08 親子喧嘩1
空を見上げる。
天井に遮られてはいるが、足元の本体の感覚器が拾ってきた情報で向こう側の様子は手に取る様に分かった。
「……来ちゃったんだね。二人とも」
自分を守ってきた二つの存在を感じて、澪は溜息交じりに呟く。
「やれやれ。人型まで来るとは予想外だ……君が呼んだのかな?」
疑いの入り混じった視線に、澪は棘のある声を返す。
敵意の入り混じった反応は、澪を知る人間が見れば驚くだろう。
その単語は東郷澪にとって縁遠い物だった。
「――達は私をずっと見ていた。多分、八年前から」
ハロルドは多分固有名詞であろう単語を聞き逃した。
というよりも、これは人間に発声できる物なのか。少なくとも随分と耳慣れない音の羅列だったことは確かだ。
「私の声もずっと聞いてた。だから急に聞こえなくなって、周囲に貴方たちが群がってきて。そしてあの人が不在になったから来た」
「ほう。興味深いな。つまり彼らは彼をこそ最大の守護者だと考えていたわけだ」
その言葉には返事をせず、また空を見上げる。
近づいてきている。
急速に接近する気配に、澪は再度呟いた。
「来なければ、何も知らない内に終わらせられたのに」
「全くだ……こう言っては何だが、他船団は我々の計画を真面目に受け取らないだろうと思っていたよ」
時間跳躍の計画を進めている! と聞いて真面目に受け取れる人間が果たしてどれだけいるか。
第二船団においてハロルドが計画で一番苦労したのはそれを信じさせ続ける事だったのだから。
「このラボは破棄だ。やはり、横着する物では無いな。第二船団に帰還する時間を惜しんでこちらで作業していたが……」
そこまで言ってハロルドは肩を竦める。
結局、無駄になってしまった。
「私は一足先にトリシューラに戻らせてもらうよ」
「……私が」
「うん?」
「ここで裏切るとは考えないの?」
仁がここに向かっている。
ハロルドはそれと鉢合わせすることを避けた様だったが、澪はまだ動けない。
繭の中では本体が再構築中だった。
未熟な段階で外に出てしまったのを、もう一度作り直しているのだ。
同じ作業は何度も出来ない。
残り時間は数分だが、その前に仁がここに来るだろう。
そうなった時に、澪が仁の元へ飛び込まないと何故ハロルドは根拠もなく信じているのか。
ふと澪には気になった。
「君は裏切らないさ」
「不思議。何で信じられるの?」
「簡単さ。君みたいな顔をした奴らを何百人も見て来た。過去を切望する人間の顔だ。そんな人間が裏切るなんて有り得ない」
そうか、そんな顔をしているのかと澪は足元を見つめる。
金属の繭は、光を反射しているが曲面を描いている。
そこに写る自分の顔は歪んで見えなかった。
それはそうと。
「……私、人間じゃないよ」
「そうだった。ついつい君と話をしていると忘れてしまうね」
たった一つ、ハロルドに感謝することがあるとしたら。
それはこうして人間の様に扱ってくれることだろう。
多分彼にとって人間もASIDも等しくどうでも良い対象だからというのは分かっていても尚。
◆ ◆ ◆
エアロックからシップ1に突入する。
市街地でもお構いなしの飛行。
先ほどの通信塔を巡る攻防で市民は皆避難している。
誰かを巻き込む恐れが無いのが救いだった。
途中、仁の住むマンションを通り過ぎた。
あそこで暮らしていたのがもう何年も前の様に感じられる。
絶対に連れて帰る。
そう決意して更に飛ぶ。
シップ1外れの倉庫。
澪の携帯のGPSはここからだった。
エーテルダガーを最低出力で。
その扉を強引に抉じ開ける。
もしもこれで無関係という事になれば大問題だが――そうはならなかった。
仁には良く分からない、機材に囲まれた空間。
どう見ても輸送待ちの荷物ではなく、稼働している機材だ。
その中央に祭壇の様に積み上げられた資材の上に何時か見た繭と――その上に腰かける澪が居た。
丸い金属の表面に体育座りをしている娘の姿は、遠目に見る限り怪我らしきものはない。
まずはその事に仁は安堵する。
「澪、無事か?」
ハッチを解放して、外気にその身を晒しながら仁は呼びかける。
その声に、澪は伏せていた視線を上げた。
それを見た瞬間に仁は背筋が冷たくなった。
空虚。
澪のあんな視線は見た事が無い。
何時も周囲に目を輝かせていた面影も無い。
一瞬、仁の身が竦んだ。
その怯えを見透かされない様に己を叱咤しながら、手を伸ばす。
「帰ろう。澪」
無言で首を横に振る。
銀の長髪がそれに合わせて揺れた。
少し髪が痛んでいるように見える。
手入れをする余裕も無いくらいに追い詰められているのか。
「みんな心配してる」
そう言うと、澪はきゅっと手を握り締めた。
よく見れば、その手には携帯電話が握り締められていた。
点滅するランプは着信があったことを示しているのだろう。
姿を消した澪を案じてエミッサや雅、メイに守が何度も電話した証だった。
出たくないのならば電源を切ってしまえば良い。
だけどそうできない所に澪の未練が感じられた。
それでも澪はまだ首を横に振った。
澪の足元の繭を見る。
仁の推測が正しければそこにはきっとASIDが収まっている。
澪の写し身とも言えるASIDが。
「……お前の、その……生い立ちは分かっている、つもりだ」
躊躇いながらそう口にすると、澪の肩が震えた。
仁が澪に真実を知って欲しくなかったように。
澪も仁にはその事実を知られたくなかった。
平凡とは程遠い親子関係だった。
血の繋がりも無い。
そこに更に種族の繋がりさえも無かった。
だけど、仁にとってそれは大きな問題にはならない。
だが澪にとってはどうだろうか。
仁には分からない。
「少し、普通とは違うかもしれないが……お前は俺の娘だ。今までだって問題なく過ごせてきた。これからだって」
何をしているのだろうと仁は自分でも思う。
こんな風に口だけを動かして。
何故自分は今、澪の元に駆け寄らないのか。
どうして手を取ってもらうのも待っているのか。
その手を掴みに行かない理由は何なのか。
ああ。分かり切っている。
戦士としての勘なんかじゃない。
ただこれは八年間を過ごしてきた父親の勘。
きっと今近寄ったとしても同じ速度で離れていくであろう。
この距離が限界点だ。
これ以上前に出たら二度とその手を掴めない。
そんな予感があった。
「誰もお前を危険だなんて思っちゃいない」
言葉を尽くす。
澪がこちら側に来てくれるように。
伸ばした手を取ってくれるように。
「うちに帰ろう」
話をするのはそれからで十分間に合う。
娘の生まれがちょっと厄介だっただけの話だ。
大したことでは無いと仁は手を伸ばす。
甘かった。
仁は余りに甘く見ていた。
今の澪がどれだけの覚悟でここにいるのか見誤っていた。
そもそも仁はよく考えるべきだったのだ。
澪がここに一人でいる意味を。
拘束もされずにいることを幸運だと考えるよりも前に。
澪が、ハロルドに協力している可能性。
それを仁は微塵も考えていなかった。
澪は被害者である。
そこから考えが進まなかった。
娘が、多大な犠牲を前提とし、最終的に帳尻を合わせる様なギリギリの計画に自ら参画している可能性を考えていなかった。
「――違うよ」
仁が来て、初めて澪は声を発した。
首を横に振りながら。
髪を振り乱しながら。
これまでに投げかけられた仁の言葉。
その全てを違うと言う。
「違う。違うよ。仁は何も分かっていない!」
その呼び方に、ショックを受けたのは双方共にだった。
会ったばかりの頃の呼び方。
関係性までもがその頃に戻ったかのようだ。
この八年を否定された気持ちになった仁。
その衝撃を見てしまい、自分が発した言葉の重さに気付いた澪。
だけどもう、澪の言葉は止められない。
「誰も待ってなんかいない! 誰も私を求めてなんかいない!」
駄々をこねる様に。
誰の声も聞かない様に。
耳を塞ぎながら澪は叫ぶ。
そうしなければ誰かの悪意の声が聞こえてくるかと言うように。
「私に帰る場所なんて無いんだから!」
身を裂くような悲痛な声。
そう叫んだ澪の眼から流れたのは――涙。
この八年間で初めて見る、娘の涙だった。




