30 十年越しの言葉
「いや、それはあんたが悪い。どう考えてあんたが悪い」
「それは。分かってるんだが……」
「分かってんならさっさと謝りなさいよ。さも被害者面してるけど加害者よ。笹森?」
もしや恋バナかと期待していたユーリアは相談されたコウの悩みを一刀両断した。
曰く、十年前に勘違いで相手の人格を否定するような暴言を吐いた。
昨日、それが己の勘違い(かもしれない)ことが分かった。
どうすればいいだろうか。
要約すればそういうことだった。
「だが勘違いの原因は向こうの言い方にも」
「良い、笹森。理由なんてどうでも良いの」
「いや、良くはないだろ」
「いいえ。この状況においては全く関係ない。男の子が女の子を傷つけた時点でそれは男が悪いの!」
言い切られたコウは、少し圧されながらもユーリアに尋ねた。
「……何で怒ってるんだお前」
「怒ってない」
即答。だが最初からユーリアもこうだったわけではない。
当初は真摯に聞いていたのだ。
ただ途中。
『ふーん。ところでその友達って男?』
『いや女の子』
『ふうーん?』
と急激に機嫌が悪くなった。
「良い笹森。あんたの現状をまとめてあげると。昔遊んだ女を勘違いで傷つけてたってことが分かって職に手がつかなくなったダメ男よ!」
「待ってくれ……こう、まとめ方に悪意がある」
「悪意があっても事実でしょ」
「事実だ、事実なんだが……」
だけど決定的に悪意のある編集をされた事実だ。
「今笹森がやることは! 今すぐその女の子に土下座して謝る事! 他には無い!」
「許してもらえるだろうか」
こいつ、イケイケのときはともかく、一度受け身に回ると弱いなとユーリアは形容し難い瞳でコウを見つめる。
「私が知ってるわけ無いじゃん」
ユーリアは相手が誰なのかもわからない。
いや、実はちょっとだけ彼女にも予想は出来ている。
確かにもう一人は、こういう相談事に向いたタイプではないがわざわざ除外するほどでもない。居たら居たなりに役立つ。
「十年分の逆襲は覚悟しておいたほうが良いわね。散々ぼっこぼっこにされてそれでも許してもらえなかったら」
まあそうなったら。
「また愚痴ぐらいは聞いてあげる」
口元に笑みを浮かべてユーリアはそう言う。
その笑みを、コウは見て。
「お前今めっちゃ悪い顔してるぞ」
「嘘でしょ。慈愛に満ちた顔してるはずよ」
いや、それはねえよとコウは突っ込みながら立ち上がった。
「どうするの?」
「ちょっと今から謝ってくる」
「はいはい。いてら」
ひらひらと手を振ってユーリアはコウを見送る。
「あ~」
机に突っ伏して呻いた。
「素敵な恋がしたい」
◆ ◆ ◆
「おい、チビ助」
「なあに?」
「貴様。また私を澪ちゃんと同列で扱ったな?」
食堂に行くと澪とメイが夕食を食べていた。
コウは今の呼びかけ方は失敗だったと思いながら言い直す。
「でかい方のチビだ」
「禅問答ですか」
「良くわかんない」
テイク2も失敗。
「あ?チンチクリン。話がある」
「よし、その喧嘩買った」
「もーダメだよ喧嘩しちゃ!」
澪。怒る。
「悪口言ったらダメなんだよ!」
「はい」
「ちゃんとごめんなさいしなきゃダメなんだから」
「ごめんなさい」
澪の言葉に従ってコウは頭を深々と下げる。
それを見てメイは楽しげに表情を歪めた。
澪がそれを見て悪そうな顔してると呟く。
「ん? 何か言いましたか? 声が小さくて聞こえませんね」
「……ごめんなさい!」
「誠意が感じられませんな。もっと具体的に示してもらわないと。一体何に謝っているのかーー」
ここぞとばかりにメイはコウを責め立てる。ネチネチと、嫌がらせのような言葉を重ねて。
「十年前の事。すまなかった。謝りたい」
その言葉で表情を凍りつかせた。
「じゅーねんまえ?」
澪が何のことかわからないと首を傾げる。
コウは頭を下げたまま。
その後頭部を、メイは感情の見えない瞳で見つめる。
コウはその姿勢から動かない。周囲の視線に気付いたメイは、コウの手を引っ張って食堂の外へと連れ出した。
「ねえねえ、おとーさん。十年前って何?」
置いていかれた澪は仁の左隣に座りながらそう尋ねる。
「うん? そうだな……」
少し考えて。
「十年も生きると色々と有るんだよ」
「大人も大変なんだね……」
「大変なんだよ……」
一方、引き回されたコウはグラウンドの裏に連れてこられた。
もちろん腕力に雲泥の差が有るため振り切ろうと思えば簡単だった。だが唯々諾々とメイに従って彼はここまで来た。
そこに来ればメイもいつもの笑みを取り戻していた。
「全く、コウも単純ですね。大方教官に何か言われたのでしょう?」
「ああ。その通りだ」
「全く……お墓見られたので仕方無しに話しましたが、やはり誤魔化すべきでしたか」
何時も通りだ。
ずっと没交渉だった初等学校、中等学校を経て。
この訓練校に入校したときからメイはこんな喋り方。巫山戯ているようで大仰で。その実本心を隠すような喋り方。
「それでコウはただの部外者の言葉にコロッと動かされて、十年間持ち続けた結論を変えちゃったわけですね」
「そうだ」
「全く単純と言うかなんと言うか……そんな薄っぺらい気持ちで謝られても……そもそも何に対する謝罪ですか」
「お前を、アイツの偽物扱いしたことへの謝罪だ」
メイの動きが一瞬止まった。
「それは謝る必要のないことでしょう。事実なんですから。それだけならこの話はおしまいです」
「事実では有る。だが真実じゃねえ」
話を終わらせようとするメイの言葉をコウは遮って続ける。
「記憶を思い返してた。一体俺の記憶の中にあるうち、どっちがどっちだったんだろうかって」
「そんなの。分かるはず無いじゃないですか。十年前の記憶なんて私だって曖昧です」
ジュンと呼ばれていた頃。メイとジュンの記憶は一つだったと言っても良い。互いに話していた内容は月日を経て自分の経験だと錯覚するに至っている。
今となっては当事者であるメイでさえ自分本来の記憶かどうかは判別できない。
「区別のついていなかったコウが分かるはずない」
「その通りだ。正直さっぱり分からなかった」
「ほら。やっぱり」
口にしてメイは己が失望を感じていることに気がついた。
もしかしたら、区別がついたとでも言うを期待していたのだろうかと思う。
「ただ一つ思い出したことが有る」
「何ですか」
大した期待も見せず、メイは先を促す。どんな内容だろうと、それはきっとメイの記憶の中にも有るものでーー。
「『もしも私がもう一回聞かせてって言ったら。今の言葉をもう一度そのまま言ってね。返事はその時にするから』」
「はい?」
「正直その言葉も記憶が曖昧だ。確かそんな様な事を言われた」
何それ。
知らないとメイは思う。
そんな言葉、メイたちの記憶の中にはない。
「正直意味が分からなかった。だけど、今なら分かる。あれは、アイツがお前に聞かせるべき内容だと思ったからそう言ったんだ」
「何ですか、それ」
知らない。
自分とメイの間に知らない記憶なんてありえない。
有るとしたらそれはーー。
「あの日の前日だよ」
メイが意地悪をして教えてくれなかった言葉だけ。
「……やめて」
聞いちゃいけないとメイは察した。
きっと聞いたら後悔する。
「俺は、アイツに言ったんだ。『好きだ』って。そうしたらアイツはどんなところがって聞いてくるから俺は」
「やめて!」
ほとんど悲鳴のような声をあげる。
それはメイ・ベルワールという仮面が剥がれた下。
名前が与えられなかったジュンという少女の物。
聞いちゃいけない。聞いちゃいけない。
己の悲鳴で言葉をかき消そうとして。
「『時々、初めての場所に来たみたいに怯えてるんだけど、俺を見たら嬉しそうな顔をするのが好き』って答えた」
届いてしまった。
メイがジュンに教えてくれなかった言葉が、十年の歳月を経て届いてしまった。
彼女が、教えてくれなかったのは意地悪なんかじゃなくて。
この言葉だけは直接聞かせてあげようとしたんだって分かってしまって。
だからこそ、最後に交わした会話があんなものだったことへの後悔が深まってしまって。
「何で今になってそんな事を言うの!?」
絶叫した。
いろんな感情が心の中で溢れて、激流のようになる。いつもの仮面なんてどこかに流されてしまって平静を装えない。
両の瞳から流れる涙を拭うこともせずに叫んだ。
「今のままで良かったのに! 私はメイの場所を奪った悪いやつで! コウ君の記憶の中に有るのは全部あの子で! それでよかったのに!」
「でも違うんだろうがよ! 俺の記憶の中にいるメイのうちのいくつかはお前で。俺があの時好きになったのはーー」
「言わないで!」
その叫びにコウは動きを止めた。
「もう、今更言っても遅いよ……」
「悪かった。だけど俺は。謝りたい。お前は顔も見たくないのかもしれないけど……」
「遅いんだよ……」
メイは身を翻す。
突然のダッシュにコウは意表を突かれる。
一瞬の遅れ。それは身軽なメイにとってはいくらでも拡張できる隙。
コウでは通れないような細い道とも呼べぬ道を潜ってメイは女子寮の方へと消えていった。




