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・交換に行ったので、 

 

 どこまでも続く緑の牧草地を前にわたしは空を見上げる。

 抜けるような青さの空の片端だけが僅かに色を違え、ピンクから黄色緑へと移ろっていく。

「どうしました? 珊瑚様…… 」

 馬の首を並べてゆっくりと歩かせながらキューヴが訊いてくる。

「ん? あの空の下が聖域なのかなぁって…… 」

「ああ、そうですね。

 正確にはもうここが聖域の端なんですけど」

 そういえば以前殿下が、あの空の色は聖域の中に入らないと見えないとかって言っていた。

「でも、無闇に入ろうなんて思わないで下さいね。

 あそこにはロク鳥が居ますから」

 釘をさすようにキューヴが言った。

「大丈夫。

 闇雲なことなんてしないから」

 わたしは笑顔をキューヴに向けた。

「それにしても、乗馬上達されましたね。

 この道を下ってきた時には殿下の馬に一緒に乗せられていてもしがみつくようになさっていたのに」

「だって、初めてだったんだもん。

 生の馬を見るのも乗るのも…… 」

 そうか、この道一度見たことがあると思ったら、ここへ来て初めて砦に向かったあの道なんだ…… 

 あの時伝わってきた、殿下の胸のぬくもりが蘇って胸が締め付けられた。

「もう、ここまででいいよ」

 馬の手綱を引いて足を止めさせると、わたしは言う。

「交換場所には一人でって約束だから、キューヴの姿が見えるとヤバイでしょ」

「しかし…… 」

「お願い、一人で行かせて。

 その代わり、殿下のことお願いね」

 つられてキューヴの馬が足を止めたのを確認してわたしは自分の乗る青毛の馬に拍車を掛けた。

 

 

 暫く馬を走らせると、ふいに道の端から男が飛び出してきてゆく手を塞ぐ。

「危ないじゃない! 」

 慌てて手綱を引いて馬を止めると、気が立っていたことも手伝って、わたしは男を怒鳴りつけた。

 

 正直、乗馬はまだまだ初心者なんだからね。

 突然前に飛び出されて踏みつけるようなことになっても責任なんてとれない。

 

「お前が魔女か? 

 まさか、本当に一人で来るとはな」

 馬上のわたしの顔を見上げながらみたことのない男は呟く。

「そういう約束だったでしょ? 

 こっちはちゃんとそっちの指示を守ったんだから、殿下を返して。

 殿下はどこ? 」

「馬を下りてもらおうか? 」

 わたしの問いに答えず男は言う。

 まぁ、無理もない話で、このままだとわたし逃げる可能性があるんだよね。

 相手は端からわたしのことなんか信用しているわけないし。

 

 仕方なくわたしは男の言うことに従って、馬の背を滑り降りる。

 

「あんたの殿下なら、そこだよ」

 男は側にあった粗末な小屋を振り返り視線を送る。

 わたしは反射的に駆け出していた。

 

 小屋の戸を開けると窓のない暗くて狭い空間がある。

 むきだしの土を固めただけの床に、二つの人影が転がっていた。

 瞼を落とし暫くして目を開けると、手前に転がっているのは何時も殿下の護衛についていた若い男だって分かる。

 そして奥の方の人影は…… 

「殿下! 」

 思わずわたしはその人影に駆け寄る。

 小屋の中には妙な匂いが充満していた。

 だけど、そんなの気にしている暇はない。

 わたしは力なく横たわる殿下の脇に腰を落とすとその上体を抱き上げる。

 

 良かった…… 

 息はある。

 

 顔を近付けそれだけ確認して息を吐く。

 

「心配しなくてもいい、殺しちゃいないよ」

 わたしをここへ案内してきた男が、戸口に背を預けたまま言う。

「もっとも、あの魔女の薬のせいで、前後不覚になるほど眠っているけどな。

 なぁに、夕方までには目を覚ますさ。

 あの魔女の薬は正確だからな…… 」

「あの、魔女って? 」

 わたしは殿下の頭部を抱きかかえたまま、男を睨みつけて訊いた。

「あんたが知らねぇ訳、あるまい」

 男は気持ちの悪い笑みを浮かべた。

「もしかして、国王陛下の魔女のこと? 」

「あのお方の口添えがなければ絶対に手に入らない貴重な薬を、たっぷり使ってやったんだ。

 感謝して欲し…… 」

 

 なんだろう? 

 視界が揺らぐ。

 男の言葉の、最後の方が耳には入って来るんだけど理解できない…… 

 

 そんなことを思っているうちにわたしの意識は途絶えてしまった。

 

 

 気がつくと、わたしは一人で転がされていた。

 どういう扱いをされたのか、軽く痛む身体を起こして周囲を見回すと、さっき殿下が転がされていた粗末な小屋とは全く違う。

 壁には石が積み上げられ、床板は木でできていることから、砦ほどではないにしてもそこそこの建物だって分かる。

 やっぱり小さな窓からは、オレンジ色の夕日が差し込んでいた。

 

 つまりは夕方まで意識がなかったということで…… 

 

 意識がなくなる直前の男との会話が思い出された。

 多分あの小屋の中に充満していた妙な匂い。

 あれが男の言う魔女の薬だったんだろう。

 そしてまんまとわたしも引っかかった。

 

「目が覚めたようね…… 」

 座ったままぼんやりと周囲を見渡していると、どこかで聞いたことのある女の声がする。

 顔を上げると、そこに多分カイヤ夫人の顔があった。

 多分というのは、確信が持てなかったから。

 砦に来た時も装いは地味ながら華やかさが滲み出て教師という印象からは外れていたけど、なんと言うか今の夫人は着ているものも表情もまるで違う。

 デコルテの非常に開いた緋色の派手な装飾のドレスに、前髪以外を降ろしたままにして肩の辺りで波打つ赤み掛かった栗色の髪。

 この方がこの人に似合っていると言うべきなんだろうけど。とにかくイメージが百八十度はひっくり返っている。

 その隣にはさっきの男ともう一人、何時も殿下の護衛についている何人かの中の一人。

 

 予測というか、見当と言うか。

 見事に当たっちゃった。

 

 絶対砦とか殿下の周囲に相手は居るって思ってた。

 まさかわたしの家庭教師とか護衛までなんて。

 

 護衛が仲間の一人なんじゃ、お付きの人数が少ない時を狙えば、さすがの殿下だって手に負えないこともあるよね。

 それまで信頼していた人から手渡された食事とか、疑うことなく口に入れちゃうもん。

 

「あなた、本当にカイヤ夫人? 

 ……どうしてこんなこと」

 華やか過ぎる女の顔にわたしは目を疑う。

「ほんとに、あの魔女の薬は呆れるくらい正確よね。

 おかげで予定通りに事が運んで助かるけど」

 女はため息に似た息を漏らしてわたしの前に椅子を引き寄せ座り込む。

「まさか、本当に一人でくるなんて…… 

 あの小ざかしい坊やが絶対ついてくると思ったんだけど? 」

 カイヤ夫人はそこが解せないというように頭を傾げた。

「そういう約束だったでしょ? 

 わたしが一人でくれば殿下は開放するって。

 殿下はどこ? 」

 わたしは女を睨みつけた。

「ああ、面倒だから、あのまま転がしておいたわ。

 今頃は気がついている頃じゃないかしら? 

 同じ薬を使ったあなたも気がついたんですもの。

 薬が切れれば一人でどこにでもいけるわよ」

「本当でしょうね? 」

「あなたに嘘を言ってどうなるのよ? 」

 カイヤ夫人はいきり立っているわたしとは反対に面白がっているようだ。

 常に顔に浮かんだ笑みがそれを物語っていた。

「もともとあの王子に何か期待していた訳じゃないし。

 世継ぎを殺して縛り首になんかなりたくないもの」

 言いながら女は手鏡を取り出すと、それに自分を映し、額に零れ落ちた後れ毛を指先であげては結った髪の中に押し込んで、満足そうに鏡の中を眺める。

「で? わたしに何をさせたいわけ? 

 誰か虫の息の人とか、怪我でも治らない人でも居るわけ? 」

 わたしは夫人を見据えたままで言う。

「殿下と引き換えにわたしを従わせようって言うんだから、何かわたしにやらせたい事があるのよね? 」

「ふ~ん。

 殿下べったりの甘えっこだとばかり思っていたら、少しは違ったみたいね」

 夫人は意外と言いたいような声をあげた。

「そんなの別に関係ないでしょ? 」

 こんな人にまで見透かされていたと思うと恥ずかしくてそれを隠そうと無意識にふてくされてわたしは言う。

「じゃ、ご要望どおり単刀直入に言うわね。

 自分の命が惜しかったら、とっとと帰ってくれない? 」

「はい? 」

 思っていたのとまるで違う夫人の言葉にわたしは思わず訊き帰していた。

「あなた、邪魔なのよ。

 本当にこれ以上ないくらい」

 それが真実であるというように夫人は嫌そうに眉をひそめる。

「でも、だからって、さすがに命を奪う程あなたに恨みはないわけ。

 自分のもといたところに、おとなしく帰ってくれれば何もするつもりはないのよ? 」

「殿下の隣にわたしが居るのが不都合って事? 」

「そう。わかっているじゃない。

 相思相愛のあなた方を引き離すのは酷だと思うのよ。

 でもね、よりによってあのぼんくらな国王が早々、息子に王位を譲って引退するなんて話、放っておけると思う? 

 それでなくても王子が国政に手を出した頃から難しくなってきたのに、あなたに力添えされちゃね。

 この間だって苦労した帳簿の隠蔽あっさり見破ってくれて…… 」

 女は気に入らないという風に眉間に皺を寄せた。

「あれって、やっぱり間違えじゃなくて不正だったの? 」

「まさか、気がついていなかった、なんていうんじゃないでしょうね? 」

 

 はい、気がついていませんでした。

 普通不正をやろうと思ったら、二重帳簿を作るとかもう少しばれないように巧妙にやるもんじゃないの? 

 単なる計算間違いですって形の不正なんて聞いたこともない。

 

 って言いたいところだったけど、相手の神経逆撫でしても仕方がないので黙っておいた。

 

「あなた優秀すぎたのよ。

 魔女の能力も、頭の造りも」

 女は嫌そうに頭を振った。

「陛下はね、あなたの能力を耳に入れると、早々に引退を決めたのよ。

 王子には優秀な魔女がついているから何の心配もなく王位を譲れるってね。

 もともと政治には全く興味がなかったんだから、無理もないって言うか…… 

 だから、あなたに消えて欲しい訳。

 あなたがいなくなれば、王子はまたパートナーとなる魔女を手に入れるまで数年は掛かるだろうし、魔女を手に入れるまでは王位に就けない。それにそれがあなたほど優秀とは限らないでしょ」

 ……なんか、言いたいこと言ってくれて。

 要はこの人たち、国王陛下が政を苦手にしているのを利用して私服を肥やしていたわけだ。

 でもって、その国王が引退すると自分達の身が危うくなるんで殿下に王位を譲らせたくないってことか。

 

 わたしは一つ息を吐く。

 

「呆れた? 」

 女はふっと笑みをこぼす。

「でも、誰にでも欲はあるでしょう? 

 わたしはね、本当なら家庭教師なんてことしなくてもいい身分のはずだったのよ」

 女は目を伏せる。

「伯爵令嬢だったんですもの。

 侯爵家にだって嫁げたはずなのに、父のくだらない賭けの賭代にされて嫁がされた先がしがない荘園主の処なんて、とんでもない話。

 おかげでよりによってあんたみたいな身分も何にもない小娘の家庭教師なんてする羽目になって…… 」

 女はそれが心底嫌で仕方がないといった様子で首を横に振る。

 

 つまりは殿下の人選ミス? 

 殿下にしてみたら、一流の教育を受けた人間を教師に選んだんだと思う。そうするとどうしても過去身分が高くて今は落ちぶれちゃった人ってことになるんだと思う。いくら高い教育を受けていても裕福な人だったら働く必要なんかないから。

 でも落ちぶれたってその人にはその人なりのプライドは残っていて…… 

 わたしが殿下の娘とか妹だったら良かったんだろうけど、あいにく普通の庶民のサラリーマンの娘じゃね、って話。

 

 それに多分、この人裕福な子供時代が忘れられないタイプだ。

 その過去のレベルと同じ生活をするためにはそれなりの資金が必要で、それで不正なんか働いて、それをばらしちゃったわたしが邪魔っと…… 

 

 

「あなたにだって欲はあるでしょ。

 だから取引しましょうって言っているの。

 あなたが身を引いてくれたら、あなたの一番大事なもの-あなたの命は保証してよ。

 悪い話じゃないでしょう? 」

 

 ……何が悪い話よ。

 

 それって一方的って言わない? 

 わたしは女を睨みつけたまま唇を噛む。

 

 それにもう一つ大問題がある。

 もしも、自分の命じゃなくて殿下の命を引き換えに出されてもどうしようもない問題。

 

「わかった。その話飲んでもいいよ」

「そ、聞き分けが良くて助かるわ」

 夫人の表情が綻んだ。

「だけど一つお願いがあるの。きいてくれる? 」

「ま、あんまり無茶な願いじゃなければきかないこともないけど…… 

 何? 」

 わたしの言葉に気をよくしたのか、機嫌よく女は引き受ける。

「わたしが帰る方法を探してくれる? 」

「なんですって?! 」

 女が息を飲む。

 その喉が鳴るのがこの距離でもはっきりと聞こえた。

 

「あなた、今なんて? 」

 女は聞いていないとでもいいたそうに目をしばたかせる。

「だから、帰る方法を探してって言ったの。

 言っておくけど、わたし自分の意思でここに来たわけじゃないんだから。

 気がついたらここにいて、訳がわからなくて、でもって帰れないから今でもここに居るんだから! 

 わたしだって、テレビも電車もスマホも電気すら来ていない何にもないこんな不便なところとっとと出て行きたいわよ」

 

 本当は、積極的に帰る方法を探していたわけじゃないんだけど、それは黙っておく。

 

「それともわたしを殺す? 」

 こんな案をわたしに提示してきた時点で女は流血を望んでいないと察してわたしはわざと訊いてみる。

「いいけど。

 そしたら、一生呪うよ? 

 そう、あなたのその綺麗なお顔、一生痘痕だらけとかどう? 」

 女がその容姿を自慢しているのはさっきからひっきりなしに鏡を覗き込んでいる仕草から分かった。だからその容姿を失うのは何よりも怖いはずだと見越してわざと言ってみる。

 案の定女の顔から血の気が引いた。

 

 

「まぁ、仕方がないわね。

 冷静に考えてみればそのとおりだもの。

 あなたでなくわたしだって、知らない場所にいきなり連れてこられたりなんかしても、帰る方法があればとっくに帰っているはずだもの」

 女はすぐに考えを切り替えたように言うと、大きく開いたデコルテのドレスの胸元から一本のガラスのような透き通った小瓶を取り出した。

 

 嫌な予感がしてわたしのこめかみのあたりが引きつる。

 

「……あなたが拒否した時の方法も考えてなかったわけじゃないし。

 いいわ。

 そっちに切り替えましょう」

 にっこりと、これ以上ないほど華やかな笑みを女は浮かべた。

「高価な薬だったけど、少し余計に手に入れておいて正解だったわね」

 言いながら、蓋を開け中の液体を床にこぼす。

 妙な匂いが部屋の中に広がった。

 あの時、殿下の監禁されていたあの小屋の中に充満していた匂いだ。

 

 そう気がついた時には中にいた人間がみんなして部屋を出てゆくところだった。

「なにすんのよ! 」

 問いながらわたしもあとを追おうとしたが、そのわたしの鼻先でドアが閉まる。

「いいから、そこで暫く寝ていらっしゃい」

 ドアの向こうから女の声がする。

 そして、足音が徐々に遠ざかっていった。

 

 何を考えているんだろう? 

 

 女の行動がイマイチ読めなくて考える。

 正確には考えようとした。

 だけど、出掛けに女のこぼして言った液体の匂いが徐々に部屋の中に充満し…… 

 気がつくとわたしは眠りにひきこまれてしまっていた。

 

 

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