10 親子喧嘩3
そこで仁の硬直が解けた。
己の今の動揺が娘に最悪の決断を選ばせてしまったのだと理解してしまった。
「そんな訳あるか! お前は俺の娘だ! 他の誰だって代わりにはなれない! だから、帰ってこい!」
「ダメだよ。正しい形に戻さなくちゃ。きっと、その方がみんな幸せだから」
「何を……」
「あの人の計画……うん。きっと理論上は上手く行く。意識を過去へと飛ばす。それはきっと、私が居れば実現できる。なら過去の出来事を無かったことにも出来るって事! 私は、幸せになって欲しいの!」
言い切ると同時、澪が何かを仁に向けて投げる。
咄嗟に受け止めたそれは――澪が持つ家の鍵だった。
共に選んで買ったペンギンのキーホルダーが、悲し気に揺れる。
これ以上ない、決別の証。
今度こそ仁の思考が止まった。
その間隙を縫うように、澪は言葉を重ねる。
「じゃあね、仁……今までありがとう。本当に、大好き」
仁が僅かな距離を跳び越すよりも早く。
「起動」
その囁きがミオの目覚めを促す。
繭が解ける様に消えていく。
鉄の様に滑らかな表面が消え去り、中から細い人型が姿を現した。
「こいつは……」
なめらかな白い装甲。
そのフォルムは女性的。
一見すれば共通点など無い。
だと言うのに何故だろう。
仁にはどこか黒騎士と似通って見えた。
胸部はまるでコックピットの様に開いて何かを迎え入れようとしている。
そこに、澪の身体が収まった。
胸部が閉じ、その瞳に紅い光が灯る。
誰に答えを聞かずとも理解した。
これが澪の本来の身体。
ASIDとしての生まれ持った姿。
スラスターの様な物がないにも関わらず、その爪先が地面から離れる。
如何なる方法か、一瞬で倉庫の天井を切り裂いて澪が空へと旅立つ。
「待て……!」
その後を仁も追う。
コックピットに飛び戻り、ハッチが閉まるのもそこそこに澪の開けた穴から飛翔する。
まるで澪は宙に立つかのように、空中で制止している。
「分かってるのか澪。お前の予測が正しければ、令を生き残らせるって事は――」
澪が生まれないという事。
少なくとも、仁の元にはいない事だけは間違いがない。
「知ってるよ。そうすれば智さんと仁の願いが叶う。未来の情報が得られれば、もっとたくさんの人が助かる!」
澪を言葉では止められない。
じっくり話し合えば思いとどまらせることが出来る――そう信じたい。
だから今はその時間を作り出さないといけない。
「行かせないぞ、澪」
相手は人型ASID。
その出力は2000ラミィ。クイーンクラスだ。
いや、むしろ。
超大型種の中で見た事を考えれば澪は正真正銘の――。
「邪魔するなら……仁でも押し通るよ!」
エーテルの輝きを纏って白い影が舞う。
その優美さ。プリンセスタイプとでも呼ぶべきか。
澪自身に戦闘経験が無いだろうとは言え、その戦闘力は侮れるものではない。
仁の機体は第二船団の防衛網を突破するためにかなりの無理をしている。
長時間の戦闘には絶対に耐えられない。
短期決戦、仁の勝機はそこにしかない。
――勝負は一瞬で着いた。
すれ違いざまの一閃。
武装を用いる事すらない。
ただの手刀。
それがどんな刃よりも容易くレイヴンの装甲を切り裂き、大腿部を断ち切っていった。
「っ!」
反応できなかった。
いつもの様に一秒先は見えていた。
その軌跡は分かっていた。
それでも反応できなかった。
澪が、仁に拳を向ける事なんて無いと。
そんな事を今もまだ考えていた。
その甘さを容赦なく突いてきた。
残されたスラスターを駆使して仁は機体を反転させる。
交錯して晒された無防備な背中。
そこへライフルを照準する。
躊躇いはない。
四肢を撃ち抜けば良いと冷徹なまでの割り切り。
仁の行動に遅滞は無かった。
それでも尚、澪の方が早い。
振り向きざまに放たれた回し蹴り。
ライフルの銃身を爪先で撃ち抜かれ、一瞬でスクラップに変えられる。
その一連の動きは、中等学校に上がった頃に教えた痴漢撃退の動きと全く同じ。
目の前に居るのが娘なのだと強く意識させられる。
左手でエーテルダガーを抜刀。
それを向けようとした時に今度こそ仁は動きを止めた。
何時も澪の手を握っていた左手。
その左手で、娘を刺そうとする。
余りに有り得ない事象に身体が硬直した。
それを見た、澪の――プリンセスタイプのアイカメラが揺れた気がした。
すぐにその光景も見えなくなる。
レイヴンのメインカメラ、頭部をプリンセスタイプの掌が掴み込む。
「くっ!」
頭部バルカンを乱射。
だが相手の装甲に傷をつけることも出来ず、逆に跳弾で自ら傷つくほどだった。
リアクター出力の差。
その豊富な出力を生かした膂力で、一息に握りつぶされた。
一瞬で無力化された仁は愕然とする。
一対一で後れを取ったのは初めてだった。
その相手が娘という事は想像以上に仁を打ちのめした。
「まだだ!」
サブカメラに切り替わる。
リアクターのリミッターを解除。
残り二つのリアクターをここで使い潰す。
慣性制御を超えた機動で仁は澪の背後を取る。
右手に持ち替えたエーテルダガーの刀身。
それを左腕に突き立てようとして――。
銀の輝きがエーテルの刃を防いだ。
「っ!?」
見えたのは帯状の物体。
それが一本二本と増えていく。
「髪……?」
頭部の後ろから伸びているパーツ。
女性型だと仁が一番強く認識していた箇所。
それが自在に伸び縮みして、レイヴンの腕を絡め取ろうとしていた。
エーテルダガーでも切り裂けない強度。
更に収束させれば行けるだろうか。
細く束ねた刃を携えて距離を詰める。瞬間、機体を傾ける。
逃げ遅れた肩部装甲が、触れれば切れる程の滑らかな断面を晒して落下していく。
その切断力。
一瞬で伸びた髪が駆け抜けた空間を断ち切っていた。
ここまでの切れ味を目にしたのは――黒騎士の長剣を見て以来。
「澪……!」
娘が見せた本気の抵抗に仁は情けないほどに竦む。
これが敵ならば恐れる事は無い。
撃ってしまえば良いのだ。撃たれるよりも先に。
だが家族相手の場合、どうすればいいのだろう。
臆するなと己を叱咤する。
避けられない速度じゃない。
事実、仁はその帯を次々と機体を翻して避けていく。
そして遂に肉薄する。
振り下ろされれる右腕。
それが次の瞬間には輪切りになって寸断された。
「……何?」
ばらばらと落下していく腕を見て仁は愕然とする。
見えなかった。
今何をされたのか。
仁には全く見ることが出来なかった。
いや、と己の視界に映る物を疑う。
微かな違和感。
ほどなくその正体に気付いた。
「糸……?」
としか言えない程に細く伸ばされたのはプリンセスタイプから伸びる髪だ。
仁は己の不覚を悟る。
髪から伸びるパーツが帯状であった事。
そこに疑問を持つべきだった。
髪ならば、一本一本存在して当たり前だ。
後頭部から伸びた髪。
それは一本一本伸びている。帯状だったのは防御の為。
本命の攻撃は――それぞれが高速で伸び、振動するほぼ不可視で無数の刃。
数千、数万の刃が仁のレイヴンを切り刻んでいく。
左手を伸ばす。
掴むことが出来れば、何か変えられると信じて。
仁にとって左手が特別だったように。
澪にとってもそうなのだろう。
明らかにその手に触れることを厭って機体を引いた。
そして――。
一瞬で背後に回り込まれる。
視界の限られたサブカメラでは消えた様にしか見えなかった。
強い衝撃に仁は呻く。
視界の隅を流れていく部品に、背部のリアクターのリロードユニットをもぎ取られたのだと気付く。
もう予備のリアクターも無い。
折り悪く、リアクターは限界を迎えて停止した。
「まだ!」
それでも仁は足掻いた。
残されたエーテルを推進力に注ぎ込む。
「何で!」
澪の声に苛立ちが混ざる。
無様とさえ言える仁の足掻き。
「帰ってこい、澪!」
元々万全とは程遠い機体だった。
シャーリーが調整したわけでもない機体はリミッターを解除したリアクター出力にとうとう屈してしまう。
推進は止まった。それでも一度ついた加速は止まらない。
左手を伸ばして、澪を引き留めようとする。
それを打ち砕いた。
背中から光の羽を浮かべて。
最大の加速を見せた矢の如きプリンセスタイプの蹴りがレイヴンの左手を打ち砕いた。
そのまま、腹部に叩きつけられた脚部によって仁のレイヴンは地面へと突き落とされる。
四肢をほとんど失ったレイヴンに、軟着陸など期待できず。
激突の寸前に残った足で一瞬スラスターを吹かしたが、大した減速など出来ずに叩きつけられ沈黙した。




