・枕があがらなくなったので、
「見舞いに行った、だと? 」
どこからか、殿下の声がする。
妙に怒りと不安を含んだ今まで聞いたことのない声だ。
「確かに、引き止めておかなかった私にも落ち度はあるが。
アゲート、何故止めなかった? 」
怒りの矛先は明らかにアゲートに向いている。
「違うの、そうじゃないの。
アゲートはちゃんと止めてくれたもん」
言いたいけど、喉が腫れて言葉が出てこない。
そもそも目も口も開けるのがしんどい。身体が動かない。
「アゲートのせいではありませんよ。
もし見舞い先で感染したのなら発病が早すぎます。
恐らく珊瑚様もあの祭りの最中に例の楽団員と接触をしたのではないかと…… 」
殿下の言葉を受け、キューヴの声が言う。
「潜伏期間には個人差があると言う話ですから…… 」
……そっか、キューヴ戻ってきたんだ。
薬、ちゃんと持ってきてくれたのかな?
確かめたいけど……
動けない……
みんなの会話から今自分がどうなっているのか、なんとなくわかった。
……抜かった。
症状がおんなじでも全く違う病気だったのか、それともワクチンが効かなかったのかは定かじゃないけど……
少しばかり見通しが甘かった。
何やってるんだろう、わたし。
いいかげんな考えで皆に迷惑かけて……
謝りたいけど、やっぱり動けない。
胸が圧迫されて息が苦しい。
あえぐように口をあけ大きく息を吸ってみるけど、肺の中に空気が入ってこないような気がする。
まるで自分の身体じゃないみたいで、どこに身を置いていいのかわからない。
躯中が熱を帯びて熱く火照り、関節という関節が、皮膚が酷く痛い。
手足が重くて身体を起こすどころじゃない。
「珊瑚様、これ…… 」
キューヴがわたしの背中を支え起こして口元にカップを運ぶ。
煎じ薬らしい苦味と青臭さを含んだ独特の匂いが鼻をつく。
それだけで吐き気がこみ上げる。
「飲んでください。
陛下の魔女様の調合した薬ですので、珊瑚様に効くかどうかはわかりませんけど」
そう言ってカップを傾けてくれるけど、あまりの匂いのせいか喉を通るどころか口にも入らない。
こぼれた液体が喉を伝って胸元に滴ってゆくのがわかる。
「珊瑚様? 」
キューヴがわたしの顔を覗き込んでいるようだ。
「貸せ」
殿下の声がして、わたしの肩を支える腕ががっしりとした感覚のものに差し替えられる。
ややして、誰かの息遣いがわたしの顔の間近でする。
重い瞼をうっすらと開けると触れそうなほど近くに殿下の顔があった。
殿下の唇がわたしの唇に重なる。
駄目だよ……
伝染っちゃう……
拒否しようとしたけど、重すぎる手足は動かすこともできなくて、抱きかかえられた腕から身体を離す力も出ない。
重ねられた口から甘くて苦いそして青臭い液体が移ってくる。
腫れ上がって何も受け付けないと思っていたわたしの喉がこくんと動く。
「いい子だ」
わたしの額に頬をつけてあやすように殿下は囁くと優しく髪を撫でてくれた。
殿下はわたしの頭を枕の上にそっと置くと、肩口まで毛布を引き上げてくれた。
「あとはわたしが看ますから、殿下はお休みになってください」
アゲートの声がする。
「いや、いい…… 」
「では、何かありましたら、お呼びください」
殿下の声に重なるアゲートの声を耳にしながら、わたしは眠りに引き込まれていった。
目が覚めると、夜なのか部屋の中は闇が広がっていた。
枕元の傍らで蝋燭の小さな炎がかすかな光を投げかけている。
静まり返った部屋で何かが動いたような気がして視線を向けると、ベッドの端に寄せられた椅子に腰掛けて、アゲートがうつらうつらしている。
起き上がろうとすると、アゲートが目を開きわたしの顔を覗き込んだ。
「ご気分はいかがですか? 珊瑚さま」
できるだけ刺激しないようにとの配慮なのか、低く抑えた声でアゲートは訊いて、わたしの額に手を伸ばす。
「良かった。熱、少し下がったみたいですね」
アゲートの顔が綻んだ。
「ごめ、ん、迷、惑か、けて…… 」
乾ききった喉に声が張り付き思うように喋れない。
「喉、渇いてます?
お水飲みますか? 」
立ち上がると傍らの水差しに手を伸ばす。
「ずっとついていてくれたの? 」
受け取ったカップを口に運び、ようやくわたしは声を出す。
「ずっとついていて下さったのは殿下です。
さすがにお疲れのご様子でしたので、先ほどお休みいただきましたけど」
アゲートがやんわりと笑みを浮かべる。
「みんな、は? 」
「え? ああ、村の人たちですか?
キューヴのもってきてくれた薬のおかげで皆快方に向かっていますよ。
もちろん、ラリマーもです。
一人も死人が出なかったのは快挙です」
一番気になっていた事を訊けてやっと安堵する。
ほっとしたらまた眠気がやってくる。
「ありがとう。
わたしはもう大丈夫だから。
下がって、休んで。
アゲートももう何日もろくに休んでいないんでしょ? 」
枕に頭を預けたまま言う。
「じゃ、そうさせてもらいますね。
誰かが枕元にいるかと思うとゆっくり休めないでしょうから。
殿下には珊瑚さまがお目覚めになったこと、ご報告しておきますから」
アゲートは枕もとにあった燭台を取り上げた。
次に目が覚めると、日はもう完全に上がっていた。
窓の外からは何時ものように誰かしらの声が聞こえる。
けれど、この階からは人の気配がしない。
横になったままぼんやりとしていると、誰かが部屋に近づいてくる足音がする。
「珊瑚さま、お加減いかがですか? 」
ドアが開くとアゲートが盆を手に顔を出した。
「お薬と、お茶をお持ちしました」
部屋に入るとアゲートはわたしに手を貸してベッドから起き上がらせた。
「これ飲んでくださいね」
差し出されたカップの中には昨日と同じ青臭い匂いのする液体が揺れていた。
喉の腫れがひいていたのは自覚していたけど、喉を通るとは思えないような苦手な匂いだ。
「わがまま言わないで飲んでくださいね」
顔をしかめているとアゲートが苦笑いを浮かべた。
「うん…… 」
仕方なくしぶしぶ口をつける。
口の中に広がる妙に甘くて渋くて青臭い味に朦朧としていたわたしの記憶が蘇る。
「殿下は? 」
思わず声をあげる。
「殿下でしたら、今朝方早く王都へお戻りになりましたよ」
いつものように淡々とアゲートは答えた。
「珊瑚さまの様態がはっきりするまではと、再三の王都からの呼び出しをお断りになって、四日意識のなかった珊瑚様に付き添っていらっしゃったのですが。
昨夜、深夜に珊瑚さまが目覚められたのを確認なさってお出かけになりました」
「そうじゃなくて…… 」
わたしの指が無意識に口元に向かう。
伝染っちゃうって思ったのに抵抗できなくて……
「それでしたら、ご心配なさらなくても大丈夫ですよ」
わたしが言おうとしたことを察してアゲートが答えてくれる。
「どうして、大丈夫だって言い切れるの?
それにアゲート達だって…… 」
ラリマーは一人隔離された粗末な小屋の中に寝かされていた。
わたしだって、その扱いを受けていいはずなのに……
「この病は大人になればなるほど重症になって、老人は簡単に命を落とすこともあります。
ですがどういうわけか、赤ん坊のうち、母親の母乳を飲んでいる時に掛かるとごく軽症で済むんです。
その上一度掛かれば一生かかりませんから。
わたしとキューヴは運良くこの病が蔓延した年に生まれたんです。
あ、殿下もそうだったそうですよ。
何年かに一度しか流行らない病ですから、そのときに乳飲み子だった人間は運がいいんです。
もちろん、他の人たちにはこの階への立ち入りは禁じてあります」
乳飲み子のうちに感染すると軽症で済むってことは、やっぱりわたしの居たところの麻疹と、この世界のハシカって音がおんなじだけで根本的に違う病だったんだよね。
どうりでワクチンが効かない訳……
「本当にごめんなさい、軽はずみな真似をして。
アゲートが殿下に怒られてしまって」
わたしは肩を落とす。
「そんなに、気にしないで下さい。
殿下だって珊瑚さまが心配だったんですよ。
わたし達と違って、絶対に免疫持っていないってわかっていましたから。
それにキューヴが言うのに、珊瑚さまも祭りの最中に感染した可能性が高いそうです」
「もしかして、あの人がそうだったのかな? 」
「ご存知だったんですか? 」
「うん、空咳をしていた楽団員の人に声を掛けたの。
まさか、こんな大事になる病気に掛かっている人だなんて思わなかったから。
わかっていれば、こんなことにならなかったんだよね…… 」
「ですから、それは珊瑚さまのせいじゃないんです」
アゲートは腰に手を当てて一つ息を吐くと何かを思い出したようにエプロンのポケットに手を突っ込んだ。
「これ、キューヴから渡して欲しいと預かりました」
ハンカチに包まれた何かを差し出す。
それを受け取り、そっと開くと銀色に光を放つ指先ほどの石をペンダントヘッドに加工したものが現れる。
「これって…… 」
「『角』の残りだそうですよ。
これは珊瑚さまが持っているべきものだと、あちらの魔女様がお返しくださったのだそうです」
「全部使ってもらっても良かったのに。
たしか、欲しくても手に入らないほど貴重な物だって言ってたよね。
だったらわたしの手元にあるより、国王陛下の魔女様に持っていてもらったほうが良くない? 」
こうしてわたしの手元にあってもただの石だけど、国王の魔女なら有効に使ってくれる筈だ。
「貴重なものだからこそ、お返しくださったんですよ。
必要な量はきちんといただきましたと仰っていたそうです」
やんわりとそう言ってアゲートはわたしの持つカップを指差す。
「お話はこれくらいにして、それを飲んだらもう少しお休みくださいね。
一日でも早くお元気になっていただかないと、またわたしが殿下に叱られてしまいますから」
そう言って笑顔を向けた。
それから一週間後、砦の出口になる跳ね橋式の踊り場の上でわたしは思いっきり背伸びした。
外の空気は久しぶりだ。
砦の小さな窓からでは堪能できない、篭った匂いのない空気を思い切り胸に吸い込む。
「珊瑚さま。あまり遠くに行かないで下さいね。
まだ熱が下がったばかりなんですから。
井戸の脇で洗濯の手を止めアゲートが叫ぶ。
「わかってる! 」
わたしは答えると中門を出て広場に向かう。
……もう、大丈夫だよね。
ゆっくりと睫を落とすとその辺りの気配を探る。
うん。
大丈夫。
嫌な感じはない。
本当は、祭りの前に確認するべきだった。
そのくらいのこと探るのは簡単だった。
考えてみればそれもわたしの仕事だったはずなのに、今回の騒ぎが起きなければそんなこと考えもしなかった自分が情けない。
外門の方から犬の吼え声と、子供のはしゃぎ声が響いてきた。
視線を向けると、ティヤとラリマーがじゃれながら走ってくる。
「お姉ちゃん! 」
わたしの姿を見つけたティヤが駆け寄ってきた。それにラリマーが続く。
「ラリマー、もう平気そうだね」
「うん。お姉ちゃんの持ってきてくれた薬のおかげなんだよね。
ありがとう! 」
これ以上ないほどすてきな笑顔を向けてくれる。
「よかった」
つられてわたしも笑顔になる。
「あ、そうだ。これ…… 」
ラリマーは握り締めていた手紙を差し出した。
「なぁに? 」
腰をかがめてそれを受け取りながら訊く。
「さっき門の外で預かったんだ。
アゲートお姉ちゃんに渡してくれる? 」
「うん。いいよ。
ありがとう」
受け取った封筒にはアゲートの宛名がある。
……なんだろう。
なんだかとっても幸せな気分になる。
手にとっただけで、込められている暖かいものが伝わってくるような気がした。
わたしはその手紙を持ってアゲートのところに急ぐ。
「アゲート、これ今預かったんだけど」
洗い終えた洗濯物を広げていたアゲートに差し出すと、その顔が急に綻んだ。
「やっぱり、彼からなんだ」
ふと呟くとアゲートの頬が桜色に染まる。
「そ、そんなんじゃ……
マラカイトはただの幼馴染なんです」
口では否定しているけど、初めてみるこんな嬉しそうなアゲートの顔がそうじゃないことを物語っている。
「じゃ、ゆっくり読んでね」
せっかくの手紙を読むのに邪魔しちゃいけないから、わたしはその場を離れる。
……いいな。
嬉しそうに顔をほころばせるアゲートがなんだか羨ましくなった。
殿下、どうしているんだろう。
そんな思いが湧いて出て胸を締め付ける。
あの、大好きな笑顔を見たくて仕方なくて……
あの、皆に指示を出すときの精悍な表情も大好きで……
すぐにでも会いに行きたいような衝動に駆られてしまう。
わがままだって分かっているけど……
わたしの意識がない間、王都からの呼び出しを断ってまで、ずっとついていてくれたってアゲートが言っていた。
だから、きっとやらなくちゃいけないことが溜まっている筈。
すぐに戻ってこられるはずがないのは分かってる。
だから、そんなわがまま言って殿下を困らせちゃいけないってことも……
広場の隅に置かれたベンチに腰を下ろし、わたしは誰も居ないのをいいことに一つ大きなため息をつく。
城門の付近で何か動くものが目に入り顔を上げると、キューヴの青鹿毛の馬が入ってくるところだった。
「お帰りなさい! 」
わたしは馬を止めたキューブに駆け寄った。
「どうしたんですか? 珊瑚様。
こんなところで、お一人で」
意外とでも言いたそうにキューヴは目をしばたかせた。
「どうって、別に……
一人で砦の中に居るのも飽きちゃったし、たまには外の空気を吸いたいななんて思って出てきたんだけど……
いけなかった?
どうせ、まだ病み上がりだからベッドの中にいろとかっていいたいんでしょ? 」
わたしは笑みをこぼす。
「いえ、そうではありませんけど……
殿下はどうなさっていますか?
何時もなら何かない限り、こちらにいらっしゃる間は珊瑚様をお側から放さないはずですよね」
キューヴが首を傾げる。
「殿下ならまだ戻っていないけど? 」
わたしはキューヴの顔を覗き込む。
「そんな筈は……
あちらでの所用を終えすぐにこちらにお戻りになった筈なんです。
病み上がりの珊瑚様が心配だからと……
事後処理が残っていたので僕が残ることになって、こうして一足遅くなったのですが…… 」
「それって何時の話? 」
わたしはキューヴに詰め寄った。
「おとといですが。
それともこちらに着てからまた視察の必要な案件でもできてお出かけになったとか? 」
「ううん。
殿下、あの日王都に行ったきり戻ってないけど。
もしかして他の処に寄っているとか? 」
「いいえ、それはないと思います。
もしこちらへ来る途中で行き先を変更されたのであれば、必ず僕のところには連絡が来るはずですから」
キューヴが眉根を寄せた。
「……じゃ、殿下はどこに行ったの? 」
わたしの問いにキューヴは答えない。
ううん、答えられない。
……何か嫌なものが頭の隅に沸きあがってくる。
何かがあった。
それも笑い事で済まされないような何かが……
わたしの頭の隅に沸きあがった言い知れぬ不安は見る間に頭をもたげて大きくなってくる。
何時ものように出掛けに額にキスをしてもらえば、こうなることが分かっていたかもしれない。
なのに、何故今回に限って?
「珊瑚様? 」
黙りこんでしまったわたしの顔をキューヴが覗き込んでくる。
「う、ん…… 」
なんて言っていいか分からない。
ただの思い過ごしであって欲しいと思う。
思うんだけど、ここへ着てからのわたしのこの手の勘は冴えに冴えてる。
勘というより予知といったほうがいいほどに……
これも魔女の力の一片なのかも知れない。
だけど、役立たずなことに、あくまでも予知だけだ。
それを回避する方法を見出したためしがない。
「珊瑚さま。風が変わって来ましたから、そろそろ中にお入りになってくださ…… 」
アゲートが駆け寄ってくる。
「どうかなさいましたか? 」
わたしとキューヴの顔を見て首を傾げた。




