03 宇宙漂流
一先ずは現在の速度を維持する。
エーテルリアクターは一度落とす。
一度リミッターを外した以上、遠からず機能を停止する。
もしかしたら二度と再起動しないかもしれない。
それでも少しでも長持ちさせる必要があった。
機体に残ったエーテルで軌道修正。
巡洋艦『レア』がオーバーライトする直前に船首を向けていた方角に機体を向ける。
そして僅かな減速。
既に速度は十分出ている。
ただこのままだと仁の身体が耐えられない。
慣性制御が相殺してくれる加速度分を差し引いて耐えられる速度。
それとて長時間は厳しいが、今は一先ず後方のASIDの群れから離れることが先決だった。
この速度ならば徐々に引き離せる。
追いつかれそうになったら再度加速するしかない。
「船団は……流石に見えないか」
約一千万キロ。
今仁と船団を隔てる距離だ。
もう少し近くに居ればよかったのだが、この辺りになると資源採掘には向かず、かといって無視はできないサイズの小惑星が存在している。
そこに無理に船団を突っ込ませると損害が酷いことになる。
故に安全な場所で待機しているのだが今の仁にとっては遥かに遠い。
現在の巡航速度が秒速3キロメートルなので、非常に大雑把な計算をすると40日ほど今の速度を維持していれば到達する。
無論、角度が完全に一致していたらの話だ。
アサルトフレームのセンサーで船団を捕捉可能な限界は一万キロ。
許される誤差角度を仁は計算する。
「0.05度か……」
絶対にずれている。
仁にはそれが断言できた。
移民船団はビーコンの様な物は出していない。
理由は簡単だ。
それはASIDを引き寄せる。
故に、軍艦の類は自分の移動した距離を全て記録し、相対的に船団の位置を割り出している。
万が一見失ったら最後。その瞬間に宇宙の迷子だ。
そしてアサルトフレームには、それだけの計算能力がない。
つまり今の仁は――宇宙で遭難中だった。
荒くなる呼吸を、仁は沈める。
冷静さを失ったらその瞬間が終わりの時だ。
こんなところで終わるつもりはない。
澪を一人きりにはさせない。
酸素は無駄に出来ない。
搭載された循環型生命維持装置は一週間はもつ。
最悪の場合は投薬で仮死状態にすればもう少し伸ばせる。
つまり、目標行程の約20%を超えた辺りで力尽きる。
(コールドスリープ装置でもあればよかったんだがな……)
それはフィクションの産物だと仁は溜息を吐いた。
微かに手が震えている事を自覚した。
それに気づいて唇を釣り上げる。
大丈夫だ。まだ状況は最悪じゃないと自分に言い聞かせる。
まだ機体は動く。
自分自身も怪我をしているわけじゃない。
何より、今回は先に脱出した巡洋艦『レア』がいる。
彼らが船団に戻り、増援を呼び、クイーンタイプを撃退する。
その後探索の一つくらいはしてくれるだろう。
そうなれば見つけられる可能性が出てくる。
だからこそ、本来ならばあまり動き回りたくないのだが追いかけられている現状ではそうも言えない。
だがやはりトータルで見ればまだマシだ。
二年前の孤独な漂流に比べれば遥にマシである。
とは言えしんどい一週間になりそうだ。
仁はそう思った。
そう思ったのが既に190時間前。
途中睡眠と覚醒を繰り返して……現在位置はもう分からない。
食料だけはキューブフードで困る事は無かった。
やはりこいつは最高だと仁は思う。
もしも帰れたら感謝の手紙を送りたい。
既にASIDは振り切った。
アサルトフレームに内蔵されたビーコンは稼働中だ。
ただその距離も精々が一万キロ。
惑星上ではかなりの広範囲だが、この宇宙では心許ない。
酸素は目いっぱい節約して残り2時間。
周囲に友軍もASIDの反応もない。
一人ぼっち。
ジェイクから聞いた話を仁は思いだす。
シェルターで澪は一人ぼっちだと感じていたという事。
澪が感じていたという不安はこんなものなのだろうかと仁は思う。
こんなものを日ごろから抱えていたのだとしたらそれは辛い。
仁と過ごしていた日々がその孤独感を晴らしていた事を祈らずにはいられない。
この広い宇宙で。
探してくれたとして。
仁は皮肉気な笑みを浮かべた。
それは砂場から一本の針を見つける以上の難易度であろう。
それでも可能性はあった。
分の悪い賭けだったがあったのだ。
そしてその賭けに負けた。
それだけの話である。
こんな事ばっかだなと仁は笑うしかない。
間違いなく、第三船団で一番死にかけている。
今まで何とか手を放さずにいられたのだが、とうとう年貢の納め時らしい。
「……年貢って何なのか、令から聞けなかったな」
思わず声が口から漏れた。
酸素を無駄にしたと仁は己を戒める。
年貢の納め時という言葉は知っていたが、年貢が何なのか。
令が調べていた筈だったが遂にその答えを聞く機会は無かった。
後2時間。
まだ、2時間残っている。
希望は捨てない。
それが人生最後の2時間だったとしても最後まで生き足掻いて見せる。
もう二度と、命を投げ出したりはしない。
そう決意を新たにした仁の視界。
その隅を何かが横切った。
「まさか」
救援が? と心が期待を抱く。
だがそこに居たのはあまりに予想外の姿。
「黒騎士!?」
船団を襲った人型ASID。
それがそこにいた。
幻覚を疑う。
あまりに脈絡が無い。
だが確かに仁のレイヴンのセンサーもそれを捉えていた。
一瞬前までそこには何もいなかったはずだ。
考えられる可能性は、直接この宙域にオーバーライトした。
天文学的確率。
こんな宇宙の片隅で遭遇するなど最早奇跡の様な確率だろう。
相手も困惑しているのだろうかと仁は思った。
妙に動きが鈍い。
もしかしたらリアクターを停止させているこちらに気付いていないのではないかと思う。
だがそんな淡い期待もゆっくりと近づいてくる黒騎士を見て消し飛んだ。
明らかにあれはこちらを捕捉していた。
近づけばその詳細も分かる。
大きく損傷させた両腕は既に修復されていた。
だがその頭部。仁がエーテルダガーを叩き込んだ右眼だけは修復されていない。
古傷の様に残ったそれを見て、まるで決着を着けるまで消さないと言っているかのようだと仁は思った。
残った左目。それが赤い輝きを灯す。
エーテルリアクターを再始動する。
供給率は落ちている。
やはり一度リミッターを外したのが響いていた。
「振り切れるか……?」
またも声が漏れる。
今の状態ではまともな戦いにならない。
既に仁の体力も限界だ。
ドッグファイトなど、肉体の方が耐えられない。
急旋回の一つでもしたら失神するだろう。
勝ち目など万に一つもない。
ただ、相手の動きが妙にゆっくりな事。
そこを突くしかない。
後先考えずに最大加速。
残り2時間逃げ回る。
後はもう一度奇跡の様な確率に期待するしかない。
最後に頼むのが運とは泣きたくなってくる。
自身の命をそんなあやふやな物に賭けるしかないというのは仁にとって最悪だ。
人頼みは性に合わない。
急加速。
それだけで身体が悲鳴を上げた。
意識が遠のく。
クイーンも振り切れたこの速度。
そこに黒騎士は――追いついてきた。
まあそれはそうだと仁はどこか冷めた部分がそう囁いてくるのを聞いた。
この黒騎士と、1週間ほど前に追いかけっこしていたクイーンのリアクター出力は互角。
そして、サイズには雲泥の差がある。
つまり、黒騎士は単純な速度ならばクイーンの数倍は出せる筈なのだ。
歯を食いしばる。
伸ばされた手から逃れようと急制動。
一瞬で速度が0に落ちたレイヴンを黒騎士は追い越していく。
再度の加速。相手の背を追いかける。
ここしかない。
振り切れない以上、相手を落とすしかない。
両手のライフル。
収束率を最大に。
この一発だけ耐えられればいいと限界以上のエーテルを込めた射撃。
命中。同時にライフルが自壊した。
閃光が晴れた場所には、健在の黒騎士が居た。
前回は損傷を与えられた攻撃だったが、今回は防がれた。
相手も学習して成長している。
長剣の腹をこちらに向けて盾としていた。
黒騎士が反転する。
真っ向からの格闘戦。
徒手で最後の足掻きを行うが――届かない。
回し蹴りを回避されて、黒騎士の拳がまたもや腹部に叩きつけられて。
その衝撃に、漂流生活で弱っていた体は耐えきれずに仁の意識が飛んだ。




