或いはサイボーグ用の拘束具を用意するか……」
「そんなもん第三船団じゃすぐに手に入らんだろ」
第二船団だと簡単に購入できるらしいので文化の違いを感じる。
「じゃあ中尉。また明日。そろそろ遠征訓練の打ち合わせもしませんと」
「だな……レオパード用のオービットパッケージ調達しておかないと」
夏の終わりに予定されている訓練校の一大行事である遠征訓練。
その準備はそろそろ取り掛からなければいけない。
「じゃあおやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
何時もなら送っていくところだが、今は智を放置しておきたくない。
玄関先で見送って仁は部屋に戻る。
「なるほど。第三船団は遠征訓練がこの時期なのか」
「盗み聞きするな」
「聞こえてくるんだ仕方ないだろう。目は閉じても耳は塞げない」
しれっとシャーリーとの会話内容を告げてくる智を睨むと悪びれもせずに言い返された。
「思い返すと中々楽しい行事だったなあれは」
「まあな。苦労も多かったが印象も強い」
遠征訓練はその名の通り。遠征の訓練である。
移民船団にとって遠征は大きな意味を持つ。
資源採集可能な惑星の探索。
それは移民船団の旅を続ける上で決して避けては通れない生命線だ。
ASIDとの戦闘がある以上、完全循環型のアーコロジーだとしても物資の消費は避けられない。
いずれ滅びゆく定めを覆せる唯一の方法だ。
防衛軍の存在意義の半分が移民船団の防衛だとしたら、もう半分は遠征だ。
故に、訓練校でもその為の訓練は三年かけてみっちりやる。
一回生以外の訓練生は全員参加だ。
「よし、その間の澪ちゃんは任せてもらおうか」
「お前にだけは絶対に頼まん」




