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・パンを気に入ってもらえたので、

  

 アゲートに泣き顔を見られたくなくてわたしは部屋を出た。

 いつものように中庭の井戸の縁に腰を下ろす。

 この位置で見上げる空がこの砦の中で一番広い。

 抜けるように青い空には白い小さな月が一つだけ見える。

 昔からわたしが馴染んだ光景。

 それが、更にわたしの帰りたいって言う思いを深める。

 

「あの…… 魔女様? 」

 呼ばれて顔を上げると見知らぬメイド姿の女が二人わたしの前に立っていた。

「何か? 」

 多分王女の連れてきたメイドだと思いながらわたしは訊く。

 この人たちがわたしに用事があるなんて思えなかったから。

「お忙しいことは充分承知しておりますが、できましたらこちらのパンの焼き方を教えていただけないかと…… 」

 恐縮そうに切り出した。

「え? 」

 わたしは目をしばたかせる。

 

 それはわたしの仕事じゃないと思うんだけどな。

 

「実は、こちらのパンを姫様が酷くお気に召しまして。

 どうしても製法をと、お望みになりましたので。 

 キッチンの料理人にうかがったところ、魔女様に訊くように言われたのですが」

 

 さすがというか、料理人のおばさんわたしのことを立ててくれたみたいだ。

 その心遣いが有難い。

 

「かまいませんよ」

 言ってわたしは腰を上げる。

 

 ただ、酵母をおこすのには時間が必要で、それまで王女がここにいるとは思えない。

 わたしは二人を連れてキッチンへ向った。

「おばさん、酵母を少し分けてあげてくれる? 」

 ドアをあけると同時に声をかける。

「珊瑚ちゃんが言うんならかまわないけど」

 言っておばさんは奥から壷を取り出した。

 

「……気温にもよるんだけど、このまま七日くらい毎日空気を含ませるの。

 こんな感じに大きな泡が出てきたら出来上がりなんだけど。

 後は、これを粉と混ぜて…… 

 ……焼き方は皆がやっているのと同じよ」

 時間がなさそうだったので、料理人のおばさんがこねて寝かせておいた今夜のパン生地まで借りて説明する。

「ありがとうございます。魔女様」

 メイドの二人は嬉しそうな笑顔をわたしに向けてくれた。

 う~ん。

 この二人はわたしに友好的なんだけどな。

「でも、良かったですわ。

 姫様の嫁ぎ先の魔女様が気さくなお方で…… 」

 メイドの一人がふとこぼした。

「こちらの国には魔女がいると言うお話でしたから、どんなに恐ろしい方かと、私ども案じておりましたの。

 今回は私どもがご一緒しましたけれど、お輿入れとなれば姫様お一人でということになりますから。

 いくら王太子殿下がおやさしいお方でも、一緒にいらっしゃる魔女様が難しいようではと案じておりました」

 メイドは目を伏せる。

 

 外交の為に自分の意志とは無関係に嫁がされるってそういうことなんだ。

 見知らぬ国の見知らぬ人の中で一人ぼっち…… 

 しかも結婚なんていっても所詮人質なんだよね。

 自分の生まれた国との間に何かあったら一番先に殺される。

 

 なんか、隣国の国王の気持ちがわかったような気がする。

 

 とは、言っても…… 

「はい、どうぞ」

 なんて殿下の隣を譲りたくはない。

 わたしは二人にわからないようにこっそりと息を吐いた。

 

「では、魔女様。失礼致します」

「ありがとうございました」

 主の帰城を聞きつけてメイドは慌てて下がってゆく。

「さ、珊瑚ちゃんも。

 戻らないとすぐに晩餐だよ」

 おばさんがわたしを追い立てる。

「わたしはいいよ、もう少しお手伝いしてく」

「そりゃ、今日は特別忙しいし、手伝ってもらえるとあたしらは嬉しいけど。

 だけど殿下のおいでになる時には殿下と一緒に食事をしてもらわないと、あたしらが何を言われるか…… 」

 おばさんは少し困った顔をする。

「大丈夫よ、別にわたしがいなくても食事はできるでしょ? 」

 

 正直言ってしまえば、あの場所にいたくない。

 あの光景を見たくはない。

 

「仕方ないね…… 

 じゃ、そろそろパンが焼きあがるから竈から出しとくれ」

 

 多分わたしは、かなり寂しそうな顔でもしていたんだと思う。

 

 料理人のおばさんはわたしの顔を見ると大きなため息と共に頷いた。

 

 

 夜半過ぎ、ホールに運び込んだ食器が下がりきるのを待ってわたしはキッチンを出た。

 中庭に出ると夜風が手にした燭台の炎を揺らす。

 肌を撫でるその冷たさにわたしは身を竦ませる。

「珊瑚様! またこんな時間に外に出て」

 どこからかわたしの姿を見つけてキューヴが駆け寄ってくる。

「珊瑚様は本当にこの場所がお好きですね」

 キューヴはため息をつきながら言う。

「別に、そうじゃないけど…… 

 なぜかキューヴに見かけられるのってここにいるときが多いんだよね」

 言いながらわたしは建物の中へ向う。

 寝室のある階へと螺旋階段を上るわたしの行く手を途中でキューヴは遮った。

 そして、その先にあるドアを開ける。

「どうぞ。

 お休みの挨拶くらいしていってくださいね」

 わたしの耳元で小さくつぶやいた。

 

 ホールに入ると蝋燭の炎の下、殿下は書面に目を落としていた。

 わたしの足音に気付いたように顔を上げる。

 

「お前か…… 何か用か? 」

 立ち上がりながら言う殿下の言葉は何故かそっけない。

「ううん、そうじゃないの。

 ちょっとね、顔がみたかっただけ」

 どうしてだろう?

 最初は目の保養で見ているだけで幸せな気分に満たされたこの顔が、最近は目に入ると切なくなる。

「じゃ、寝るね」

 その切なさに耐え切れなくて向きを変えようとしたところを前に廻り込まれた。

「晩餐にも来ないから、どうかしたのかと思った」

 殿下は少しむくれたように言う。

「食事ならキッチンですませたの。

 なんかすっごく忙しそうだったから、お手伝いしていたら今になっちゃった」

「以前にも言っただろう? 

 お前の仕事はそれではないと」

「うん、でも…… 」

 わたしは睫を伏せる。

「お前、王女に何かしていないだろうな? 」

 殿下は腰をかがめるとそのわたしの顔を覗き込む。

「してないよ。何にも…… 」

 わたしは慌てて首を振る。

「きちんと言ったでしょ。

 わたしには人の心をどうするかなんて能力は使えないって」

「なら、良いが…… 」

 殿下は戸惑ったようにわたしから視線を逸らせた。


 してないけど…… 

 お姫様は王子様が気に入ったみたいだ。

 

 わたしが自分の気持ちを止められなかったように、セラフィナ王女もきっと、ううん絶対自分の気持ちに正直に行動しそうだ。

 そんな予感がした。

 

 そんな予感におびえていると、ふと殿下の手がわたしの二の腕辺りに伸びて来る。

 その手がわたしを捉えると、強引とも言える強い力で引き寄せられた。

 腰に廻るもう一方の手から逃れようと、わずかに抵抗を試みるものの、本気じゃない。

 わたしの肩に廻る大きな手も頬に落ちてくる髪もそれらが纏う匂いも、皆がこれから起ころうとしていることを予感させる…… 

 それが落とされたキスで確信になったらもう拒むことはできない。

 

 ……だけど、

 

 とりあえずキスの合間にできた一息の間でわたしは殿下の胸を押しやった。

「駄目だよ、今夜はね」

 抱きしめられそうになったところを、一歩下がって距離を取る。

 砦というこの建物の構造だと大きなホールを取り囲んだ分厚い壁の中にしつらえられた部屋。つまりは全部の部屋がホールに面していて、筒抜け状態。

 おまけに王女は乳母を筆頭にメイドと従者を数人連れてきている。

 これじゃどこで誰が見ているかわかったもんじゃないから。

 こんなところを王女様やその従者に見られでもしたらとんでもないことになりかねない。

「じゃ、おやすみなさい」

 言うとわたしはホールを飛び出した。

 

 

「急いどくれ! 今夜の晩餐で最後だからね」

 頭の上を料理人のおばさんの声が通りすぎる。

「セラフィナ王女様、明日王都へ戻るそうですよ」

 わたしと向かいキッチンでパン生地をこねていたアゲートが言う。

 そのせいか、キッチンの中はいつにも増して大急がしだった。

 かまどに火が入り、次々とパンが焼き上げられてゆく。

 その隣では肉が豪快に焼きあがってゆき、スープのなべが湯気を上げる。

「そう、なんだ」

 その様子を横にしてわたしはうつろな状態で返事をする。

「それにしても、どうしてそこまでおできになるんですか? 」

「何が? 」

「王女様ですよ。

 本当ならお側にいるのもお辛いはずですのに、国王陛下の言いなりになって」

 アゲートって本当にいい娘なんだな。

 こんなわたしの為にわたしに代わって真剣に怒ってくれている。

「言いなりになんか、なっていないわよ」

 顔を上げ正面にあるアゲートの顔を見る。

「はい? 」

「だから、わたし何もしていないもの。

 やっぱりね、人の感情を操るってのはちょっと、ね」

 自分個人の都合を別にしても、それだけはどうしても嫌だった。

 

『使い物にならない役立たず』だってののしられたって仕方ない。

 王女がどんなに嫌味な娘だって、やっぱり感情を操られたりなんかしたら気の毒だもの。

 でも、もしも王女様が殿下を本当に好きになってしまったら…… 

「どうか、なさったのですか? 」

 アゲートがわたしの顔を見つめる。

「ううん、なんでもない。

 まさか…… ね」

 わたしは今よぎった思いを振り払うかのように乱暴に頭を振った。


「珊瑚ちゃん、言いたくはないんだけどね、手が止まってるよ」

 おばさんが言う。

「ごめんなさい」

 わたしは慌てて手を動かす。

「それにしてもこの量、なんなの? 」

 アゲートがうめいた。

「あのお姫さんだよ。

 王都のパンはもう食べたくないってさ」

 

 その気持ちはわからないわけではない。

 正直、わたしがここに来た当初、それほどここのパンは酷かった。

 だから、殿下も王都に行くときにはいくらかパンを持っていっていた。

 

 取り合えず、王女付きのメイドさんには製法を教えたけど、王女はまだ王都に暫く滞在する。

 その間のパンを用意するのを、ここのキッチンが全部引き受けたらしい。

 とにかくその数が半端なかった。

 結局、アゲートどころかわたしまで引っ張り出される目にあった。

 

「悪かったね、こんな時間まで。

 まさか、おひいさんにあんな注文出されるなんてねぇ…… 」

 キッチンのドアを出ると、おばさんが蝋燭を灯した燭台を手渡してくれた。

 蝋燭の炎がわずかに足元を照らす。

「わたしはこれから寝られるからかまわないけど、おばさんたち寝る時間あるの? 」

 月が真上に昇ってからもうかなりの時間が経っていた。 

 ひたすらパン生地と格闘して数時間。

 うっかりすると、もう朝食の準備に掛からなくちゃならない時間だ。

「なんにせよ、助かったよ。

 珊瑚ちゃんやアゲートに手伝ってもらえなかったら間に合ったかどうか…… 」

 おばさんは言ってキッチンのテーブルに積み上げられたパンに視線を向ける。

 焼きあがったパンの数は幾つになるかわからない。

 それほどとてつもない数。

 

 結局、猫の手も借りたい状況を見かねてそのままわたしもキッチンに居座り。

 正直言うとあの王女様と晩餐を一緒にしたくなかったって言うのがあるんだけど。

 頼まれたパンが焼きあがったら、この時間になっていた。 

 

「なんなら、このまま朝食の用意手伝うけど? 」

「珊瑚ちゃんにそこまでさせたら、殿下から大目玉食らうよ。

 できることなら今夜のことも黙っていて欲しいくらいなんだからさ」

 そう言って声をあげて笑う。

「そういえば、もう小麦粉が切れそうなんだよ」

 バッテリーに眼をやりながらおばさんが眉をひそめた。

「わかった。殿下にお願いしとくね」

 アゲートが言うのに、殿下に鍵を託された以上、そういう管理は女主人の仕事だからわたしがするのがあたりまえだって話だったけど、まだ全く勝手がわからない。

 わたしができるのは倉庫の在庫状態を逐一殿下に報告することだけだ。

「悪いね。

 ただ、珊瑚ちゃん気をつけとくれ、このペースで行くと来年の収穫までもつかどうか…… 」

「ありがと。殿下に相談してみる」

 おばさんの忠告にお礼を行ってキープに戻る。

 

 

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