08 お泊り1
「お泊りお泊り」
仁とシャーリーの間で澪が楽しそうにヘンテコな歌を歌う。
いつも通り仁の左手を掴み、もう片方の手でシャーリーの右手を掴む。
両隣を好きな人で固めた澪はご機嫌であった。
「えっと、中尉。それじゃあ私一度荷物纏めてきますので……」
「悪いな軍曹。今回の件諸々の礼は後日改めて」
当分、頭が上がらなくなりそうだと仁は思う。
こうなったら変な機体調整の一回や二回、甘んじて受け入れるべきだろうか。
そんなことを考えていると、シャーリーの湿度100%な視線に気づいた。
「どうした、軍曹」
「いいえ。別に。中尉の為じゃないですから。澪ちゃんの為ですから!」
「お、おう。そんな強調されんでも知ってるぞ」
その勢いに若干仁は上半身を逸らす。
落ち着けと空いた右手で宥める。
「あ、しゃろん」
耳貸してと澪がシャーリーの袖を引く。
屈み込むと何か耳元でこそこそ話し始める。
仁は仲間外れにされた気分。
「ああ。大丈夫ですよ。元々持っていくつもりでしたから」
「よかったあ」
何やら持ってきてほしいものがあったらしい。
少し気になる。
「それじゃあ澪ちゃん。また後で」
「うん、またねえ」
手を振って、シャーリーを見送った澪は仁を見上げる。
「おとーさん」
「何だ?」
「買い物をしましょう」
何故だか真面目くさった言い方で、澪はそう提案した。
「買い物? 何かあったか……?」
「お風呂の買い物です」
「お風呂……ああ。そう言えばずっと後回しになってたな」
家でも入れるように買い揃えると言って、長い事後回しになっていた。
「しゃろんのおうちで毎日お風呂入りました」
「うん」
「みおはお風呂に入らないとダメな体になりました」
「そうか……」
ちょっと留守している間に、澪が贅沢を覚えさせられている。
その事に気付き仁は戦慄した。
別に風呂位大したことではないのだが、この娘、染まりやすいなと危惧する。
「だからお風呂の買い物しよ」
「分かった。俺も風呂に入りたいしな……」
今現在、仁は体内に治療用ナノマシンを入れているので何時ものナノマシン洗浄が行えない。
干渉しあって誤作動を起こす可能性があるからだ。
病院ではシャワールームがあったので良かったが、今日は濡れタオルで我慢しようかと思っていたところだ。
風呂の準備をすることに異論はない。
「よし。じゃああいつが来る前に買い物するか」
「おー!」
「えっと、何から揃えるべきか……」
「おとーさん。ここにしゃろんから聞いた必要品のメモが有ります」
ちょっと得意げな顔で澪がメモを取り出す。
「偉いぞ澪。ちゃんと調べてたんだな」
「ちゃんと調べた!」
頭を撫でて褒めてやると得意げな顔をする澪。
買う物が明確になっていれば済ませるのは早い。
「んじゃ一先ず注文しておくか」
ちゃっちゃと仁は通販サイトから速達でメモに書かれた品々を注文していく。
後一時間もしない内にドローンが配達してくれるだろう。
「よし、それじゃあ帰って少し部屋を片付けるか」
「分かった! キレイにする!」
「そう言えば、あいつの家に行ってる時はどうしてたんだ?」
「しゃろんのお部屋の掃除はみおがしたんだよ。とってもキレイ」
「そうか……」
その内場所が分からないと言って問い合わせが来るんだろうな、と仁は思った。
◆ ◆ ◆
「えっと……あれ。新しい化粧水どこやりましたっけ……?」
その内どころかその日のうちにシャーリーは澪に聞きたいと思い始めていた。
正直、余りに綺麗になりすぎた自分の部屋だが、どこに何があるのかが分からなくなっている。
――澪からすると、床に転がっていた物を適切な場所に移しただけなのだが。
「あった」
鞄の中に、一晩泊まるのに必要な物を詰めていく。
化粧品、着替え。
「……新品の下着どこにやりましたっけ」
別に深い意味はない。
ただ使い古した物を持っていくのもどうかと思っただけである。
「……………………シャワー浴びてこ」
深い意味はない。
仁の家に浴室があるとは思えなかったので先に済ませておくだけである。
ナノマシン洗浄はシャーリーの中で入浴に含まれない。
「泊まり……いえ、澪ちゃんの家に泊まるだけですから」
百歩譲って、これが仁の家に泊まるのだとしても……非難される謂れはない。
今の仁に特定のパートナーは居ないのだから。
不倫でも浮気でも何でもない。
そもそも仁はそんな事意識もしていないだろうとシャーリーは思う。
六年前ならいざ知らず。
今の二人は中尉と軍曹。それでいい。そうしたいと言ったのはシャーリーの方なのだから。
頭から熱いお湯を浴びて頭の中のもやもやを押し流そうとする。。
「……だって、中尉の視界に私入ってないですし」
四年ほど前からずっと。
仁の視線は一人に向けられ続けている。
その胸の内はずっと、一人で埋め尽くされている。
今はそこに澪も入っているのだろう。
自分が入る余地は無いと。シャーリーはそう断じる。
仁が訓練校時代に抱いていた虚無感。
シャーリーはそれを埋められなかった。
空っぽの時でさえ場所が無かったのに、満載状態の今どこに詰め込めるというのか。
「私は機械専門何ですから。それで、良いんです」
人間は専門外。
彼女は何時もそう言う。
人の心を癒すことは出来なかった。
「だから、私は――」
一度だけ。
シャーリーは仁と令が並んで歩いている姿を見た事がある。
令は後ろ姿だったので、その顔ははっきりと見たわけではないが、仁の穏やかな表情を覚えている。
初めて見た、その穏やかな表情が忘れられない。
訓練校時代は何時も何かに苛立っているような顔だった。
任官して正規兵になってからもそれは変わらず。
腕だけはぐんぐんと上げて行ったが、それをどうするのか扱いかねていた。
何のために戦うか分からないと言っていた彼に、シャーリーは答えを上げることが出来なかった。
正直に告白すれば。
シャーリーは顔も知らない令に嫉妬を覚えている。
自分では変えられなかった仁に、答えを渡して変えてしまった人を羨んでいた。
六年前。
当時恋人関係であったシャーリーに出来なかったことを易々とこなしてしまった令に羨望と妬みを向けている。
もしそれが自分にもできていたら、今も自分と仁は何か別の関係があったのではないかと――。
「あーやめやめ!」
シャワーの温度を上げた。
今考えていたことを溶かして流すように水勢も上げる。
熱湯がシャーリーの丸みを帯びた身体を流れていく。
「もう、終わった話なんですから」
全ては過去の話だと。
シャーリーは今しがたの思考を捨て去った。
「さて何か手土産に良い物はありましたかね……?」
シャワーから上がって、Tシャツ一枚でシャーリーは考える。
流石にお宅にお邪魔するのに手ぶらは良くないだろうという判断。
とは言え差し入れするのにちょうど良さそうの物というと……。
(食べかけのチーズ……いや論外ですね)
未開封品に限ると己の頭の中のデータベースに問い合わせる。
あとオッサン臭いツマミも却下とする。
そうなると意外と今家にある物では限られてくる。
澪宛のお土産はシュガーラスクにした。
甘い物好きなのはここしばらくのお泊りで把握している。
問題は仁への土産だ。
冷静に考えると、何が好きなのか分からない。
食べ物に限って言えば――キューブフード。
「いやいやいやいや」
流石にそれがお土産は無い。
絶対にない。
「うーん。このワインで良いか」
あの人酒飲むんでしたっけ? と首を傾げながらバッグに詰め詰め。
丁度酒を飲める年齢になる前に別れたのでその辺シャーリーには不明だった。
まあ飲めない事は無いだろうという判断である。
「それから……ああ。いけない。これを忘れたら澪ちゃんに怒られますね」
一枚の電子ペーパーを手に取って丸める。
直々にお願いされた物だ。
これだけは忘れてはいけない。
それもバッグに詰めて。忘れ物はもうない。
準備は完了。
少しだけ何時もよりも小奇麗な格好をして、メイクも薄くし直す。
完全に無意識ではあったが――訓練生時代と少し似通った格好になった。
軽い足取りでシャーリーは仁の家へ向かった。




