魔王と神の使いたち(3)
夕暮れが遠くの空を染める荒野で、アルシアとトメクは対峙する。
アルシアはその両手に剣を握り、トメクは堂々たる構えで拳を握っていた。
「このイカれた世界をあるべき姿へ戻さなきゃなんない。そのためには、魔王に死んでもらわないとなんない」
「……ぬかせ。俺が死ねば真の平和になる根拠など、どこにあるというのだ」
「あるさ。だって、それが定義だからね。君の死が証拠になるんだよ」
「そう言われて首を差し出すわけなかろう。全力で抵抗させてもらうぞ」
「やれるもんならやってみなよ」
「その減らず口、二度と叩けないようにしてやる」
そう息巻いてはみたものの、アルシアは内心焦っていた。
テンタリオフレイムが無効化されたとなれば、その他の魔法攻撃が通じないのは確実。
ウラキラルの忠告が本当ならば、物理攻撃も、恐らくは無為に帰すはずだ。アルシアが繰出すあらゆる攻撃手段は意味を為さないと考えるのが妥当。
その前提を踏まえたうえで、それでも攻略するためにはどうするべきか。
トメクを凝視したまま、アルシアは必死に頭を働かせる。
「…………っ」
「どうした魔王。威勢がないな。まさか怖気づいたのか?」
「ぬかせ。そんなわけなかろうが」
じり、と嫌な汗がアルシァの額ににじむ。
「どうした? さっきの魔法が全力だったか? だとしたら本当に勝ち目ないけど」
善を背負うにはあまりにも似付かわしくない、酷薄な笑みを浮かべるトメク。
テンタリオフレイムに込めた魔力が瞬間最大火力だと知ったうえでの挑発だ。
相手をしてやるつもりはないが、それにしても憎たらしいことこの上ない。
「まったくもって残念だが、アレを堂々と受け止めた挙句に無傷でいる貴様を喜ばせる手段は思い当たらん。まぁ、俺は魔法よりも肉弾戦が得意だからな。案ずるな、存分に楽しませてやる」
「……ふーん。そっか。魔法があの程度かぁ。そりゃあ本当に残念でならないな。そこが知れちゃったなぁ。ってなわけで趣旨を変えようか。僕はねぇ、無駄だと分かったうえで無様に攻めてくるのを相手するのが好きだけど、それよりも――」
トメクが掲げた右腕に青白い燐光が収束し、明滅する。
そして、
「逃げ回る鼠にスリルをくれてやるのも大好きなんだよ――ねッ!」
右手の中指と親指で音を鳴らした。
「――ッ!?」
咄嗟の判断でアルシアはその場から真後ろへ飛び退いた。
瞬間、空間が爆ぜる。
轟音が炸裂し、荒廃した大地と大気を揺らす。
アルシアは即座に剣を振るい、真空刃を放つことで相殺を試みるが、
「ぐ、うっ――」
充分ではない。
トメクが引き起こした爆発によって四方八方へと散らばる余波が生みだす乱気流に飲まれ、抵抗虚しく宙へ巻き上げられる。
視界がめまぐるしく錯乱する。眩暈を覚えるには充分な酔いに、思考回路が鈍る。
(ただでさえ今日は調子が悪いというのに、開幕からこの調子では――ッ)
ここからどう撤退を図るか、などと考える余地もなく、
「なーにやってんの。君の実力、そんなもんじゃあないでしょ?」
続く爆炎。
第二波はアルシアの至近距離で爆ぜた。
即応など到底叶わず、爆風をまともに浴びたアルシアは荒野に屹立する大岩に打ち付けられる。
「ごはっ――」
弾丸の如く飛来したアルシアの五体を受け止めた大岩に、ひび割れた花火が咲く。
肺から漏れた空気を求めて喘ぐ口から朱が吐き出される。
「歯ごたえないねぇ。ってなわけで、今度は一瞬くらい天国でもみてきな、よっ!」
瞬く間に眼前まで迫っていたトメクが、青白い燐光を纏った右腕を肘から捻り、アルシアの水月へ叩き込む。
鍛えようのない内臓へ直接響く、急所を突く掌底。
「ぐ、ふっ――」
身体の内側が抉られ、骨肉が軋み、破砕する痛覚に飲まれてアルシアの意識が飛ぶ。
それも一瞬。
トメクの掌底波によりぶち抜かれた岩肌ごと地面に叩き付けられ、無理矢理覚醒させられる意識が再び痛みを認識し、激痛がアルシアの全身を駆け巡る。
「あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
内臓と骨がぐちゃぐちゃになった、形容しがたい激痛が全身に走る。
左腕は岩盤との激突の衝撃でおかしな方向に曲がり、その肩も脱臼していた。
どてっ腹に穴が空いたような感覚と、込み上げる嗚咽感。
それに任せて口を開けば出てくるのは濃い紅の鮮血。
常人であればとっくに生きてはいないはずのダメージを受けて、それでも気を保っていられるのは魔王ゆえか。
いっそ意識を失うことができればどれだけ楽だったろう。
端からさして持ち合わせのなかった戦意は根こそぎ削ぎ落とされ、立ち上がることもままならない有様。
「もう終わりかい? 呆気ないなぁ……これじゃあ勇者と変わらないじゃん」
「…………はっ、ほ、ざ…………け、っ…………」
「ほざいてるのはそっちだろう? まったく、楽しむ前の余興だってのになぁ……」
たった二回の魔力解放による極小規模の爆発と、単純な掌底を見舞っただけ。
それだけで、ラストリオンを三百年も納めてきた魔王は地に伏してしまった。
「つまんねーの」
トメクは地面に唾を吐く。
数百年も生きた魔王と聞いて少しは遊べると愉しみにしていたのに、梯子を外された気分だった。いっそこのまま殺してしまうこともできるけれど、このまま素直に殺ってしまえば任務完了となり、仕事場へ帰還しなければならなくなる。
折角、自分が管理する世界で自由気ままに羽を伸ばせる機会に恵まれたのだ。もっと愉しまなくてどうする。仕事を忘れて好きなようにあちこちを歩き回れるだなんて、百年に一度あるかないかだ。それを一時の感情でふいにしてしまうのはもったいない。
あまりにも、もったいない。
足元に転がっている虫ケラは放っておいても誰かが拾いにくるだろうと勝手な目星を付けたトメクは、胸元から葉巻を取り出して口にくわえた。
指を鳴らし、小さな火花を目と鼻の先で炸裂させて火を灯す。
「このまま殺すのはひとまずやめだな。挨拶はできたし、良しとするか」
遠くの空に浮かぶ夕陽に纏わり付くようにゆらりとくゆる煙。背後にくたばるはこの世界で最強と謳われた魔王。
「うめぇなぁ……」
味気はないが、肺に染みこむ歯の香りは何物にも代えがたい。
まして、普段よりも幾分か手足を動かしたともなれば。
「……なぁんて余韻に浸ってると陽が暮れちまうか。勇者も消しちゃったし、今日は野宿するしかないかなぁ。そんなわけだから魔王、またね。くれぐれもここで野垂れ死にしないことを祈ってるよ」
雌雄は決したとばかりに、トメクは翼を広げ、南の空へと飛び去っていく。
「く……そ……が…………」
気まぐれで命だけは助かった安堵と蓄積したダメージから、アルシアはやがて意識を失った。