・帰ってこられたので、
「でもよかったですわ。
珊瑚さま、無事にお戻りになられて……
珊瑚さまが一人でお出かけになるって聞いたときにはどうなることかと気が気じゃなかったですけど」
砦に戻ると、汚れた身体を運んでもらったお湯で落とす。
ついでわたしの着付けを手伝ってくれながらアゲートがやっと安心したとでも言いたそうな息を吐いた。
「何度でも言わせて貰いますけど、もし珊瑚さまに何かあったら、お叱りを受けるのはわたし達なんですから」
「ごめんなさい」
わたしはその言葉に肩を落としてうなだれる。
それはわかっているつもりだけど、どうしても殿下が優先になってしまう。
ただ守られて待っているだけなんて、できない。
大好きな殿下のために、わたしにできることがあるのなら力になりたい。
「殿下は、どうだったの? 」
髪を整えてもらいながらわたしはアゲートの顔を覗き込んで訊いた。
「はい? ええ。
珊瑚さまがお出かけになった翌朝、珊瑚さまの乗っていらした青毛の馬でお戻りになりました。
珊瑚さまがいらっしゃらないことをお知りになると酷く動揺して、わたし達近寄ることもできなかったんですよ」
「怪我とかはなかった? 」
「はい、そちらのほうはなんともありませんでしたよ」
「そっか、よかった…… 」
わたしは安堵の息を吐く。
本当は自分の目で、というかあの能力で確認したいんだけど、とりあえず身支度がすまないと部屋が出られない。
地べたに近い床に転がされたり、馬の背に荷物のように担がれたりしたものだから、ここに戻った時のわたしの様子はみられたものじゃなかった。
お湯を運んでもらって躯と髪を洗って、新しいドレスを着てようやく人間に戻った気分だ。
「はい、できました」
結ったトップの髪にドレスと同じ紅と金のダマスク織りの生地で作った花飾りを差しアゲートがわたしの肩を軽く押す。
「わっ…… 可愛い…… 」
鏡を見てわたしは呟く。
興が乗ったのか、アゲートはわたしの髪を何時もより凝った形に整えてくれていた。
なんだか自分じゃなくて、御伽噺のお姫様みたい。
「ありがと、アゲート」
振り返って笑いかける。
「食堂のホールへ、いってください。
殿下が今頃痺れを切らしてお待ちしているはずですから」
そう言って微笑んだ。
二階の何時も皆で食事をとるホールに入ると人でごった返していた。
何時もなら別の場所で食事をしているアゲートやキッチンのおばさん。メイドの女の子まで女性陣も混じっている。
テーブルの上に並んだ食事も豪華で、何か始まるんだなって思える。
「珊瑚さまが無事に戻ったお祝いだそうですよ」
あとをついてきたアゲートが後ろから説明してくれる。
この間のお祭りの時ほどじゃなかったけど、楽団の人とかもいて音楽を奏でお酒が振舞われ、まさにちょっとした宴会風景。
「殿下、大げさ…… 」
思わずわたしは呟いた。
「それだけ嬉しかったんだと思いますよ」
もう一度アゲートが耳元で囁く。
そっか、だからアゲートも何時もより豪華なドレスに華やかな髪型にしてくれたんだって、この 時気がついた。
「どうぞ、珊瑚さまのお席はあちらです」
アゲートがホール正面の殿下の隣を指差した。
こんな場所で中央正面の殿下の隣なんて。
……なんか、ひな壇みたいで。
座るのが少し恥ずかしいかも。
「いいよぉ。
わたしこっちで」
入り口付近の開いた席へ行こうとした背中をアゲートに押された。
「駄目です。
殿下もお待ちなんですから」
やんわりと言いながら目が真剣だ。
このまま拒否したら引きずってでも連れて行かれそうなその表情にわたしは負ける。
仕方なく、みんなの間を縫って殿下の隣へ向かった。
「ああ、アゲートの言うとおりお前には赤がよく似合うな」
傍らまで行くと殿下はそう言って腰に手を伸ばし軽く頬に唇をよせてくる。
その言葉に、このドレスもまた殿下が用意してくれたものだってわかる。
「いつもありがとう」
そんな風に気を使ってもらうのがうれしくてわたしは殿下に微笑みながらお礼を言う。
「いや…… 」
何故か殿下は照れくさそうな顔をしてそっぽを向いてしまった。
それから数時間。
何時の間にか始まっていた宴は終わるそぶりを見せない。
その騒ぎを前にわたしは一つ欠伸を漏らす。
振舞われたお酒が廻り、楽団の音楽に合わせて中央では酔った勢いのダンスまで始まって、何時になったらお開きになるの? 状態。
皆が楽しんでいるのは嬉しいんだけど……
なんだろう?
身体が酷く重だるい。
酷い眠気も襲ってきて、そこに座っているのが困難になってきた。
もしかしてあの時の薬がまだ身体に残っているのかも知れない。
「殿下、わたしそろそろ休むね」
盛り上がっている皆を邪魔しちゃ悪いから隣に座って杯を傾けている殿下の耳元にだけきこえるように囁くと、そっと席を立つ。
「どうした? 気分でも悪いか? 」
殿下の青灰色の瞳が不安そうに揺れた。
「ううん、ただ少し眠いだけだから」
いってそろりとホールを横切り螺旋階段へ出る。
上の階へとゆっくりと上りだすと、すぐに殿下が追ってきた。
「こっちだ」
寝室のある上の階へ登ろうとしたわたしの手をとり、何時もの執務を取るホールを示す。
何かまだ用でもあるのかと仕方なく従うと、そのまま殿下の寝室に連れ込まれた。
「あのね、殿下。
わたし少し寝たいの」
これから起ころうとすることを予見してわたしは自分の手を握り締めた殿下の腕をやんわりと振り解こうとした。
「いいから、ここで寝ろ」
有無を言わせずにそう言うと、わたしをベッドに抱き上げる。
殿下には申し訳ないけど、正直今日はそれどころじゃない。
とにかく睡魔がわたしの身体全体を支配している感じ。
「やだ」
逃げようとしたところ、髪を掴まれ引き寄せられる。
やっぱり、長い髪は不便だ。
殿下はわたしを抱き寄せると、逃すまいとするかのようにその髪を腕に巻きつけてしまう。
うぅ……
これじゃ、逃げるに逃げられない。
わたしは少し非難を込めて殿下を睨み付けた。
「そんな顔をしないでもいい、何もしないから」
なだめるように言ってその胸にわたしの頭を抱き寄せる。
「お前のベッドは狭いからな…… 」
呟いて、言葉どおりそれ以上何もしないで目を閉じてしまった。
暖かい……
殿下の囲い込む片腕を枕にわたしはその胸に額を寄せる。
伝わってくる柔らかな体温と、鼓動はとてもわたしを安心させてくれる。
そのまま、知らずにわたしは眠りに引き込まれていった。
窓の外で小鳥が囀る声に目を覚ますと、殿下の整った顔が間近にあった。
やっぱり疲れているのかよく眠っている。
わたしはその眠りを妨げないように、できるだけそっと動いて囲い込む腕を解きベッドを降りる。
何時の間にかドレスは脱がされ、コルセットだけは緩められていたけど他の下着に乱れはないから、言葉どおり殿下はただわたしを抱えて寝ていただけなんだってわかる。
身支度を整えて外に出る。
井戸端で動くものに視線を向けると、キューヴにティヤがじゃれていた。
わたしの視線に気がつくとティヤが一気にかけてくる。
「おはようございます。珊瑚様」
膝を折っていたキューヴが立ち上がるとわたしに向かい軽く頭を下げた。
「おはよう、キューヴ」
それに応えてわたしは階段を下りる。
「殿下はまだお休みですか? 」
「うん」
うっかり答えてわたしは思わず顔を赤らめる。
「殿下はきっと、珊瑚様がまたどこかに行ってしまうんではないかと、不安だったんだと思いますよ。
ああ見えて随分心配性の寂しがりやなんです」
そう言ってキューヴはふんわりと笑うけど、その言葉にわたしの顔はますます血が上る。
「ティヤ、昨日はありがとうね」
それをごまかそうと、足元に擦り寄る犬の前に膝を折りその顔を両手で包んで撫でまわしながらお礼を言った。
「本当にお手柄だったね」
キューヴがティヤの顔に目を細めた。
「そういえば、どうしてあそこに居たの? 」
「ああ、それは殿下が……
あの前日の夜、殿下は珊瑚様の馬でお戻りになったんです。
お疲れのご様子ではありましたがお怪我もなく、僕たちもほっとしたのですが」
「そっか、殿下本当に自力で帰ってきたんだ」
アゲートと同じキューヴの言葉にわたしは息をつく。
一応あの女は約束を守ったってことなんだ。
「翌日、ご自分が監禁されていた小屋と、珊瑚様の馬が見つかった場所があのあたりだから、きっと珊瑚様も同じところにいらっしゃるんじゃないかと殿下が仰りまして。
それで何人かを連れて向かい、あのあたりを捜索していたのです。
ですが、珊瑚様を見つけることができなくて…… 」
ティヤが突っ立ったまま会話をしていたわたしに「あそぼ」というようにドレスを軽く銜えて引っ張る。
「うん」
声を掛けるとその頭を撫でてゆっくりと歩き出した。
「まさかティヤがお迎えにきてくれるなんて思わなかったんだよ」
その顔を見て言う。
「それは、ですね。
連れて行ったわけではないんですが、勝手についてきてしまいまして。
一通り探して、後は聖域の中しかないかという結論になったわけなんですが、聖域の空にはっきりとロク鳥の姿があったものですから、僕たちは足を踏み入れることができずにいたのです。
そうしたら、突然この犬が飛び出して走っていってしまって…… 」
キューヴが苦笑いをする。
「あとで珊瑚様にどう謝ろうかと頭を抱えましたよ。
ロク鳥は人間だけでなく、犬でも熊でも聖域の生き物でないものは皆襲いますから。
珊瑚様こそよくご無事で……
あの鳥から逃げられたなんて話今まできいたことがなかったですから」
「それは、これのおかげかな? 」
わたしは胸元に下がったペンダントヘッドをつまみあげると目の高さまで持ち上げた。
「あの鳥に、襲われて。あと少しで駄目かなって思ったら、これが光ったって言うか反射したの。
そしたらあの鳥一瞬ひるんでくれて…… 」
鳥が光るものが苦手だったのか、それともこの角自体が苦手だったのかはわからないけど。
とにかく、鳥がこれに怯えていたのは確か。
「陛下の魔女様のおかげ、だよね」
「陛下の魔女様といえば…… 」
ふいに思い出したようにキューヴが口を開く。
「国王陛下は近いうちに正式に王位を退くことを決めたようですよ」
「なん、て? 」
わたしは目をしばたかせる。
「今回のことで、国王陛下は殿下が王都とこちらを足しげく行き来することに危惧を感じたようでして。
どうせなら退位してご自分が王都を出るほうが良いのではないかとお考えになったようです」
あの時、あの女の言っていたこと、嘘でも妄想でも願望でもなくて本当のことだったんだ。
「正式な日にちとかまではまだはっきり決まったわけではありませんが、忙しくなりますよ。
珊瑚様」
キューヴがわたしに笑いかける。
「わた、し?
殿下じゃなくて? 」
その意味がわからなくてわたしは首を傾げた。
「もちろんです。
殿下が王位につけば珊瑚様は、国王付きの魔女殿と言う、国王に次いだ立場になるわけですから」
「ちょっと、まって……
それって…… 」
それって、やばいって言うか、なんていうか。
「どうかされましたか? 」
「あのね、それ……
まだ…… 」
なんて言っていいのか言葉が出てこない。
そもそもそんな重要なポストわたしに勤まるわけがなくて。
というか、そんなことかけらも考えていなかったから、心の準備の準備さえできていない。
わたしはただ、殿下の側にいられれば良かっただけ。
側にいて殿下の笑顔を見られてその声が聞ければそれでよかった。
そんな身分とか地位とか責任とかなんて、全く考えていなかった。
だけど……
それだけじゃ殿下の側にこの先ずっとはいられないんだって、改めて思い知る。
殿下の側にこの先もよりそっているためには、それなりの覚悟が必要なんだって……
無意識にわたしの身体から血の気が引く。
「珊瑚様? 」
キューヴがわたしの顔を覗き込んできた。
「何でも……
なんでもないの」
わたしは首を横に振る。
「こんなところにいたのか? 」
少し不機嫌そうな声に顔を上げると殿下が大またで歩み寄ってくるところだった。
「ごめんなさい。
よく寝ていたから、起こしちゃ申し訳ないかなって思って…… 」
隣に立ち止まった殿下の顔を見上げた。
「キューヴ、用意はできているか? 」
「はい」
言われたキューヴは厩の方に駆けてゆく。
それを追ってティヤもじゃれるように走ってゆく。
「……また、どこかに行ってしまったのかと思った」
ため息混じりに殿下は言うと乱暴な手つきでわたしの腰を引き寄せる。
「殿下っ…… 」
呼びかけた唇を塞がれる。
それも触れるだけじゃなくて、深く。
やだ。
こんなどこで誰が見ているかわからないところで。
わたしはその唇から逃れようと、腕に力を込めて押しやってみるけど全く効果なし。
むしろ面白がるように腰に回された腕に力が篭る。
「っ…… ゃ…… 」
呼吸すらままならなくなりそうな深いキスの合間にようやく少し息をつく。
次第にわたしの力が抜けてゆく。
このまま立っていられなくなりそうな予感に晒されたのと同時に頭の後ろでかすかに馬の鼻息と蹄の音がした。
それを合図のように殿下の唇が離される。
腰に回されていた手が緩み、名残惜しそうに解かれる。
「皆さん、直ぐに参りますから」
キューヴの声と共に馬の息遣いが直ぐ側にあった。
「もう行くの? 」
馬具を着けた馬の姿を目に殿下に問い掛ける。
殿下の服装も、いつもの旅支度だ。
「ああ、所用が溜まってしまって、今度は少し長くなるかも知れない」
言っている間に何人かの護衛や旗持ちの人が集まってきた。
「行ってらっしゃい。
気をつけてね」
いつものように名残惜しい気持ちを抱えて、わたしは砦の外門で殿下を送り出す。
ここ数日の日が嘘だったような変わらない日々のような気がする。
「相変わらずせわしないですこと。
珊瑚さま、戻ったばかりですのに」
護衛の人数の増えた殿下一行の後ろ姿を見送りながら何時の間にか側にきていたアゲートが呟いた。
「ホント、どうせなら暫く向こうに行ったままにして、まとめて仕事を片付けてから来ればいいのに…… 」
「いいんですか? そんなこと言って? 」
珍しくあとに残ったキューヴが言った。
殿下の顔が見られないのは寂しくないわけがないけど、さすがに三・四日置きに馬で通ってくる殿下の姿をみていると体力とか健康面が気に掛かる。
「日によって殿下のいる場所が違うんじゃ、訪ねてくる皆だって大変じゃない? 」
「そうでもないんですよ。
皆それぞれ近くの方へ出向きますから、この周辺の役人は近くなったって喜んでいるはずです。
それに、半分は珊瑚さまの為でもあるんですよ」
キューヴがいつもの意味ありげな笑顔をわたしに向ける。
「わたしの? 」
「ええ、殿下のお仕事を間近で見るのはこの先の珊瑚さまにとって大事なことですから」
その言葉に胸が痛む。
あの時キューヴはああいったけど、わたしを気遣ってか殿下からその話が出たことはない。
いつもと変わらない毎日が続いている。
「そうそう、新しいマナーの教師を手配しましたから」
また、あの笑顔をキューヴはうかべる。
「う…… 」
マナーはともかく立ち居振舞いは苦手だ。
だけど、ここが一番お里が知れるところで……
最初ここでしくじったようなものだから。
わたしがもう少し上流の産まれで上品だったら、あんなことにならなかったのかもしれない。
そう思うと、がんばらなくちゃって思う反面、新しい教師に会うのが少し怖い。
「心配ありませんよ。珊瑚様。
今度の教師はきちんと身元を調べますから。
それから、例の誘拐犯、国外へ逃げる途中を国境付近で捕まったそうです」
「そう、なんだ? 」
「詳しい事情はまだわからないみたいですけど、これで少しは安心できますよね」
「そうだね」
「横領の件はべつにして、殿下とわたしを誘拐した件、あんまりお咎めにならないといいな」
「珊瑚様、何を! 」
「だって、ほら。
一応わたし達無傷だったんだし。
わたしのせいで誰かが罰を受けるんだっておもうと気持ち悪いもん」
わたしは城門から向こうに広がる光景を目に呟いた。




