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UNTRUE  作者: 大石 陽太
1/1

雨無ルイ[1]

 空が青い。青くて、深くて、

「広い」

 授業なんて聞いてるよりも、こうやってボーッと空を眺めている方が何倍もマシだと浅倉昌晴(あさくらまさはる)は思った。

 黒板の前でだらだらと難解な言葉を並べる教師の声よりも、外にいる蝉のミンミンミンという、二文字の繰り返しの方がよっぽど耳に入ってくる。

 延々と、永遠に続くかに思えたこの億劫な時間も時計を見れば残り五分。

 生徒も教師もチラチラと落ち着かない様子で時計を確認し始める。

「暑い……」

 今日は七月一日。

 ちょうど、十年前。世界の日常は大きく崩れたのだった。



 ☆



「ちょっと、アンタまた授業聞かずに外ばっか見てたでしょ‼︎」

 授業が終わると、クラスメイトの雨無(あまなし)ルイが昌晴の机を叩いた。

 昌晴は何も聞こえないかのようにルイの声を無視する。

「ちょっと! 聞いてるの! コラッ! 返事をしろーー!」

「聞いてるよ、ずっとずっと、嫌になるくらい」

「ならどうして無視するのよ!」

「俺には無理だから」

「またわけ分かんないこと言ってる。アンタいい加減にしないと将来大変よ」

 ルイは毎日同じ台詞を同じように言う。昌晴も同じように無視して同じように会話をする。

「話を聞けーー!」

 ルイの顔を横目で見た昌晴からの返答はなかった。



『サヨナラァッ』



 一日も終わり、後は帰宅するのみとなった。

 ぞろぞろと教室を出て行くクラスメイトに混ざり、そのまま帰宅しようとするが、後ろから何者かに服を引っ張られる。

「待ちなさい」

 振り返ると、雨無ルイが昌晴の服を掴んでいた。

 昌晴はとても面倒だなと思った。ルイが自分に話しかけてくるときは説教か、何かの手伝いを頼むときだけだった。頼むといっても、断れば無理矢理手伝わされる。こうやってルイに絡まれたら、その時点で逃げることはできないのだ。

「今度は何をすればいいんだ」

「何それ。私がアンタに何か頼みごとするみたいな言い方じゃない」

「しないのか?」

「する」

 悪びれもせず答えるルイに昌晴は内心で大きなため息を()いた。

「何をすればいいんだ」

「鶴。弥生(やよい)ちゃんの分、誰かが折らないといけないから」

 伏し目がちに話すルイに、昌晴はさっきよりも大きなため息を吐くのだった。なるほど……そういうことか。

「じゃあ、二十五羽ずつでいいな。終わったらすぐに帰るから」

「放課後に女子と二人きりになれるんだから、少しは喜びなさいよ。モテないわよ」

「…………へっ」

「今、笑ったわね! 笑ったわよね⁉︎ 今‼︎」

「放課後に女の子と二人きりで鶴を折れるなんて、ボカァは幸せものだー」

「ちゃんと感情を込めているのが腹立つ……」

 気がつけば教室に残っているのは昌晴とルイだけになっていた。

 ルイから折り紙の束をもらった昌晴は鶴を折り始める。鶴を折ることにも、すっかり慣れてしまった。それでも、やはり自分から進んで作ろうとは思えなかった。

「んー、まだまだね。大雑把過ぎるのよ。雑」

 黙々と鶴を折っていた昌晴の、前の席にルイが座ってきた。昌晴は何事かと一瞬固まった。

「なんでそこに座るんだよ」

「だって話しにくいじゃない」

「無理に話す必要はないだろ」

 昌晴の言葉にルイは鼻で笑って答えた。

「別に私がどこに座ろうが自由でしょ。どうせ皆、いないんだし」

「納得いかね……」

 ルイはその後、昌晴の机に鶴が十羽並べられるまで何も喋らなかった。てっきり何か話したいことでもあるのかと待ち構えていた昌晴は喋り出す気配が一向に感じられないルイに我慢出来ず話しかけた。

「そういえば、上野のやつ一羽も折らずに……折らなかったんだな」

 昌晴は失敗したな、と思った。こんなことなら話しかけるんじゃなかったとさえ思った。

「弥生ちゃん、鶴は家で折ってくるって言ってたから家には五十羽あったのかもね」

 ルイが努めて、声に感情を乗せないようにしてるのが伝わってきて、昌晴はまた後悔した。

「なんで千羽鶴折ろうってなったんだっけ」

「さあ、よく覚えてないけど、どうせ真島君がやろうって騒いだんでしょ。彼の提案は、中身スカスカなのにひどく魅力的に感じるから」

 大吾がルイによく思われていないことはよく分かった。

 真島大吾(まじまだいご)。クラスのムードメーカーで野球部のキャプテン。ウチのクラスでおかしなことが始まったら、それは間違いなく大吾が先導したものだ。

「大吾らしくないな千羽鶴なんて」

 きっと二十人のクラスで一人が五十羽折れば千羽鶴が出来るからちょうどいいとか何とか誰かが大吾に言ったんだろう。

 昌晴は心の中でため息を吐いた。

「彼らしさなんて、本当は誰も知らないのかもね」

 意味深長な言葉を呟くと、ルイは椅子から立ち上がった。

「はい、終わり! アンタも終わったら私の机の上に置いといて」

 それじゃ、と鞄を持って帰ろうとするルイを昌晴は慌てて引き留める。

「お、おい! お前、手伝わせといて自分だけ先に帰るつもりか⁉︎」

「アンタが遅いのがいけないのよ。まさか、私と一緒に帰りたいとか思っちゃったりしちゃったり?」

「そんなわけないだろ! いい加減にしろ!」

 ルイはわざとらしく顔をムッとさせた。

「あっそ。だったら別にいいでしょ。先に帰るわ」

 お疲れー、と小さく手を振ってさっさと教室から出て行ったルイの足音が徐々に遠くなって、最後には聞こえなくなった。

「もう二度とあいつの頼みは聞かない……」

 昌晴はそう心に誓った。



 しかし、最初こそ早く帰りたいという気持ちが強かったものの、放課から半時間。ここまでくると逆に帰るのが面倒になってくる。鶴も二十羽まで折り、残り五羽。夏場は日が沈むのも遅く、特に早く帰る理由も見当たらなかった。

「はぁ……」

 誰もいない教室を見渡す。また、席が一つ減り、席順が微妙に調整されている。

「嫌な世の中だよ……全く」

 文句を言いつつ、鶴をだらだらと折っていく。特に拘りもなく、かといって早いわけでもない、最低限の丁寧さをギリギリ下回る出来。でも、これはこれで味があって……ないな。

 鶴を折り終わった頃には放課から一時間も経っていた。流石にだらだらし過ぎたと昌晴は少しだけ反省した。

「帰るか……」

 出来上がった鶴を何回かに分けてルイの机の上に運ぶと教室を後にする。

 窓の外を見ると太陽が少しだけ東の空に傾むいていた。空なんて、いつも同じで雲があるだけなのに、デジャヴを感じないのは何故なのだろうか。

 窓の外ばかり見ていた昌晴は、自分以外に足音がもう一つあることに気づいた。前を見ると、見覚えのある顔が窓の外をボーッと眺めながら歩いていた。

 その女は昌晴に気づかず進んでくる。昌晴はそれをあえて避けずに見ていた。一体どこで気づくのか気になったのだ。

 女子は気づく気配を微塵も感じさせず真っ直ぐ、直進して、一直線に進んでくる。昌晴が、そろそろ気づくだろうな、と思ったラインを悠々と越えて、女子は昌晴にぶつかった。

 やっと昌晴に気づいた女子は間抜けな顔で、間抜けな声で言った。


「わ、びっくりした」


 俺のセリフだよ、それは。

 昌晴は叫び出しそうになる自分を全力で抑えた。



 ☆



「なんか飲む? 今なら出血大サービスで五本までなら奢るけど」

 自販機の前で飲み物を選びながら聞いてくるクラスメイト、雨無ルイに昌晴は力無く答えた。

「五本って……自己破産する気か……? お前」

「失礼なことを平気な顔して言うわね。アンタみたいなやつのことを世間様では鬼とかサイコパスって呼ぶのよ」

「俺の顔を見ろ……どこが平気な顔なんだ……」

 正直、暑さで苦しかった。

 屋内にいたときは気づかなかったが、今日は太陽がよく仕事をしている。汗は止まることを知らず、体から力が抜けていく。まるで地獄だ。これでもまだ本調子ではないというのだから夏は恐ろしい。

「んー、いつもそんな感じじゃない? アンタの顔って。ほいっ」

「いつもこんな感じだったら俺はとっくに死んでるよ。ってなんだこれ」

 ルイが投げてきた缶には『みそ汁(期間限定増量中)』と、安っぽいフォントでデカデカと書いてあった。それも冷たい。

「何って、見れば分かるでしょ。みそ汁よ、みそ汁」

「俺が言いたいのは、数ある飲み物の中から何故、これを選んだのかってことだ!」

 昌晴の質問にルイは、どうでもよさそうに答えた。

「みそ汁美味しいでしょ。だからよ。それに、今なら具が二倍らしいし」

「期間限定増量って具のことかよ……道理で重い」

 ルイは持っている缶の蓋を開けると左手を腰に当てて顔を空に向け、中身を口の中に一気に流し込んだ。

「プハーッ! やっぱ暑いときは飲まなきゃやってられないわよ!」

 心底、美味そうな顔をしているルイに、昌晴は手の中でみそ汁缶を転がしながら言った。

「で、お前、何してたんだよ。部活もやってないのに」

 昌晴の質問にルイは露骨に嫌そうな顔を向けてきた。

「それ、答えなきゃダメ?」

「いや、強制ではないけど……ただ、なんとなく気になっただけだし」

 本当にただ、なんとなく、ここで聞いておかなくてはいけない。そんな気がしただけだった。

「実は……」

 俯くルイは態とらしく暗い声で喋る。

「実は?」

「先生に手伝い頼まれちゃって色々してたら遅くなっちゃって!」

 ルイは後頭部をさすりながら、語調を急に明るくした。というより、いつも通りに戻した。

「なんだ、それだけかよ」

「うん、それだけ。がっかりした? 何か特別な秘密とかなくて」

「いや、別に。そんなことだろうと思ったよ」

「ま、優等生だからねー私は」

 ベンチに腰掛ける昌晴の隣に足を組んで座ったルイの手元を見てみると、『豚汁(期間限定増量中)』とみそ汁缶と同じように書かれた缶が握られていた。

「お前みたいな優等生、俺は嫌いだよ……」

 首の力を抜いて、空を見上げると相変わらずの入道雲が相変わらずの空を相変わらず陣取っていた。

「ねぇ、アンタってさ。クラスメイトがいなくなっちゃってどんな感情なの、今」

 ルイが何気なく口にした話題は昌晴が一番触れないようにしていたものだった。

 本来なら言葉を選んで、慎重に話さなければならないのだが、暑さに当てられていた昌晴は、いつものように何も考えずに話してしまった。

「別に……。クラスメイトが一人いなくなった。それ以上でもそれ以下でもないな。少なくとも俺の中では。今時、珍しいことでもないしな」

 そこまで言い切ってしまったところで、昌晴はやってしまったと思いルイの方を見た。ルイは豚汁を飲みながら空を眺めていた。

 ルイは缶を口から離すと、手元の缶をゆっくりと振りながら言った。

「なるほどねぇ……まぁ、弥生ちゃん、アンタとはあんまり話さなかったしね」

「そうだな……」

 上野に限らず、昌晴はクラスメイトとほとんど話さない。浮いているわけではないが、特別親しい友人がいるわけでもない。クラスに飾られている掲示物のような存在なのだ。

「あれから、十年かー。早いわね、時が経つのって」

「……そうだなぁ」

 昌晴は小さな嘘をついた。この十年は昌晴にとって永遠にも感じるほど長かった。そして、それは今も続いている。

「それじゃあ、私行くわ。今日は手伝いさんきゅ」

「お、おう……。じゃあな」

 そう言うと、ルイはあっさり帰っていった。疲れを見せる気配がないな、あいつ。

「あ……」

 昌晴はさっきまでルイが座っていた場所に豚汁缶が置かれていることに気づいた。

 缶を振ると、まだ中身は少量だが入っている。

「…………」

 缶の開け口を見つめる。なんだこの状況は……。これじゃあ、まるで俺が雨無と間接キスをするかしないかで葛藤しているみたいじゃないか。そんなことは断じてありえない。

「あー! やめだやめ! こんな飲みかけの豚汁一つに踊らされてたまるか」

 昌晴は豚汁缶を勢いよく掴むと、口に触れないように缶を口から浮かせて一八〇度傾けた。これなら、間接キスにもならず、豚汁が無駄にならない。ざまあみろ!

「がっ……あれ」

 しかし、豚汁が一向に出てこない。このおかしな現象の原因を、缶に書かれた『期間限定増量中』の文字と開け口で詰まっている大量の具が教えてくれた。

「くっ……俺は豚汁とあいつに負けたのか……」

 膝から崩れ落ちた昌晴は、静かにみそ汁を喉に流し込んだのだった。











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