33 和解
「いつの間に、こんな」
初めて見る動きだった。
そしてそれは、仁がコウに言いがかりの様に言っていた技術だった。
はっきり言って訓練生に求めるレベルではない動きを、コウは体得している。
「俺は強くなった」
「ええ。何時の間にかこんなに――」
「十年前。俺は誓った」
コウは、その時の誓いを。本当に誓いたかった相手の前でもう一度口にする。
「二度と奪わせない。そのために俺は強くなった。誰かにとってのメイを守るために」
それがコウの戦う理由だという。
復讐の炎は、今はもう燃えていない。
「お前を守れる位に強くなった」
「コウ。それは」
「分かってる。今更都合のいい話だっていうのは」
「違います。むしろ謝るべきは私の方です。あの日まで騙してすみませんでした」
「今はもう騙されたとは思ってねえよ……悪かったのは俺の方だ。すまなかった」
地面に手を付いてコウは頭を下げる。
この程度で許してもらえるとは思っていない。
それでもせずには居られない。
「お前をメイじゃないって言って悪かった。偽物って言って悪かった。他にもお前がーー」
「もう良いです」
「いや、良くない。俺は」
「ですから良いんです。もう、私は許してます」
思いの外静かな声にコウは顔を上げる。
「ユーリアに言われたのですが」
「小隊長に?」
「結局私は、コウの事を許せないなんてこれっぽっちも思ってなかったんですよね」
困ったものですと肩を竦めてみせる。
「許してくれるのか……?」
「許すも何も。最初に騙したのは私なんですから。それがなければこんな話はそもそも起きてないわけで」
「いや、そんな事は……」
「むしろ許しを請うのはこっちの方です。十年前騙していたことを、許してくれますか?」
「許すも許さないも……言っただろ。騙されたとは思ってねえ。ただ幼馴染が二人居て、間抜けな俺は気付いてなかっただけだ」
じゃあ、とメイが震える声で震える手を伸ばす。
「私達、仲直りできますか? もう一度、私の名前を呼んでくれますか?」
その手を、コウは取る。
「……ああ。十年間すまなかった。メイちゃん」
「やっと、仲直りできましたねコウ君」
今だけは十年前に戻った気持ちで。二人はそう名を呼んだ。
その後少しだけ、もう一人のメイのことで思い出話をして。
でも二人共メイの身体のことには触れなくて。
そして。
「十年前伝えられなかった事を。もう一度言わせてくれ。時々不安そうにしていて、だけど俺を見たら嬉しそうに笑うお前を守りたいと思ってた。この十年。ずっと好きだった」
人によっては笑うだろう。
十年前の初恋をずっと引きずっていると。
だけどメイは笑わない。自分だって同じなのだから。
「私も、ずっと好きでしたよ。あの頃、家の外でたった一人の味方だったあなた。それがどれだけ頼もしかったか。あの時からずっと、好きでした」
「ならーー」
「そういえば」
とすっとぼけた様子でメイは言う。
「今コウが勝ちましたので、何でも命令できますね」
「あ?」
いきなり何を言い出すのかと。
コウが胡乱気な瞳を向ける。
「模擬戦の賭けですよ。勝った方が何でも命令できる。あれです」
それは以前に行った賭け。
今回は行っていない賭け。
だから、これはただの口実。
日和そうになるメイが、ここから逃げ出さないための言い訳。
「ああ。どんな事を命令されてしまうんでしょうか。何を命令されても、私逃げられませんよ?」
その問いにコウは――。
◆ ◆ ◆
その翌日。朝のブリーフィングを開始する直前。
「教官」
「どうした。笹森訓練生。それにベルワール訓練生も」
二人並んで仁の元へやってくる。
コウが一歩前に出て深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
「なんだ藪から棒に」
「教官が引っ掻き回してくれたおかげで十年ぶりの歴史的な和解できました。昨日は終戦記念日ですね。来年から訓練校の祝日にしていいですよ」
「休みを増やしたければエースになってから出直してこい。だがそうか。仲直りできたのか」
ぶっちゃけ仁は何もしていない。
ただ首を突っ込んで、本当に掻き回しただけで、解決したのは本人達だ。
だけど、と仁は思う。
教官何てそんなもんで良いだろうと。
一から十まで手を引くのは教官の仕事ではない。
きっかけを与えてあげる事こそが教官としての仕事だと。
「ですが、教官が動いてくれなければ俺たちはずっとあのままだったでしょう」
「だからありがとうございます。お礼に何時か澪ちゃんと喧嘩したら仲介してあげますよ」
「うちは仲良しだから気持ちだけ受け取っておく」
照れているのか。それとも平常運転なのか。やたらメイが混ぜっ返す。その尽くをスルーしていく。
「ベルワール訓練生。戦う理由はどうだ。何か変わったか?」
「……まあ正直、あんまりは変わらないですね。でも」
視線をコウに向ける。
昨日の願いを思い出す。
『長生きしてくれ。限りがあるのは分かってる。それでも、その時間を少しでも長く。一緒に居て欲しい』
「時間いっぱい、もう少し頑張ろうかとは思いました」
「それについても腕の良い医者を知っている。今度一度見てもらうと良い」
解決するかはわからない。それでも可能性はある。
「これでベルワール訓練生も遅刻しないで済むな」
「おっと持病のしゃくが」
露骨に話題を逸しにかかった。今日は遅刻しなかったので是非ともそれを維持してほしい。
「ところでナスティン訓練生はどうした」
「そういえば……」
「まだ見てないですね」
そうこうしているとチャイムが鳴る。
「す、すみません。遅れました!」
「珍しいなナスティン訓練生。ソロで遅れるとは」
「ふっ、たるんでますねユーリア。人には散々言っておいて自分が遅れるなんて」
「何でたった一回の遅刻でそこまで勝ち誇れるのよあんた。累計回数で勝負しなさいよ」
「だが断る」
「っていうかアンタたちの事心配して夜も寝れなかったせいで遅刻したんですけど」
そうやって何時もどおりの講義が始まる。
ほんの少しだけ変化した関係の中で。
「ねえ、メイ。結局昨日はどこまで行ったのよ」
「ふ。ユーリアが想像もできない程遠くに行っていましたよ」
訓練校のシミュレータールームまで。
「そ、それってもしかして……」
「お前ら講義を始めるぞ!」
「行くぞメイ!」
「ええ、新生私達の力を見せてやりましょう!」
それはそれとして容赦なく叩きのめした。
わだかまりが消えたからと言って、急にパワーアップはしたりしないし、連携が良くなったりもしない。
デブリーフィングで、その後の小隊内の反省会で。
何時もどおり散々に罵り合う。
「てめえメイ! 何やってやがる。あそこで俺の前に来るんじゃねえよ!」
「何言ってんですかこのイノシシ! こっちの位置も把握せずに突っ込むからでしょう!」
「どっちもどっちよこの突撃バカ」
だけどちょっとだけ遠慮がなくなった距離。
チームとして一歩成長した彼らを見て仁も呟く。
「教官が教え子に負けるわけには行かないよな」
◆ ◆ ◆
その週末。
仁の姿は再びメモリアルパークにあった。
意を決して歩き出す。
足取りは重い。それでも確かに歩を刻んでいく。
その先に待っているものを直視する。
仁を置いて先に行ってしまった証を見つめる。
数秒。言葉が出なかった。右手が指輪を握りしめる。指が白くなるほどに。
「二年もかかった。すまん」
花束を捧げて。仁は令に謝罪する。
「教え子たちは過去を振り返って頑張った。なら教官もそれ以上のことをしないとな」
十年間に向き合ったのだ。ならば自分も負けては居られない。
二年分の汚れを落とす。意外なほどに汚れていない。誰か掃除をしてくれていたのだろうか。
「……娘が出来た。お前そっくりの奴だ。お前の分まで幸せにしたいって。今はそう思ってる」
そこで言葉が詰まった。
「案外、何を言えばいいかわからないものだな」
苦笑しながら首を振る。
語りたいことは山ほど有る。
とりとめもなく、仁は墓碑に向かって二年間の出来事を語る。
喉が乾きを覚えた頃に、時間の経過を自覚して立ち上がった。
「また来る。今度はもうちょっと話す内容を考えてな」
そう告げて。仁は墓碑の前から立ち去る。返事は勿論無い。
それから数日が過ぎて。
捧げた花束が水気を失って乾燥した頃。
その花束が踏み抜かれた。
執拗なまでに。
そんな物が存在することが許せないかのように。
「東郷、仁……!」
低い、呪いの声がメモリアルパークに吐き捨てられた。




