魔王と奪われし仲間たち(1)
ラストリオンの南西――魔王城からほど遠く、世界の中心に位置する大都市エイリークから南西の位置にあたるカルーアの村、その外れにある高台のテント内にて。
「…………はぁ」
魔王アルシアとの邂逅から数日が経ち、さしたる行動もせずに漫然とした日々を貪るように過ごしている左杯のトメクは、中々寝付けずにいた。
「これからどうするかなぁ……もっとちゃんとプランを立ててくるんだったよ……」
口から漏れるのは後悔と溜息。
それもそのはず。
魔王を倒してしまえば歪んだ平和の浸かっている世界は修正され、元通りになる。
そうなればトメク自身、ここに留まる意義をなくし、仕事場へと戻らなければならない。
神が管理するあらゆる世界に善を与え、悪なる者とのバランスを保つという、調界者としての役目。勇者や正義の味方を作り出しては、彼らの人生に使命と役割を与え、各世界の善悪のバランスを調整する――簡単に言ってしまえばそれだけのこと。
たった数年で要領を掴んでしまったトメクにとっては、ただただ退屈でしかない仕事。
二百年ばかしやってきて、いい加減飽きてきたまである。
しかし、出世しない限りは都合千年も勤めなければならない。転職も配転も不可能。
仕事を投げ出して調界者としての職務を放棄すれば、この魂そのものが神によって断罪され、消滅する決まりだ。だから、逃げ場はない。
悪ふざけも厳禁な、最低最悪の職場。遊ぶための創意工夫を施す余地もない形式的すぎる仕事ばかり。どうにかして些細な楽しみを見つけないと心が死んでしまうと危機を感じるほどに機械的な日々。
公私ともに半ばヤケになっていた、そんなある日のことだった。
いくつかの世界の悪を管理する先輩の一人――ウラキラルがお粗末なヘマをしでかしたことが発覚した。ラストリオンが平和になったというのに、魔王が生きているという、それはそれは馬鹿げた話だった。
見れば見るほど歪な有様に、事態を知ったトメクは目を疑った。魔王を倒す以外に選択肢はないほどにおかしな具合になっていた。自分の管理不行き届きな面も否定はできないが、それにしたって、と思ったものだ。
勇者不在で魔王健在。しかし、魔族が人間を襲わない。
平和であることが災いし、魔王を倒そうと立ち上がる者がいない。
他の調界者の百人が百人、これはおかしいだろうと指摘した。
ウラキラルはこのミスを挽回するためにラストリオンへ強制的に送り込まれたようなものだ。この歪な状況を解消するには魔王を消し去ればいいだけなので、任せておけばじきに解決する問題。
けれど、トメクはこう考えた。
――これを自分がどうにかしてしまえば上手く功績を挙げられるんじゃないか?
そうしてウラキラルの汚名返上を手伝わせてくれないかと神に具申したところ、感触も上々だった。もし成功すれば、五十年ばかり職務免除もしてやると確約までもらった。
この条件に乗らない手はない。
それこそ、トメクが直々にラストリオンへ降り立った理由だった。
テントの中で寝袋に包まるトメクは、収まりの良い場所を探して寝返りを打つ。
「もうちょっと魔王も強けりゃ楽しめたんだけどなぁ……ありゃあ想定外だったなぁ……」
数日前に腕慣しのためアルシアと遊んでみたが、数百年も生きていると人間と同じように老化でもするんだろうかと疑ってしまうほどの弱さだった。
あれなら、気が向いたときにいつでも倒せる。魔王城の位置も把握した。
今頃、律儀に作戦会議でもやっているだろうか。
それともまだ眠ったままだろうか。
たった数発、挨拶代わりに見舞っただけだが、瀕死に追いやった手応えはある。
ウラキラルが魔王を貧弱に作っていないことを祈るだけだ。
「ほんと、どうするかなぁ……」
微睡みがやってくるのを待ちながらそんな思考に耽っていると。
不意に首筋あたりに刺したような小さな痛みが走った。
そして、不意に漂いはじめる殺気で飛び起きる。
それと同時、
「――ッ!?」
無数の鉄杭が驟雨さながらに降り注いだ。
回避することなど到底不可能。
完全なる不意討ち。
徹底的な殺戮を遂行せんと降り続く鉄杭はそれら同士がぶつかり合い、宵闇に歪な金切りの音色を響かせる。
「結果はもはや見るまでもありませんね」
山の如く積み重なった鈍色の頂上に立つは、月光を受けて艶やかな麦水のごとく煌めく髪を夜風に靡かせる魔族――熾天のセラ。
彼女が唱えたのは、対象の心臓を抉るまで無限に招来する必殺の魔法――心穿の杭雨。
肉を断ち骨を穿つ鉄杭は、追尾の効果が付与されている。よって、何者であろうと躱すことはできない。この魔法を前にして五体満足であった存在は皆無。
かつて人間と魔族が争いを繰り広げていたかの大戦においても、誰一人として人の形を保った者はいなかった。
いくつもの死山血河を築き上げたてきたセラの十八番ともいえるそれを受けて。
「不意討ちだったの?」
「なっ……」
「あはははははははははっ! まさかっ! この程度でっ!? あは、はははははっ!」
トメクが甲高く嗤う。
積み上がった鋭利な鉄ごと宵闇を切り裂くように。
「そんな…………っ」
「それじゃあこれはお返しだ」
微かに響く、ぱちん、という小さな破裂音。
「っ!?」
鼓膜を揺らす微かな音を捉えたセラは、危険を察知した本能の赴くまま、咄嗟に鉄杭の山から飛び退く。
それと同時、目と鼻の先が煉獄の火炎柱に包まれる。
その光景にセラは絶句するしかない。
なぜならそれは、ラストリオンでアルシアたった一人だけか詠唱可能な魔法――テンタリオフレイムそのものだったからだ。
そして柱が消え、どろどろに溶けた鉄杭の中心に浮かびあがるは、五体満足で静かに佇む天使のシルエット。
「挨拶にしては少々乱暴だね。行儀もなってない。どんな教育を受けて育ったんだい?」
「…………まさか、本当に無傷だなんて」
「決まっているだろう? 僕は善を司る調界者だ。その口振りからすると、僕には魔族の攻撃が一切通用しないってこと、魔王から教えてもらったのかな? ということは、目を覚ましたってことか。そりゃあ良かった。心配してたんだ」
「ど、どの口がそれを言うっ!」
「いやぁ……、だってやりすぎちゃったしね。あの程度で死なれちゃ僕も仕事に戻らないといけなかったから。そうなると残念だなぁ……ってさ、あはははははははっ!」
けらけらとせせり嗤うトメクがぽきぽきと首を鳴らす。
「暗殺しようとしたみたいだけど、甘い甘い。対象を殺める意思すら殺してこそだってのに、殺気がだだ漏れだ。平和ボケして腕が鈍ってるんじゃない?」
「……っ、言わせておけばっ! 煉獄火炎っ!」
怒りに任せ、セラは詠唱。
空間が裂け、そこから大蛇のように唸る火炎の波が出現。
煉獄を操るセラの右手は、まるでオーケストラの指揮者が優雅に指揮棒を振るうよう。
詠唱者の意のままに蠢く煉獄はたちまちトメクを包み込む。
「これでもう、あなたは逃げられない……っ!」
「へぇ……この程度でどうするつもりさ?」
「っ……」
灼熱に飲まれてなおも平気な声を出し続けるトメクを前に、セラは息を飲む。
しかし、それも一瞬。
この展開は予期していたこと、とむしろ開き直り、
「こうするのよっ!」
右手を握りしめる。
すると、セラの右手に合わせて螺旋を描いていた地獄の炎が、トメクの身体をきつく縛り上げる。
その姿は、十字架へ磔にされ処刑を待つ罪人の如く。
そしてセラはすぐさま左手で宙に五芒星を描いてみせる。
「羅刹の山羊に命ずる。闇よりの大鎌にて彼の臓物を斬獲せよ――斬首の一閃!」
セラの声に応じ、再び空間が割れる。
宵闇より這い出てくるは、悪魔の権化である紅の三つ眼を宿した黒山羊。
その両手にはラストリオンに棲息する最硬の巨龍をも一薙ぎで両断できるといわれる極大の死鎌。
「さぁ、極刑の時間よ……極上の一品を召し上がりなさいっ!」
セラはそう命じながら、左腕を大きく斜めに振った。
その動きに合わせ、黒山羊が大鎌を振りかぶる。
抗う術などあるはずもない。
煉獄火炎の鎖はしっかりとトメクを捉えて放さない。
必中は揺るがない。
(決まった……っ!)
心穿の杭雨とは比べようもない魔力を込めた一撃。魔の者による攻撃が無力化されるといったところで、所詮はトメク自身が施した強化でしかない。
ならば、ラストリオンではなく、魔界から召喚した真の悪魔であれば通じるはず!
そんなセラの願いが込められた大鎌が、吸い込まれるようにトメクの肩を目掛けて袈裟に振り下ろされ、その肢体を両断――
「ざぁーんねん」
することなく、甲高い破砕音をたてて粉々に砕け散った。
「君たちより上位の魔族だろうと、悪魔の化身である以上は無駄だ」
「嘘、でしょ…………っ」
すべてを一撃に注ぎ込んだセラは、その場にへたり込んでしまう。
魔力欠乏により姿を保てなくたった黒山羊は黒霧となって消滅。
トメクを縛り上げていた火炎も威力が弱まり、瞬く間に霧散していく。
「どうやらそこまでのようだね。もう手がないと見た」
猛攻をすべて受け止めて涼しい顔をしたトメクが、その瞳に妖しい光を湛えて、ようやくセラと目を合わせた。
「くっ…………」
「さぁて、このまま殺してしまうのもつまらないよね。奇襲を仕掛けてきた報いはきちんと受けてもらいたいし、僕としても無闇に魔族を倒すつもりはないし……くぁぁ、眠い」
連日の不眠不休そのままに挑むなど無謀だったか、とセラは後悔する。
斬首の一閃すら通じないとは、予想だにしなかった。
心穿の杭雨の奇襲が失敗し仕留めきれなかった時点で潔く退散をすればよかった。
けれど、トメクは暢気に欠伸をしている様子だ。
あれだけ隙があれば、目を離した瞬間に気配を消して逃げることもできる。
「あ、そうそう。逃げようたって無駄だよ。きみ、もう、指一本まともに動かせないはずだから――ねっ!」
「――っ!?」
トメクに言われ、ようやく気付く。
脚も、腕も、どころか唇さえ動かせない。
なぜ、どうして。
「油断しちゃあ駄目だよね。僕は一応、この世界の住民からすれば創造主に近いんだ。だから、ある程度の魔族だったらウラキラルじゃなくても一睨みで使役できてしまう。対象の意思に関係なく、ね」
トメクの語りに耳を貸すことなく、必死に手足を動かそうとしてみるが、神経が乗っ取られてしまったかのようにぴくりともしない。
「……そうだ。いいことを思いついた。折角こうして魔王の手先を捉えたんだから、これで存分に遊んでみようじゃないか」
「…………っ」
「痛いことはしないから大丈夫。なぁに、ちょっと僕のやるべきことに協力してもらうだけだから。心配はしなくていいよ。すぐに楽しくなれるからね。なぜなら――」
凄惨な笑みを浮かべながら獅子の右手をセラの額へ突き付けたトメクが、謳うように、奏でるように、声を鳴らす。
――魔王のかわいい子猫ちゃん。正義の味方ってのは、気持ちがいいものなのさ。




