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09 親子喧嘩2

 初めて見た澪の涙に仁は大きく動揺した。

 

 泣いている相手をどう慰めれば良いのか。

 いやそもそもこれは慰めて解決する問題なのか。

 

「誰も待っていないなんて、そんな事は――」

「わた、私はASIDだよ!」


 つっかえながら涙声で澪は叫ぶ。

 

「この身体は全部偽物! こうやって泣いているのもただ、人ならこういう時に泣くって学習したから泣いているだけ!」


 立ち上がって、己の胸を握り締める。服が皺になるほどに強く。

 

「本物何て何もない! 昔、シャーリーが言ってたよね? あんまり笑わないって。あれは単に人が何で笑うのか学習できていなかったから!」


 笑えるようになったのはサンプルが十分にそろったからだと澪は言う。

 

「テストの点数が良いのも当たり前だよね! だって機械だもん! 一回見れば全部覚えられて、計算すればコンピューターみたいなことが出来て!」


 澪の成績の殆どは、自身の特異性に起因する物だった。


「運動だって一緒! 最適な身体の動かし方が分かっているからその通りにしていただけ! 全部全部! ASIDだから出来た事!」


 思い出が崩れていく。

 幼い日から今日までの思い出。

 その大半が、ASIDだから出来た事だ。

 ただの人間じゃできなかった事だ。

 

「この船団の人を苦しめているのは私の同類! ASIDは人間の敵だってエミッサも、雅も、東谷もみんな言ってる! 仁だってそうでしょう!?」


 ああ。そうだ。

 それを仁は否定できない。

 ASIDは敵だ。

 半生をその討滅に捧げて来た。

 

「私は怪物なの! もう、戻れない。みんな、こっち来るなって言う……」


 己の存在そのものが、周囲から排斥される要因となる。

 仁にはその恐怖が分からない。

 己を無価値とされた時代はあった。

 周囲を無意味と考えた時代もあった。

 排除された事は無かった。

 

 だがそれでも、澪の言葉には確実に間違っているところがあると仁は確信している。

 申し訳ないが、澪の友人たちが澪をどう思っているかは分からない。

 もしかしたら澪の言う通り、ASIDである事に怯えて心無い言葉を投げかけてくるかもしれない。

 

 それでも。

 

「関係ないよ。お前がASIDだろうと他の星の宇宙人だろうと、俺の娘だ。俺の家がお前の帰る場所だ」


 その事だけは断言できた。

 一歩踏み出す。コックピットハッチの縁に立つ。

 飛び込めば、繭の上に着地できるだろうか。

 

 その仁の機先を制するように、澪は小さく呟いた。

 風の流れの中、その声が届いたのは一つの奇跡だった。

 そして仁にとってそれは出来れば聞きたくなかった言葉だった。

 

「楠木令」


 息が止まる。

 その名前を、仁が澪に聞かせた事は無い。

 写真の一枚だって部屋にはおいていない。

 

 八年前、智でさえ澪にはその事を伝えなかった。

 

 だが知ったのだとしたらそれは。

 

「智から、聞いたのか」


 他にはいない。

 きっと智も、澪がライテラ計画と無関係な人間だったのならば姉の存在を伝える事は無かっただろう。

 だが、その中核となる人物だと分かったら。

 そしてもしも当人が協力的でなかったら。

 説得の為にその事を話す可能性は十分にあった。

 

 半ば確信を持って尋ねた質問に、澪は頷いた。

 

「婚約者だったって」

「……ああ」

「十年前に、超大型種に襲われて死んじゃったって」

「そうだ」


 そしてその超大型種も今はもういない。

 終わりに第二船団がケチを着けてきたとはいえ、討伐には成功した。

 

「今回の作戦に拘っていたのってその目標が令さんを殺したASIDだったからでしょ」

「その通りだ」

「憎くないの? ASIDが」

「憎いに決まっているさ。令だけじゃない。今までに何人も戦友が倒されてきた」


 真実を否定してもどうしようもない。

 そんな誤魔化しは澪にも見透かされる。

 だから仁は率直に言葉を吐いた。

 

「私の仲間が殺したんだよ!?」

「それは違う!」


 即座に仁は否定する。

 

「お前は何も関係ない! ただ同じ種だっただけだ! そんな浅い繋がりで澪に罪なんかある筈がない!」


 そこまで主語を大きくする必要はない。

 澪は澪。

 船団を襲ってくるASIDはASID。

 それぞれは別の物だ。

 

「私に罪はない、って。そう言ってくれるんだ……」

「ああ。当然だ。だってお前自身は誰も殺してなんかいない。お前に償うべき罪も科すべき罰も無い」

「本当に、そうかな」


 涙の枯れた澪が、仁を真っ直ぐに見つめる。

 

「ASIDってどうやって繁殖するか知ってる?」


 唐突な、そして関係のない質問に仁は戸惑った。

 

「それは、確かクイーンタイプが産んでいくのと、現地生物をナノマシンで侵食して造り変える……」


 ASIDは、その繁殖の際には他の生態系の生物を取り込んで生まれる。

 クイーンが直接産む場合は、体内に持つファクトリーユニットが身体を作り上げている。

 ナノマシンで造り変える場合も結局は身体の方はクイーンが用意する事もあるという。


「そうだよ。じゃあもう一つ。ASIDには魂があると思う?」

「……ある。少なくともエーテルリアクターを動かすに足る因子は持っている」


 話が見えない。しかし黙り込むことも出来ず仁は慎重に澪の意図を探りながら答えていく。


「じゃあ三問目。クイーンが産んだASIDって、どこからその因子を持ってくると思う?」


 その問いかけに。

 仁は詰まった。

 

 考えた事も無かった。

 というよりも、それは最新のASID研究でも諸説分かれている物だろう。

 

「正解は、他の生き物の魂……かどうかは良く分かんないけど、その因子を奪って使っているの。だから周囲に何もない宇宙じゃASIDは繁殖できない」


 それはASIDであり、人間の言葉に通訳できる澪だからこそ分かる事実だろう。

 だがやはり、この問いかけで澪が何を言いたいのか。

 着地点が見えてこない。

 

「最後。私は何歳でしょう」

「……今日で、十四歳だ」


 確信を持った――しかしどこかで違うと分かっていた答えに澪は不正解を示した。

 

「本当は、私が女王に産み落とされてから九年目」


 その誤差は、澪が最初に作った疑似生体の年齢だ。

 最低限の活動が出来るだけの肉体を欲した結果、六歳相当の疑似生体を作り出した。

 だが、実際にはその時澪はまだ生まれてから一年と経っていない。

 

 それがどうかしたのかと仁は思う。

 ここで言われた以上、意味のない事ではないのだろう。

 

 だが十四歳になる娘が実は九歳でしたと言われても少し驚く程度で――。

 

 仁が気付いた。

 気付いてしまった。

 

 今の澪の回りくどい質問。

 実年齢。

 そして、令が死んだ日。

 

 澪と出会った日に、考えた事がある。

 

 まるで生まれ変わりだと。

 同時に一笑に付した考えだった。

 年齢がどうやっても合わないと。

 

 合ってしまう。

 まさか、という思いが仁の中に去来する。

 

「私は、仁に出会った時凄く安心した」


 そう、澪は――当時名も無き少女だった彼女は初対面の時に呼んだのだ。

 

 じん、と。

 

「うん、きっとそれは魂が覚えていたから。この人の側に居れば大丈夫だって無条件で思えた」


 澪が誰の魂を、その因子を奪って生まれたのか。

 一つの可能性が導き出されてしまう。

 

「わた、しは」


 澪が悲痛に表情を歪める。

 やめてくれと仁は言いたい。

 娘のそんな表情は見たくはない。

 

「令さんを素体にして生まれたのかもしれない」

「っ……!」


 本当のところは分からない。

 だがその容姿。無関係と断ずるのは難しい。

 

「私が、仁の幸せを奪ったのかもしれない!」


 違うと、言いたかった。

 だというのに仁の喉は震えるだけで意味のある音を出さない。

 

「どうして、私を引き取ってくれたの?」


 答えなくては。

 だがその問いは、仁の中でも答えの出ない問いだった。

 きっかけは。

 何だったのか。

 

「私が令さんと似ていたから、じゃないの」


 否定したかった。

 少なくとも、共に暮らして澪を令の代用品として見た事は無い。

 

「……分かってるよ。仁さんは私を見る時、誰かを重ねてたりしてなかった。真っ直ぐ私だけを見ていてくれた。でも――」

 

 しかしその始まりは。

 そうではないとどうして言い切れるだろうか。

 

「私は、東郷澪という人間は望まれて生まれて来た訳じゃない」


 澪の表情が、不器用な笑顔を作る。

 その頬を一筋の涙が流れた。

 泣いているところ一度も見た事が無い、娘の泣き顔を今日だけで何度見れば良いのだろう。

 

「私の場所は本当は別の人の場所だから。返さなくちゃ」

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― 新着の感想 ―
[一言] 仁ふんばれ!次の一言大事!
[一言] 知ってた 過去は変わらないから意味があるものだし目の前にあるものの方が大事って人もいるでしょうね 果たして主人公は止められるか止められないか、ただ止まるとハロルドがただの道化になってしまう……
[一言] 望まれて生まれたわけじゃない?確かにそうかもしれない でも、今は?今までの中でそう思ったことはある? ASIDって知られてたけど、友人達の反応は見た?怖くて見れなかったかもしれないけど 人…
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