11 取り戻した日常
「良いかお前ら! 時間というのは厳守すべき物だ。特に軍においては……理由は分かるか?」
「は、はい! 時間に遅れればその分作戦のスケジュールに乱れが生じ、最終的な成功率に影響が出るからです!」
金髪を三つ編みにしたユーリアがうっすら涙を浮かべて叫ぶように仁の問いに答える。
その回答に仁は大きく頷き、もう一人へと尋ねた。
「その通りだ! ナスティン訓練生! それではベルワール訓練生! 今の貴様の状況をどう思う?」
「はい! 時間丁度に教室に入る。我ながら見事なタイムスケジュールだと思います!」
「不正解だベルワール! そもそもチャイムの段階で着席していろ、この馬鹿者!」
堂々と言い放つこの問題児に仁は本気で頭が痛くなってくる。
入校の年を五つくらい間違えていないかと思う程に小柄なメイ。
週に一度か二度はこうやって遅刻してくるのだから頭痛の種は絶えることが無い。
仁が彼女らを教える様になって一月だが、既にこれで六回目である。
それに巻き込まれて一緒に遅刻しているユーリアが気の毒になってきた。
正直、澪の方が素直に言う事を聞く。
「ベルワールとナスティンの二人は清掃作業一週間!」
正直毎度毎度罰を考えるのは仁も面倒だった。
もう適当に彼女らには六週間の清掃作業を命じている。
――のだが、この調子では任官までの日数毎日掃除させることになりそうだ。
「……いっそ、食事抜きとかの方が応えるか……?」
肉体作りも、訓練生にとっては大事な仕事である。
摂食は権利ではなく義務。
それ故に食事抜きというのは褒められた罰ではない。
が、根は真面目なユーリアはともかく。
メイに関しては清掃作業程度では全く応えていない。
罰を受けさせるのが目的ではないのだから、当人たちがそれは避けたいと思えれば――。
見れば顔を真っ青にしてガタガタとメイが震えていた。
「きょ、教官。反省します! 反省しますから! 何卒……何卒食事抜きだけは御容赦を……!」
なるほど。これが一番効くらしい。
「さて、それは今後の貴様らの態度次第だな」
「何でも、何でもしますから! なんならユーリの無駄に育った身体を好きにしていいので!」
「ちょっと!?」
「人聞きの悪いことを言うんじゃない!」
サラッと友人にスケープゴートにされたユーリアが叫ぶ。
そして仁も。
教官が訓練生に手を出したなどと言う噂が広まりでもしたら最悪だ。
コウの呆れたような視線が仁には痛い。
「後生ですから食事抜きだけは……!」
「分かった! 分かったから縋りつくな! 早く席に戻れ!」
罰としては一番効きそうだが、その分必死になるから質が悪い……。
「それじゃあ今日の講義を始める!」
仁は気を取り直して今日の講義を始める。
既に、この下らないやり取りで五分は無駄にしていた。
「今日は昨日の続き。船団の歴史についてだ。主に母星脱出後の話だな」
今から百五十数年前。
かつて一つの惑星の上で栄えていたヒトは、文明の終焉を迎えた。
激変した環境。それに適応した新種の生物。
それらを前に生存への道を絶たれたのだ。
それでも諦めず、星の海へと活路を求めたのが仁たちの祖先。
以来、ヒトと言う種は宇宙を旅する流浪の民となった。
「現在も我々は移民船団で居住可能な惑星を探し彷徨っている。その妨げとなるのが奴らだ」
それは母星を支配した怪物と同種の物。
人類にとっての天敵。
「ASID。改めてそれについて説明する必要はないな?」
こくりと、ユーリアが頷く。
コウは当然とばかりの表情を浮かべるのみだ。
そしてメイも首を縦に振った。
だがそれは――。
「ベルワール! 随分と余裕だな貴様……!」
居眠りである。
こいつ、寝坊して遅刻したクセにここでも居眠りとか余裕がありすぎると仁は戦慄した。
もしかして大物なのかもしれない。
「はっ。寝てません、寝てませんよ教官!」
「寝ていない、か。だったら今何の話をしていたか言ってみろ」
「食料プラントの自給率についてです!」
「それは先週の講義だ! 貴様本気で食事抜きにするぞ!」
顔を青ざめさせるメイを一先ず置いておく。
彼女に合わせていては何時までたっても講義が進められない。
一か月。
たった一か月だがその間で船団の状況は大きく変わった。
人型ASIDからの襲撃が完全に途絶え、周囲にもその影が見えない事から都市政府は事態の収束を宣言した。
尤も、人型の群れはオーバーライトでいきなり飛び込んでくるので周囲に姿が無いというのは何の保証にもならないのだが。
これまでの襲撃で前払いは済ませたというように、ASIDの襲撃もぴたりと途絶えた。
お陰で第二船団からの支援部隊も暇を持て余しているらしい。
第三船団としては今のうちに戦力の補充をしておきたいという目論見がある様だった。
軍曹もここしばらくは新しく納入された機体と格闘して忙しそうにしている。
人型の襲撃は一体何だったのか。
その真意は不明なまま
ともあれ、仁としては平穏が取り戻されたのならば文句はない。
教え子たちを戦地に送り、歯がゆい思いをすることも無いのだから万々歳だ。
その日の講義を終えて、帰宅した後。
澪と今日の出来事を話す。
澪の語る毎日は楽しそうで仁も一緒に嬉しくなる。
「最近ピカピカ来ないね」
「そうだな。澪的には来そうか?」
「んー多分来ない」
前回の大襲撃以降、澪にはピカピカが何なのか良く教えた。
人が死ぬという事は今一理解できていない様だったが、良くない物だというのは分かってくれた様で。
あの日以来それを待ち望むような事は言わなくなった。
「いっぱい来てたのに不思議だね」
「ああ。本当に……不思議だ」
思えば。
澪と出会ってからずっとあの襲撃は共にあった。
即ち澪からすれば記憶にある間はずっと襲撃を受けていた事になる。
それが急に消えれば不思議に思うのも無理は無いだろう。
ある意味で生活の一部だったそれが消えた事で喪失感は覚えないが、未だに夜の眠りは浅い。
澪はすっかり慣れた様で熟睡している。仁としては羨ましい限りだ。
「おとーさん、おとーさん。あのね、今度のお休みなんだけどね」
「ああ、そうだな。今度はどこに行こうか」
仁は頭の中で船団の復興計画を思い浮かべる。
近い内に遠征隊が出発して、近隣の惑星調査を行うはずだった。
それが終わって、物資の採集を行ったら船団の損傷も復元されるはずである。
そう考えると後三か月すれば船団は概ね元の機能を取り戻すだろう。
閉鎖されていた娯楽施設の類も順次復旧する筈だった。
水族館はまだ厳しいかもしれないが、水産資源プラントのあるシップを見て回るだけでも楽しめるかもしれない。
そんなことを考えていた仁だった。
「長谷川ちゃんはおうちに遊びに来ないかって誘ってくれたの」
「おお」
何と、うちの子が友達の家にお呼ばれ。
ちゃんと人間関係を築けている様で仁は安心した。
話には聞いていたが子分だとか不穏な単語が出てくるので少し不安だったのだ。
「行っても良い?」
「勿論」
不安そうに聞いてくる澪の髪をくしゃくしゃに撫でながら仁は笑う。
髪の毛を乱された澪は不満そうに唇を尖らせた。
「何で笑うの、もー」
笑うに決まっていると仁は思う。
未だに表情に乏しい娘であったが、その感情表現が段々と素直になっている。
それを喜ばない筈がない。
「楽しんできな」
「うん」
そこでふと気になって仁は尋ねる。
「その、子分だったか。その子たちも来るのか?」
「ううん。女の子だけで集まるから来ないよ」
なるほど。と仁は頷く。
子分は皆男子なのか……。と。
流石にこの問題はそろそろスルーするのも限界だった。
不安と好奇心を入り混ぜながら仁は尋ねようとするが――。
あふぅと澪が小さなあくびをした事で飲み込む。
話し込んでいたので気付かなかったが、見れば21時を回っている。
普段ならば澪はもう寝ている時間だった。
「ちょっと夜更かししちゃったな。そろそろ寝ようか」
「うん……」
少しばかり頭をフラフラさせながら澪はベッドへ向かう。
相棒のペンギンを抱えながら毛布にくるまった。
守護者の様にベッドの真ん中に鎮座するレイヴンのぬいぐるみも抱えて瞼を閉じる。
「おやすみなさい……」
「おやすみ、澪」
澪を寝かしつけた仁はリビングへと戻る。
澪が一人いなくなっただけで寒々しく感じられる部屋。
カレンダーを見る。
もうすぐ五月。
澪と出会ったのが一月の半ばなので、そろそろ三か月と言ったところか。
即ち、この家に帰ってきてから三か月という事になる。
それだけの時間で随分と変わった。
澪の食器が増えた。
澪の服が増えた。
リビングのテーブルには澪の宿題が記入された電子ペーパーが広げられている。
忘れない様にと、仁はそれを澪の鞄の中に入れておいた。
令との思い出が上書きされていく。
その事に焦燥感はもう覚えない。
それが正しい事だと今の仁は思っている。
ただ――少しだけ寂しい。
今の生活は楽しいと思う。
左手で繋いだ澪の手。それに安らぎを覚えている。
それは間違いない。
だが。
「右手が、寂しいんだよ」
二年前まで掴んでいた物が今はない。
それがただただ寂しかった。




