07 楠木智
牽引開始が残り三時間に迫ったところで、仁の元に知らせが届く。
「そうか。ありがとう」
態々口頭で伝えてくれた相手に礼を言って、仁は医務室に向けて歩き出した。
智の意識が戻ったのだという。
「まだ体力が回復しておりません。長時間の会話は――」
「分かってる。短時間で済ませる」
くどいように念を押してくる軍医に若干辟易としながら仁は智の病室に入った。
失われた腕はまだ治療していないらしい。
潰れた袖が痛々しい。
来客に気が付いたのか、呼吸器の付けられた智がうっすらと眼を開ける。
「……やあ東郷仁」
痛み止めで意識がはっきりとしないのか。
どことなく気の抜けた声音。
いや、それだけじゃない。
ここ数年あった刺々しさが抜けている。
それ故に妙に気怠い雰囲気が漂っているのだ。
「随分と手酷くやられたみたいだな」
ベッドの脇に椅子を置きながら仁は尋ねる。
「まあ、ね」
「誰にやられた」
時間が限られている事も有って、仁は単刀直入に聞いた。
その問いかけに対して智は短い溜息を吐く。
「予想が付いているんだろう……? 第二船団の、防衛軍だよ」
損傷から見た、単独ないし少数の状態で多数の敵に囲まれた状況という物からの推測はやはり間違っていないかった。
ならば次に聞くべきことは決まっている。
「何故、そうなった」
聞きながら、仁は智の状態を良く観察する。
焦点が仁から微妙にずれている。
呼吸も荒い。
いくらサイボーグと言ってもここまで痛めつけられては変わらない。
余り長くは話していられなさそうだという判断は素人の物だがそう外れてもいない自信が仁にはあった。
「私が、ライテラ計画を裏切ったからだ」
その言葉に仁は――自分でも想像できなかったほどの怒りを覚えた。
「何だ、それは」
「……?」
「お前は、そんな覚悟で今まで。俺達を、澪を……!」
立場も願いも相容れない。
だが仁は、ひそかにその覚悟だけは称賛していたのだ。
何をおいても願いを叶える。そのために泥をかぶる覚悟。
例えその願いが手放しに褒められる物じゃなかったとしても。
それを散々妨害して置いて、いざ相手が覚悟を覆したら怒りを覚えるというのは勝手だと仁は自分でも思う。
それでも智にだけは――。
「お前は、令の味方じゃなかったのか」
今の仁は、無条件に令の味方を出来ない。
どうしたって、澪の存在がある。
だけど智だけは令だけを真っ直ぐ考えていられる。
その事に勝手な安堵感を覚えていたのだと、今更自覚した。
「勘違いを、するな……」
苦し気な吐息と共に言葉が吐き出される。
虚ろだった視線が仁の目元に注がれる。
重体とは思えないほどの力強さ。
「姉さんの味方を、やめたつもりはない」
「なら、何故。ライテラ計画で令が死んだ過去を変える。それがお前の願いだったはずだ」
「……そうだ」
そう言って。
智は表情を歪めた。
傷が痛むのかと思ったが、違う。
痛むのは心。
「でもそれは姉さんの願いじゃなかった」
「……何?」
その内容と、どうやってその内容を知ったのか。
二つの疑問が浮かんで来る。
悩むのは一瞬。兎に角智が意識を保っていられるうちに聞くべきことを聞く。
「令の願いとは、何だ」
「……姉さんの遺品にあったタブレット端末を覚えているか……?」
「端末……あったな。確かに」
「あの中に、姉さんの日記があったんだ」
「日記?」
「そう。ロックがかけられていて……パスワードがずっと分からなかった」
ふう、と疲れた様に智は息を吐いた。
その間に仁は己の見解を差し込む。
「そのパスワードが分かったのか?」
「……そうだ。お前には、ショックを与える話になる」
少しだけ、申し訳なさそうに智は視線を伏せて。また仁の眼を見つめる。
「姉さんは、ライテラ計画に関わっていた」
「な、に?」
「お前を勧誘するために、第三船団に向かったんだ」
智が前置きしたようにそれは仁にとってはショックな話だった。
「だが、俺はアイツからそんな話、一度も……」
「それは、そうだろう」
何故だか恥ずかしそうにして。
「姉の、惚気話を今になって知る事になるとは思わなかった……」
「おい、それは」
「いちゃいちゃいちゃいちゃと……姉さんがお前に落とされていくのが赤裸々に記されていて……見ているだけで恥ずかしかった」
「全部書いてたのかアイツ!」
「クリスマスの、話とかな」
「嘘だろおい!」
もしかして智が言っていたショックを与える話とはこっちの方なのかと思う程、仁にはショックだった。
思わず身悶えする仁を、智は若干意地の悪い笑みを見つめる。
「うん。お前のその顔を、見ただけで溜飲が下がった」
一矢報いてやったぞという達成感を智は抱けた。
第三船団のエースに対して優位に立てた。
それだけで満足して置くべきだったのだろう。
本当に打ち負かすなんて、必要が無かった。
「姉さんは、お前の為にライテラ計画を捨てたんだ」
「そもそもアイツは……いや、何となく予想が着いた」
「歴史、バカだったからな」
自己の全情報を送るという事は即ち自身を過去に送るという事。
大方歴史を実体験したいとかそんな理由だったのだろうという予測は当たっていたらしい。
「それで、裏切ったのか」
「……違う。姉さんがライテラ計画を捨てようが捨てまいが、そんな事は関係がない」
息苦しそうな、智の呼吸が聞こえる。
仁には分からない計器の数値。
もしかして、容体が悪化しているのではないだろうか。
当人もそれを自覚したのか。
一つの座標を口にした。
「それは?」
「艦隊の目的地だ。ハロルド・バイロンは第二船団に戻るつもりがない」
「……やはりか」
「良く分からないが……そこには特級の時空間の歪みがあるらしい」
「……歪み?」
「そう、だ。それを媒介にしてライテラの――過去への情報送信の精度を上げると言っていた」
言い換えると、そこ以外の場所では成功率が多少なりとも下がるのだろう。
ならば、智がこちらに情報を漏らしたのだと分かっていても変えられないだろう。
貴重な情報だった。
ライテラ計画を阻止する上で或いは必須とも言える。
「この座標には何があるんだ?」
「……お前も知っている場所だ。いや、誰だって名前だけは知っている」
まさか。
という思いが仁の中に去来する。
誰もが知っているような場所。
宇宙を旅する移民船団の民が知る場所なんて一つしかない。
「……母星?」
「そう、だ。太陽系第三惑星地球……ハロルドの目的地はそこだ」
遠い銀河を旅してきて。まさかのスタート地点へ逆戻りだ。
「分かった。この情報には感謝する」
だが、まだ信用できない。
この智の傷も、この座標も。
最後の最後で邪魔をされないための手の込んだ芝居かもしれないのだ。
「教えてくれ。何故、お前はライテラ計画を裏切ったんだ」
だからそれを知れないと、仁は智を信じ切れない。
「二つの未来を見た」
「何だって?」
文脈が繋がっていない。
どういう意図の発言なのか。
「姉さんは選んだんだ、今を」
「おい、智」
うわごとの様に呟く智を引き戻そうと、軽く肩に触れる。
残った腕がそれを万力の様な力で掴んだ。
「私、は。姉さんの願いを誤解していた!」
「令の、願い?」
「東郷仁と幸福に暮らす事。それが願いだと信じて疑っていなかった!」
叫びながらも、智の視線は仁を見てはいない。
「違った……! 姉さんの願いはそうじゃなかった! 私は、姉さんが守ろうとしていた物を危険に晒していた!」
「落ち着け、智!」
何かの数値が異常値になったらしい喧しいブザーの音。
部屋の外で慌てる気配。
「お前は、何を見た? 何を知ったんだ!」
「私は、姉さんの願いを叶えたい……姉さんの願いを無視したくないんだ……それだけなんだ……」
仁の腕にあざを残して、智の手が離れていく。
それを引き留める様に仁は叫ぶ。
「おい、智! 令の願いって何だ! 教えてくれ!」
小さく、唇が動いた。二つの音節。だがそれは喉を震わせず、声にはならない。
「東郷大尉! 邪魔です! 離れて!」
尚も問い詰めようとした仁を、軍医が無理やりに引きはがす。
追い出されるように智の病室から退室して、仁は今の智の言葉を考える。
「令の願い、って何だ……? いやそもそもあれは正気の発言か……?」
錯乱の結果、と言われた方が納得の行く様相だった。
だが同時に、演技ではあり得ない必死さがあった。
智が何故裏切ったのかは分からないままだ。
だが、それが何かの謀ではないだろうという確信が仁の中で芽生えつつあった。
「……それに、どの道他に手掛かりはないんだ」
智から託された情報を、仁は上層部に報告するためにその場を後にした。




