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・不思議な生き物に出会ったので、 

 

「珊瑚様。あまり遠くに行かないで下さいね」

「うん」

 キューヴの声に頷いて振り返り、わたしは首を傾げた。

 さっきまでごく普通の晴れ渡ったお天気だったのに、視界を白い霧が覆っている。

 そのせいで、自分の手元は何とかわかるけど、背後のキューヴの姿は見えない。

「キューヴ? 」

 声を掛けてみるけど変事がない。

「キューヴ、どこ? 」

 もう一度呼びかけてみる。

 わたしの声は深いミルク色の視界に溶けるように吸い込まれ消えてしまった。

 

 ……どうしよう。

 小さな不安がわたしの脳裏をよぎった。

 正直これだけ視界が真っ白になってしまったら、わたしの方向感覚じゃ、どっちが砦なのかわからない。

 

 わたしは唾を呑む。

 

 そういえば、こういう時は無闇に動き回るより動かないでやり過ごす方がいいっていつか何かの本で読んだことがあったような…… 

 

 うろ覚えの記憶がどこからともなく顔を出した。

 確か、この霧に覆われる前は普通の山里みたいな場所で、木が生い茂っていたわけでもないし。

 きっと、ここでやり過ごして霧さえ晴れてくれれば、何とか砦まで一人で帰れると思う。

 

 うん。きっとそうだ。

 

 わたしはそう決め付けると、かろうじて見える周囲を見渡し、どこか腰を落ち着けられる場所を探した。

 そのわたしの視界が妙なものを捕らえる。

 まるでミルクの中にそっくり浸かってしまったと思えるほどの不透明な白一色の視界の端で何かが銀色に光を放っている。

 ……なんだろう? 

 それはゆっくりとわたしの方に近づいてくるような気がした。

 じっと見つめていると、それがわかったのか銀色の光は距離を置いて止まる。

 

 ……何かに呼ばれたような気がした。

 

 声でも言葉でも音でもなく、脳内に直接語りかけてくる声でもなく、ただそんな雰囲気と言うか思いが伝わったと言うか…… 

 

 わたしは顔を上げ、距離を置いてそこにある銀色の光を見つめる。

 その呼びかけは確かにそこから発せられたような気がしたから。

 その思いに呼応するように無意識にわたしの足は一歩前に踏み出していた。

 そして更に一歩。

 何かに動かされるようにしてわたしの足は一歩ずつ、でも確実にその光の方に近づいてゆく。

 自分の意志ではないものに足を動かされているという感覚は明らかにあったけど、何故かそれが不快なものではなかった。

 むしろ胸の底に何か心地いいものさえ感じている。

 

 妙な感覚…… 

 

 そうして一歩一歩距離が近づいてくると、銀色の光は明らかに物の形をとり始めた。

 

 あれは…… 

 馬? 

 

 ううん、四本の長い脚に蹄が付いて割と長い首に面長の顔。首には鬣。だけど馬よりももっとずっと小さくて、ポニーよりもまだ一回り小さくて、でもポニーのようにずんぐりとしてなくて…… 

 強いて言えばサラブレッドをまだ華奢にして、そのまま小さくしたような。

 とにかくうっかり触ればこわれてしまいそうなほど繊細な姿をした小さな小さな馬によく似た生き物。

 でも馬じゃないって明らかに言えるのは山羊のような顎鬚にライオンの尻尾をしているから。

 それが自ら内側から光を放っているかのように白銀に輝いていた。

 そしてわたしが何よりも目を見張ったのはその生き物の額中央には一本のねじれた角が生えていたこと。

 

 ……なんて言ったっけ。

 

 どこかで見たことが…… 

 えっと、動物園とかじゃなくて…… 

 

 わたしは脳内の記憶をかき回して必至に思い出そうとした。

 

 そう、確か…… 

 想像上の生き物。

 御伽噺に出てくる。

 一本角の…… 

 

 イッカク!

 は、現実の生き物でその角がモデルになった…… 

 

 えっと…… 

 

「ユニコーン」

 誰かがわたしの頭の中に直接囁いた。

 

「そう、ユニコーン! 

 って、え? 」

 わたしは辺りを見渡す。

 その途端、目前の白銀の生き物と目が合った。

 

 ユニコーンは、何か物言いたそうにふっと目を細める。

「何? 」

 無意識のままわたしはその生き物に問い掛けていた。

 

 ユニコーンはついて来いというようにわたしに視線を向けたあとふいっと首を背後に振り、そして向きを変えて歩き出す。

 連られるように歩き出したわたしが付いてくるのを確認するかのように、時々耳を動かし、首をこちらに向け視線を送る。

 

 さっきと同じ、自分の意志とは関係なく動かされている感覚がはっきりあるのに、不思議と恐怖も不安も感じない。

 変わりに妙な安心感みたいなものがある。

 そのせいでこのわたしの意識としては想像上の生き物についてゆくのが全く嫌じゃない。

 

 どのくらい歩いたんだろう。

 

 かなり距離を歩いた感覚はあったんだけど、周囲が真っ白すぎて距離感がつかめない。

 

 キューヴ、今ごろ心配しているんじゃないだろうか? 

 

 そんな思いが頭の片隅をよぎった途端、ユニコーンは脚を止め、もう一度こちらを振り返った。

 そして何かをいいたそうな瞳でじっとわたしを見つめた後、自分の足元辺りに視線を落とした。

 

 そこにはもう一つの銀色に光を放つものが蹲っている。

 今にもこのミルク色の霧に溶けてしまいそうな弱々しい光にそっと目を凝らすと、わたしをここまで連れてきたユニコーンより一回りもふた周りも小さな赤ちゃんだった。

 大きなユニコーンはもう一度わたしに視線を送ると今度は子どものユニコーンの足元にそっと鼻面を近付けた。

 子どものユニコーンの顔が苦痛でもあるかのように歪む。

 

 もしかして、怪我でもしてる? 

 

 それで助けを求めてわたしのところに来た? 

 

 いやいやいや…… 

 そんなことはないとは思うんだけど。

 ほら、わたしここの人間じゃないし。

 明らかに違うと思うんだけど…… 

 

 でも、目の前の光景は否定してそのままにしておけるものじゃなさそうで…… 

 

「わたしで、いいの? 」

 

 そっと声を掛けてみる。

 ユニコーンの親は頷くと、少し距離を取るように子どもから数歩離れた。

 

 その動作を受け、わたしはゆっくりとその生き物に近づく。

 子どもは不安げな瞳を親に向け、そしてわたしから逃げるようによろよろと立ち上がり走り出そうとする。

 途端にその後ろ足が何かに引っかかるように引っ張られ、子どもの体は引き戻される。

 

 ミルク色の濃い霧のせいでわからなかったのだけど、触れられるほど側まできてようやくわたしは自分の呼ばれた訳に納得した。

 

 小さなユニコーンの足には細い針金が引っかかり蹄の上の方を締め付けている。

 そして針金の片方はどこか見えない部分につながっているようだ。

「これをとってもらいたかったんだね」

 わたしは子どもの側に座り込んで親を見上げた。

 

「ごめんね。痛かったよね」

 子どもを怯えさせないようにできるだけ穏やかにわたしは話し掛けてみる。

「すぐにとってあげるから、少しだけ動かないでいてくれるかな? 」

 もう一度声を掛けると子どもは不安そうに親を見上げる。

 けれど、さっきのように一目散に逃げ出そうとはしなかった。

 

 ……良かった。

 言葉が通じたみたいだ。

 

 わたしはとりあえず息を吐く。

 もし暴れられでもしたら、もう絶対わたしの手になんか負えないから。

 

 この生き物は聖なるものに属する生き物で、人間みたいな下賎なものに触れられるのを嫌がるとか何とか…… 

 

 名前と同時に、何時の間にか思い出していた知識が顔を出す。

 

 だったら、本当は触っちゃいけないのかも知れないけど。

 そんなこと言ってたら開放してあげられないから。

 

「ごめんね、ちょっとだけ我慢していてね」

 もう一度声を掛け、できるだけその生き物に触らないように、そっとその針金に手を伸ばす。

 

 酷い…… 

 

 何でこんなものが足に絡まってるのかと思ったら。

 先っぽが輪になっていて引っ張れば引っ張る程締まる仕組みになっている。

 その片端がどこかにつながっていることから察するにこれって、もしかして捕獲用の罠か何か? 

 もしこのまま無理に引っ張ったりしたら針金から先の蹄がちぎれてしまいそう。

 

 幸い、利口な生き物なのか、針金はそこまで深く足首に食い込んではいなかった。

 わたしはぴんと伸びた針金の先を手繰ってみる。

 ……イマイチよくわからない。

 何しろこの二三メートル先まで全く見えないような霧の中じゃ、自分の掌の手相だって見えるか見えないか。

 せめてペンチでもあればよかったんだけど…… 

 わたしが持っていたのは摘んだ葉っぱを入れるための小さな籠だけ。

「ごめんね。ちょっと触っていい? 」

 もう一度謝って、わたしは子どもの針金の絡んだ足に手を伸ばす。

 子どもがわたしの手に怯えひるんだように足を上げてくれたおかげで針金がかすかに緩んだ。

 小さなほころびにわたしは慌てて爪をかける。

 今にも折れそうなほどに華奢な足を掴んでもう少し引き寄せると、爪の掛かった針金にもう少し余裕ができた。

 今度はその余裕に指を押し込む…… 

 何度かその行為を繰り返し、右手の指四本が入ったところで、わたしはその指を引き抜き、同時に子どもの足を引き上げた。

 針金が蹄をすり抜け地面に落ちる。

「いい子だったね。

 取れたよ」

 声を掛けると子供は慌てて親の背中に駆け寄ってその背後に隠れてしまう。

 

 良かった…… 

 かろうじて、怪我はないみたい。

 

 その足取りを目にわたしは息をつく。

 

 それまで距離を置いていた親がゆっくりとわたしに近寄ると頭を傾げる。

 そのねじれた角がわたしの前に差し出された。

 

「触っていいの? 」

 そういわれたような気がして、そっと角に手を触れる。

 

 その途端。

 ユニコーンが急に頭に力をいれて下げる。

 

 パシン! 

 

 なにかガラスのような硬質なものが砕ける音がしたと思ったら、額の角が折れ、触れていたわたしの手の中に落ちる。

 

「なに? 」

 問うまもなく、ユニコーンはその角のかけらをわたしの手の中に残して子供と一緒に駆け去ってしまった。

 

 もしかして、お礼のつもりだったのかな? 

 

 本体から切り離されても尚銀色の光を放つそのねじれた角のかけらを目にわたしは呟いた。

 

 あんな綺麗なもの見せてもらって、すぐ近くまできて触れさせてもらって、それだけで充分だったのに…… 

 

 親子の消えた方角を目にわたしは呟く。

 

 

「居た、居た。

 珊瑚様、こんなところにいらしたんですか? 」

 声を掛けられふりむくとキューヴがこちらに向かってかけてくる。

 何時の間にか、腕を伸ばした先の指さえ見えない程に濃い霧はすっかり晴れていた。

「あまり、遠くまで行かないで下さいねって、いいましたよね? 」

 キューヴが僅かに眉根を寄せる。

「ごめんなさい。

 霧の中じゃ無闇に動いたら迷子になるから、動くつもりはなかったんだけど…… 」

「霧ですか? 」

 キューヴがわたしの言葉に、首を傾げる。

「だって、さっきまで一面真っ白で…… 」

「いいえ、今日は朝からよく晴れていますよ。

 霧なんか出ていませんけど? 」

 わたしの言葉にキューヴが答える。

「それって、どういう…… 」

「行きますよ、珊瑚様。

 砦からだいぶ離れてしまいましたから」

 わたしの言葉に首をかしげていたキューヴが歩き出す。

 でも、確かにさっきまでわたしは深い霧の中にいて。

 その証拠にドレスも髪もじっとりと湿り気を帯びていて…… 

 何よりもわたしの手の中には、さっきもらった、掌大の長さのねじれた角が握られて、銀色に光を放っていた。

「珊瑚様? 」

 振り返って、キューヴがその場に立ち尽くしたわたしを促す。

「あ、はい! 」

 わたしは慌ててその後を追った。

「珊瑚様。足元、気をつけてくださいね。

 そこに獣捕獲用の罠が仕掛けてありますから」

 歩きながらキューヴが指差した草の中には片側を輪にした針金が叢に隠すようにして仕掛けられていた。

 

 

 それから数日間、わたしはキッチンで花びらと草の葉と蜂蜜を水につけたものと、小麦粉その他と格闘した。

 ママがお得意の天然酵母の手作りパンの手法を思い出しながら。

 酵母からのパン作りなんて、ママのを昔手伝ったことがあるだけで、うまくできるかどうかは不安だったけど、どうしてもやってみたかった。

「今度の魔女さんは何をなさっておいでで? 」

 キッチンにいた人たちが興味深そうにわたしの手元を覗き込んでくる。

「なんにしろ珍しいよな。

 塔の一室に篭って薬草弄っていた魔女さんはいたけど…… 」

 なんて言って笑ってる。

 ここの人たちって本当に魔女に対する偏見みたいなものがないんだって改めて思い知った。

 

 

 三日ほど格闘し、何度か失敗した後、何とかようやくふわふわに膨らんだパンが焼きあがった。

 正直、ママが焼いてくれるものよりだいぶ劣るけど、そこは仕方がない。

 だってたまに手伝ったくらいでかろうじて手順を覚えていたのでさえ奇跡。主婦暦ン年のベテランに勝てるわけがないってもので。

「こりゃ、何だね? 」

 オーブンから出されたばかりのパンを目に、ものめずらしそうにキッチンにいた皆が集まってきた。

「パンだよ。食べてみて」

 わたしは焼きたてのパンを皆に振舞った。

「こりゃ、何かの魔法ですかね? 」

 ふわふわの食感に、誰もが目をまん丸にしながら訊いてくる。

「魔法だよ」

 その問いに答えてわたしは言う。

 

 ……そう、今のところわたしにも何とか使える魔法。

 

「女の子やお母さんなら誰でも使えるね! 」

 わたしは笑いかける。

 

 ここの文化や風習がどうしてわたしの知るところのこんなにちぐはぐなのかわかったような気がした。

 あちこちの異世界あちこちの時代からやって来た魔女と呼ばれた女の子達が少しずつ持ち込んだものだ。

 このドレスだって同じ、きっとロココの時代からきた女の子が持ち込んだもの。

 それをここの人たちは否定することなく全部吸収して取り入れてきたんだと思う。

「じゃ、わたしにもできるかい? 」

 いつもオーブンのまん前に陣取っている年かさのふくよかな女性、多分料理人が訊いてきた。

「うん。できたら覚えてくれると嬉しいな」

 これできっとあの時ダイニングにいたおじいちゃん。もう少し楽に食事ができるようになると思う。

 気に入ってくれるといいな。

 

 

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