08 宇宙を変える力5
良いのだろうか。
散々いろんな人に迷惑をかけた。
この戦いは自分が原因だと澪は思う。
――ハロルドは如何なる手を使ってでも澪を確保しようとした。
故に自発的か否かの違いはあれど同じ状況にはなっていた可能性は高い。
それでもこの選択をしたの澪自身だ。
誰かを傷つけてでも己の責務を果たそうとした。
或いは、その責任を果たす事で己の存在意義を得ようとしていたのか。
その心中は澪本人にしか分からない。
「私悪い事一杯した」
「だな」
「なのに良いのかな」
「良い訳ないだろ。迷惑かけた人に謝りに行くぞ。俺も一緒に行ってやるから」
どこだって一緒だと守は言う。
閉ざされていた扉をこじ開けて、その向こうから手を差し伸べてくる。
恐る恐る。
自分の勢いで消えてしまう幻では無いかと疑う様な慎重さで澪は守の手へ、己の手を伸ばし――。
視界の隅を横切った物に絶叫した。
「避けて!」
澪の手が守の胸を押す。
コックピットに転がり込んだのと同時、澪の本体も守のレオパードを突き飛ばした。
一瞬前まで守がいた場所をエーテルの輝きが横切っていく。
「ハロルド・バイロン!」
『危ない所だったね。東郷澪』
飄々と。或いは厚顔無恥に、ハロルドはそう言った。
「……聞いていたのね」
『話の邪魔をするのも悪いと思ってね』
余りにタイミングが良すぎた。
どう見たって出てくる機を伺っていたのだろう。
レオパードが姿勢を取り戻す。守がコックピットの中でちゃんと操縦を始めたのだろう。
アンタレス。
ハロルドが建造したメルセクイーンのリアクターを転用したサソリを模した大型の機動兵器だ。
その子機とも言える自律機動兵装ランスが二人を取り囲む。
『今更降りられては困るのだよ。東郷澪』
「馴れ馴れしく呼ばないで」
『冷たいな。何か悪い事でもしただろうか』
どこまで本気なのか。
それとも惚けているのか。
俄かには判別がつきにくい。
「あんなだまし討ちをして……」
『そこはお互い様だろう。共に理想を目指した同志だと言うのに』
「もう違うもの」
本体をライテラから完全に切り離す。
未練がましく己の手で過去を変えられないかと繋がっていた最後のラインを切断した。
もう間もなく、リアクターは停止してライテラも止まるだろう。
そう思っていたのに。
「……何で!?」
リンクが切れない。澪の側からは切ろうとしている。
だが、ライテラの方から――正確にはその中のリアクターが澪を放そうとしない。
有り得ない事だった。プロセッサーがあるならばまだしも、リアクターにそんな意志めいた機能は無い。
だがこれはオリジナルクイーンの物。
違いがあるのかもしれない。
だとしたら厄介だ。破壊しか手がない。
『ふむ……やはり、まだ完全では無いか。何故君は向こう側に囚われていないのかな?』
「……向こう側?」
言葉の意味が分からずに守は首を傾げる。
『何と……僅かたりとも向こう側に見向きもしていない……? だとしたらこれは』
ハロルドが笑う。
控えめに言っても好感を持てる笑い声ではなく哄笑の類だ。
『はははは! 愛されているな東郷澪! そこの少年! どうやら君にぞっこんの様だぞ』
何故そんな結論が出たのか意味が分からず、澪は眉を顰めた。
親切にも――というよりも誰かに己の仮説を語りたかったのか。
嬉々として説明を始めてくれる。
『この集団昏睡現象は過去改変が始まった事によって生じた物だ。端的に言えば改変前と改変後どちらを選ぶかによって意識の有無が決まると言っても良い』
つまりはほぼ皆改変後を望ましいと思っているという事だ。
そこだけ見れば――ある意味とても良い事をしたのだと言えるのだが。
『そこの少年は向こう側に何の未練も無い……過去改変を繰り返しても叶わない願いなどそう多くはない』
つまりは、澪が居ないから。
だから守は意識を失わずにこちらに居た。
つまり言い換えれば――。
『君の想像通りだったな東郷澪。東郷仁はやはり、楠木令と共にいる方が幸福だったようだぞ?』
その言葉に澪は唇を噛む。
分かっていた。
分かっていたのだがそう突き付けられると辛い。
守のレオパードが僅かに前に出る。
「良い年して年下の女の子いじめるとか趣味が悪いぞおっさん」
『ふむ……記憶にないな。それにその機体……まさか訓練生か?』
僅か落胆したような気配。
『残念だ。君たちの純愛を見届けたいという気持ちもあるのだが――今の私はライテラの完遂が最優先だ。せめて最後にこのアンタレスを全力で動かしたかったのだが』
言葉と同時。
周囲のランスが一斉に動き出す。
ライテラの収められた元居住区は広大だ。
巨大なアンタレスが動くのに支障がない程度には。
そのスペースを埋め尽くすように多角的なランスの砲撃。
澪も己の本体へと飛び込んで自身の髪を伸ばす。
高速振動するワイヤーがエーテル弾を消し飛ばし、同時に幾つかのランスを撃ち落とす。
(とーや君は!)
まだ訓練生だという守の力量は少なくとも高くは無いと見積もっていた澪は焦る。
今の一撃は様子見だったとはいえ、正規兵でも避け損なうだろう弾幕。
撃墜されていてもおかしく無いと思った澪が見た者は。
『ほう』
感嘆するハロルドの声と、それを生じさせた守の機動。
とても訓練生とは思えないマニューバーにハロルドは世辞の抜きの賛辞を贈った。
『大したものだ。訓練生でその動きが出来るのならば将来有望だな』
無論種も仕掛けもある。
澪の言った守に定着されたナノマシン。
その助力のお陰だ。
その存在を明確に意識したことで。
また、守るべき主がすぐ側にいる事で守は嘗てない程に絶好調だった。
「そりゃどうも!」
『さて君はどれだけ持ちこたえるかな? さっきの機体は随分と粘ったのだが――』
メイの事だと理解した守の頭に血が上った。
反撃でランスを撃ち落としながら本体への攻撃を試みる。
大振りなハサミによる攻撃を躱して抜き放ったエーテルダガーを一閃。
だが――全く攻撃が通らない。
元より膨大な出力差。
これが仁やコウならばエーテルの収束によって攻撃力を高めるのだろうが、守にはそこまでの技能は無い。
あくまで肉体強度、感覚が大いに強化されているだけ。
その技術に関しては据え置きだ。
そして精神面もまた。
『鍛えれば物になりそうだな――が、それはこちらではない。あちらで頑張りたまえ』
澪が間に入る暇さえ無い。
ランスの射撃で分断されて、全方位から来る攻撃に守は翻弄されて。
遂には大振りのハサミを見落として掴まれた。
腰から下を押しつぶされていく。
抜けだそうと足掻くが、パワーは圧倒的にあちらが上。
「ちく、しょお!」
機体が両断される。
下半身を失って尚、守は諦めなかった。
上半身だけとなった機体で体勢を立て直し、反撃を――。
『ではさらばだ。先にあちらで待っていると良い』
試みるよりも先に碌に動けない機体があちこちからの攻撃でハチの巣にされていく。
それでも最後まで反撃の意思だけは見せ続け――ライフルを構えた腕だけを残したレオパードの胴体が慣性のままに壁面の衝突して止まった。
パイロットが脱出する気配はない。
「とーや君!」
『さて君も大人しくしてもらおうか――もうすぐ面白い事が起きるはずだからね』
澪の本体も、守の撃墜に動揺した隙を突かれた。
ランスの射撃を回避できずに被弾。
体勢を崩すための攻撃だと気付いても、一度絡め取られたらまともな戦闘経験の無い澪にはどうしようもない。
髪を使って反撃しようとしても、ランス相手なら兎も角アンタレス本体にはほとんど通用しない。
『抵抗はやめたまえ。どの道、君には止められない』
勝てない。
いくら強い力を持っていても、澪にはそれを扱う術はない。
『もうこの宙域で動ける戦力は無い。ライテラの過去改変は確定する。計画は完遂される』
勝利宣言なのか。
或いはいよいよ悲願が目の前に来て高揚しているのか。
ハロルドの言葉に澪はぎゅっと目を閉じた。
同族がここには居るはずだ。
だが先ほどまで聞こえていた声は全く聞こえない。
テルミナスの民でさえ、ライテラの過去改変結果を受け入れてしまっているのだろうか。
「助けて……」
身勝手だって分かってる。こうなるのを望んだのは澪自身だ。
我儘だって分かってる。こうなってから別の未来を望んでしまったのは澪の弱さだ。
それでも澪が最後に頼れるのは一人しかいないのだ。
素直に助けを求められるのはたった一人なのだ。
「助けて、おとーさん……!」
ただ一人の親に、澪は我儘を言った。




