20 夜の散歩
「観測していたデータですが、多分これ本当にただ映像記録ですね」
「そのためだけにこんな大仰な装置を?」
「まあ確かにおかしな話ですよ? 費用対効果で言えば全然合ってません」
そっとシャーリーが指を立てた数によると、通常のドローンの五倍のコストらしい。
ほとんど使い捨てになってしまうドローンにそれだけの費用をかけるのは確かにおかしい。
「それだけ観測データに価値を感じていた、とか?」
「まあそうなりますね」
とはいえ、何を収集していたのかはわからない。
否ーー想像は着くのだ。
「俺か?」
「他に価値の有る観測対象がいれば別ですけど」
「後は……休眠中のクイーン位」
「あれは事前の観測は無理ですよ。完全な偶然です」
となるとやはり。あの時観測されていたのは仁自身になる。
「だけど、今更じゃないか? そもそも俺のデータなんていくらでも有るぞ」
「ええそうですね。トップエースの操縦記録なんてアーカイブが山ほどあります。一部ネットで流出してCG乙とか言われてるのが」
あまりに非常識な動きをしていて、それが実写だと信じてもらえなかったのである。
「こんな割に合わないドローンを飛ばして、それで公開されているようなデータを収集するって意味がわからん」
「それについては中尉に同感ですね……」
二人して知恵を絞るが、その不明な行動に理屈をつけることはできそうにない。
あーでもないこーでもないと意見を交わすうちに時間は過ぎていく。
「ちょっと一息入れますか」
「っていうか軍曹。時間は大丈夫なのか」
既に時刻は22時半。帰ったほうが良いのではないかと促す。
「あーちょっと長居しすぎましたね」
そう言いながらもシャーリーは帰る気配を見せない。
どころか。
「中尉。ちょっと考えたのですが。今から慌てて帰って、夜遅くに寝るより。泊まっていって朝早く出るほうが明日の仕事のパフォーマンスは上がると思うんですよ」
「落ち着け。お前もう頭回ってないぞ」
おかしな事を言い出したシャーリーに、遅かったかと仁は悔やむ。
もうこれは完全に疲労でやられている。
「言い換えましょう。ぶっちゃけ今から帰っても泊まっていっても大差ないです」
「言うなよ」
ちょっと議論に夢中になりすぎた。
対面に座って、額を突き合わせながらの議論は、訓練校時代を思い出して楽しくて。
やめ時を見失っていたのは事実だ。
「はあ……着替えとかはどうする気だ」
「しまった。その問題がありましたね……仕方ありません。今日は諦めて帰りましょう」
その言葉に、仁は安堵を覚えた。一体何に対しての安堵なのかは仁自身も分からなかったが。
「送ってく」
「おや、気が利くようになりましたね。中尉」
「多少はな」
シャーリーの揶揄を受け流して、仁は最寄りのハイパーループの停留所まで送り届ける。
「そういえば私が立入禁止になっていた件ですけど」
「あれか。まあ少々面倒な話になってな……智が来た」
「えっとそれは、この前中尉をビンタしていった」
「そう。そいつ」
シャーリーの表情が中々面白いものになる。彼女の顔にも面倒な事になったと書かれている。
「何でまた急に」
「この前澪を見ただろ。まあそれで令との娘じゃないかって」
「……そんなにそっくりなんですか?」
「智から見せてもらった令の六歳頃の写真だけど……怖いくらいにそっくりだった」
データのコピーをさせてもらいたいくらいだった。
「まあそれで澪を引き取るだとか言い出してな」
「なんと言うか暴走してますね」
「正直俺もそう思う」
「接触禁止とか強制送還とか。そういう処置取ったほうが良いんじゃ?」
「お前結構過激だな」
「何かあってからじゃ遅いですから」
澪の安全を第一に考えると確かにそうなる。
シャーリーからすればいきなりビンタしていった人以上の印象はないだろうから警戒するのは当然だ。
ただ、仁はそれは最後の手段としたい。
「アイツはまあ言ったら怒るだろうけど俺に似てるからな」
「そうなんですか?」
「ああ。澪と会う前の俺みたいだ」
「あの投げやりで死んでも良いやモードの中尉ですね。私がどれだけ言っても改めてくれなかった頃の」
「悪かったよ」
結局仁は澪と出会うまで、澪と親子になるまで死にたがりは解消できなかった。
智はその頃の自分と同じだと仁は言う。
「だとしてもやっぱり危険ですよ。誘拐されたらどうするんですか」
「それも大丈夫だと思う」
「その心は?」
「あの超シスコンが姉の顔した子供に無理やりなことなんて出来っこない」
根っこのところは。
「アイツお姉ちゃん大好きっ子だったからな」
だからこそ、姉を守ってくれなかった仁を恨んでいるのだ。
「人間専門外の私なんかより、中尉の方が相手のことは理解していると思うので余り強くは言いませんけど……言うべき時は言ったほうが良いと思いますよ。中尉に負い目が有るとしても」
「ああ。分かってるさ」
もし仮に。
智が澪を傷つけるようなことがあれば。例えそれが未遂であったとしても。
その時は仁も容赦はしない。
「泊まりの件ですけど」
唐突に。シャーリーが話題を変えた。
「うん?」
「やっぱり控えたほうが良いですか?」
少し熱に浮かされているようだったさっきまでの声と違って。
今のシャーリーの声は夏の夜に似合わないほどに冷たい。
「澪ちゃんに誘われて、この前は泊まりましたけど。本当は避けたほうが良いのかなって」
「何でそう思った」
「だって中尉。私があの家にいるの本当は嫌でしょ?」
突然の切込みに仁は反応できなかった。
これが戦場だったら四回は殺せるなと仁は自嘲する。
それが見透かされていたことに、仁は驚いた。この機械オタクが良く気付いたものだと。
「私に限った話じゃないって思いたいですけど。多分他の誰であっても澪ちゃんと仲良くしている女性を見るのが辛い。違いますか?」
「大外れだよ。人間が専門外のくせにそんな事気にしてたのか」
大当たりだ。
どうしたって。何故そこにいるのが令じゃないのかと考えてしまう。
「そうでしたか。なら良いんですけど」
「ああ、だから気にするな。澪も喜ぶ」
そう告げるとシャーリーは仁にも聞こえないような小さな声で呟く。
「俺も嬉しいとは言ってくれないんですね」
「すまん、聞こえなかった」
「私も嬉しいって言ったんですよ。澪ちゃん可愛いですから」
いつもの温度が戻ってくる。
「まあ多少は遠慮しろよ? お前が来ると澪はべったりだからな」
「はいはい。おとーさんから澪ちゃんを取ったりはしませんよ」
「少しは控えめになったじゃないか?」
「多少はね」
何時もどおりの空気。
何時もどおりの会話。
それが仁には何よりもありがたい。
「それじゃあここまでで」
「ああ。おやすみ軍曹」
「おやすみなさい中尉」
そう挨拶を交わして見送る。
「変なこと聞いてきやがって……んな遠慮するやつじゃなかっただろお前」
人の迷惑など顧みず、自分の事を優先する質だったはずだ。
人間は専門外だと言っていたくせに、妙に深いところへ切り込んできた。
随分と澪には入れ込んでいるなと仁は思う。
「相性が良いのか……? いや、澪は最高に可愛いんだが」
まあこればかりは人の心なので仁にもわからない。
「帰るか」
もう今日はこれ以上何も起こらないだろう。
早く帰って明日に備えて寝よう。
そう思っていた。
まさか最後にもうひと騒動有るとは思っても居なかったのだ。
「なんだ、これは……」
帰宅した仁が感じたのは、ここは俺の家なのか? という疑問だ。
シャーリーを送っている僅かな時間。
その時間で仁の自宅は大きく変貌していた。
扉が。見えない。
山積みになったダンボールが仁の部屋の前どころか隣人の家にまで埋め尽くそうとしていた。
まるでダンボールが氾濫を起こしたかのような光景に、仁は己の頬をつねって現実か確かめる。
「なんだ? なんだこれは!」
一つを掴み取って宛名を見る。何かの間違いではないか。
宛先は東郷澪。
まさか澪が間違えて何かを大量に注文してしまったのかと考える。
次に送り主は。
楠木智。
疑問が一瞬で氷解した。
「あーいーつー!」
予想していた。
まず子供の機嫌を取ろうとするなら。自分ならどうするか。
どこかに連れて行く? それが叶わないとしたら――。
プレゼントでも送るんだろうなと。
それを即日。これだけの規模で行うとは予想外。
そしてそれで自宅から閉め出されるというのは更に予想外。
しかも現在進行形で増えている。
ひとまず、一度配送センター止まりに変更する。
既に来てしまった分についても順次返品しないといけないが……今仁が考えるべきはどうやって家に戻るかである。
仁が帰宅するのにそこから更に一時間を要し……返品待ちの荷物をどうにか家に押し込むのに更に一時間を要した。




