03 訓練生達
澪が学校でちゃんとやれるかと心配していた仁だったが、彼も他人ごとではない。
約一月の戦技教官を経て、仁にそれほど問題ないことが分かったので、今期からは担当訓練生を持つことになった。
簡単に言ってしまえば担任の先生である。
「にしてもあっさりと了承したな」
恩師が少し意外そうに仁にそう言った。
「どういう意味です?」
「いや、前線に戻せっていうのかと思ってたから」
「ああ。その事ですか……」
前線に戻りたいという気持ちは今もある。
だが――。
「冷静に考えたら、哨戒任務とか遠征任務とか有ったら家を空けないといけないって事に気付きまして」
それらは当然の任務だ。
前者は半日。後者は数日から数週間という期間だ。
「流石にその間澪を一人にするのは心配で」
そんな頻度でジェイクを頼るのも流石に悪い。
そういう意味では、今の教官職というのは悪くない。
一部例外を除いて夕方には帰る事が出来る。
「確かにそうだね」
「もう少し澪が大きくなったら考えますが……その頃はもう体力も落ちているでしょうしね」
流石に今と同じ感覚での操縦は出来ないだろう。
実質、パイロットとしてのキャリアは閉ざされたと言っても良い。
別段それに不満は無かった。
ただ心残りがあるとしたら。
――あの超大型種の事だけ。
その妄念を振り払って仁は口元に笑みを浮かべた。
「今の俺の目標は俺の撃墜数を超える操縦者を送り出す事ですかね」
「はっはは。そりゃいいね! エースによるエース育成って訳かい」
豪快に笑う教官に現役時代の懐かしさを覚えながら仁は気になっていたことを尋ねる。
「それで、私はどの様に訓練生たちに教えるのでしょうか」
「貴様には私の方で目を付けていた三人に重点的に教えてもらいたい。今二回生なので、約三年だな」
「三人、ですか」
「ああ。そうだ」
訓練校ではクラスではなく隊毎に分けられる。
だからこそ仁は疑問に思ったのだ。
通常12人で編成される訓練中隊。
訓練小隊三つで構成される物だ。
訓練生が余った結果だろうかと首を傾げる。
「これがヒヨッコ共のデータだ。目を通しておけ。顔を合わせるのは明日になる」
今日は教官を始めとした訓練校スタッフとの顔合わせだった。
例外的な人事で訓練校になった仁はここで初めて全体と顔を合わせた。
幾人かは在校時に会ったことがある人間で、その度に驚かれる。
反面、初対面の人間も多かった。むしろ下手に訓練校時代の事を知られていない分、そっちの方が話しやすい。
「さて……俺の生徒はっと」
真新しいデスクで仁は渡されたデータを己の端末に読み込む。
三人。
「笹森コウ……。この隊では唯一の男子か」
母星脱出時、人類の男性数は一桁人だった。
詳細な記録は残っていないが、とにかく絶滅寸前だったのだ。
辛うじて人工的な精子精製などで単為生殖めいた繁殖を繰り返していたという記録が残っている。
それから百五十年。技術を駆使してどうにか全人口の三割まで回復したところだった。
それでもまだ第三船団は比率が高い方だ。4:6を維持できている。
それを考えるとこの隊は少し偏った比率になっていると言えた。
「近接格闘のスコアがずば抜けてるな。生身も、機体も」
大したものだった。何度か教官との組手でも勝利している様だった。
正直、生身では仁も負ける気がする。
「メイ・ベルワール、ユーリア・ナスティンか。皆それぞれ一芸に長けているな……ふむ」
もしかするとこれは先ほど冗談交じりで言っていたエースによるエース育成が出来るのではないかと思えてくる。
それを実現するために選抜された小隊という事だろうかと仁は考える。
少なからず、現在の人事を通した理由にそれが期待されているのが分かる。
むしろ少数である理由は、集中的な教育を行う事を期待されているのかもしれない。
「なるほど……中々遣り甲斐のありそうな話だ」
人を育てる事の楽しみ。
澪を見ていてそれに目覚めていた仁は教官職にも大分前向きになっていた。
三年でどこまで己の技能を叩き込めるか。
早速カリキュラムを考え始める。
それは久しぶりに面白いと思える仕事だった。
故に、気付かない。渡されたデータにはあくまでスコアのみ。
本来あるべき成績が一つも載っていなかったことに。
結論から言えば。
仁の推測は間違っていた。
◆ ◆ ◆
澪の楽しそうな学校の報告を聞いて嬉しさを覚えながら眠りに就き――。
一夜が明けた。
訓練校で予鈴が鳴る。
慌ただしくなった廊下を、仁はゆっくりと歩く。
二回生にとっては見慣れぬ顔であろう仁を怪訝そうに眺める訓練生もいる。
何も言わないのは、仁が余りに堂々としているからか。
彼が担当することになった訓練生達がいる教室は一番奥の物。
僅かな緊張。
相手はヒヨッコとは言え、こちらも教官としては新米も良い所だ。
上手く教えられるかという不安がある。
「おはよう」
挨拶をしながら扉を潜る。
その時にはもう表情に思い悩んでいた痕跡はない。
問題はそれ以外にあった。
誰もいない。
ただ三人分のテーブルと椅子が並べられているだけだ。
間違えたかなと仁は左手甲に部屋割りを投影する。
合っている。
そうなると、この無人の教室はどういう事かと仁は考え――己の学生時代を思い出した。
ちらりと時計を見上げる。
始業まで後一分である。
どうやら仁が担当する三人は中々ギリギリのラインを攻めるのが好きらしい。
チャイムが鳴り始める。
まさか着任初日から遅刻されるとは思っていなかった仁は溜息を吐く。
その吐息に混じって悲鳴の様な声が聞こえて来た。
「ちゃんと走ってよ、メイ!」
「もご、もごもごもご!」
「何言ってるか分かんないわよ! っていうか何時まで食べてるの!」
「おい、もう担いで行こうぜ。二人なら何とかなんだろ」
賑やかな声が聞こえてくる。
部屋の扉から顔を出してどんな表情でその会話をしているのか見てみたくなったが、グッとこらえて教壇の前で待つ。
必死で足を動かす音。三人分。
この一番奥の教室まで駆けるのはこの訓練小隊の隊員しかいないだろう。
「今日から新しい教官が来るのに遅刻だなんて……」
「ごっくん、何をやっているんですか。ユーリア。早く教室に行きますよ。全く、胸に余計な脂肪を付けているから遅いのです。後コウ、セクハラで訴えますよ」
「あんたを起こすために体力使ったせいだから……っ!」
「てめえふざけんな。一人で先に行こうとしてんじゃねえよ」
そうしてチャイムが鳴り終わった瞬間。
「ギリギリセーフですね。流石私」
「私が一生懸命起こしたからでしょ……!」
「てめえが食ってた朝食は誰が確保してやったと思ってやがる……」
「残念だが、三人ともアウトだ」
コメディめいたやり取りを繰り広げる三人に仁は頭痛を覚える。
「メイ・ベルワール訓練生とユーリア・ナスティン訓練生、笹森コウ訓練生だな? 後で話がある。全員本日の講義終了後に教官室まで来い」
「む、この私に目を付けるとは中々やりますね。お目が高い」
「目を付けるの意味が違うからっ」
「あーツイてねえ」
何やら妙なポーズを決めている赤みがかった黒い髪をおさげにした少女がメイ・ベルワールらしい。
正直、年齢を四つか五つくらい誤魔化しているのではないかと疑う。
ここにいる三人の中でもぶっちぎりで背が低く身体が細い。
よくこの訓練校を一年間耐え抜いたと言いたい。
対照的に肩を落として項垂れている金髪の少女。
背中に垂らしているであろう三つ編みが力なく顔の前で揺れている。
ユーリア・ナスティン。
メイと並んでいるとまるで親子の様な身長差だった。
二人を足して割れば丁度いい体格になりそうだと仁は思った。
唯一の少年――恐らくは彼が笹森コウだろう。
短く刈り込んだ銀髪。
鋭い目つきが仁を値踏みするように見つめている。
言葉遣いは乱暴で気だるげな物。
しかしその粗雑さの裏に獲物を狙うかの様な知性を感じさせる。
「さて、改めてこれから三年間、貴様らを教練する東郷仁だ。よろしく頼む」
教壇に立って名乗る。
その瞬間、コウの口元に鋭い笑みが浮かぶ。
好意的な物ではない。
むしろ逆。
敵意。対抗心。
そうしたベクトルの感情を内包した物だ。
待ちかねた。そんな心の声が聞こえてきそうだった。
「さて、自己紹介は……不要だろう。早速だが一コマ目の講義を始める」
手元の端末にテキストを表示しながら講義を開始する。
三者三様の態度で講義に臨む姿を見て仁は確信した。
これ、問題児の隊だと。




