17 星を射落とす6
『不覚!』
長剣が弾かれて、今のエーデルワイスは胴体ががら空きだった。
そこに抜き打ちで放たれたアンタレス・プライムのエーテルダガーが突き立てられる。
浅からぬ損傷を刻みながらもエーデルワイスは咄嗟に後方に飛びのいて致命傷は避けた。
『ぐっ』
空いた手でその傷口へと触れた。
辛うじてリアクターへの損傷は避けたようだが、大きく裂けたその損傷。
戦闘にも支障が出る程の物だろう。
「下がれ、エーデルワイス!」
無手となった相方を助けようと、仁は僅かに焦った。
それは本来問題にもならない隙。
これまで、仁が一度たりとも突かれた事の無い弱み。
『漸く隙を見せたな東郷仁!』
放たれたのは鍔迫り合いの状態では見えぬ足元からの蹴り。
虚を突かれた一撃は、グリフォンの両足を奪い去っていく。
機動力を大幅に損なった。
致命的とも言える失態だ。
「ハロルド・バイロン!」
心を折られない様に叫ぶ。
だが既に仁も分かっていた。
――勝てない。
そう思った事は一度や二度ではない。
だがそれらの場合でも対抗手段はあった。
その時には不可能でも勝ちを拾える可能性があった。
それが見えない。
1.1秒先の未来は全て、仁の敗北を告げてくる。
どうすればいいのか。
クイーンクラスのリアクター出力。
人類が研鑽してきたエーテルの圧縮技術。
エースの中でも上位に位置する操縦技能。
どれか一つでも欠ければここまで苦戦はしていない。
技能では負けていない。
だが機体ポテンシャルが違い過ぎる。
シャーリーが精一杯調整したグリフォンとて、足元にも及ばない。
「リミッター解除――」
残された仁の手管はこれしかない。
瞬間的なリアクター出力の上昇。
三倍に跳ね上がったそれでも、まだ遠く及ばない。100の差が99になったような物。
「残りリアクターは……1か」
加えて時間制限付きだ。
限界まで酷使したリアクター。もう残りは一つ――グリフォンに搭載された高出力型のみ。
そのリミッターを外せばこれまで以上の能力が手に入るだろう。
だが同時に、そのリアクターが焼け切れた時が仁の最期だ。
その不吉な思いを振り切る様に仁は動く。
「焼け切れる前に倒せば問題ない!」
それは一つの真実ではあるが――誰よりもそれが難しい事を分かっているのは仁本人だった。
「エーデルワイス! 無事だな?」
まだ動けるかという言外の問い。
その答えは芳しくない。
『……すまない。足を引っ張っている』
悔し気なエーデルワイスの声に仁は心の中だけで首を振る。
実際に身体を動かせばその瞬間に撃墜される。その位の綱渡りの連続だった。
補給したエーテルダガーを両手に握って、相手の一振りだけのエーテルダガーを打ち払う。
真っ向から受けてはエーテルの刃諸共断ち切られる。
全て受け流せ。
そう全身の感覚が告げてくる。
嘗てない程に繊細な操縦を要求されていた。
息が荒くなる。
汗が額を伝わる。
それでも今の仁は絶好調だった。
何時もならここまで見事に相手の斬撃を流す事なんて出来ない。
だからこそ絶望が深まる。
「っ! ここまでやっても!」
勝てないのか。
その言葉が口を突いて出そうになる。
一人では勝ち目がない。
でも二人ならば。
『後一撃……相打ち覚悟ならば放てる』
覚悟を決めた様な言葉。
その言葉に仁は瞠目した。
その余分が隙となった。
翻ったアンタレス・プライムのエーテルダガーが仁のグリフォンの片目を刺し貫いた。
最速の突き。
モニターの半分がノイズに塗りつぶされた瞬間に、仁は最早勘でエーテルダガーを振るった。
まだそこに腕があると信じて。
だが起死回生の一撃は空を切った。
咄嗟にエーテルダガーを手放し、ハロルドは機体を下がらせていた。
無手となり、速度もほぼゼロ。
好機だった。
『覚悟っ!』
仁が止める暇もない。
己の回避など一切考えていないエーデルワイスの突撃。
この位置取りならば、エーデルワイスを撃破したとしても、その長剣が先に突き刺さるだろう。
『来ると思っていたよ。君も、東郷仁も。いざとなれば捨て身で来るだろうってね』
だが読まれていた。
ここに至った者達ならば、己の身を今更惜しみはしまいと。
温存されていたランスが。
牙を剥く。
『お』
振動波を放ちながら、小型誘導兵器がエーデルワイスの肘へと喰らい付いた。
澪の髪とも、エーデルワイスがハーモニックレイザーと呼んだ長剣と同じ空間そのものへの振動波による攻撃。
エーデルワイスのエーテルコーティングでさえ、耐えきれなかった。
『おおおおお!』
己の両腕が砕かれる光景にエーデルワイスは驚きと怖れの声を挙げた。
それを聞いてハロルドは小さく笑う。
『そうか。お前たちにも恐れはあるのだな』
そう呟きながら。
抜き放たれたエーテルダガーがエーデルワイスの頭部を貫いた。
見間違えようがない。
その刃は間違いなく頭部を貫通して、その内部を破壊した。
「エーデルワイス!」
絶叫した。
少なからず縁を感じていた相手が。
この戦場において最も頼りにしていた相手が。
やられた。
テルミナスの民のプロセッサーは頭部にある。
人間と同じなんだなという感想を抱いたのはそう昔の事ではない。
テルミナスの民とASIDに構造的な差異は殆どない。
それはつまり。
彼女たちも頭部を破壊されたら機能停止――死に至るという事であり。
リミッターを解除していたリアクターが焼け付いた。
残るは一つ。正真正銘最後の一個。
迷う事無くそのカードを仁は切った。
エーデルワイスの死を、無駄にするわけには行かないと思ったのか。
それともこれが好機かと思ったのか。
どちらであるかは仁にしか分からない。
そのどちらであっても無意味な決断であった。
『一対一なら――もう出し惜しみする必要はないさ』
残ったランスが――温存されていたランスが高速で放たれた。
真正面からの突撃を仁はエーテルダガーで切り捨てる。
だがそこまでだ。
それ以上――多方向から多角的に攻めてくるランスの全てを撃ち落とすには物理的な目が足りなかった。
もう一つ切り捨てて。
残り三基に機体のあちこちを穿たれる。
一つは残っていたリローダーを。
一つはコックピットのある胸部を。
一つは最後のリアクターを。
『ほんの少しの辛抱だ。あと少しでライテラの送信が完了する。そうしたら――君は楠木令と幸せに暮らせばいい』
弔辞のつもりか。
そんな言葉を残してハロルドはそこを背にして『レア』の内部へと向かう。
ライテラを破壊されたらここまでの苦労が全て水の泡である。
それを避けるためにも澪の確保――或いは撃破は必須だった。
立ち去り、戦闘が終わった宙域で。
「ちく、しょう……」
仁は生きていた。
胸部を貫いたランスは辛うじてコックピットを避けていった。
胸部装甲を頑丈にしていたシャーリーに感謝しかない。
だが、もう戦えない。
機体は完全に沈黙した。最早ただの鉄屑でしかない。
高速で飛来しているデブリにでもぶつかるまでもなく、立派なデブリだった。
仁自身、至近を駆け抜けたランスの振動波で体中が軋んでいる。
骨の一本や二本は折れているだろうと思う程だ。
呼吸するだけで苦しい。
「えーでる、わいす」
辛うじて生きているモニターの先で。
頭部を半壊させ、両腕を失って漂う戦友の姿が映し出される。
力なく、遺された隻眼が紅く明滅している。
まだ、生きている。
それに気づいた仁は。
「動け……」
動力炉を失い。
無事な箇所など一つも無い乗機に最後の鞭を入れる。
「動け……!」
機体を循環した最後のエーテル。
そこから生み出された僅かな推進力。
一秒だけの噴射で今度こそ、仁のグリフォンは完全に機能を停止した。
モニターすらも暗黒に包まれて、外の様子は何も見えない。
角度調整も出来ない。
少しでもずれていたらおしまいだという緊張感の中で――軽い衝撃が機体を襲った。
何かと激突した。
パイロットスーツの機密を確認する。
コックピットハッチの爆裂ボルトを起動。
吹き飛ばされたハッチから、身体を踊りださせる。
その動きだけで全身を激痛が襲うが、歯を食いしばって耐えた。
「エーデルワイス……」
『――――すま、ない』
ノイズと聞き間違える程微かな。しかし確かに彼女は辛うじて仁の呼びかけに答えた。




