29 仁の戦う理由5
「……久しぶり」
「今私、東郷君の事物凄く叩きたいんだけど叩いても良い?」
まあ当然といえば当然だろうなと仁は思う。
「連絡するって言ったのに何で引っ越してるの?」
「いや、すまん。そこまで頭が回っていなかった」
「寮監に引っ越したって言われた時凄い驚いたんだから」
視線が泳いでしまうのを止められない。
どう考えてもこれは仁の失態だった。
モフっとしたミトンで頬を張られる……というか掴まれる。
ほんの少し、頬が温かくなる。
「ものすごく寒かった」
「何時から居たんだ」
「……朝から」
なるほど。似た者同士だと仁は思う。
仁も朝から令を探して船団内のホテル近辺を歩き回っていた。
もう少し早く仁が思い出せていればお互いこんなに寒い思いをしなくて済んだのだろう。
「と言うかここ三日ほど日参してた」
「申し訳ない」
「どこに行ってたの」
「楠木を探してた」
「何で真っ先にここを思いつかないかなあ」
「すまん」
敢えて言い訳をするのならば。
「そっちから来るとは思ってなかった」
「連絡するって言ったってもう一回言おうか?」
「社交辞令だと思ってたんだよ」
「……東郷君、結構寂しい人間関係だね」
「ほっとけ」
要するに、過去仁にそういう事を言っていた相手は大半が連絡してこなかったのである。
だがその理由も令からすれば関係ない。
「そんな社交辞令で済ませる様な関係だったかな?」
「俺達の関係を言うのなら、大家と店子だっただろ」
「家賃、払ってなかったけどね」
「なら家主と居候だ」
まあそんな風に。
明文化できるような関係じゃなかった。
「結構楽しかったんだよ。三か月」
「ああ」
「最初はホント、お金浮かせるためだったけど」
「それは知ってた」
「今日も結構楽しみにしてたんだよ」
「実を言うと俺もだ」
「でもさ、まあ当然なんだけどいきなり出ていけって言われて」
「当然なんだけどな。ルール違反は俺達だし」
「元々成り行きで始まったことだしこんな風に終わるのも仕方ないかなって。だって家主と居候だし」
「ああ。俺もそう思ってた」
だから二週間前に終わりにしたのだ。
それで良いと。その時には納得した。
「でもさ。やっぱ寂しいよ」
それは仁も感じていた事。
「一人のホテルに帰って、誰もいない部屋に一人でいて」
その寒さが身に染みるのは仁も同じだった。
「ちょっとした独り言に反応してくれる人が居なくて」
仁はその反応が無い事に傷付いた。
「そんなのちょっと前までは当たり前だったのにね」
「……本当にな」
令の経歴を詳しく知っているわけではないが、歴史研究家何て仁はこれまで他に見た事が無い。
だからきっとその人数は多くはなく、他船団へ調べに行くときも一人だろうと仁にも予想が出来た。
「だからもうちょっと続けたいなって思って。東郷君の所来たら引っ越したって言われるし」
「いや本当にすまない……」
「何かさ。関係清算したくて住所変えたみたいだよね」
頬を掴んだままのミトンが、頬を摘まんでくる。
痛くはない。痛くは無いが、そこに込められた令の想いを考えると胸が痛い。
仁にだってわかる。
いきなり避けられれば傷つくということくらいは。
仁の心中を知らない令からすれば、一方的な拒絶に思えただろう。
「そんなつもりはなかった。思慮が浅かったのは認めるけど」
「なら」
何かを言いかけた令の言葉を遮る様に、仁は頬を掴んだ手をそっと引きはがす。
その手のひらに令に話しかける前から掴んでいた物を押し付けて握りこませる。
ミトン越しにも分かるその感触は――。
「鍵……?」
「独身寮だから問題だっただけで、別に俺は嫌じゃなかった。いや」
その言葉を言うのに一瞬躊躇う。
内容に問題がある訳じゃない。
ただ、そうやって素直に言っていれば今までの中でも変わったことがあったのではないかと。
ふとそう考えてしまっただけ。
「あの生活を気に入っていた。出来れば続けたいと思っていた」
握りこませた令の手の上から自分の手を重ねたまま仁は言う。
「だから他の場所なら、問題ないと。そう思って慌てて準備した」
ちょっと言うのが恥ずかしい。
だって自分でもこれは先走り過ぎだという自覚があったから。
基地からの距離はちょっと遠くなったし、家賃も上がったけど。
ただあの三か月を取り戻したいから仁は他の不便さには全て目を瞑った。
「あは……ははは。東郷君って本当に……」
仁の言葉を聞いて令は笑う。
笑って、空いた手をポケットに差し込んだ。
そこから取り出した物を、自分がされたのと同じように仁の拳に握りこませる。
手袋越しにも分かる手触り。
何かの鍵。
「考える事、一緒だから困る」
或いはそんな風に思考が近いからこそ。
こうして二人は今、ここにいるのかもしれないと仁は思った。
「これ。何で」
令の言葉からそれが家の鍵だという事は分かる。
だがその前に大きなハードルが一つ。
「何で部屋借りれたんだ」
第二船団の人間が第三船団で部屋を借りることは出来ない。
滞在は認められても居住は認められていないのだ。
だから、それが認められたって事は。
「船籍、変えちゃった」
照れ臭そうに令が笑って言う。
所属する船団を変える。
言ってしまえばそれは旧時代にあった国籍を変更する事に近い。
令はそれほどでは無いと、知識から知ってはいるが。
それでもこの宇宙移民時代、一度も船籍変更しない人の方が多い。
先走りだというのならば。
令のそれは仁を遥かに上回る暴走だった。
「お前そんなあっさりと……」
「あっさりじゃないよ」
令の瞳が仁の瞳を覗き込む。
「あっさりじゃない」
「分かったよ」
その決断に、令の中でどれだけの重みと葛藤があったのか。
それを仁は知らない。
今はまだ。
だけど知りたい。
そして知って欲しい。
仁が見つけた戦う理由を。
後ろにいる一人の為に戦いたいと今は思っていることを。
「それじゃあ約束通りご飯食べよっか。後一時間で日付変わっちゃうけど……」
「なあ楠木」
「何?」
「俺はお前が好きだ」
回りくどい言葉は無しにした。
ただ直球でシンプルに。
何の飾り気も無い言葉。
だからこそそこには誤解を挟み込む余地が無くて。
「えっと……困る」
その返事には仁はちょっと、いやかなりショックを受けた。
今までの会話から勝算があると思っていたからこそ余計に。
「困る、のか」
「うん。だってほら。今日クリスマスイヴだし」
「そうだな」
「でほら。ちょっと良い時間だし」
「そうだな?」
話が見えてこない。
「でこの後どっちかの家に行ってご飯食べる約束果たすでしょ」
「そのつもりだったな」
「歴史的に見ても、こういう時ってその、場の空気に流されやすいっていうし」
「歴史は良く分からんが……」
「だから、その……分かってよ」
「いや、すまん。良く分からない」
「だからあ……」
恥ずかしそうに。寒さ以外の要因で頬を染めながら。
「今オッケーして恋人になったら絶対歯止め利かないじゃん……!」
「いや、お前俺を何だと思ってるんだ」
この三か月、一切手を触れなかった紳士に何という暴言を吐くのだと仁は別の意味でショック。
「そう言うつもりで告白したわけじゃないし。歯止め利かすって」
「そうじゃなくて。東郷君じゃなくて……だから……!」
もどかしげに察して欲しいと令は口を開いて。
「東郷君のせい、だから……」
背伸びして。唇を重ねる。
互いに冷え切った体温を交わし合う。
数秒か数十秒かそうして。
唇を離した後に、令は視線を逸らしながら呟く。
「私の方の歯止めを利かせる自信が無い」
「初めて会った時から思ってたけど……楠木って行動力の塊だよな」
「だって人生限られてるんだから。のんびりしてたらやりたいこと出来なくなっちゃうかもしれないし」
「……ああ。そうだな。その通りだ」
そう言って今度は仁が屈んで令に顔を近づける。
今度はたっぷり一分ほどは唾液を交換して。
「歯止め利かす、つもりだったんだけどな」
あくまであれは、自分の側だけが車輪を回した場合の話だ。
相手側も回している状態で、一つ歯止めがあるくらいでは回転は止められない。
「えっと……その。さっきのお返事ですが。よろしく、お願いします」
◆ ◆ ◆
「ねえ、何で?」
「24日には食べれなかったからだよ」
「ふーん? 良く分かんない」
その理由まで理解されては困ると仁は強引にまとめにかかる。
「まあうちではそう言うルールなんだよ」
「みんなと一緒が良い……」
ものすごく悲しそうにそう言われてしまった。
心なしか眉もハの字になっていた。
「来年からな。うん、来年から。時間は戻せないから」
「分かった」
しかし。と仁は思う。
やはりどことなく元気が無い。
それが心配だった。




