21 ジェイクの店
「よう、澪の嬢ちゃんじゃねえか久しぶりだな!」
相変わらずの筋肉質な体に、磨き上げられた禿頭を光らせてジェイクが破顔した。
「ジェイク、久しぶり」
「ここんとこ受験勉強だって言って教室の方にも来てなかったからな。どうだい、調子は」
「ん、第一志望は行けそう」
「そりゃ良かった。んで、ひよっこの嬢ちゃんも随分と久しぶりだな。っと、結婚した人に嬢ちゃんも失礼か」
「いえいえ。若返った気分になりますよ」
「あっははは! まだまだ若いだろうよ!」
今年で35になる男は楽し気に笑う。
仁達の事は聞いているだろう。
だがそれには触れず、何時も通りに明るく振る舞っている彼の態度が澪には有難い。
腫れ物に触れる様な態度を取られるのは、澪としても嬉しい物では無いのだから。
「奥のテーブルに座ってくれや。悪いが、お冷はセルフサービスだ」
忙しそうにカウンター向こうで調理しながらジェイクは席を指し示す。
「何か忙しそうっすね」
守がそう問いかけると、手を離さずにジェイクは肩を竦めた。
「ああ。嫁さんが昨日から実家に戻っててな。フロアの方に手が回らねえ」
「え、逃げられたの」
「んな訳有るか! 二人目が生まれんだよ」
「あ、おめでとうございます」
「ジェイク、おめでとう」
「おや、それはおめでたいですね」
三人が口々に寿ぐと、ジェイクは照れ臭そうに笑みを浮かべた。
「ありがとよ。まあそんな訳でウチの子供も嫁さんの実家だ」
「あら、残念でしたね純平。お友達に会えなくて」
「てっちゃんいない?」
彼がジェイクの子供の呼び名で尋ねると、守が頷く。
「いないってよ」
「つまんない……」
ちょっと不貞腐れたような顔をしているが、すぐにメニューを見て顔を輝かせる。
「お子様セットが良い」
「はいはい。二人とも決まったら言ってくださいね」
澪と守は真剣にメニューを見つめ始める。
なんだかんだ言っても食べ盛り。
折角なので良い物を食べたいという思いが共通していた。
「何食べる?」
「肉かな……」
「奇遇。私もお肉の気分」
さっと視線を交わして互いに頷きあう。
この一瞬で頼んだ料理をシェアする契約が成された。
結局ハンバーグ定食とから揚げ定食を頼んだ。脂っこいチョイスである。
「ヘレンにも会いたかったな……」
澪がぽつりと呟く。
ジェイクの嫁であるヘレンと澪は少し年の離れた友人だ。料理教室に通ううちに仲良くなった。
そろそろ実家に戻って出産に備えると聞いてはいたが、それが昨日からだったとはタイミングが悪い。
「実家の場所知ってんだろ? 遊びに行けばいいじゃん」
「うーん……でも今バタバタしてるだろうから、もう少し落ち着いてからにする」
きっと行けば歓迎はしてくれるが、負担になるだろうと思った澪は相手を慮った。
「東郷がそう言うなら良いんだけどさ……何かお前そんな遠慮するタイプだったっけ?」
「失礼。私は気遣いが出来る人間」
「気遣いって言うか……うーん。俺にも上手く言えないけどさ。何かこう……こう、こうなんだよ」
「全然分かんない」
もにょもにょと手を動かして何かを表現しようとするのだが、当人にも今一良く分かっていないらしい。
澪にも全く通じず、ばっさりと切り捨てられて凹んでいる。
「そう言えば東郷。来週の誕生日だけど何欲しい?」
「……それ、私に聞くんだ」
「だって要らねえもんプレゼントしても困るじゃん」
「それは、そうだけど」
くるくると澪は指先で自分の髪を弄ぶ。
その実利的な思考は澪にも良く分かる。
と言うか要らない物プレゼントされたら困るというのはこの三年で散々感じた事だ。
貰い物を処分するわけにも行かず、段ボールに詰められている。何か妙な念を感じる。
「別に、とーや君からのプレゼントで要らない物なんて無いし」
頬杖をつきながら澪は呟く。守は丁度、メイだったら何が欲しいか尋ねていたところで聞いていなかったようだが。
「まあここは在り来たりな意見ですが……心を込めてプレゼントしてもらった物なら何でも嬉しいと思いますよ」
「うわ、姉貴。そんな玉虫色な解答を。っていうか心が籠ってても要らねえもんは要らねえよ。何か変な毛編み込まれたハンカチとかさあ……」
今、守が聞き捨てならない事を言ったと澪は弾かれた様に顔を上げる。
「……貰ったの?」
「え?」
「ハンカチ、貰ったの?」
静かに淡々と澪は尋ねる。
それは何時通りの澪だ。
何時も通りなのだが……守は背筋に寒気を覚える。
「いや、怖いから突き返したけど……」
「でも一回は貰ったんだ?」
「まあ……」
確かに一度は受け取った。嘘も吐けず、素直に認めると澪は目を眇めた。
「ふーん」
「いや、何だよ。別に俺何も悪い事してないだろ」
「うん、そうだね。何もしてないね」
別に誰かから何を貰った何て報告する義務は無い。
澪だって守に一々何を貰ったかなんて教えてはいない。
でも何か気になる。
ここ最近、特に飛び級で守が進学してから。
守の事を考えるとイライラとモヤモヤの中間の様な思いが澪の中に去来する。
その正体不明の感覚も澪にとっては恐怖の対象だ。
ここ数年。自分が徐々に人からずれているのではないかと怯える一因になっている。
「はいよ、定食お待ち。漸く一段落着いたぜ」
見れば店内も少し落ち着いてきたようだった。注文を捌き終えたジェイクが澪たちのテーブルにやってくる。
「ああ。そうそう、ジェイクさん。来週お店貸し切りたいんですけど」
「来週? ああ、嬢ちゃんの誕生日か。本当は二週間前まで何だが……まあ良いか」
内緒だぜと笑いながらジェイクは快諾してくれた。
「ジェイク、ありがとう」
「良いって事よ。……アイツもそれまで帰ってこれたら良いんだけどな」
思わず口から漏れた言葉。
おっと、と言わんばかりにジェイクが己の口を塞ぐ。
「気にしないで良い。ジェイク」
「そうですよ。まあうちの旦那共々殺しても簡単に死ぬような人じゃないですから」
「ああ。まあそうだな。これは俺が現役だったころの話なんだがな――」
一瞬暗くなった空気を切り替える様に、ジェイクが昔の仁の武勇伝を語れば負けじとメイが教官時代の話をして、澪が普段の仁の様子を話して他の面々が笑う。
そんな話をしていた折。ジェイクがふと思い出したように口を開いた。
「そう言えば嬢ちゃん。この前アイツがうちの店に来てたぞ」
「アイツ?」
「ああ。ほら。第二船団の」
「智叔母さん?」
「そうそう。偶々昼食に寄っただけだって言ってたけどな。その内、嬢ちゃんにも会いに行くって言ってたんだが」
「ううん。まだ会って無い」
智は六年前に第二船団に帰還した。
その辺りで第三船団の戦力もある程度戻ってきて、第二船団からの派遣部隊が撤退したのだ。
それ以後直接は会ってはいないが、誕生日になるとプレゼントを贈ってくる程度の関係に収まっていた。
仁をビンタしたことで敵対視していたが、今となってはちょっと疎遠な親戚の人みたいなポジションだ。
「第二船団の……サイボーグ戦隊の方ですね。やっぱりまた頼る事になるんでしょうか」
「まあな……流石にこれ以上第三船団の防衛圏に穴は空けられねえよ」
「でも、こんなに直ぐに来れるなら……」
思わず、と言った口ぶりで漏れた守の言葉にテーブルが静まり返る。
本来全船団共同で行われるはずだった超大型種の討伐作戦。
他の船団からの増援が間に合わないから第三船団の護衛艦隊は先行して出撃したのだ。
これだけ第二船団が早期に来れるのならば、連携すれば今の結果とは違う物が待っていたのではないかと思わずにはいられない。
「それは違いますよ守。第二第三船団が連携しても、勝率は五分五分と言ったところでしょう。そこで敗れたら、第一と第四だけでは勝てない。確実な勝利を目指すならば、他の三船団が連携する必要があるんですから」
教官らしく、戦略的にそうするしかなかったと語る。
だが当人がそれに納得していないのは明らかだ。
「普段は意識しねえけどよ……宇宙は広いんだよな……人が住むには広すぎる」
こうして、あっさりと行方不明になってしまう程に広いのだ。
人類が手にしたオーバーライトと言う技術はあくまで点と点を繋ぐもので、広さは変わらない。
「うちの常連も結構行ってるからな。早く元気な顔を見たいもんだぜ」
「ん。今はご飯食べて元気出す」
ジェイクの言葉に澪は頷いてから揚げを頬張りだす。
「おい、シェアすんだろ」
「……忘れてた。はい、どーぞ」
何の気なしに、澪は箸でつかんだから揚げを守の口元まで運ぶ。
「お前さ。ホントその天然やめろよな……心臓に悪い」
「?」
取り皿を手にして、守は少し赤くなった頬でそう言った。




