12 追いついたモノ
「お。漸く復帰したのか」
「ああ。まさかこの半年で二回も入院するとは思わなかった」
リハビリを終えて、訓練生達を扱いて。
夕方になって仁は食堂に顔を出した。
授業参観の日以来となる仁を見たジェイクの言葉がこれだ。
これでも復帰は早かった方なのだ。
ナノマシンが規制されている他の船団だったらこうも簡単には復帰できなかっただろう。
完調になるまでは一月近くかかったかもしれない。
「道理であいつらがぐったりしてると思ったよ」
そう言ってジェイクが笑う。
あいつら――所謂問題児トリオは何時ぞやの様にテーブルの上で干物になっていた。
「おかしい……教官はブランクがある筈なのに」
「もしかしてこれはあれじゃない……? 私たちも、教官の訓練から離れてたからブランクがあった」
「クソがっ……知らぬうちに気が抜けてたっていうのかよ」
単に仁が久しぶりで少しはしゃいでいただけである。
それが良い具合に噛み合った結果。この死屍累々である。
「そう言えば聞いてくれよ仁」
「うん? あ、水くれ」
「はいよ。漸く食料品の流通が平常時の物に戻ったぜ! 来月からはメニューも一新だ!」
「お? おお。つまりあれか。キューブフード以外も提供すると」
「そういう事だ」
ジェイクは嬉しそうに笑う。
キューブフードは餌だと言って憚らないジェイクだ。
漸く真っ当な料理が提供できるのだから感慨は人一倍だろう。
「そりゃ澪をまた連れてこないとな」
キューブフードとその派生食品ではなく、農業用プラント等で育てられた食材。
その流通が再開したというのは即ち、食料面では船団の備蓄が人型襲撃前の水準に戻ったという事だ。
最初の襲撃から約五か月。
漸く船団も平穏を取り戻しつつあった。
稀にASIDの群れと遭遇することはあっても、人型との戦いを潜り抜けた今、それらは脅威にならない。
第二船団からの派遣部隊は相当にやるらしく、大きく損耗した船団の戦力を支えてくれているらしい。
「そう言えば澪の嬢ちゃんはどうしたんだ。一緒じゃないのか」
「ああ……澪なら、今日は――」
「おとーさん!」
銀色の塊が仁の腹部目掛けて突進してくる。
「見て見て! 可愛い? 可愛い?」
「お、澪ちゃん髪切ったんですね。似合ってますよ」
「メイおねーちゃんありがと!」
大分髪の毛が伸びていた澪は美容室に行っていたのである。
前髪が短くなり、澪の目元が良く見えるようになった。
「ああ。昨日までも可愛かったが、今はその十倍は可愛いな」
最初は散髪など自宅でやれば良いと思っていた仁も、その手並みには賞賛しかない。
仁がやったら絶対にこんなに綺麗にならない。
「でしょー? みおもびっくりした」
「へえ、髪を切ったのか。一人で行ってきたのか?」
「ううん。しゃろんが連れてってくれた」
その言葉にジェイクはへえ、と楽し気に笑った。
澪から遅れる事、ジャケットを羽織ったシャーリーが食堂に入ってきた。
「行ってきましたよ中尉」
「悪いな軍曹」
「まさか自宅で切るつもりだったなんて思いませんでしたよ……」
「施設だと偶に切ってたからなあ。今でも偶に自分のは切るし」
「ああ。それで中尉の髪形が時々変だったんですね」
「……変だったのか」
その会話を、三馬鹿がじっと見つめる。
「何か距離近いよね。絶対近いよね!」
「はいはい。ユーリア落ち着いてください。ナマモノで妄想働かせるのは失礼ですって」
「なあ、今恐ろしいことに気付いちまったんだが……小隊長レベルの恋愛脳から見ると、俺らもそんな風に妄想されてんじゃねえだろうな」
ふと。気付いたという顔をするコウの恐ろしい想像にメイは表情を歪めさせた。
「それは。こう期待に応えるべきですかね」
「こいつの妄想に合わせてたら何やらされるか分からんぞ」
「確かに。ドキツイの妄想してそうですよね」
「ねえ。二人とも。私が恋愛脳前提で話進めるの止めて欲しいんだけど」
扱い改善を希望するユーリアは置いておいて。
「澪ちゃーん。ちょっといいですか?」
「なあに、なすのおねーさん」
「んん? 何か微妙な呼ばれ方な気が」
何でメイはめいおねーちゃんで私はなすのおねーさんなの? とユーリアは疑問に思う。
まさか親友がそう呼べと吹き込んだなどとは想像もしていない。
「その、澪ちゃんのおとーさんとあっちのおねーさんはどんな事してるのかしら?」
「おとーさんとしゃろん?」
んとね、と澪は視線を宙に彷徨わせる。
そして最近の出来事を口にした。
「(みおと)一緒にお風呂入って、(みおと)一緒に寝てた!」
主語が抜けていたのが悲劇とも言える。
「ほらああ! 私の言った通りじゃない!」
「嘘だろおい……この年中妄想女郎の妄想が現実だったってのかよ」
「え。ひどくない?」
「まさかそんな。この拗らせ恋愛脳の予想が当たるなんて……意外と世の中には驚きが満ちてますね」
「ねえ、私達友達よね?」
ユーリアの妄想が現実――勘違いなのだが――だったことに驚きを隠せない二人。
「っていうか教育に良くねえんじゃねえのか……? いや、人の家の事だけどよ」
「うーん。さりげなく教官に教えるべきですか。澪ちゃん見てますよって」
「いや、それをどうさりげなく伝えるのよ。というか何か私ドキドキしてきたわ……二人の顔直視できないかも」
掌で真っ赤になった顔を隠しながらユーリアが息を荒くしながらそう言うと露骨に呆れた視線をメイは向けた。
「普段もっとドキツイ妄想してるくせに何言ってるんですかユーリア」
「どきついもうそう? ってなあに?」
「こ、子供の前で何を言うんざますかメイ!」
「どういうキャラだよそれ」
同様の余り口調の可笑しくなったユーリアにコウがだるそうに突っ込む。
既に彼は興味を失っていた。
それでも席を立たないのが彼の付き合いの良さを示しているのだが。
そのコウをじっと澪が見つめる。
「……何か用か?」
ユーリアやメイと違い、コウと澪の間にはそれほど接点はない。
一対一で会話したことなど数える程しかない筈だ。
故にこんな風に見つめられる理由が分からない。
「んとね、カーマインちゃんがイケメンを見るのは目のほよーだって言ってた」
「はあ?」
「良く分かんなかったから真似してる」
つまり、澪からするとコウはイケメンという事になる。
十も年下の子供からそう言われて照れる程初心ではない。
無いが、どういう顔をすればいいかも分からない。
微妙な表情で固まったコウを押しのけるようにしてメイが割り込んだ。
「いやいや。澪ちゃんダメですよ。イケメンというのは外面だけじゃなく、内面も良くないと」
「そうなの?」
「そうです。外面だけ見てるとダメな男に引っかかりますよ。或いはユーリアみたいに夢見がちに!」
二方向に喧嘩を売りながらメイは力説する。
その扱いに物申す二人と言い争いを始めて。
「三人とも仲良し」
澪はなぜか満足そうにうなずいた。
そんな未成年組の絡みを見て年長組は溜息を吐く。
「何かこう、俺達若さを失ったって感じるよな」
「一緒にしないでください。私はまだ若いです」
「俺だって若いぞ! 一人子持ちになったからって老成してんじゃねえぞ!」
まだ若いと主張する二人。
考え方は人それぞれだと仁は突っ込まなかった。
だがこういう時間を楽しめるようになったのは澪のお陰だ。
彼女が居たから、仁は前を向けるようになった。
「うん……?」
食堂に新たな一団が入ってくる。
見慣れない軍服。
あれは確かと記憶を探る。
船団毎に防衛軍の軍服は微妙に違う。
紺を基調とした物が第三船団。
そしてグレーを基調とした彼らは――第二船団。
その中の一人と視線が合った。
仁の思考が凍り付く。
何故、彼女がここに。
その疑問だけが頭を埋め尽くした。
集団から突出して、仁の元へと向かってくる。
早足で近寄ってくる人影に、ジェイクもシャーリーも視線を向けて固まった。
戸惑うように一度、澪の元へと向けられる。
そうして誰にも阻まれることなく、仁の目の前にその人物は立つ。
仁が口を開きかけるよりも早く。
振り上げた手がその頬を打つ音が食堂に響いた。
痛みは感じない。
次に放たれた言葉の方がよほど仁の心を抉っていった。
「随分と楽しそうですね」
憎悪に濡れた声。
ああ。と仁は一つの記憶が繋がるのを感じた。
アレは彼女だったのかと。
ならば納得である。
彼女には仁を憎む理由とその権利がある。
『何で姉さんを守ってくれなかったの!』
二年前のあの時と同じ顔と声音で。
彼女は糾弾してくる。
「姉さんを見捨てた人が!」
例え仁が前を向いて、今と未来を見つめても。
過去が消えてなくなる訳じゃない。
その平手はそれを仁に思い出させる、過去からの一撃であった。




