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01 触れてはいけない

「……さん」


 ぼんやりとした表情で仁は朝食を齧る。

 最近舌が肥えて来たのか。キューブフードの歯ごたえだけの食感に不満を覚えつつ。

 

「……とさん」


 今一頭が回らない。

 理由は分かり切っている。

 

 寝不足だからだ。

 別段、睡眠時間が減っているわけではない。

 澪と同じ時間にベッドに入っている。たっぷり10時間は寝ることが出来る筈だった。

 

「おとーさん!」

「何だ。澪。朝から大声出して」

「さっきから何度も呼んでた」

「あ……そうだったか」

「おゆ、沸いてる」


 言われてみれば、ケトルはとっくに湯を沸かし終えている。

 慌てて朝のコーヒーと、澪の分のココアを入れる。

 

「おとーさん最近よくぼんやりしてる」

「そうか?」

「うん。何かこう」


 口を半開きにして、宙に視線を彷徨わせた顔をし出す澪に、仁は恐る恐る尋ねる。

 

「もしかしてそれは」

「おとーさんの真似」

「マジかよ……」


 そんな間の抜けた顔をしていて、それを娘に見られていたというのは仁にとってもショックだ。

 そしてそんな風に観察されて物真似されるくらいには頻繁にその顔をしているらしい。

 二重にショックである。

 

「おとーさん悩みでもあるの?」


 澪の問いかけにドキッとした仁。

 平静を装いながら聞き返す。


「何でそう思った?」

「エミッサがぼーっとしてる人は大体悩んでるって言ってた」

「そうか……」


 この前のバーベキューに来ていた赤毛の女の子を思い出す。

 妙にメイと意気投合していた彼女。

 確かにそんな感じの事言いそうだ。

 

「悩んでいるわけじゃないよ」

「そうなの?」

「ああ。そうだよ」

「ふーん。そう言えば、しゃろん最近おうち来ないね」


 その問いかけに再度ドキッとする仁。


「最近、忙しいからな……もうすぐ大きな行事があるし」

「二週間くらい出張する奴?」

「そうそう」

「……ちょっと寂しい」


 既に澪には遠征訓練の事は伝えてある。

 その時期に合わせてシッターは手配していある。今回は早い時期に予約できたので、空きがあった。

 

「おみやげある?」

「お、おみやげか」


 仁は咄嗟に考える。

 一番お土産っぽい物は……。

 

「行った惑星の石持って帰ってくるよ」

「えー」


 不評だった。

 正直仁も、貰って嬉しいとは思えない。

 だがそれくらいしか持ち帰れるものはない。

 

「後は宇宙港のお菓子とかだけど」

「そっちのが良い!」

「そうか……」


 その気になればいつでも買えると思うとそっちの方が喜ばれるというのは少し悲しい。

 

「しゃろん、次はいつ来るって言ってた?」

「い、何時だろうな……」


 澪の視線に仁は無意識に視線を逸らす。

 

 言えない。

 自分とシャーリーの関係がややこしくなったせいで家には来なくなったというのは。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 突然の告白。

 いや、突然ではないのかもしれない。

 シャーリーにとってはずっと胸の内で抱えていた物で、恐らくはずっと隠し続けるつもりだった物。

 

 それが晒されたのはきっと。

 不用意に仁がフラフラと近付いたから。

 

 一定の距離を保つという暗黙の了解を超えてしまったから。

 だから我慢できなくなってしまった。

 

「仁は、どうなんですか」


 その問いかけ。

 当然聞かれる物だ。

 

「貴方は私の事、どう思っていますか……?」


 好きだった。

 今でも大切な友人。

 

 そんな言葉は望まれていないと分かっている。

 シャーリーが望んでいる言葉は分かって。

 それは六年前なら……いや、四年前までなら簡単に言えたもので。

 

 だけど今は言えない。

 

「俺は、今でも令が好きなんだ」


 代わりに逃げる様に、一つの真実を告げた。


「知ってます」

「なら何で」


 こんなことを言いだしたんだという仁の言外の問いかけはシャーリーに届いたらしい。


「言ったでしょう。奪い取ってやるって」


 ソファーに座ったまま。仁の肩が押される。

 シャーリーの身体が近寄る。

 距離を保とうとして仰け反って――遂には下に敷かれる。


「もし令さんがいたら、こんな事しませんでしたよ。でも、仁。認めてください。もう――」

「言うな」


 仁の右手が指輪を握り締める。

 

「それだけは言わないでくれ」


 今きっと自分は情けない顔をしていると。仁は自覚する。

 それでも言わずにはいられない。

 他人の口から、令がもういないのだとは聞きたくなかった。

 

 仁の右手にシャーリーの手が触れる。

 そっと解くように。その固められた拳に指が割り込んでくる。

 

 薄暗い部屋の中でシャーリーの金髪が妖しく輝く。

 

「私を見て下さい」


 濡れた瞳が仁を覗き込む。

 

「令さんだけじゃなくて、今ここにいる私を、見て下さい」


 右手に指が絡む。

 シャーリーの指が、歪んだ指輪に触れた。

 

 戦場でも感じた事のないパニックになっていた仁の頭が、その微かな衝撃で覚める。

 

「シャーリー……軍曹」


 その呼び名に。

 シャーリーも冷や水を浴びせられたように動きを止めた。

 

「俺は、今でも令を愛している。不義理は働けない」

「私の事は嫌いですか?」

「そう言う話をしていない」

「だったら押し返してください。乱暴に振りほどいてください。私に、諦めさせてくださいよ」


 ああ。ダメだと仁は思う。

 どんな形であれ、シャーリーはここで決着を着けようとしている。

 距離を、今の中尉と軍曹から変えようとしている。

 近づくか、遠ざかるか。

 そのどちらかであっても今の様な中途半端は終わらせられるとばかりに。

 

 そうなってしまえば、望まぬ結末しか用意できない。

 

 本当に良いのかと。

 心の中で六年前の自分が囁く。

 構わないと。

 二年前の自分が言い放った。

 

 そして現在の自分は――。

 

「おとーさん? しゃろん……?」


 眠たげに目を擦りながら、澪がベッドから這い出てくる。

 

 行動は早かった。

 二人とも、特にシャーリーはお前本当に整備士かと突っ込みたくなる程機敏に身体を起こしてソファーに座る。

 仁も戦場で見せる反応速度の限界を更新する様な勢いでソファーへと座る姿勢に戻す。

 

「ふたりともよふかしはだめなんだよ……」


 半分夢の中の澪は口元をもごもごさせながらそのような事を言って、リビングにふらふら歩いてくる。

 

「すまんすまん。うるさかったな」


 澪の乱入によって、シャーリーの告白は有耶無耶になってしまった。

 だが、無かった事にはできない。

 

「……ごめんなさい、澪ちゃん、仁。急用を思い出したので私、これで帰りますね」

「あ、おい」

「かえっちゃうの……?」


 目が半分閉じたままの澪の質問に、シャーリーは背を向けたまま答える。

 

「ごめんなさい。また、来ますから……」


 荷物を手にしてナノマシン洗浄ボックスに駆け込む。

 

「軍曹……」

「おみおくりする……」

「澪はもう寝ような」


 澪をベッドに押し込んでいる間に、シャーリーは顔も見せずに帰宅する。

 送っていく……何てことはできる筈も無かったけど。

 

 中途半端に関係を壊してシャーリーは立ち去って行った。

 

「……あのバカ」


 結論が保留となった事。

 それに紛れもなく安堵している自分自身がいることに、仁は目を逸らした。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 あれから一週間。

 もうすぐ澪の夏休みも終わる。

 

 その間、シャーリーは東郷家に来なかった。

 

 それどころか。

 訓練校でも仁はシャーリーに会ってはいない。

 

 会って何を言えば良いのか。

 仁も分かっていないのだが。

 だが何かしら結論は出さなければいけない。

 

 今の、中途半端に壊れた関係は仁にとっても居心地の良い物ではない。

 

 壊し尽くすのか。

 再び新たな関係を構築するのか。

 

 そしてあの時。

 現在の自分は何を選ぼうとしていたのか。

 その問いに答えを出さなければいけない。

 

「おとーさん、また変な顔してるよ」

「む……」


 全く、と仁はここしばらく頭を悩ませるシャーリーの事を考えて溜息を吐く。

 

 皮肉な事だが、シャーリーが願ったように、今の仁はシャーリーの事ばかり考えている。

 もしもここまで考えて駆け引きしているのだとしたら――今の仁はシャーリーの術中に嵌っていると言えた。

 

「ねえねえ。おとーさん」

「何だ澪」

「コーヒーに塩入れるの?」

「……大人はそうやって飲む物さ」

「おーそうなんだ」


 この一週間。

 自覚は無かったが仁は完全にポンコツだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 見事にかき乱されてるなw オートパイロット状態だと日常はポンコツでも、戦闘はエース級なんだろうなwww
[一言] 更新ありがとうございます。
[良い点] 100話おめでとうございます。
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