31 ユーリア・ナスティン
なんとなくいるだろうなとはユーリアも思っていた。
少し時間をかけてシャワーを浴びて。
少し時間をかけてご飯を食べて。
少し時間をかけて寮まで帰って。
きっとこの子はチャイムを鳴らさず、扉の前で蹲るだろうから、何時もより遅く部屋に帰った。
そうしたらやはりいた。
ユーリアの部屋の前で、膝を抱えて。
「メイ」
そう声をかけると、立ち上がって無言で抱きついてくる。
自分の胸元までしか無い身長。
鼻をすする音。
「鼻水付けないでね」
そう言いながらユーリアはメイを落ち着かせるように頭を撫でていた。
「ほら、入りなよ」
「お邪魔します。ユーリア」
少しだけ元気のないメイの声。
調子狂うなあとユーリアはため息を一つ。
全く今日はどいつもこいつもと思わないでもない。
ただ、このきっかけが誰かといえばそれは。
(うん、教官が悪い)
だって最初に思い悩んでいたのはあの人だったから。それがこの二人にまで波及してきたのだろうとユーリアは考えていた。
何も事情を知らないのに、かなり惜しいところまで迫っていた。
「ま、小隊長だからね」
メイに聞こえないように小さく呟く。
隊員の人間関係をフォローするのも隊長の仕事。
そして落ち込んでいる親友を慰めるのは誰でもない自分のやりたいことだ。
そのついでにコウもフォローしてやろうとユーリアは思う。
「笹森から何か言われた?」
そう問いかけると、メイはびくりと肩を震わせた。
それは紛れもない恐怖。
「ユーリアは、知っているのですか?」
「なんにも。たださっき笹森に相談されたのよ。女の子を傷つけたから謝りたいって」
思い出したらちょっとイライラしてきた。
しかもその傷つけた相手がメイだと確かになったので余計に。
フォローはするが、それはそれとして背中にビンタの一つでも食らわせてやろうと誓う。
「で、多分メイの事だろうなって思ってたから聞いてみただけ」
「そう、でしたか。くく、これは我が根幹に関わる秘儀。ユーリにも簡単には教えられません」
「うん、聞かないよ。メイが話したくなったら話して」
そう言ったらメイは泣きそうな顔をしてありがとうございますと言った。
何時か。メイのこの隠し事を話してくれるようになると良いとユーリアは思う。
それが相談でもいいし。こんなことがあったって事後報告でも良い。
自分を頼っても頼らなくても良い。
ただこの小さな体で抱え込まなくて良いようになってほしい。
「それで、笹森は謝るって言って飛び出していったんだけど。よっぽどひどい謝り方でもされたの?」
「その、ユーリアはコウからどこまで聞いていますか?」
「うーん、十年間誤解していたことを謝りたいってことくらいかな。酷い暴言吐いたことも謝罪したいと言ってたかも」
記憶を手繰ってそう答えるとメイはホッとしたような息を吐いた。
自分がクローン云々は、ユーリアに知られたくなかったのだ。
「その、そもそもの誤解の原因は私にあって。十年前、私はコウを騙してたんです」
「ふむ」
「酷い嘘を吐いて。嫌われて。でもそれでいいと思ってたんです。コウはその嘘を信じていて欲しかった」
「ふむん?」
「だけど、コウはその嘘に気付いてしまって。十年前、私が無意識にしていた酷いことも分かって。今更どうにもならないことを言われて」
「うん」
「訳がわからなくなって逃げてきちゃいました」
「なるほど」
わからんとユーリアは言う。
メイの話の中には例えと言うか置き換えた部分が多く入り混じっていて、その全体像が掴みにくい。
分かりにくい話だ。
きっと当事者にとってもそう。
だから部外者の自分が子供じみた図式に置き換えてやろうと思う。
だってこの問題は、要約してしまえばたった一つの事柄に置き換えられるんだから。
「正直事情は良く分からないんだけど」
「ですよね」
「メイはコウと仲直りしたいの? したくないの?」
まずはそこに集約される。
「したい、です」
「じゃあ次。メイは、笹森にされたこと。許せない?」
入れ替わりを告げたときのコウの言葉を思い出す。
その時の表情を思い出す。
辛かった。
悲しかった。
家に帰ってからワンワン泣いた。
多分これまでで一番辛い出来事だったとメイは思う。
でも。
「許せる、と思う」
「なら簡単じゃない。仲直りしておしまい」
「そんなに簡単じゃないです!」
馬鹿にしているのかとメイは怒りを露わにする。
その言葉にユーリアは全く動じることなく応じた。
「何が簡単じゃないのよ」
「だって。コウが許してくれるかわからないし……」
「これ笹森にも言ったんだけど。私だって知らないわよそんな事」
だって事情も分からないんだから。
わからない人間は分からなりに答えを出すしか無い。
「ごめんなさいって言って許してくれないなら許してくれるまでボコボコにしてやればいいのよ」
「ええ……それ何時も私が言うような事ですよ」
「そうよ。普段のメイならそんな感じのこと言うのよ。無理やり『はい』って言わせちゃえばいいのよ笹森なんて。それで仲直り。ほら上手く行った」
そう言うとようやくメイは小さく笑った。
「ついでだから吐いて行きなさいよ。十年前から知り合いだったんでしょ? つまり幼馴染だったんでしょ?」
「そうですけど」
無理やり、ユーリアは何時もどおりの空気に持っていく。
ユーリアに出来るのはここまでだ。
笹森とこの後どうするか。メイが見失ってしまった目標を思い出させてあげるだけ。
後は落ち込んでいる親友をどうやって励ますか。
「だったら何か無いの? 大きくなったら結婚するとかそういうの!」
「ユーリア。幼馴染に幻想持ちすぎです」
「だって私、幼年学校時代の知り合いなんてほとんど自然消滅しちゃったもの。気になるじゃない」
「そういう約束はしてないですね」
「だったら初恋とかは?」
その問いに、メイは顔をそっぽに向けた。
だが耳が赤くなっているのをユーリアの動体視力は見逃さなくて。
「あったのね。あったのね!」
「ああ。もう。何なんですか! 悪いですか初恋してちゃ!」
「悪くないわよお? でもほら。メイって誰が好きとかって話全然乗ってきてくれなかったから。そういう話が出来るのが嬉しいの。ほらほら。言っちゃいなさいよ。どんなところが好きだったの」
嫌がるメイに抱きつきながら矢継ぎ早に尋問する。もはや無理やり何時もどおりにする必要もない。
もうここにいるのは何時もどおりの恋バナ大好きなユーリア・ナスティンだ。
親友の初恋話なんて大好物。見逃すわけがない。
「別に特別なことなんて何もないですよ。最初はただ、優しくしてくれたからってだけです」
「うんうん。その何気ない物に胸がときめくのよね!」
「……十年前に仲違いしてからは、ずっと遠くから見ているだけでした」
「うん」
「ずっとその間、ひたむきに努力しているコウを見てたんです」
「アイツ、結構努力家だもんね」
「ずっと一つの事を忘れずにいて。訓練校に入ってから、少し会話してくれるようになって。私は、それだけで良かったのに」
メイの声が震える。
「どうして今になって思い出しちゃうの……どうして気付いちゃうの。どうして、今になって手を伸ばしてくるの」
ユーリアにしがみつきながら、メイは絶え絶えに言う。
その背を撫でながらユーリアは言う。
「やっぱり良く分からないんだけど。笹森が手を伸ばしてるなら話は簡単じゃない。手を取ればいいのよ。初恋実って万々歳。何の文句のつけようもないハッピーエンドよ」
「そんな簡単には……」
「そうね。そこで実際には終わるわけじゃない。その後も続いていくからエンドじゃないわね」
「いやそこじゃなくて」
「そこだけよ。他に難しいことなんて無い。有るように見えたらそれは難しくしているの」
鼻息荒く、ユーリアは持論を展開する。
「その先のことなんてその先に考えればいいのよ。今ある幸せを逃す理由になんてならない!」
「ユーリア……」
「泣くくらいに思ってるなら身なんて引いちゃダメ。どんな問題が有るのか私にはわからないけど、相談されれば一緒に悩んであげることは出来る。さっきみたいに愚痴を聞いてあげることだって出来る。それでもダメだったら一緒に泣くことだって出来る。だから、諦めないで」
メイの手を握りしめて、ユーリアは熱弁する。
自分の熱の一部でも伝われとばかりに強く、強く握る。
果たしてその熱が伝わったのか。メイが立ち上がる。
「……私行ってきます」
既に夜もそれなりに更けた時間。
どこに行くかなんて言うのは愚問だろう。
「うん、頑張れ。寮監は私の方で誤魔化しておくから」
先輩方から教わった夜遊びする時の奥義を使うときが来たようだ。
「私が一足先に大人になっても妬まないでくださいね?」
「その意気その意気」
冗談の言う余裕が出てきたメイをユーリアは見送る。
「今日は泊まっていくかと思ったんだけどな。ちぇ、夜通し恋バナするチャンス逃しちゃった」
窓から、寮の外に出ていくメイを見送って、ユーリアは呟く。
「頑張れ。親友」




