魔王と神の使いたち(1)
「どこから話すのがいいのかなぁって色々考えてたんだけど、やっぱり最初は魔王が手をこまねいている勇者のことだろうね」
瘴気を外へ逃がすため、ドアと窓を完全解放した応接室にて。
ウラキラルがそう口にすると同時、アルシアは目を見開いた。
「貴様、勇者のことを知っているのか!?」
「知ってるもなにも、こうも厄介な勇者をラストリオンに送り込んでしまった原因の一端は私にあるからね」
「奴らは一体なんなのだ……」
「彼らはラストリオンを文字通り救済するために異世界からやってきたんだよ」
「異世界だと? ラストリオン以外にも世界があるということか?」
「ざっと百以上」
「ま、まさか……なんという……」
「そこに興味を持つのは当然だけど、肝心な話じゃないから割愛ね」
「む、むぅ……」
外の世界があるなど知る由もなかったアルシアにとっては興味がそそられる話だが、ウラキラルに話す気がないのであれば、この場はひとまず置いておくしかない。
「話を続けるよ。ある世界から別の世界へ渡り歩く人のことを、私たちは便宜的に『異世界転移者』とか『異世界転生者』って呼んでる。勇者はそうしたやつらの一部に過ぎないわけだけど――」
「待て。なんだその、異世界転移だの異世界転生だのというのは。聞いたことがないぞ」
「意外といるんだけど、魔王城に来なかっただけじゃないかな? そもそも名乗ったところでメリットなんかないし。あんたらが知らないだけで、そういうやつらの大半は静かに暮らしてるはずだよ」
「では、どうして勇者だけがその例から漏れるのだ? 大人しくにしていればよかろう」
「そこが本題ってわけ。勇者だけは事情が違って、魔王を倒して平和を手に入れるという使命を背負って、異世界から無理くり飛ばされてきてるんだよ。魔王を倒した暁には願いをかなえてやるとか、そういうご褒美とセットでね。世界設計上、そういう決まりになってるんだ」
「世界設計? そういう決まり? なんだそれは……」
「ラストリオンが、そういうルールで動いているってこと。世界が闇に包まれたら、勇者が悪の大王を倒す。これはどんな世界でも共通する大原則。魔王が存在する一方で勇者の不在が長く続けば、外から強引にでも持ってくるしかない。この世界はいま、そんな状況なわけ」
ウラキラルが語れば語るほどアルシアの知らない話が出てくる。
世界設計だのルールだのと、さもそれが当然であるように話をされては、もはやアルシア一人の手に負えるものではない。
「……セラよ、申し訳ないがエルレをここへ連れてきてくれないか? あいつがいたほうがいい。俺たちだけでは理解が追い付かなさそうだ」
「仰せつかりました。すぐに戻りますね」
セラが応接室から出て行くのを確認してから、アルシアは一つの疑問を口にする。
「違う話をしよう。ウラキラル、といったか。貴様が左の杯と名乗る以上、右の杯に相当する存在がいると考えて間違いないな」
「うん。その通りだよ。トメクっていけ好かない奴なんだけど、ラストリオンの善を司る調界者をやってる」
「なるほどな。追々、トメクという輩の話もしてもらうことにする」
「言われなくても話すつもりだよ。なにせ私がここに来た理由の一つは――」
「アルシア様、エルレを連れて参りました」
深刻そうな表情でウラキラルが先を続けようとした矢先、エルレを連れたセラが戻ってきた。
「アルくんってば、人使いが荒いよー」
「すまんな。だが、エルレがいなくてはどうしようもない話になりそうだったからな。来てくれて助かったぞ」
「…………ま、まぁ、アルくんがそういうなら、仕方ない、かな……」
他意のないアルシアの謝辞に、エルレは照れくさそうにそっぽを向いた。
「どうやら必要なメンバーは揃った感じだね。それじゃ、話を続けるけど」
セラとエルレがアルシアの左右にそれぞれ座り、ウラキラルの話に耳を傾ける。
「ラストリオンの外からやってきた勇者たちには、魔王を倒すという使命を刷り込ませているという話をしたけれど、まずはそれについて」
「おお、なんだから面白そうな話になってるねぇ……」
途中から入ってきたエルレが驚きの声を上げる。
「エルレさんには申し訳ないけど、このまま話を続けるよ」
咳払いをしたウラキラルは、居住まいを正して滔々と続ける。
「魔王を倒して平和を手に入れろという刷り込みは、勇者が転移してくる際に、仕事仲間のトメクがやっているわ。それが彼の仕事だから。転移先の世界を救えば元の世界に戻すとか、願いを叶えるとか、そういうことも全部、トメクの権限でやっている」
「なんとも奇妙な話だな。しっかりと仕事分担はあるわけか……」
「勇者とか転移とか、そのあたりについてはまだ細かいことがあるけど、ひとまずはこんなところかな。トメクの役割を紹介したところで、次に私の役割についてだけど……これは言うよりも見せるほうが早いかな? というわけで、とくとご覧あれ」
ウラキラルは一呼吸置くと、椅子の横に置いてあった鞄から羊皮紙を取り出し、それをテーブルの上に広げてみせた。
「なんだこれは?」
「私の仕事道具」
「……なにやら細かい数字があちこちに書かれているが……ポーションの生成図表か?」
眉間に皺を寄せて羊皮紙を凝視するアルシア。
「いいや……アルくん、これはポーションなんてちゃちな代物じゃないよ」
アルシアの疑問に答えたのは、ウラキラルではなく、エルレだった。
「紛れもない人体構成図表だ。それも、魔王級のものなんじゃないかな……」
「なっ……」
驚きに目を瞠ったアルシアは羊皮紙を手に取り、そこに記された内容を読み取ろうと試みる。
しかし、文字は見たこともない記号の羅列で構成されており、アルシアには露程も理解することができない。
「エルレ、どうしてこれがそうだと分かった」
「ボクも研究のために下級魔族の構成図表を作ることがあるからね。図表全体の作りが似てるんだ。だけど、これはすごい複雑だ。ただの魔族のそれじゃない。だとしたら、この話の流れからしてアルくんのものなんじゃないかなって」
「エルレさんをここへ呼ばれたのは賢い判断だったみたいね」
ご名答、と言わんばかりにウラキラルが頷いた。
「まさしく、これは魔王の生成図表そのもの。魔王アルシアに限らず、歴代の魔王はすべてこの構成を基本パターンにしてるわ。筋肉や図体、翼や角、表皮や手足の本数なんかを毎回アレンジしてはいるけれどね」
「貴様、そんななりでこんな芸当ができるのか……」
「私のこと、ちょっと小馬鹿にしてたでしょ」
「っ…………」
じり、とアルシアに顔を近づけるウラキラル。
図星だったこともあり、アルシアは思わず目を逸らす。
「……まぁ、そう見られるのは慣れてるからいいけどね。そういうわけで私の仕事は紹介したとおり、魔族の王を生み出すこと。レシピは調界者に代々伝えられている配合率があって、好みで毎回その塩梅を変えてるの。ここがみそね」
「……なるほど。図体も違えば考え方も異なるようにしているわけか」
「あんたは結構難産だったのよ」
「見ず知らずの貴様にそんなことを言われると寒気がするな……」
「本当のことなのに失礼しちゃうわね、まったく……」
両親の記憶がしっかりと残っているだけに、生みの親と創造そのものをした者が違うという感覚は受け入れがたいものだった。
まして、精神年齢は明らかにアルシアよりも下であろう存在に。
「……なんか変な視線を感じるんだけど」
「いや……なんだ、その……なんでもない」
「気になるから聞きたいことあるなら言ってよ」
「……なら、失礼を承知で聞くぞ。貴様、何年生きている」
「なぁんだ。そんなこと。この世界の時間軸で計算すると、ざっと八百年くらいよ」
ざっとアルシアの三倍近く生きていた。
「すまなかった…………」
「まぁ、そもそも寿命の概念なんかありゃしないんだけどね。これでも調界者の中じゃあわりかし新参だし」
ならばその性格や口調は、未だ新参だからこそ赦されているものなのか。
あるいは調界者と呼ばれる存在の多くがウラキラルと同じような調子なのか。
どちらにしても長くは関わりたくない相手であることに違いはない。
「聞きたかったのはそれだけだ。続きを聞かせろ」
「なんだか釈然としないわね……。まぁいいわ。とりあえず、事前に知っておいてほしいことは一通り話したわ。ついてこれてる?」
「まぁ、一応は。ただ、理解することと納得することは別だぞ。実際、俺は半信半疑だ」
ウラキラルの話は、エイリーク十三世が独自に掴んだ情報と酷似しているという意味では、信憑性がまるでないわけではない、という程度だった。
事前に似たような話を耳にしていなければ混乱していたのは間違いない。
「ボクはいまのところ平気だよ」
「流石はエルレだな……。初めて耳にする話だというのに」
「まぁ、これくらいはできないとね。呼ばれた以上、期待には応えたいし」
そんなふうにけろりとしているエルレとは対照的に、
「アルシア様。あたしにはさっぱりですわ」
小難しい顔を浮かべて必死についてこようとしていたセラは音を上げる。
「無理しなくていいぞ。こういうのはエルレの専門領域だ。こんなことを言っている俺とて、充分に理解できているか怪しいぐらいだしな」
「申し訳ありません。では、この場はエルレに一任します。あたしは客間の準備をして参りますね。ウラキラルさんは今宵はここに泊まられるのでしょうし」
「頼んだ。とはいえ、疲れているのであれば無理はするな。家臣にやらせておけ」
「お気遣い、ありがとうございます……」
早朝からエイリークへ同行したことと、ウラキラルが垂れ流す瘴気にあてられたこともあるのだろう、ふらふらとした重い足取りでセラは応接室を後にした。
「さて……、一通りの説明が済んだところで本題に移ってもらおうか」
こうも厄介な勇者をラストリオンに送り込んでしまった――そう溢したことを忘れてはいない。
本当のところ、ウラキラルの仕事やアルシア自身の成り立ちなどは二の次。
アルシアが真に抱いている関心はただ一つ。
「勇者というイレギュラーにどう対処すればいいか、それを教えろ」
「そうだよね。大事なのはそこだよね……」
紫闇の瞳を細めたウラキラルは、観念するようにゆっくりと口を開く。
「正直、こればかりは、魔王にどれだけ謝罪をしてもしきれないっていうか……うん、ほんとごめんって感じなんだけど」
露骨に暗い顔を見せるウラキラルは、深々と頭を下げた。
「どういうことだ」
「勇者の対処とか、そういうことの前にね、ちゃんと理解してほしいんだけど……。実は私、あんたの善悪の考え方を構成するときに、その配合率を間違えちゃったんだ。善の成分を多めに入れすぎたの」
「それが今回の件とどう関係するのだ」
要領を得ない謝罪に困惑するアルシァ。
しかし、ウラキラルの謝罪は、徐々に核心へと迫っていく。
「あのね……魔王って、世界を滅ぼそうとする悪者の親玉なわけ。それが普通なの。イレギュラーなのはあんたのほう」
「…………はっ?」
「まぁ、その反応になるよねぇ。わかっていたけど…………はぁ」
鉤爪の生えた右手で頭を抱えてみせるウラキラル。
深い溜息が応接室の空気を重く濁らせる。
「魔王でありながら世界の平和を目指してしまった。人間との共存社会を構築するという理想を描き、実現してしまった。平和という状態を創り出してしまった。つまり、魔王としてあってはならないことをしてしまった」
「あってはならない……だと?」
「世界平和ってのは、魔王の不在が前提なの。善なる心を抱く勇者が魔王を討ち滅ぼし、世界の危機を救ってこその世界平和。世界が定める平和の定義に、魔王はいらない」
「……ああ、そういうことか」
合点がいったと、エルレが膝を叩く。
「そこで矛盾が生じたというわけだね。世界は平和な状態なのにアルくんが依然として存在している……そんな矛盾を解消するためにラストリオンが異世界から勇者を呼び込んでいる」
「そういうこと。けれど、いまのままじゃあ勇者が魔王を倒すことは永劫に叶わないわ。それは誰の目にも明らかだと思うけど」
「だろうな。戦力差があまりにも離れすぎている。寝首を掻かれても、勇者の剣捌きでは俺の肉体に傷の一つも付けられまい」
「勇者よりも倍速で魔王が強くなりすぎてるってことも問題なんだけど」
「当たり前であろう。世界の支配者たる俺が誰よりも貪欲に強さを求めることはなにもおかしなことではない」
「それはバランスが崩れてるってことなんだけど、きっと、善の成分が混ざり過ぎた影響なのよね……」
胸を張って断言するアルシアだったが、ウラキラルは浮かない顔をしたままだった。
「……とにかく、平和だというのに魔王が存在し続けるという状況が災いして、この世界は狂いはじめてしまった。神が定めた世界の在り方から外れてしまっているの」
「このままこの状況を放っておくとどうなるのだ?」
「……残念だけど、いずれ神が問答無用で世界そのものを消し去るわ」
「なっ……………………………………」
アルシアは絶句する。
自分の存在そのものが平和のために不要と言われたも同然。
ラストリオンで誰よりも平和の実現に邁進してきたというのに、結末がこれでは、あまりにも酷い仕打ちだ。
非情にも程度というものがあるはずだが、これはあまりにも度が過ぎている。
「冗談にしては、辛辣すぎるな……」
アルシアがようやく絞り出した声は、震え、擦れていた。
「あらかじめ定められた役割に従ってその生をまっとうせよ、と聞こえはいいが、要は、もはや俺はこの世界に不要ということだろう?」
「……魔王が消えれば、この世界は正常に戻る」
「一つ聞いていいか? 勇者ども、死に際になると破壊不可能なオーブに包まれるのだが、あれも勇者を守らんとするラストリオンの意思なのか?」
「あれはトメクが施したものよ。魔族には絶対に破ることができないわ。どれだけ高火力な魔法や威力のある物理攻撃も、あんたが放つ限り通じはしない」
「そう、か……」
魔王であるアルシアには、どう足掻いても勇者を滅ぼすことは不可能ということだ。
しかし、それもいまとなっては些末な問題になり下がってしまった。
「……ウラキラルよ」
「うん?」
「俺は貴様の話を信じた訳ではない。だが、受け止めなければならないということは理解した」
エレルの調査報告書や、エイリーク十三世がもたらしてくれた情報と仮説。
それと酷似するウラキラルの話。
もはや戯言と切って捨てることはできない。
「……流石は魔王。普通、こんな話をされたら平静じゃいられないってのに」
「ハッ……褒められたところでなんの感慨もないわ。この状況、もはや手詰まりだろう。俺に勇者は倒せん。そして俺が倒れない限りラストリオンに真なる平和は訪れない。放っておけば神が世界もろとも消し去るという。ならばどうすればいい?」
「…………そんなの、決まってるじゃない」
「――ッ!?」
突如として襲い掛る体の知れない威圧感に、アルシアの額から大量の脂汗が吹き出る。
激しい悪寒に背筋を震わせながら、対面に座るウラキラルを見やる。
彼女の佇まいに別段変わったところはない。
しかし、その双眸から光が消えかかっていた。
紫闇のなかに覗く、明確な殺意。
敵意すら宿さない。
純粋かつ静謐な、殺戮の意志。
「いくら魔王といえど、創造主たる私には敵わない。創った以上、処分の仕方もきちんと弁えてるわ。それじゃあ、早速始めようか」
「なっ……い、一体なにをするつもり――ッ!」
アルシアが瞬きをした刹那、座っていたはずのウラキラルの姿は視界から消え、
「こういうこと」
背後に回っていた彼女は、アルシアの喉元に自らの尻尾――蛇の牙を突き付けていた。
「アルくん――ッ!?」
「近づかないで」
「う、ぐっ…………」
ウラキラルに睨まれてしまい、エルレの喉がぴくりとも動かなくなってしまう。アルシァの命を天秤にかけられてしまった以上、下手に動くことはできない。
「っ…………俺を、どうするつもりだ」
「あなただけ死んで、世界の定める平和へと軌道修正するか、このまま破滅のときまで偽りの平和を過ごし、来たるべき神の審判を待つか。その選択は、ラストリオンの魔王アルシア、あなた次第よ。もっとも、その性格からして後者を選ぶなんてこと、できないと思うけど」
「…………は、はは。それで脅しているつもりか」
「いいえ。これは脅しじゃない。取引でもない。私なりのけじめのつもり。この事態を招いた私なりに考えた、不始末の付け方ってやつ」
「なるほどな……二択を俺につきつけるあたりが慈悲ということだな。なんとも他人任せなもんだ。反吐が出る」
「…………」
「貴様が俺の部下であれば優秀な右腕になったろうに……残念でならないな」
「……さぁ、早く決めなさい。死ぬ? それともこのまま無為に生きる?」
「阿呆か貴様っ! ここで死ぬなど無理に決まっているだろうがっ!」
さも当然とばかりにアルシアは言い放つ。
「俺が死ねば平和が訪れる? そんなわけあるか! 残された魔族が暴動を起こすに決まっているだろうが! そうすればまた世界は戦火に包まれる! それくらいのこと、赤子でも分かることだぞっ!」
「……期待外れ。まぁ、でも、その決断は尊重するわ」
ウラキラルが、ふ、と殺気を消し、アルシアの首元に突き付けた蛇の頭を引っ込める。
拍子抜けするほどあっさりと。
しかし、そこに先程までの戯けた調子はどこにもない。これこそが本来とも取れる、怜悧で冷酷な表情を浮かべたままだ。ただその場にいるだけで気を狂わせるような瘴気が再び彼女の周囲を漂いはじめる。極めて異質な、純然たる悪の波動そのもの。
「覚えておいて。私がこの場であなたを殺さなかった以上、トメクはなり振り構わずこの世界をあるべき姿へ戻すために猛威を振るう。そして、いまのあんたに彼の行動を止める術はない……」
「トメクとやらにも、俺の攻撃は通用しない、ということだな」
「それがわかっていて、あんたどうして……」
「……ふ、ふふ」
淡々とした口調でそう告げるウラキラルに、少しだけ余裕を取り戻したアルシアは気丈に笑ってみせる。
いや、余裕なんんてものはない。
笑っていなければ、完全にウラキラルの威勢に飲まれてしまうから。
ただ、それだけの理由だった。
「……フハハハハハッ! 望むところだっ! ここのところ手応えのない勇者ばかり相手にしていて退屈していたところだからなっ!」
そんな様子のアルシアを見て、
「せいぜい足掻くといいわ。そして、すべてを悟って絶望した暁に死にたいと思ったのなら、いつでも相手してあげる」
ウラキラルは冷酷に、そう告げるのだった。