01 一か月前1
973年12月9日。
あの日、どうして止めなかったのか。
澪は己に問いかける。
その日も何時も通りの朝だった。
「おとーさん朝」
何時も通りに、澪は父親を起こす。
そう言えばこれが何時も通りになったのは何時からだろうかとふと考えた。
何でそんな事をその時に考えたのかは分からない。
思い返せば、幼い日は自分が父親に起こされる立場だったはずだと澪は考える。
父親――仁の朝が遅くなり始めたのは思い返せばここ数年の話だと思う。
もっと言うと、澪がそろそろ恥ずかしがって、他の人と同じように自分の部屋にベッドが欲しいと言い始めた頃か。
「……もしかして私には安眠効果が……?」
そんな機能もあったのかと澪はハッとする。
或いは。
「抱き枕として優秀……?」
思えば、仁を筆頭にエミッサや雅に良く抱き着かれると澪は思い至った。
仁の場合は幼い日に自分から抱っことねだっていた事は忘れている。
齢15にして意外な才能に気付いてしまったと澪はほくそ笑む。これは自慢しなくては。
それはさておいて。
「おとーさん。朝ごはん出来た!」
「あ~分かった。今行く」
思ったよりもしっかりした声が返ってきた。
珍しいと、澪は思う。
先ほど考えた様に、ここ数年の仁は朝はゆっくりだったのだから。
「おはよう、澪」
「おはようおとーさん」
未だに寝間着姿だが、何時もの寝惚け眼ではない。
既に起きていたらしい。
「今日も自習か?」
「うん」
「じゃあ洗い物はやっておく」
「……おとーさんに任せると月に一回くらいは食器欠けさせるからダメ」
「最近はやってないだろ」
「最近私がやってるから……」
そう言うとちょっとしょぼくれた顔になるのが面白い。
家の中ではどちらかと言うと情けない姿ばかりを見ている気がする。
だがそんな父親が外に出れば船団防衛軍の凄腕だというのだから不思議な物だと澪は思う。
自分はもう朝食を済ませた澪は、洗面台の前で己の髪と格闘する。
この色んな人が手入れしてくれるサラサラの銀髪は自慢なのだが、サラサラすぎて纏めるのも一苦労だ。
いっそ短くしてしまおうかと思わないでもないのだが、手入れしてくれている人たちが必死で止めてくる。
曰く、せっかくそこまで伸ばしたのにもったいない! と。
どうせナノマシンで成長促進できるから良いんじゃないかなと考えている澪は確実に父親の影響を受けていた。
「あー澪。今日の夜は早めに帰ってきてくれ。話がある」
「何? とうとうシャロンと結婚することになった?」
「違う! そう言う冗談はやめなさいって!」
「冗談じゃないんだけど……」
実に十年近い付き合いになる年上のおば――お姉さんの事を澪は考える。
シャーリー・バイロン。澪の髪を念入りに手入れしてくれる人の一人だ。
いや、髪に限らずにエミッサが女子力と呼ぶ物の三分の一位はシャーリーから学んだなと澪は思う。
残り三分の二はエミッサである。
二人が居なければきっと自分はもっとこう……男子に混じって走り回っていただろうなと言う確信がある澪であった。
幼い頃から何かと面倒を見てくれていて、母親の居ない澪としては一番それに近い人だった。
と言うか。そうなってくれたらいいなと澪は思っていたのだが、残念ながらそうはならなかった。
流石にこの年になれば、そこまで世の中がシンプルでは無いと分かってはいる。
だがしかし。
「だってずーっと週に二回か三回はうちに来る……いっつも仲良い」
そんな感じの事を十年近くも見せられている澪の身にもなって欲しいと鼻息を荒くする。
「おとーさんもシャロンもいい歳だからそういう事もあるかなと」
「……何かお前、ナスティンに似て来たな」
「ナスお姉さんは関係ない。大体おとーさん! メイおねーちゃんにも先越されてる! もっと焦った方が良い!」
トーストを齧っている仁に澪は詰め寄る。
いや、本当はこんなことをしている時間は無いのだが。
ちらっと時計に目をやる。朝の自習の約束は七時半から。現在は七時。
カチャカチャと頭の中で計算する。大丈夫。後五分は行ける。走れば更に五分プラスだ。
「色々あるんだよ。色々」
色々と言えば、澪にもずっと仁に聞きたい事がある。
幼い日。
今はもう朧になってしまった澪の記憶。
仁に引き取られたあの日。初めてこの家に来た時。
あの頃は澪も不思議に思わなかった。
だけど今考えるとおかしいのだと澪は思う。
どうして仁はこんな広い家を持っていたのだろうという疑問が澪の中にある。
どう考えてもこの家は一人で暮らすサイズではない。
そもそも今の澪の部屋に入っていた家具。
ずっと気に入って十年間使っているそれらは、一体誰の為に用意した物だったのか。
仁の寝室となっている部屋もそうだ。
あのベッドは一人で使うには広すぎる。
怖くて聞けない。
この家は、本当は誰と一緒に住むための物だったのかと。
もしかして、という思いがあるのだ。
自分を引き取ったせいで、仁とシャーリーは結婚しなかったのではないかと言う予想。
聞けば仁は笑い飛ばすような想像だ。
だが、澪には聞けない。
もしも肯定されてしまったら。自分のせいで自分の好きな人の幸せを壊してしまったと聞いたら。
きっと耐えられない。
「もう、そうやって誤魔化す」
澪の方こそ胸の内に抱いた恐怖を誤魔化すように唇を尖らせる。
「まあとにかく、早めに帰ってこいな」
「はーい。じゃあ私そろそろ出かける。食器は食洗器に入れておいて。丁寧に!」
今使っているマグカップは結構お気に入りなので壊されると悲しい。
同じ物を探しているのだが、エミッサからのプレゼントなので売っている場所が分からないのでストックが無いのだ。
――本当は普段使いする様な値段ではない事に気付いたら澪は目を剥くだろう。
「分かった分かった。気をつけてな。危険な人にはついていくなよ」
「おとーさんは心配性」
「東谷くんとかにも着いていくなよ!」
「? とーや君は危険じゃない」
「危険なんだよ!」
良く分かんないと思いながら澪は玄関の鍵を閉める。
年季の入ったペンギンのキーホルダー。
生体認証が主流の第三船団で、物理キーを使うなんて普通ではないけれども。これだけは澪も止めるつもりはなかった。
「行ってきまーす」
中等学校への道を歩く。後四か月で卒業で、その前には高等学校の受験がある。
後何回この制服に袖を通すのだろうかと澪は思う。
入学した時に少し大きめだった制服は――今も少し大きめだ。
悔しい事に、この三年で余り身長が伸びなかった。
友人の中でもぶっちぎりで小柄だ。
「……むむ?」
もしや先ほどの抱き枕疑惑。小柄だから抱きしめやすいと思われているのではないかという事に気付く。
やはり自慢するのはやめておこうと、澪は決意。
馬鹿にされる未来が見えて来た。
「おーい、東郷」
「……とーや君」
ひらひらと手を振りながら幼馴染の一人が駆け寄ってくる。
少しお兄さんに似て来たかなと澪は思う。
上下共にジャージ姿で軽く汗をかいている守を見上げる。
そう、見上げるのだと澪は若干屈辱を覚える。私、親分なのに……と。
未だ、澪の子分1号から脱却できていない東谷守は澪とは対照的にぐんぐん身長が伸びた。
制服がどれだけ小さくなったのか――それはもう確認する術はない。
もう、守が中等学校の制服に袖を通す事は無いのだから。
「今日もランニング?」
「ああ。まあな」
「訓練校からこの辺まで毎朝大変」
「まあ慣れだな慣れ」
「ふーん」
守は飛び級で訓練校に入校した。
それはつまり、彼の兄や澪の父親と同じくパイロットとしての素質を認められたという事。
惑星メルセでの事件以来、パイロットを志していた彼が、その適正で飛び級を認められて、飛びつかない筈が無かった。
だから彼は澪よりも一年早く中等学校を卒業していった。
初等学校に入学した初日に出会って、初等学校の六年も、中等学校の二年間も同じクラスと言う中々の縁だった。
疑ってなどいなかった。
少なくとも一緒に卒業は出来るのだろうと思っていた。
それがもう叶わないという事がちょっとだけ寂しく思えた日もあった。
とは言え、毎朝ランニングでこの辺りに来る守を見ていたらそんな寂しさも消し飛んだのだが。
「そんなに毎日走って何する?」
「体力付けてんだよ。東郷の親父さんに聞いたこと無いか? パイロットは体力第一だって」
「……言ってたかも」
だからキューブフードを食えとも続いていた気がする。完全栄養食だからって。
「とにかく俺は強くならないといけないからな」
何かしらの決意を込めた表情で守はそう呟いた。




