28 待ち望んだ終わり
操縦桿を二度三度と傾けて、機体を自由に動かせない事を確かめる。
分かっていた事だった。
特に苛立つことも無く仁は操縦桿から手を放す。
元より、宇宙空間戦闘用のパッケージを取り外した機体だ。
宇宙空間ではまともな機動を取れないのは分かっていた。
既に武装は全て使い切った機体。
リアクターも限界を迎え、エーテルの精製を停止する。
機体に残ったエーテルがあれば移民船の他のエアロックに辿り着ける。
邪魔が入らなければノロノロとした動きだが可能だろう。
そして今、ここにはその邪魔がいる。
失われた右腕。
半ば切り裂かれた左腕。
その二つを除いても未だ無傷の両足と、自由に動くだけの機動力を保持した黒騎士。
まんまと澪から引き離された事への怒りか。
そのカメラアイが仁の機体を捉えて離さない。
一度移民船の外に追い出されたこの個体は、果たしてここから再突入するだろうか。
仁の予想では否である。
澪を狙っている理由は分からない。
少なくとも無傷で連れて行こうとしている以上、彼女を巻き込むような行動は控える筈だ。
この隔壁からの再突入は有り得ない。
ならば他の場所から再突入するかどうかだが。
この損傷で再度のチャレンジは難しいだろう。
合理的に考えれば撤退の一手のハズだった。
そして合理的に考えて――ここで自分を見逃す理由が無いことも明らかだった。
人間の考えなど及ばないASID相手に合理性を考えている時点で失笑物であったが、仁には確信があった。
つまり、澪の当面の危機は去った。
今度は守る事が出来たと仁は満足感に包まれていた。
「守れた……今度こそは」
全身の力を抜いてシートに身体を預ける。
二年前のあの日から。
全てを失ったあの日からずっと、仁はもう生き続けることに意味を見出せなかった。
あの超大型種との再戦を望んでいた。
その果ての死を――望んでいた。
戦って死にたかった。
逃げたその果てで死ぬことはしたくなかった。
もしもあの世とやらがあるとして、令に全力だったと報告できる生き方をしたいと思っていた。
守れなかった自分が、最後には引き取った少女を守る事が出来た。
それは上出来すぎる成果ではないだろうか。
「俺の終わりとしては、悪くない」
上を望めばキリはない。
だが軍人になった時点で真っ当な死に方が出来るとは最初から思っていなかった。
澪を守って死ぬ。
仁が今口にしたように、悪くないと思える結末だった。
衝撃が機体を襲う。
辛うじて残っていたエーテルが、装甲を強化してその一撃を防ぐ。
だがそれでおしまいだ。
後は機体の四肢を動かす事しか出来ないだろう。
そしてその動きでは黒騎士から逃げることは絶対に不可能だった。
蹴り飛ばされたのかと仁は衝撃に舌を噛みながら考えた。
その勢いで移民船の外壁に叩きつけられた。
周囲には同じように移民船に衝突して浮遊している機体の残骸が多数浮いている。
そして自分もその仲間入りをするのだろう。
黒騎士が拳を叩きつけようとゆっくりと近づいてくる。
或いは恐怖を煽ろうとでもしているのか。
今の仁には全く意味のない行為だったが。
黒騎士の腕が仁のレオパードの首を掴む。
そのまま外壁へこすりつけられるようにしながら天頂スクリーンにまで運ばれる。
その振動に耐えながらゆっくりと眼を閉じる。
最期に星を眺めながら逝くか迷ったが、令との思い出に浸っていた方が良いと思った。
「ああ。しまったな……水族館の約束、まだ果たせてない」
ふとやり残した事が頭に浮かぶ。
この襲撃が一段落してからでないと、水族館には行けそうにない。
そういえば余りにバタバタして忘れそうになっていたが、澪とは喧嘩していたのだった。
仲直りもしなくてはいけない。
来月からは初等学校に入学なのだからその準備も必要だった。
そこまで考えて首を横に振る。
それはもう、自分が考える事ではない。
澪の今後の事は大丈夫だと考える。
引き取った時点で遺産の引き取り先は澪にしてある。
軍の弁護士にも後を任せてある。
それを頼れば成人までは余裕をもって生活できるはずだった。
或いは誰か引き取り手が見つかるかもしれない。
だから大丈夫だと仁は思う。
むしろ自分よりも上手くやってくれるはずだ。
「だから、大丈夫だ澪」
過去に何があったかは知らない。
その事を知る機会は訪れなかった。
たった二月にも満たない時間を共に過ごしただけの相手。
それでもその間、仁は澪の保護者だった。
「どうかこれからは幸せに」
これからの路行を祈る。
口元に皮肉気な笑みが浮かんだ。
結局、考えていることは澪の事だけだった。
一秒後を見通す直感。
それがコックピットを押しつぶされる物であることに奇妙な安らぎを覚えて――。
『待って、おとーさん!』
その声が、聞こえた。
「っ!」
最早反射的に体が動いていた。
レオパードが天頂スクリーンを蹴って、辛うじて黒騎士の拳から逃れる。
ほんの数秒の延命。
仁の末路には変わりがない。
「今、の声、は」
澪の物だった。
聞こえる筈がない。
彼女は通信機など持っていないし、どれだけ大声で叫んでも真空の壁は超えられない。
だけど確かに仁の耳に届いた。
その残響が今も仁の中にある。
幻聴なんかではない。
おとーさんと。
待ってと。
そう言われてしまった。
全てを失ったと思っていた。
だけどそうではなかったのだろうか。
また自分の手を取ってくれる人が居るのだろうか。
まだ生きている機体のカメラが下を見る。
透過モードになっていた天頂スクリーン越しに、船団の中が見えた。
望遠、拡大する。
必死な顔で手を伸ばす澪の姿がそこにはあった。
何をやっているんだ。
危ないから早くシェルターに逃げなさい。
そんな言葉が頭の中を過ぎ去っていく。
再度拳を振り上げる黒騎士。
仁の機体の右腕に、漂流してきた残骸――どこかの機体が落としていったエーテルダガーが触れる。
掴んだ。
エーテルダガーのエーテル残量を見ることも無く、突き出す。
もう機体を自由に動かすエーテルも無い。
カウンター。
それもコックピットが完全に潰されなければ良いという覚悟の。
エーテルダガーが黒騎士の頭部に突き立てられる。
拳がレオパードの腹部を押し潰す。
衝撃で互いに弾かれた様に離れていく。
「ぐっ……」
またもや半身を押しつぶされた仁は呻く。
霞む視界で見たのは、カメラアイの一つを潰された黒騎士の姿だ。
軽くない損傷ではある。
だが行動不能にするには程遠い。
そして今度こそ、仁のレオパードは何もできない。
残されたエーテルも無い。
機体もカメラなど一部のセンサー類を残して完全に停止した。
次は防げない。
つい数秒前まで死ぬ気だった人間とは思えない程、仁は必死で活路を探す。
刺し違えるなどと言う考えはもう頭から吹き飛んでいた。
これまでの経験を総動員する。
そして総動員された経験が残酷なまでにすべての道が塞がれた事を告げる。
――だが、その次が来なかった。
隻眼の黒騎士がスクラップとなった仁の機体をじっと見つめている。
と思えば突き刺さったままの長剣を回収して踵を返し、宇宙の彼方へと消えていく。
「一体、何が……?」
見れば戦闘も停止している様だった。
人型ASIDの群れが後退していくのが仁の場所からも見える。
「撤退していく?」
突然の終幕に困惑しながら仁は空の光を見つめる。
戦いは終わった。
始まった時以上に唐突に。
その事に困惑は有るが、仁は今自分が生きている事を確かめる。
胸元から下げた、歪んでしまった指輪がヘルメットの中を漂っていた。
「……ごめん、令。まだしばらくそっちには行けそうにない」
死ぬつもりだった。
それで良いと、仁は思っていた。
全て失った自分にはもう未練何て無いと思っていた。
「おとーさんって呼ばれちゃったよ」
父親にはなれなかった。
なる事は無いと思っていた。
たった二か月のハズだった。。
だけど、そのたった二か月は仁の中で澪の存在を大きくするには十分な時間。
澪が仁の手を引いて呼び止めるには十分な時間。
「だったらこれからも守ってやらないと」
令の代わりだからではない。
半人前で、正直自信も無いけど。
「あいつは俺の、娘だから」
だから、もう少し待っていてくれと。
歪んだ指輪にそう言葉を捧げた。




