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・文字を習えと言われたので、

 

「殿下そろそろいいでしょうか、皆さんお待ちです」

 わたしが唸っている横でキューヴが遠慮がちに声を掛けてきた。

「ああ」

「では、お呼びしますね」

 殿下が答えると、キューヴが姿を消す。

「とにかくお前はここに座っていろ」

 殿下に椅子を示されわたしはしぶしぶその場に腰を落ち着けた。

 それを目に殿下は満足そうな笑みを浮かべる。

 

 ……やっぱり、いい。

 この笑顔見ているだけでとろけそうな気分になる。

 

「お前、読み書きは? 」

 なんて見とれていると突然真顔で訊かれた。

「えっと…… 

 自分の国の言葉なら、普通程度にはできるけど」

 思わずわたしは言いよどむ。

 さっきアゲートと話をして、新しい文字を覚えるのは面倒だって思ったばかりだったのに。

 正直ここへ来てから文字らしいものを目にしていないからわからない。

 ここからほとんど出ていないこともあるけど、身近に本や週刊誌どころか新聞さえない。

 アゲートは書庫があるって言ってたけど。

 書庫は…… 

 避けていたからなぁ…… 

 まさか漢字と平仮名コラボの日本文字使ってくれている訳ないよねぇ…… 

 この国の雰囲気から言って、いいところ英語とかヨーロッパ言語辺り? 

 それだってわたしの希望的予測にしか過ぎない。

 

「魔術と一緒に、そっちも習得してもらわねばならぬかもな」

「あのね、だからわたし…… 」

「いずれ国王付きになる予定の魔女が書状一つ読めないのでは都合が悪い」

 逃げようとする前に言葉を封じられた。

「そんな嫌そうな顔をするな」

 しっかり顔に出ていたみたいで言われた。

「……そうだな」

 殿下が何かを言いかけた時、身なりのいい中年の男が数人螺旋階段を上って現れる。

「お帰りなさいませ、殿下。

 早速ですが…… 」

 男は軽く片膝を折り、礼を尽くすと、挨拶もそこそこに話をはじめる。

 話の内容はおおよそ、荘園の収穫量がどうかとか。

 やっぱり王様ってただ王座に座ってふんぞり返っていればいいってもんじゃないみたい。

 殿下は男の話に耳を傾けた後、一言二言何かを言っている。

 その男が下がると間を置かずに次の誰かが現れる。

 皆、いい身なりで言動も礼儀正しいところからそこそこ以上の身分だって事だけは判断できた。

 

「殿下、これで終わりです」

 何人目かの男が下がるとキューヴが告げた。

「そうか、今日は少なかったな」

 言いながら殿下は立ち上がる。

「疲れただろう、もういいぞ」

 わたしを見下ろしながら言って笑顔を向けてくれた。

「わたし、何にもしてないんですけど…… 」

 殿下の顔を見上げてわたしは呟いた。

「初めてだし、こんなものだろう。

 ただ座っているだけでも肩が張ったのではないか? 」

 

 まぁ、そうなんだけどね。

 しかも話の内容が全くわからないと来ては退屈きわまりないところなんだけど、とりあえず殿下の顔がずっと見ていられたから…… 

 

「時間が空いたし、来い。

 その辺りを案内してやろう」

 殿下がわたしに手を差し出した。

「いいの? 」

 もちろんわたしの顔が満面の笑みになったのは言うまでもない。

「ああ、お前、ここへ来てからろくに外出していないんだろう? 

 嫌ならいいんだが」

「嫌なんて言ってない」

 わたしは殿下の手を握り締めた。

「では、馬の用意をしてきますね」

 キューヴが先に部屋を駆け出してゆく。

「行くか」

 殿下に伴われて螺旋階段を下りる。

 下り始めて早々にペチコートのレースが足に絡まった。

「きゃ! 」

 軽く傾く躯が前のめりにつんのめる。同時に引力には逆らえず全体がそのまま転がっていこうとしていると察し、無意識に小さな悲鳴が上がる。

 だけど、予想に反してわたしの躯は階段の下にまで転がり落ちることはなかった。

「…… 」

 大きながっしりとした腕がわたしの腰にまわされ今にも落ちそうになった躯を支えてくれていた。

 その体勢のせいでこれ以上ないほど殿下の顔が近くにある。

 思わず心臓が跳ねた。

「ありがと…… 」

 お礼を言いながら顔を見上げると殿下は何も言わずに呆れたような顔をしている。

「お前、どういう育ちをしたんだ? 」

「どういうって普通…… 」

 

 答えながら考える。

 普通の意味がこの場合きっと違うんだよね。

 アゲートだって料理人のおばさんだって、ボリュームは少し落ちているけれど、床までの長い丈のスカート平気で穿いて歩いている。

 そのことから考えて、この長さのスカートが『普通』

 対するわたしの基準だとせいぜい譲っても膝下までだもん。

 

「……慣れるように努力します」

 わたしは首を竦ませると殿下の顔を上目遣いに覗き込む。

「そうしてくれ…… 」

 言っている殿下の顔は何故か苦笑いを浮かべていた。

 

 外壁のアーチを潜って外階段を下り中庭に出るとすでにキューヴが馬具を付けた馬を引き出していた。

「お供いたしますか? 」

 手綱を殿下に渡しながらキューヴは訊いてくる。

「いや、いい」

 言うとわたしを抱きかかえるようにして馬に乗せ城門を出る。

 

 門を潜ると同時に視界が開けた。

 今までずっと塀に囲まれた閉鎖空間に居たから、その光景の変化は息を呑むほど感動的に思えた。

 どこまでも広がる丘陵地帯。

 のんびりと草を食む家畜。

 ここではなんていうのかわからないけど、多分牛と羊みたいな生き物。

 その反対側にはたわわに実をつけた小麦と同じような草が穂を垂れている。

 それがずーっと見渡す限り続いている。

 視点の高い馬の上から見ているせいか広く見えるような気がする。

 ほとんど人工物とは思えないような茅葺の素朴な小さな家が所々に点在している。

 来た時にも思ったけど、どこか外国の田園風景に似ている。

 きっと人の数より家畜の数のほうが多いんだろうな。

 なんて思える。

 

 わたしは胸いっぱいに大きく息を吸い込んだ。

 後れ毛を撫でてゆく風が気持ちいい。

 無意識にわたしの顔が綻んでゆく。

 そんなに窮屈な思いをしていたつもりはなかったんだけど、こうして開放された場所に出てくると羽根が伸ばせた気分だ。

 

「外出を禁じた覚えはなかったのだが。

 それとも、供を言いつけた者が嫌がったか? 」

 馬の手綱を握ってゆっくりと歩かせながら殿下が言う。

 ……誰に止められた訳じゃないけど外出する気にはならなかったんだよね。

「だって、まるっきり知らない場所で、勝手がわからないんだもん。

 どこへ何しに行っていいのかわからないし、お金だって持ち合わせてないし…… 」

「すまない、放っておいて悪かったな。

 お前を縛るつもりはなかったんだが…… 」

「と、言うか。

 その前に、供って何? 」

 わたしは殿下の顔を見上げる。

 供をつけるってこと事態すでに縛っていると思うんだけど。

「一応、念のための用心だ。

 大事な魔女だからな、何かあっては困る」

 そう言われてわたしの胸が思わずきゅんとする。

 

「虹色の空、見えないね」

 思わず赤く染まってしまっていると思われる顔を見られたくなくてわたしは話題を変える。

 わたしがここに来た時広がっていた三つの月が並ぶ虹色の空。

 だけど今の空は普通に青い。

 ついでに月も二つだ。

「ああ、あの場所は聖域だからな。

 何故かあの場所でだけ虹色に見える。

 あの場所以外で同じ辺りを見渡しても普通の空の色だ」

 殿下が説明してくれる。

「そう、なんだ」

 ……少し残念。

 どっちの方向かわかれば、帰ることができたかも知れないなんて、なんとなく思ったんだけどな。

「何だ? もしかして、行くつもりだったとか? 」

 う…… 読まれてる。

 わたしは返事ができなくて思わず俯いた。

「止めておけ。

 あそこにはロク鳥が居るからな」

「ロク鳥って? 」

「あの聖域を護る守護鳥みたいなものだ。

 至極凶暴であの場所に足を踏み入れた人間を見ると見境なく襲って喰うという話だ。

 無闇に足を踏み入れれば喰われかねない」

 そういえば、あの時もそんなことを言っていた。

 だから長居はできないとかって。

 実際あの時ちょこっと見えた姿は本当に人間をひとのみにできそうな大きさだった。

 わたしの躯は不意に身震いする。

「どうした? 」

 それを敏感に感じたように殿下が抱きしめてくれた。

 伝わってくる体温と心臓の鼓動。

 なんだかとっても落ち着く。

「大丈夫だ、あの鳥は聖域からは絶対出てこないから安心しろ」

 そっと耳元で呟いてくれた。

「あ、あのね。

 迎えにきてくれてありがとう。

 あのまま誰も来てくれなかったら、わたしどうなっていたか…… 」

 気が動転していたせいですっかり忘れていた言葉を口にする。

 殿下が迎えにきてくれたから、こうして鳥に食べられることもなく、高級なものを着せてもらって、食べることにも寝るところにも不自由しないでこうして居られるんだ。

 って、改めて思う。

「いや、こっちこそ、すまぬな。

 本当は返してやれれば一番いいのはわかっているんだが」

 そう耳もとでつぶやいてくれた。

「そういえば、先ほどの話の続きだが…… 」

 思い出したように殿下が口にした。

「何? 」

「その、読み書きの話だ。

 さっきも言ったように、私付きの魔女が読み書きもできないのでは都合が悪い。

 場合によっては誰か教師を手配しよう」

「う…… 

 それって、決定? 」

 わたしは思いっきり嫌そうな顔をしてみせる。

「勉強は苦手か? 」

「苦手っていうか、あんまり好きじゃない…… 」

 この年齢になって言う言葉じゃないけど。

 すぐに帰るつもりだから、できることなら無駄な学習はしたくない。

 殿下が困ったようにわたしの頭のすぐ側で息を吐く。

「殿下が…… 」

「何だ? 」

「殿下が教えてくれるんなら、やってもいいか、な…… 」

 困惑気味なその顔に罪悪感が浮かんで思わず、駄目を承知で言ってみる。

 わたしをあの砦に連れ帰って以来、殿下の居るホールにはひっきりなしに誰かが出入りしているし、さもなければ出かけてしまう。

 相当忙しいらしいことは想像がついた。

「そうだな…… その必要があれば、

 毎日というわけには行かないが、暇のあるときには見てやろう。

 私が駄目な時にはキューヴでいいか? 」

 殿下の手がわたしの頭をくしゃりと撫ぜた。

「ついでに馬にも乗れるようにしておくか? 

 いざと言うときには役に立つかも知れぬし。

 移動手段が徒歩と馬車だけなのは都合が悪い」

「それも殿下が教えてくれる? 」

 調子に乗って言ってみる。

「時間があるときだけでよければな…… 」

「ホント? 」

 わたしは殿下の顔を見上げる。

「ああ」

「じゃぁ、がんばってもいいかな」

 殿下は満足そうに笑みを浮かべた。

 

 

「おはようございます。珊瑚様」

 翌日朝食を取るためにホールに下りると、キューヴが満面の笑みを浮かべていた。

「う…… 」

 なんだか嫌な予感がして、わたしは朝の挨拶もそこそこにたじろぐ。

「殿下から言われています。

 今日から珊瑚様に読み書きを…… と」

 キューヴはポットからお茶を注ぐとそのカップをわたしに差し出す。

 

 昨日の今日で早速? 

 

 カップを受け取り、それを口に運びながらわたしは顔をしかめる。

「済みません、お茶渋味でも出ていましたか? 」

 そのわたしの顔に勘違いをしてキューヴが訊いてくれた。

「そうじゃないの。

 お茶はおいしいのよ。いつもの通り」

 わたしは慌てて言う。

「昨日殿下とその話をしたばかりなのに早速なのかなぁって思って…… 」

「はい、殿下が仰るのに、この先魔力が覚醒したら珊瑚様には他にもしなくてはいけないことができてしまうので、その前にしっかりと読み書きできるようになっていただきたいと…… 」

「はあ…… 」

 わたしはこれ見よがしに大きなため息をついた。

「いかが致しました? 気が乗らないようですが」

 キューヴがわたしの顔を覗き込む。

「それは…… 」

 確かに自分で承諾したんだけど、ほとんど殿下の笑顔に誘発されての流れだったので、今更ながらにそう言われると気が重い。

 おまけに肝心の殿下は姿が見えないところから見ると、まだ起きて来ないんじゃなくてもうすでにどこかに出かけてしまったんだと思う。

 

 ……安請け合いしなきゃ良かった。

 

 うっかり頷いて承知してしまったことを心底後悔した。

「では珊瑚様、お食事が終わったら早速書庫の方で…… 」

 すっかり冷めたスープを差し出しながらキューヴは言った。

 

 

「ここが、書庫? 」

 普段生活している二階から上ではなく反対に一階層分螺旋階段を下りた空間。

恐らくは一階部分に作られた部屋の一角でわたしは室内を見上げた。

 どうしてこういう妙な造りになっているのかわからないけど、砦の玄関にあたる部分は外に作られた階段を上がった二階部分になる。

 そこから室内の螺旋階段を通って下に下りた先、つまり一階になるはずの場所には出入り口がなかった。

 わたしには非常に非効率な建物に見えるんだけど…… 

「どうぞ、そちらにお座りください」

 窓の前ちょうど明かりの入る位置にしつらえられた小さなテーブルに添えられた椅子をキューヴは勧めてくれた。

 言われるままに椅子に座って改めて室内を見渡す。

 ここも上階と同じく漏斗状に空けられた小さな窓からの光が入り込み効率よく室内に広がっている。

 しかも角部屋らしく壁の二面に窓があるので結構明るい。

 窓のない壁に並べられた本棚にはぎっしりと本が並んでいた。

 とは言ってもその蔵書は図書館並とは行かなかった。

 せいぜい誰かの個人蔵書クラス。

 でもこれでもきっとこうして専用の部屋があるってことは蔵書の量はきっと多い部類に入るんだろうな。

 

「珊瑚様自国の文字は? 」

 部屋の中の光景を目にぼんやりとそんなことを思っているとキューヴが声を掛けてくる。

「ん、普通に…… 」

 言いかけてわたしは考える。

 昨日のスカートの丈もそうだったけど、わたしの『普通』がこの国の『普通』とは限らない。

「えっと、本を読むのに苦労しなくて、書類や手紙が書ける程度には」

「それなら大丈夫ですね」

 キューヴが顔をほころばせた。

「大丈夫って? 」

 首を傾げるわたしにキューヴはごく薄い一冊の本を差し出した。

「この国の、宗教の教典の一部なんですが…… 」

 言って背後から伸ばした手で頁をめくる。

 大きな装飾文字を先頭に大き目の活字が並び、反対側の頁には細かい筆で描かれた綺麗な挿絵が入っている。

「失礼とは思いましたが子供向けに書かれたものなので文章が簡単になっていますので、まずはこれから…… 」

「大丈夫? みたい…… 」

 頁の文字を見つめながらわたしはキューヴに呟いた。

 横書きになったその文字の列を追ってゆくと自然に意味が頭の中に入ってくる。

 言葉同様どういう理屈になっているのかはわからないけど…… 

「そう言うと思ってました」

 キューヴがふんわりと笑みを浮かべる。

「どういうこと? 」

 わたしは呟いて首をまわすとキューヴの顔を見上げた。

 アルファベットに似た横書きの文字は今までわたしが一度も目にしたことのないものだ。

 だけどここに来た時からあたりまえのように言葉が通じたように、文字も普通に読める。

「理屈は僕にもわかりませんけど、自国の文字の読み書きができた魔女は誰に教えてもらったわけでもないのに自然とこの国の文字が読み書きできるようなんですよ。

 僕の祖母もそうだったそうです」

 

「他の本、見てもいい? 」

 わたしは立ち上がりながらキューヴに言う。

「はい、構いませんけど」

 キューヴは首を傾げながらわたしの背後から躯を動かしどいてくれる。

 ぼんやりとわたしは書物の詰まった棚の前に行きその背表紙を見渡す。

 教典。

 伝承。

 国史。

 薬学。

 建築学。

 背表紙に書かれた文字でその本に記されているであろうことがおおよそ把握できる。

 手にとって頁をめくると内容の詳しい理解はともかく、おおよそタイトルどおりのことが書かれている。

 

「うん、多分大丈夫…… 」

 わたしは小さく呟くと頷いた。

 

 何かに呼ばれたような気がして他の棚に視線が動く。

 ここの棚だけ文字が読めない。

 わたしは無意識にその中の一冊に手を伸ばす。

 何だろう? この手触り…… 

 普通の紙じゃない。

「そこの棚の本は気をつけてくださいね。

 特にその羊皮紙を使った物は王宮にもない古い一点ものですから」

 キューヴが慌てて言った。

 羊皮紙なんて知識としては知っていたけど初めて見た。

 確か植物性の紙が考案される前に使われていたきわめて貴重な、それこそ公文書とか聖書とか絶対必要なものにだけ使われた無茶苦茶高価な紙だった筈。

 しかもそれに絵を書くカラーインクの材料が宝石を粉にしたものとか何とかって…… 

 これ一冊で一体いくらするんだろう。

 思わず手が震えた。

「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。

 この棚の本は歴代の魔女様たちが手ずから記されたものなのです」

 震えるわたしの手からやんわりとその本を取り上げながらキューヴは言う。

「じゃ、この本って魔女本人が自国の言葉で書いたとか? 」

「良くおわかりですね」

 キューブが笑みを浮かべる。

「ですから僕達にも読めないものがほとんどなのですが」

 どこのヨーロッパ言語かわからないけど明らかにアルファベットそっくりの文字が並ぶ背表紙。

 それを見渡すうちにわたしの視線が一冊に止まる。

 それほど厚くないその書物には背表紙がなかった。

 紐で綴じられ製本されたその本を手に取る。

「これ…… 」

 わたしの口から思わず声がこぼれた。

 多分日本語だ…… 

 縦書きに書かれた筆文字に近い続き文字。

 そのせいで所々の字しかわからないけど、明らかにわたしの知っている文字が並ぶ。

「そっか、わたしのほかにも居たんだ…… 」

 ポツリと口にする。

 なんだかその文字を見ているうちにものすごくなつかしい気分に苛まれた。

「どうしました? 」

「ううん、なんでもない」

 キューヴの問いにわたしは首を横に振る。

「珊瑚様は読み書きも習得済みだと、殿下には報告しておきますね」

 キューヴが言う。

「あとは、乗馬の方なんですが…… 」

「それは無理! 」

 思わずわたしは叫ぶ。

「馬なんて、写真やテレビで見ただけだもの。

 ここに来て初めて触ったし、乗ったの。

 せめて自転車でもあれば話は別なんだけど…… 」

 わたしは呟く。

 そんな話をしているとまたさっきのなつかしい思いが湧き上がりわたしの胸の辺りを締め付ける。

「……今日はここまでにしておきましょうか」

 そんなわたしの顔を覗き込んだキューヴが目いっぱい優しい表情で言ってくれた。

 

  


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