07 授業参観
初等学校の休み時間が終わって。
五時間目が始まる。
静かに口を閉ざして、そっと教室の後ろに並ばされる保護者達。
チラチラと自分の親がいるかを気にして振り向く生徒たち。
その内の一人である澪が仁を見つけて顔を輝かせた。
そしてその隣にいるシャーリーを見つけて更に輝かせる。
何でいるのと、チラチラ向けられる視線が問うていたが、答えるわけには行かない。
以前に澪に話を聞いた時には、授業中に騒ぐ生徒がいるとの事だった。
だが今日は授業参観だからか、悪ふざけをする生徒は居ない。
或いは、澪が完全にクラスを掌握しているのかもしれないという考えが仁の頭を過った。
流石に考えすぎだろうと仁はその考えを己で否定する。きっと前者であろう。
(算数、か)
澪の成績を思い出す。
あの驚異的な数学の成績。
それを考えると澪は退屈なのではないかと思って見て見ると、楽しそうに教科書の問題を解いていた。
根っからの勉強好きなんだなと少し感心する。
その成績を知らなかったシャーリーはすらすらと問題を解く澪を見て、口を感嘆の形にした。
他の生徒の中には躓いている子もいる様だった。
澪の隣の席の子――あれが噂の長谷川ちゃんかカーマインちゃんのどちらかだろうか――は澪にヒントを貰って少し解く速度が上がった。
「澪ちゃん算数得意なんですね」
仁にだけ聞こえる程度の声量でそう言ってくる。
「得意っていうか……」
多分お前と同じくらいにはできるという言葉は飲み込んだ。
そんなことを言われたら奇声を上げそうという危惧があった。
「ちょっと、言いかけて途中でやめないで下さいよ」
「静かにしろ。後で説明してやる」
しっと指を口の前で立てる。
新米の上にちょっと特殊ではあるが、仁とて教職の一人。
その講義の場を乱すような真似はしたくない。
今教鞭をとっている教師。彼女とて保護者の視線があって緊張している筈なのだから。
「じゃあこの問題、解ける人いますか?」
教師がそう聞くと勢い込んで手を挙げる生徒たち。
だが澪は泰然としたさまを見せてはいるが、挙手はしない。
その姿をまた意外に思う。
何となく澪はこういう時に積極的に行きそうなイメージがあった。
人の前で話すのは苦手なのかもしれない。
そうして授業が進んで。
少し難しい発展問題に進んだところで。
「それじゃあこの問題を解ける人?」
そこで満を持してとばかりに澪が手を挙げた。
他に手を挙げる生徒は居ない。
前に出て、電子黒板に一年生としては結構難しめの問題をすらすらと解いていく澪の姿はちょっと仁も誇らしい。
「はい、正解です」
振り向いて自分の席に戻る時、ちょっと得意げな顔を仁とシャーリーに向けて来た。
「……写真に撮りたい」
仁も同感であった。
授業参観後は保護者会があった。
保護者同士、自己紹介をしていく。
澪の父親だと名乗ったところで視線が一気に集中した。
何だろう、保護者の間で澪という名前が知れ渡っているのだろかと仁は少し不安になる。
どうかいい意味で知れ渡っていて欲しい。
担任教師の視線もちょっと怖い。
今後の授業の進め方などを説明された。
自分の教官業に少しでも生かせそうなことはメモしておく。
教育学を学んだわけではない仁としては、こういう知見は貴重だった。
そうした諸々が終わって。
保護者達が退席していく。
仁もその後に続こうとしたところで担任に呼び止められた。
「東郷さん、よろしいですか?」
「はい?」
「澪ちゃんの成績の件なんですが……」
小声でそう告げられる。
「全体的に見て、初等学校一年目のレベルは超えています。飛び級も可能ですが如何いたしますか?」
何時の間にか、澪の成績はそこまで伸びていたらしい。
だが、飛び級をするのなら入学時にしている。
仁としては成績も大事だが同年代と接することも重要だと思っている。
飛び級して周りが年上ばかりになってしまえばどうしても対等な関係は構築しにくい。
「飛び級は考えていません。友達も出来て楽しくやっているみたいですし……」
それに勉強ならば澪に興味があれば自分で進めるだろうという予感もあった。
「今しか出来ない事をして欲しいので」
「そうですか……差し出がましい事を言いました。申し訳ありません」
「いえ、気遣って頂きありがとうございます。これからも娘をよろしくお願いいたします」
そう一礼して仁も退室する。
「お待たせ」
先に退室して待っていたシャーリーと並んで歩きだす。
「何の話をしてたんですか?」
「飛び級出来るって言われた」
「凄いじゃないですか」
シャーリーの驚き顔。それを横目に肩を竦めた。
「断らせてもらったけどな」
「ええ。勿体ない」
「折角友達出来たのに引き離すのも可哀そうだろ」
先ほど教師に言われた時に思っていたことをそのまま口にすると、それでもシャーリーは首を捻っていた。
「うーん。でも知能に合った教育の場を整えてあげるのも大事だと思いますけど」
「そうかもしれないけどな」
そうなると、周りは本気で成人前後の人間ばかりになる。
その環境が良いとは仁には思えなかった。
「まあ我が家の教育方針って事で」
「あ……そうですね。すみません。部外者が……」
シャーリーが一歩身を引く。
その理由を考えて、今の自分の発言以外に無いと即座に結論。
「いや、そうじゃない。シャーリーの意見を聞く気が無いとかそういう事じゃなくて……」
しどろもどろになる仁を見てシャーリーはくすくすと笑う。
「普段冷静さを失うな、とか訓練兵達に発破かけてる人とは思えませんね」
「戦場と日常は違うんだよ……」
今の会話はちょっとグレーだったなと思いながら、周囲を見渡す。
誰もいないセーフ。
「その、さっきのスカートの件もそうだけど。俺だけじゃ気付けない事は山ほどある。ガンガン口を出してもらう方が助かる……そっちが良ければだけど」
「別に構いませんよ。私も澪ちゃんは好きですから」
シャーリーはそう快諾する。
下駄箱までしばし無言で歩く。
静まり返った廊下で、シャーリーが呟いた。
「でも、私は人間は専門外です。きっといつか間違えます。だからあんまり期待しないでくださいね」
「……それは何度も聞いたよ」
否定したい。
言葉では否定した。
だけどシャーリーは受け入れなかった。
仁も、心では己の言葉をこそ否定した。
だから、仁とシャーリーの関係は中尉と軍曹になった。
「もしも、私が人間も治せたら。人を癒せたら。私たちは六年前――」
そこから先の言葉をシャーリーは飲み込んだ。
その先を仁は口にする事は無かった。
既に。
終わった話である。
令と出会うよりも前に終わった話である。
「ほら、澪迎えに行くぞ。軍曹」
「ええ。行きましょう。中尉」
パートナーの振りは終わり。
そう告げる仁の言葉に互いに、切り替える。
これ以上続けていたら六年前の気持ちを思い出しそうになる。
校庭で待っていた澪の元に二人で近寄る。
それに気づいた澪が駆け寄ってくる。
「おとーさんだけじゃなくてしゃろんもいてびっくりした!」
「ふふふ。喜んでもらえました?」
「喜んだ! あ、おとーさんも来て喜んだ」
「そりゃよかった。ところで父に対して何かちょっと反応薄くないか?」
結構今日一時退院するために頑張った仁は少し寂しい。
「おとーさん病院はもう良いの?」
「いや。明日からはまた病院だ。もうしばらくリハビリしないとな……」
「りはびり?」
「ずっと寝たきりだったから身体を治してもらうんだよ」
ほーと頷いていた澪が名案を思い付いたとばかりにシャーリーに視線を向けた。
「なおすのはしゃろん得意だって言ってた!」
「ごめんなさい、澪ちゃん。人間は専門外なんです」
「残念……」
澪は肩を落とす。
「今日は家に帰っても良いから、一緒に寝られるぞ」
「ほんと?」
「ああ。ホントだ」
「だったら澪のお願いも聞いてくれる?」
「良いぞ、何だって聞いてやる」
滅多にない娘のお願い。
どんな物であっても仁は聞くつもりだった。
「また安請け合いして……」
とシャーリーが呆れているが気にしない。
「あのね……三人で一緒に寝たい」
「三、人?」
「みおと、おとーさんとしゃろん」
ん? と自分の名を呼ばれたシャーリーが張り付いた笑顔で首を傾げる。
どういう意味? と。
仁もちょっと想定外のお願いに思考が固まっている。
実はこの男、戦場以外でのアドリブには弱い。
「ダメ?」
「あーほら。軍曹の都合もあるからな……」
な、と仁はシャーリーに目くばせすると、彼女もうんうんと頷く。
そうしたら澪はターゲットをシャーリーに変えた。
「しゃろん~お願い……だめ?」
上目遣いのお願いにシャーリーは。
「良いですとも」
あっさり陥落した。
「おい」
「無理でした。あのお願いは断れません!」
「おとーさん……」
期待の籠った視線に仁は苦悩する。
これは令に対する裏切りにならないかという葛藤。
それを圧しても娘の願いを叶えたいという願望。
その二つが鬩ぎあい――願望が勝った。
「すまん、軍曹……付き合ってくれ……」
「ええ。澪ちゃんのお願いですから。ええ、澪ちゃんの為ですから」
まさかのシャーリー、東郷家にお泊りである。




