18 不審者
「とーやくん、お兄ちゃんいるの?」
「ああ。兄貴はかっこいいんだぜ!」
「ふーん」
とある日の放課後。
今日のドッヂボールも互角の戦いを繰り広げた二人は仲良く下校していた。
「む、お兄ちゃんがいるということは……とーやくんはいもうと?」
「いや、男だから弟だろ……俺女じゃねえよ」
何言ってんだお前という視線を向けられながら、澪は分かっていないと言うように首を横に振った。
「おとーさんがそー言ってた。お兄ちゃんがいる人は妹だって」
「……お前って勉強できるのに時々すっごいアホだよな……」
それ絶対、お前が話ちゃんと聞いてなかったか、お父さんがちゃんと最後まで言わなかっただけだぞと守は忠告する。
「つまり、とーやくんはいもうとじゃない?」
「絶対に違う。なんでそんなに妹に拘るんだよ」
「いもうとは敵だから」
「……お前妹いるんだっけ?」
「いないよ?」
「なんでいもしない妹で全方位敵対してんだよ」
意味わかんねえと守は理解を放棄する。
きっと、くだらない勘違いであろうという予想は容易に出来た。
「まあいいや。また明日な東郷。明日こそ決着つけてやる!」
「今日引き分けだったからそれは無理」
「そういう意気込みだよ!」
分かれ道で、澪は一人になる。
ちょっと寂しいと思いながら澪は自分の家に向かう。
夕飯を食べに訓練校に行くこともあるが、今日は真っ直ぐに帰る日だった。
とてとてと歩く澪の後ろにーー露骨に怪しい人影があった。
体型を隠すようなサマーコート。
帽子、サングラス、マスクの三点セット。
都市警察の教本に載せたい位、見事な不審者だった。
人が見たら通報間違いなしなのだが、この不審者。まるでカメラを避けるように死角に入り込んで移動している。
これほどまで正確にカメラの位置を把握するのはプロのようだった。
「東郷澪ちゃん?」
その不審者が澪との距離を詰めた。
名前を呼ばれた澪が振り向く。
変な格好と思いながらも、澪は余り気にしていなかった。
「誰ですか?」
「君を迎えに来ました」
「知らない人にはついていくなっておとーさんが言ってた」
若干警戒しながら、澪はいつぞやのメイとの会話を思い出す。
その場で名前を聞いても、知ってる人にはならないよ、という言葉。
だが目の前の相手はそんな屁理屈も浮かばないようだった。
自分から声をかけておいて、どうしようかと考えているようだった。
その体がぐらつく。
何かに体当りされた不審者は姿勢を崩して膝を着く。
「何をーー」
頭から何か袋の様な物を被せられて視界を塞がれた。更には足にも何かが絡みついている。
「くっ、この」
そうこうしている間に駆け去っていく足音。
強引に己を縛る物を引き千切って眉をひそめる。
「縄跳び?」
◆ ◆ ◆
「もう何やってんだよお前!」
「とーやくんどうしたの?」
「どうしたのじゃなくて! 不審者見かけたら逃げろって言われただろ!」
なぜだか戻ってきた守に手を引かれながら走る澪は、その言葉に目から鱗だった。
「あれが不審者だったのか……」
「それ以外のなんだってんだよ」
走りながら歩を緩める。
「なあ、お前んちって近い?」
「うん、すぐそこ」
「じゃあ一緒に行ってもいいか? あいつまだそのへんいるかもしれないし……」
その時に、澪は守の手が震えているのに気がついた。
「なんで震えてるの?」
「震えてねえよ。あんなやつ怖くなかったし」
よくわかんないと思いながら、澪は続けて尋ねる。
「何でみおの事助けてくれたの?」
「? 友達助けるのに理由がいるのかよ」
「そう、なんだ」
なんとなく振り向いたら澪の危機的状況を見て駆けつけた守は何の含みもなくそう言い切った。
何でちょっとドキドキしてるんだろうと思いながら、澪は守を伴って自宅へと帰宅した。
お父さんに連絡しろよと言われて、澪は仁に連絡を取った。
『待ってろ。すぐ帰るから。誰か来ても絶対家に入れちゃだめだぞ』
「分かった」
その言葉に頷いて澪は通話を切る。
「お父さんなんだって?」
「すぐ帰るって」
「お前のお父さん何してるんだ?」
「せんせーだって前言ってた」
「へえ。せんせーも学校終わったからもう暇なのかな?」
講義を早めに切り上げるために、ユーリア達三名が今、怒涛の勢いで積み上げられていく課題に悲鳴を上げていた。
今の通話で三名が絶望しているとは知らず、二人は呑気に会話する。
「お前の部屋ぬいぐるみ多いな……」
「こっちペンギンのぺんぺん!」
「名前付きなのか」
一個一個紹介しながら、澪は少し寂しそうに言う。
「お留守番のときはみんな一緒」
そういえば、と守は思い出す。
澪からお父さんの話はよく聞くが、お母さんの話は聞いたことが無いことに。
聞かないほうが良いんだろうなという気遣いが働く六歳だった。
「なんだこれ、レイヴン?」
ぬいぐるみコレクションの一つであるレイヴンに目を留めた守がそのデフォルメ体型に首を傾げる。
「おとーさんのおすすめ」
「変わった趣味してんな」
「とーやくん、レイヴン知ってるの?」
「おう、かっこいいしな」
日夜侵略者から船団を守るために戦っている機体はある意味実在のヒーローだ。
知らないはずがない。
「俺んちにも人形あるぜ」
「おー仲間だ」
ぬいぐるみとアクションフィギュアという隔たりはあるが、それは確かに澪と守をつなぐ同じ趣味だった。
そこで澪は思いつく。
今日助けてもらった(らしい)お礼に、本物を見せてあげようと。
「ねえねえ。みお思いついたんだけど……」
そのアイデアを口にするよりも早く。
「澪無事か!」
仁が文字通り駆け戻ってきた。
着替えもしないで帰ってきたのか。少し威圧感を与える軍服を身にまとったまま、額に汗を浮かべて。
「おとーさんお帰り」
「お、お邪魔してます」
友人の保護者に少し緊張気味の挨拶をして、守は澪の耳元で囁いた。
「お前のお父さん先生じゃなかったのかよ」
「とーやくんくすぐったい。せんせーだよ?」
なぜだか澪も真似して仁の目の前で守に耳打ちする。
「えっと、そちらの君は……?」
「とーやくん! みおの子分1号!」
「子分じゃねえ! えっと、東谷守です。はじめまして」
今現在その関係を精算するための真剣勝負の真っ最中だ。
だが今の会話で、仁は常々噂だけは聞いていた相手だと分かった。
「君が噂の……いつも澪と遊んでくれてありがとう。東谷くん」
少々、感慨が籠りすぎている言葉だった。澪から聞く限り、相当振り回しているのが分かるのだから。
「なあ、お前どんな噂してんだ?」
「あそんだこと」
澪のシンプルすぎる返答。そんなことは分かってると突っ込む守の姿。
話に聞いていたよりも仲が良いんだなと仁は感じた。
あとこれは絶対、澪に振り回されている。間違いないと確信した。
「ところでなぜその東谷くんがここに?」
「とーやくんがみおの手を掴んでがーってしてぐーってしたの!」
「えっと、何か東郷が変な奴に話しかけられていたから、一緒に逃げてきたんです」
「そうか」
一部始終を聞いた仁は膝をついて、守の顔を覗き込む。
「娘を守ってくれてありがとう。勇敢だな、東谷くんは」
咄嗟にそう動ける人間は希少だ。
六歳で勇気を示した守を仁は称賛する。誰にでも真似できることじゃない。
「とーやくんカッコ良かったんだよ」
「ほう」
澪のその言葉を聞いて、仁は僅かに表情を引き締めた。
「ところで東谷くん。十年後くらいに思い出してほしいんだが……俺は自分より弱い相手に澪を任せるつもりはないから。そこのところよろしく」
「ほえ?」
「はあ……?」
よく分かっていない様子の二人だったが、その意味が分かるようになったら笑うだろうか。青ざめるだろうか。
「ところで東谷くん。その不審者はどんな人だった? 身長とか」
何でみおに聞かないの! という苦情は無視した。だってあんまりちゃんとした答えが帰ってくる気がしない。
「えっと、多分背は160センチくらい。コート羽織って帽子かぶってた」
「あと女の人の声だった!」
その特徴を聞いて、仁はなるほどと頷く。
心当たりがあった。
「よし分かった。ちょっと追い払ってくるから東谷くんはうちで遊んでてくれ。何心配するな。すぐに戻るさ」
「あ、はい。お気をつけて!」
「いってらっしゃーい」
そんな二人の声援を受けて仁は件の不審者を探す。
と言ってもそれほど苦労はしない。
自宅が見えて、監視カメラの死角。それを探すだけだ。
案の定、そこに彼女はいた。
「よう」
背後から忍び寄って、そう声をかけると飛んできたのは裏拳。
予想外に重いそれを受け止めて、彼女の素性がやはり予想通りであったことが確認できてしまい暗い気持ちになる。
「その変装。第三船団じゃ何の意味も無いからやめたほうが良いぞ。ただ悪目立ちするだけだ」
どれだけ厚着をしていても、多種多様なセンサーで監視されているこの第三船団では裸も同然だ。歩き方、重心バランス。そんな物からでも個人が特定される管理社会である。
第三船団で育ったものならば常識だが、第二船団育ちではそれも分からないだろう。
「直接顔を合わせるのは二年ぶりだな。智」
「馴れ馴れしく名前を呼ぶな、東郷仁……!」
顔を隠していたものを剥ぎ取り、憎悪の込められた視線を晒す。
澪とーー翻って令とよく似た、だけど確かに違うその素顔を。
彼女の名前は楠木智。
楠木令の妹であり、東郷仁の義妹になるはずだった少女である。




