10 お泊り3
「良いか澪。よく覚えておくんだ……男の人と女の人は一緒にお風呂に入らない」
「!?」
出会ってから一番驚いて硬直している澪。
「おとーさんと澪、一緒に入っちゃったよ……?」
捕まる? 捕まる? と不安げに澪が尋ねてくる。
「いや、そう。親子は問題ない」
「良かった……捕まらない」
安堵したのも束の間。
これまた出会ってから一番悩んでいる様子を見せる。
これほど悩んでいたのは先ほどのピザの具を選ぶ時以来だろう。
「つまり、おとーさんかしゃろんのどっちかとしか入れない?」
「そうなるな」
仁の顔を見て。シャーリーの顔を見て。
澪は頭を抱える。
「みおにはつらい……選べない」
何だか非常に悪いことをしている気がしてきた。
いや、しかし。流石にここは妥協できない。
仁もシャーリーも困っていると、澪は何かを思い出したように自分の部屋に戻って絵本を持ってくる。
「これ! みんな服着て一緒のお風呂に入ってる!」
ペンギンの子供たちが水着を着てプールに行く絵を見せられて、仁はどこから説明すべきか迷う。
まずは――。
「澪、実はペンギンと人間ではルールが違うんだ」
「驚き」
こいつ、やはり実は馬鹿なのでは……? 仁の中で疑惑が芽生える。
いや、単に常識を知らないだけだろうと首を振る。
その機会が与えてこられなかっただけだと。
「それからそれはお風呂じゃなくてプールな。プール」
「プール? 何するとこ?」
「あ~泳いだり。泳いだり、泳いだり?」
よく考えると仁もレジャープールの類は行ったことが無かった。
水泳訓練でしか使った事が無い。
何に使うかと問われたら泳ぐしか思い浮かばなかった。
「良く分かんない……」
「まあ夏季になったら連れて行ってやるよ」
「楽しみ!」
さて、話を逸らせたかなと思っていると澪はまたうんうんと悩み始める。
流石に誤魔化しきれなかったかと仁も次の手を考えていると、シャーリーが手のひらを合わせた。
「ああ。その手がありましたね」
言われてみれば。
それならば澪の要望も公序良俗も守れる一手だった。
「水着か……盲点だった」
通販の速達で頼んだ新品の水着。
トランクスタイプのそれを履いて仁は一人呟く。
家の中で水着姿というとてつもない違和感に目を瞑れば有効だ。
プールと大差ない。
これならば三人で風呂に入っても問題はない。
少なくとも見た目上は。
後は単純に狭いであろうという事は……まあ耐えるしかない。
「おとーさん。いいよー」
「おー今行く」
先に着替えて風呂場に入った二人を追って仁も風呂場に行く。
シャーリーも澪も既に湯舟に浸かっている。
澪だけ仲間外れにするのもという事で、フリル付きのワンピース水着を買った。
新しい可愛い水着を着て澪もはしゃいでいる。
「お先にお湯頂いてますよ。仁」
「おう」
競泳水着を着ているシャーリーの姿は、訓練生時代の水泳訓練でも見たものだ。
ただ当時よりも――。
「何ですか。その視線」
「いや、お前……太った?」
「はあ!?」
おっと禁句だったと仁は己の口を手のひらで塞ぐ。
「太ってませんよ! 体脂肪率は訓練校時代かずっとキープしてます! っていうかデリカシーって言葉知ってますか!?」
「すまん。見間違いだ。うん、きっとそう」
完全に仁の分が悪い。
何を言ってもセクハラにしかならないだろう。
「おとーさんは何で怒られてるの?」
「良いですか澪ちゃん。もしも愚かにも太った? 何て聞いてくる男子がいたら容赦は要りません。徹底的に潰してやりなさい」
「良く分かんないけど分かった」
「おい、うちの娘に物騒な事を教えるな」
何を潰すのかは怖くて聞けなかった。
「物騒な事じゃありません。女の子にとって重要な事なんです」
「徹底的に潰せとか言うのは女子っていうよりも悪役だよ」
首を掻っ切る仕草が似あう言動だ。
「おとーさん髪洗って!」
「おー良いぞ」
「ちょっとお待ちを仁。何ですかその乱暴な手つき。もっと丁寧に洗ってください! 髪は女の命ですよ!」
「普段から油まみれにしてるくせに。いや、油まみれにしてるからか……?」
仁がもたもたとした手つきで髪を洗っていると、湯舟から上がったシャーリーが後ろから指示を飛ばし始める。
「もっとシャンプーをよく泡立てて! ああ。そんなに指を立てないで! もっと優しく……一本一本を丁寧に扱うように。澪ちゃん。もうちょっと顔を上げて」
「……シャーリー。もうちょい離れろ」
仁の肩に手を置いて澪の手に延ばせば必然密着する。
首のあたりの感触が気になって仕方ない。
「………………失礼しました」
そそそそと離れていく気配。
残った感触を消すように乱雑に擦る。
「お前、もうちょい慎みとかさ……」
「この状況でそれを言われましても……!」
確かに慎みからは数光年離れた状況ではある。
「むー。おとーさんそろそろ泡流して。目痛い」
「っとすまんすまん」
お湯を頭からかけて泡を流す。
泡が消えてぱっちり眼を開けて澪が振り向いた。
仁王立ちして腰に手を当てて言う。
「ケンカしちゃダメなんだよ!」
「はい」
「ごめんなさい」
風呂場で水着で座り込んだまま娘に叱られる状況。
何だこれと仁は思わずにいられない。
その後、交代で自分の身体と髪を洗う。
ナノマシン洗浄ばかりだった仁は正直勝手がわからない。
「ああ、そんな雑な洗い方を……澪ちゃんの方が上手ですよ」
「いっぱいしゃろんのおうちで練習した!」
「ほとんど風呂初体験何だから大目に見ろよ……」
今までは湯舟に浸かって終わりだったのだから洗い方など分かる筈もない。
「もう見ていられません」
と、シャーリーが仁の手を取ろうとしたが、今の自分の格好を思い出して自粛する。
先ほどと同じことを繰り返せば仁に何を言われるか分かった物では無い。
「澪ちゃん! 情けないおとーさんに教えて差し上げなさい!」
「分かりました!」
「どういうキャラだよ」
「かゆいところはないですかー」
泡に塗れたスポンジで仁の身体をごしごしと擦っていく。
何とも、自分で乱雑に擦ったのとは違い、全然力が入っていなくて何だかこそばゆい。
「親の背中を流すのは子供の大事な仕事ですよ。澪ちゃん」
「頑張る!」
「そうなのか?」
「我が家ではそうでしたね」
「……そうか」
一般的な家ではそういう事をするのだろうかと仁は思いを馳せる。
残念ながら、仁にはそう言った経験が一切ない。
だからどうすればいいのか分からずただ成すがままにされていた。
ただ――こんな時間も悪くないと。
そう思えた。
そう思えることが嬉しかった。
「……やっぱ湯舟に三人はきつかったか」
「ぎゅーぎゅーだ」
「ちょ、ちゅう……じゃなくて仁。動かないでください。変なところ触ったらお金取りますよ」
「無理を言うな……」
仁、シャーリー、澪の順で入った湯舟は大分お湯が流れていった。
元々仁と澪の二人で何とかと入った湯舟にシャーリーを加えたら身動きが取れないのは必然。
シャーリーはどうにか姿勢を保とうとしているが、ご機嫌な澪がいる為、上手く動けずにもがいている。
仁に至っては最早自力での脱出は困難だった。
「やっぱり三人は無理だな……澪、今度はもうやめておけよ?」
「うー分かった」
もっと単純に。
これから澪は成長していく。
そうなれば仁と一緒に風呂に入る事も無くなってくるだろう。
そういう意味では残り少ない交流の時間を大切にしようという気にもなってくる。
「あ」
とか考えていたらシャーリーが足を滑らせた。
金色の後頭部が仁の鼻先を強打する。
「しゃ、おま……」
「ご、ごめんなさい……ってどこ触ってんですか!」
「知らん……早くどけ……」
三人で風呂に入るのは二度とごめんだと仁はしみじみ思った。
澪も諦めてくれたのでもう二度目は無いだろうが。
風呂から上がって、澪にせがまれて絵本を読んで。
夜更けの時間をゆったりと過ごしていく。
仁にとっては悔しいことに。
シャーリーの絵本の読み方は上手だった。
澪もすっかりそちらのファンで仁は二番手に格下げされてしまい少し不貞腐れる。
「じゃあ寝よう!」
本当に今から寝るのかと突っ込みたい元気の良さで澪が宣言した。
そう言えば元々はこれが主目的だったと仁は思いだす。
「澪は真ん中な」
「澪ちゃんは中心です」
確認しあうまでもなく、澪を真ん中に据えて。
三人川の字でベッドに横になった。




