15 キャンプの日
山頂限定キューブフードに少し心惹かれながらも、この後の夕食を考えて仁は下山を始める。
「下りはらくちんだね」
「ところがだ。実は下りの方が疲れるんだぞ」
「えー嘘だー」
仁の言葉に澪は全く信じようとしなかった。
「本当だって。登りとはまた違う筋肉を使うからな。普段使わないところだから余計に疲れるんだよ」
「ふーん?」
相変わらずの疑惑の視線。
何時からこんな疑り深い子になってしまったのか。
特に下り道ではトラブルもなく、キャンプ場へと辿り着く。
そこまで着いたところで、澪がしゃがみ込んだ。
「疲れた……」
「だな……」
初心者向けのコースだったが仁も微かな疲労感を覚えている。
六歳児の澪にはギリギリだっただろう。
もう少し、体力の使わない物にすればよかったかと仁は後悔。
「ほら、澪。テントまで荷物を運ぼう。そうしたら休んで良いぞ」
「うん……がんばる」
と言ってはいるが、明らかに元気がない。
受付をしている間、澪を少し休ませておく。
ここまで来たからもういいだろうと澪のリュックも掴んで仁は割り当てられた区画に向かう。
既に用意されていたレンタル品のキャンプ道具。
バーベキュー用のグリルも置いてあり、準備は万端だ。
「おー」
その見慣れぬ道具を見て澪がテンションを上げる。
一先ずリュックを下ろして仁も身体の凝りを解した。
「一先ずテントを張るか……」
「みおやりたい!」
立候補した澪の覚束ない手つきを支えながら、二人でテントを張る。
完成したテントの中に入り込んで漸く一息付けた。
「確かこの辺は――」
夕食時にはまだ早い。
何かこの辺りで遊べる場所があればと思いマップを呼び出した。
いくつか候補地はあるのだが。
その中で、今の仁の目を釘付けにしてくるものがあった。
「……温泉」
聞いたことがある。
以前に入ったお風呂のパワーアップ版。
何でも、地下からお湯が沸いてくるとか。
言うまでも無いが、それは母星での話である。
ここにあるのはその当時の物を模した作りものだ。
だが重要なのは、湯舟があるという事だ。
「よし」
ここにしようと決めた。
時間が早いなどと言う事は気にしない。
どうせ最後にはまたナノマシン洗浄するのだ。
このキャンプ場にもレンタルボックスがいくつか点在している。
「澪、温泉に行くぞ」
「おんせん?」
「お風呂のパワーアップ版だ」
「行く!」
あれのパワーアップ版と聞いた澪も瞳を輝かせる。
先ほどまでの疲労感はどこに行ったのか。
飛び起きて仁の手を引っ張る。
「早くいこ、早くいこ」
「待て待て……これでよし」
テントに鍵をかけてマップの示した場所へと向かう。
穏やかな日差しの中、澪と手をつないで歩く。
あの時。
澪が手を伸ばしてくれなかったら。
今自分はここにはいないと仁は思う。
こんな風にゆったりとした時間を味わう事は無かっただろう。
「でも俺は――」
二年も経つのにこの胸の欠落を受け入れられていない。
その証拠に仁は、一度だって令の墓参りをしたことが無い。
肌身離さず身に着けている歪んだ指輪。
それを縋る様に握り締める。
胸に空いた穴の分だけ自分は軽くなったと思う。
その自分を澪が重石となって引き留めてくれたのだ。
何時か。
認めることが出来るのだろうか。
この宇宙のどこにも令がいない事を。
「……おとーさん」
ぼんやりとそんなことを考えていたら澪が少し不機嫌そうな声を出した。
「どうした?」
「だっこ」
両手を広げてさあ抱き上げろと要求してくる娘。
「何だ疲れたのか」
仁に断る理由はない。
無言で急かしてくる澪を抱き上げる。
少し、重くなった。澪の成長を感じて嬉しくなる。
仁の胸元に顔を埋めた澪。
触れ合った場所が暖かい。
「おとーさん、また遠く見てた」
よく見ていると仁は少し驚く。
本当に、一瞬のつもりだったのだが。
或いは仁が一瞬だと思っていただけで、結構な時間そうしていたのかもしれない。
「遠く見てる時はぎゅってするの」
そうすることで引き戻すとでもいうように澪は宣言した。
娘の気遣いに、仁は感謝しかない。
澪を抱きしめていると、胸の内に空いた虚無を感じずに済む。
三か月前の自分に言っても、きっとこんなことは信じないだろう。
一時とは言え、その寒さを忘れられるなどと。
「ありがとな、澪」
「どーいたしまして」
その格好のまま温泉へと向かう。
やはり第三船団だからというべきか。
湯舟に浸かる習慣が無いのであまり混んではいない。
幸運な事に家族風呂が空いていたのでそこを借りる。
「あーこれはいけない……病みつきになる」
「おとーさん、凄い。みおの部屋より広い……」
広々とした湯舟。
何か良く分からない木で組まれたそれは、仁が身体を伸ばしても尚お釣りがくるほどに広い。
澪が言ったように、その広さは澪の部屋より大きい。
「泳げそう」
「ダメだからな?」
ちょっとうずうずしている澪を制止する。
貸し切りとは言え、それはマナー違反だ。
「おうちのお風呂、使わないの?」
「そうだな……」
諸々準備しようと思っていたが、その直後に人型の大襲撃があったので忘れていた。
いい機会なので、この休みの内に揃えてしまおうと仁は決めた。
「よし、それじゃあ明後日はその買い物をしよう」
「やった」
小さく澪がガッツポーズ。
どうやら狙っていたらしい。
「よし、澪。あんまり浸かりすぎるなよ? 前みたいになったら大変だからな」
「うん。お水沢山飲む!」
ふと。揺れたような気がした。
「……気のせいか?」
少し待つが、警報の類は聞こえてこない。
もしも襲撃の類だったらこの程度の揺れでは済まないだろう。
或いはデブリか何かがぶつかったのかもしれない。
本来ならばぶつかる前に焼却されるのだが、ここしばらくの戦闘でそうした防御機構もダメージを負っている。
近い内に訓練生達を使った移民船の修理任務が来るかもしれないと仁は思った。
機体への搭乗資格は戻されたので、今度は見送るだけという事は無いのが救いか。
もう見送るだけの立場にはなりたくない。
単に水分不足で身体がふらついた可能性もあった。
そろそろ上がるかと、仁は湯舟からその身を持ち上げた。
そうして風呂から上がると澪が少し赤くなった顔でお腹を押さえる。
「お腹空いた……」
「大丈夫だ。次はいよいよバーベキューだからな」
用具は兎も角、食材に関しては今の船団では入手が難しい物もある。
現金の力は偉大であった。
「ところでバーベキューってなあに?」
「そこからか」
知らないであんなにはしゃいでいた澪は可愛い奴だなと頭を撫でる。
「肉と野菜を焼いて食べる儀式だ」
「おー?」
良く分かっていない顔をされた。
実は仁も良く分かっていない。
改めて聞かれると、バーベキューとはいったい何なのか……。
妙に哲学的な話な気がしてくる。
「この前の焼肉祭りみたいな感じだ」
「お肉が沢山の奴だ!」
「そうそう」
焼いて食べるんだから一緒だろと仁は雑にまとめた。
船団が夜間モードになる少し前から焼き始めて、澪と二人肉を食べる。
美味しい。美味しいのだが。
「何かさみしいね」
「そうだな……」
二人きりというのが少し寂しい。
比較対象となった焼肉祭りが大人数だったこともあって余計にそう感じた。
「今度はもっとみんなでやりたいね」
「そうだなあ」
ジェイク辺りは誘えばすぐ来るだろう。
シャロンもこの前ちゃっかり肉を食べていたので来る気がする。
むしろあいつは肉についてあーだーこーだーと五月蠅そうとさえ思った。
後他に誘える人間を数えようとして仁は途中でやめる。
仁の人脈だと飲み会にしかなら無さそうだった。
「澪が誘いたい人たちを誘って今度やれたらいいな」
「長谷川ちゃんとか、とーや君とか誘いたい! あとめいおねーちゃんも!」
他所様の子供を呼ぶときどうすればいいのだろうか。
今度誰かに相談しておこうと仁はまた脳内メモに書き込む。
「……おとーさん待って。そのお肉は後十二秒後が良いと思う」
「お、おう」
余談ではあるが。澪は結構バーベキューを取り仕切るタイプだった。




