01 目覚め
それは微睡の中から目覚める。
遠い旅路の為、休眠状態に入っていたそれは上質な餌の気配を感じて意識を覚醒させた。
果たしてどれだけの時を過ごしてきたのか。
確かな事は今、それは空腹である事。
それについてきた子らも、揃って空腹である事。
重要なのはその二点で、目の前にはそれを解消する方法が存在する。
故にそれは眠りを止める。
己が作り出した殻を破り、極上の餌を食らおうとする。
それを人は、クイーンタイプと呼んだ。
◆ ◆ ◆
何度目かの採集任務。
訓練生達も慣れてきて、推進装置の取り付けもスムーズになってきた。
今回の小惑星移動で一先ず採集は終わりの予定だ。
現在マザーシップが順次、運ばれた小惑星から必要な物資を抽出して移民船の補修部品を作っている。
それらが完成したら次は船団その物の修理作業だ。
一先ず、小惑星から物資の回収が終われば船団はこの宙域から離れる。
また、恒星系と恒星系の狭間を行く旅路だ。
忘れていたわけではない。
そういう物があると可能性としては知っていた。
だが、実際にそれを観測したことは無かったのだ。
ASIDの群れ。
それも恒星系と恒星系の狭間を行く旅人であると。
「なんだなんだ。これが噂のエースの娘か」
「お、可愛い子だな。全然似てねえけど」
『お、おー。筋肉が一杯だ』
巡洋艦『レア』の待機室で雑談していたところに来た澪からのコール。
最初は席を外そうとしたのだが、面白がった中隊長たちに押し切られてこの場で繋いでいた。
『おとーさんがお世話になっています』
「はっははは! 礼儀正しい子じゃないか!」
「割と真面目に、悪影響与えそうなんで切っていいですか?」
『えー。おとーさん切っちゃだめだよ』
好かれてるなーと口笛が鳴った。
『おとーさん、何時帰ってくるの?』
「そうだな……いや、もう少しかかりそうだ」
『そうなの? 最近お仕事ばっかり』
澪が不満そうに唇を尖らせる。
この子がここまで不満を口にするのは初めての事で仁も申し訳なさを覚える。
相当ストレスが溜まっているらしい。
『もう、みおとお仕事どっちが大事なの!』
「もちろん、澪です」
後ろの口笛が喧しい。
本当に、澪の教育に悪そうだからこの場を辞して自室へと戻ろうとし――。
『おとーさん、ぴかぴか』
警報が鳴り響く。
「これは……」
「エーテル反応の増大だと」
「ASID!?」
先程まではやし立てていた面々が表情を引き締めて待機室の隅のモニターに飛びつく。
「真横だと!?」
俄かには信じがたい座標に、計器の故障を一瞬疑う。
素早く切り替えられた外部の映像を見て仁は言葉を失った。
アステロイドベルトから運んでいる小惑星だったはずの物。
それが割れている。
まるで蛹から蝶が孵る様に。
亀裂からエーテルの輝きを漏らしながら、その姿を露にしていた。
「澪、すまん。切るぞ!」
『あ、おとー』
何か言いかけていたが、今はそれに頓着できない。
事態は限りなく最悪に近い。
「恒星系間巡行形態。噂には聞いていたが……」
「ここまで擬態してるとは聞いてねえな。くそっ。船団が近くなったから市民に反応して目覚めやがったのか」
ASIDはクイーンタイプを頂点とした社会構造だ。
故に、一つの群れにクイーンは二体もいらない。
それでもクイーンは新たなクイーンを生む。
そうした時にどうするかと言えば、生息圏が被らない様に別の星系へと送り出すのだ。
その時だけ、クイーンは休眠状態となりどこかの惑星に近付くのをじっと待つ。
今回のは正にそれだ。
アステロイドベルトに混ざっていたクイーン。
それを仁達は資源の豊富な小惑星と誤認して態々船団にまで運んでしまったのだ。
そして、そこに住む人々に反応して、クイーンASIDは目覚めた。
その生態系を――第三船団を食らい尽くすべく。
『アサルトフレーム部隊。緊急発進。クイーンが船体に取り付くのを阻止して下さい。本艦は緊急オーバーライトを実行します』
実際の所――船団としてはそれほどの脅威ではない。
まだこのクイーンは一つの星も喰らっていない新米も良い所だ。
群れの規模も最小クラス。
人型で損耗している今の第三船団単独でも問題なく殲滅できる程度でしかない。
だが。この巡洋艦『レア』にとっては事情が違う。
船団から見れば雑魚の部類だが、単艦で戦うには荷が勝ちすぎている。
早急に後退して味方と合流しなければいけないのだが――位置が悪すぎた。
小惑星の軌道を監視するために、数百メートルしか離れていない。
休眠明けで飢えているクイーンは朝食代わりにこの『レア』のエーテルリアクターを食らうだろう。
「くそっ。おい、教官。アンタも手伝ってくれ! 俺達だけじゃ手が足りない」
「そのつもりだ!」
流石にこの状況では訓練生を出すわけには行かない。
単独での行動になるが――まあ慣れている。
「オーバーライト出来るだけの時間を稼がないと」
「くそっ。クイーンと真正面から対峙するなんて初めてだぜ」
軽口を叩きながらも、中隊長の身体は小さく震えていた。
多かれ少なかれ、他の隊員も同じ様子だった。
そんな彼らに仁は。クイーンと対峙した経験がある彼は言う。
「大丈夫だ。クイーン相手なら慣れてる」
「お、おう……流石だな」
若干、仁に対して怯えの入り混じった視線が向けられた。
ちょっと仁が考えていたのとは違うが……体の震えは止まったらしい。
「頼りにしてるぜ、エース」
「……ああ」
だが、と仁は心の中で呟く。
クイーンを討伐できたのはここ二年の話――つまり、令を亡くして捨て身で戦っていた結果だ。
首から下げた歪んだ指輪を指で撫でる。
今の自分に、戦う事が出来るだろうか。
微かに不安を抱く。
何よりこのシチュエーション。
嫌でもあの日を思い出す。
突然現れたASIDに、オーバーライトで逃げるまでの時間稼ぎ。
ああ。強がっては見せたものの、今一番身体を震わせているのはもしかしたら自分かもしれない。
仁はそう自覚して引きつった笑みを浮かべる。
巡洋艦から離れていく十三機のレイヴン。
そして裂けた小惑星から溢れてくるASIDの群れ。
『主砲発射します。各機射線上から退避を――東郷中尉! 退避を!』
「こっちで勝手に避ける! 気にせず撃ちまくれ!」
そんな悠長な事は言っていられないと仁は先陣を切って飛び出した。
その言葉を証明するように、まるで後ろに目が付いているかのような動きで巡洋艦主砲であるエーテルカノンを避けていく。
エーテルの奔流で穿たれた群れの穴。
そこへ仁は機体を踊りこませる。
まずはこの先鋒を減らさないとまずい。
この全てが『レア』に取り付いたらそれだけでオーバーライト準備の時間が延びる。
両手に保持した、エーテルライフル。銃口のすぐ下にはエーテルダガーを増設した銃剣仕様だ。
四方八方が敵だらけの空間。
どこに撃っても命中するという、完全な包囲。
これは命を投げ出す行為か?
否。
この程度は危険の内に入らない。
そのほとんどが見慣れたミミズ型。
身体をうねらせて仁のレイヴンへと向かってくる。
「まずは一つ。ご案内!」
いらっしゃいませと言わんばかりに、迎え撃つ。
正面からの相手など目を瞑っていても当てられる。
照準から発砲までのサイクルが異常に短い。
仁の視界に映るのは一秒先の光景。
既に撃墜が見えているのだから、最後まで見守る必要などもない。
僅かに銃口を動かして次のASIDを狙い撃つ。
その間も、足を止めず、敵の包囲の薄い位置を食い千切って相手の背後へと回り込もうとする。
突き立てた牙で相手を引き裂くように。
群れという一体の獣を仁はズタズタになるまで食らいついていく。
そこまでお膳立てされれば、他の者にも仁の意図が分かる。
『全機、ポイントαに向け一斉射!』
仁が無理やりに作り出した群れの綻び。
すっかり置いて行かれた形の中隊が、そのほころびを更に広げる。
一斉に放たれた十二機のエーテルライフルが弾幕となって一角を消し飛ばした。
『いや全く……エースってのは頭がおかしいのかよ! まさかいきなり突っ込むとは思わなかったぞ!』
「そりゃ悪かった。次からは一言断ってから突っ込むことにする」
言いながら仁は次々と敵を落とす。
その速度は十二機いる中隊よりも早い。
照準をしつつ、銃口下から伸びたエーテルダガーで不用意に近づいてきた敵を切り裂く。
照準と攻撃さえもワンセットにし始めた仁に呆れたような視線が突き刺さる。
「来るぞ!」
一瞬の弛緩を引き締める様に仁が声を張り上げた。
奥から一際巨大な姿が群れを押しのけて前に出てくる。
クイーンタイプ。
巨大な女王蟻めいた姿のそれが巡洋艦『レア』を狙ってその羽をはばたかせた。




