・家庭教師がきたので、
「本当にいつもあわただしいですね」
殿下を見送って立ち尽くしていたわたしに、何時の間に側にきていたアゲートが、いう。
「行きましょう、珊瑚さま。
お夕食の準備ができていますよ」
言ってわたしを促した。
「うん」
殿下の消えた城門に視線を固定したまま、わたしは身体だけ砦のほうに向ける。
殿下があの城門を出てまだ何分も経っていないのに、もう顔が見たくて仕方なくなっている。
本当は、今日みたいに目覚めた時から側に殿下の顔があって、できることなら眠りにつくその瞬間まで殿下の笑顔を見られて、殿下の胸で眠れたらどんなに幸せだろうって思う。
そんな欲張りなことを考えて、今までのわたしはそのたびに切なさに胸を締め付けられていた。
だけど、今日は……
さっき殿下が唇を落としてくれた額に無意識に指先が向かう。
何故だか大丈夫だって思えた。
額に残るその甘い感覚が、すぐ側に殿下がいるように感じさせてくれる。
だから……
わたしは真直ぐに顔を上げる。
「珊瑚さま? 」
アゲートがゆきかけた足を止め、わたしを促した。
「うん。今行く」
わたしはアゲートに駆け寄った。
翌日夕刻、目の前に並んだ人物を前に言葉を失う。
一人は高齢の白いお髭のおじいちゃん。
二人目は黒い口ひげの最初のおじいちゃんより少し若い背の高い小父さん。
ふたりとも、そこそこの身なりをしているから村の農民じゃないのは確か。
そしてもう一人、少しきつめのものすごい美人。赤み掛かった茶色の髪を首筋辺りでお団子にって、うぐいす色のスタンドカラーでほとんど飾りのないドレスを着て地味にしているけど、その顔の造作は隠せないって言うか。年齢は三十前ってところだと思うけど、イマイチよくわからない。
「紹介しますね」
この人たちを連れてきたキューヴが満面の笑みを浮かべて言った。
「右から経済学のツァボラ先生、国史のデマント教授、それからカイヤ夫人。
夫人は礼儀作法全般をご教授して下さいます」
「『昨日の今日』って殿下も人のこと言えないじゃない」
昨日出発前に言った殿下の言葉が脳裏に浮かびわたしは呟く。
確かに経営学とか、知識が欲しいってお願いしたのはわたしだけど……
それはまだ昨日の話で……
まだ丸一日しか経っていないのに、三人も家庭教師を手配して送り込んでくるって、殿下も相当仕事が速い。
まるでもうとっくに準備してわたしが言い出すのを待っていたかのようだ。
「よろしくお願いします」
頭の中にはいろんなことが渦巻いていたけど、文句を言う相手は目の前にいないし、ただ突っ立っているのも失礼だから、わたしは頭を下げる。
「そんなに気に入らないお顔しなくても大丈夫ですよ。
皆さん国一番の教授ですから、ものすごく多忙なんです。
珊瑚様につきっきりでご教授していただくのは月に数日程度ですから」
砦の中に一行を促しながらキューヴがわたしの耳元で囁いた。
「わたし、そんなに顔に出てた? 」
「はい、しっかり。
珊瑚様は何でも顔に出るのでわかりやすいです」
にっこりとキューヴが微笑む。
わたしにもわかる、このキューヴの笑みはいつも何かをたくらんでいる時だ。
「ね、キューヴ。
キューヴはこれから殿下の所? 」
「はい、そうですが…… 」
「じゃ、お礼を伝えてくれるかな?
『早速の手配ありがとうございました』って」
「早速」の部分に力を入れてわたしは言った。
「はい、確かに。承りました」
その意味を察したかのようにキューヴはやんわりとした笑みを浮かべた。
一度に三人もの家庭教師をつけられて、その翌日からのわたしの生活は一変した。
キッチンでクッキーでも焼きながら料理人のおばさんと世間話をしている暇どころか、アゲートと自室で会話を交わす暇もない。
とにかく毎日、朝から晩まで三人の誰かを相手に書庫でテキストを開く。
できることなら三人一緒じゃなくって日をずらして一人づつにして欲しかった。
これじゃ、目が廻るだけで覚えるものも覚えられない。
新しい知識でパンク寸前の頭を抱え、わたしはうめくしかなかった。
とにかく、子供の頃から育った環境とは全く違うのだから同じ歴史の一事件を切り取ってもその時代背景とか生活習慣とかその他もろもろが付随して莫大な情報量になる。
そんなわたしの頭の中を理解してくれない教授達は限られた時間で、少しでも多くのことをわたしの頭の中に叩き込もうと躍起になってくれる。
「ロンディア国とリュウィナ国でお互いに王女をその国の国王もしくは王子に嫁がせたってことは、つまり人質交換? 」
わたしは手渡された本を手にデマント教授の顔を見ながら首を傾げる。
「はっきり言ってしまえばそんなものです。
ですが、そのおかげで、その代の時、このロンディア国の王子が王位に就く前に早世し子孫を残さなかったにもかかわらず、隣国のリュウィナ国へ嫁いでいた姫君の産んだ王子が王座につき、国名をロンデリュウィナ王国と名を変えながらも王家の血を絶やすことなく存続している訳です」
「……それって、乗っ取りって言わない? 」
わたしは手元にある筆記具を弄びながら訊く。
「その早死にした王子様、事故死だったか病死だったか知らないけど。
隣国はまんまとこの国の政治に口を出す権利を手に入れたって訳じゃない。
うまいことやったって言うかなんて言うか……
いい意味運が良かった? 」
教授は大きく目をしばたかせてわたしの顔を覗き込むと呆れた顔をした。
「……呑みこみがいいのは喜ばしいのですが」
コホンと一つ咳払いをする。
「大きな声で言わないで下さい。
この国はすでにロンディア王国ではないのですから」
たしなめるように教授は言う。
「確かに、魔女様はそのお立場であるが故、今後そう言った決断を迫られることもあるでしょうから、上っ面の出来事だけでなく裏の事情も理解していただければ幸いですが」
声を潜めながらも教授は続ける。
「それで、国民の血税の投入や無駄な流血が避けられれば、これ以上利口な侵略方法はないと思いませんか? 」
「確かに…… 」
教授の言葉にわたしは頷く。
いや、もう……
こうなると国史の授業じゃない。
『帝王学』って名前だけしか知らないけど、こういったことを学ぶのかな、なんて思ってしまう。
なんかわたし、ほんっとに、世界だけでなく、生まれとか育ちとか超越したとんでもないところにきちゃったんだって改めて思い知らされる。
ため息をついて顔を上げると、窓の向こうがざわめきだしたのが耳に入った。
開け放してあった窓から馬の姿が見えた。
あれは……
一瞬弾んだわたしの心は、大きな栗毛の馬の姿に一気に落ちる。
栗毛の馬はサードニクス将軍の愛馬だ。
「一休みしましょうか? 」
丁度いいタイミングとばかりに教授は言う。
その声を受けわたしは立ちあがると、外に出た。
「お帰りなさい」
ホールを抜けた跳ね橋式の踊り場で足を止めると、丁度階段をあがり始めた将軍に声を掛ける。
「これは……
出迎えていただけるとは光栄です」
将軍が目を見開く。
「残念ですが、殿下でしたら王都に向かいました」
「うん、わかってる。
そうじゃないかと思った」
わたしは頷く。
「お時間の都合がつくようでしたら、少し私にも付き合っていただけませんか?
乗馬もしっかりこなせるようにと、殿下から言い付かっておりますので」
わたしに言うようにしながら実際は背後にいた教授に向かって将軍は言う。
「いいですよ。
今日はここまでにしておきましょう」
ため息混じりに教授は答える。
「ありがとう。連れ出してくれて」
城門を潜ると、わたしは将軍に礼を言う。
「いいえ、だいぶお疲れのようでしたので…… 」
将軍は頬を緩ませた。
「わかる? 」
「ええ、目の下くまができてますよ」
「ホント? 」
「ですから、私でも魔女殿がだいぶお疲れの様子がわかったといいますか」
「う~、体力には自信があったんだけどな」
わたしはゆっくりと馬を歩かせながら首を傾げる。
青毛の馬の首越しに見る光景は何時の間にか一面の緑から、一部の区分が黄金色に変わっていた。
乗りなれてしまった馬の背中からの視界は、別段珍しいものではなくなってしまったけど、頬を撫でるかすかな風が心地いい。
やっぱり、馬に乗るのは好きだなって思う。
「慣れない環境ですし、お疲れが溜まっていらっしゃるのでしょう。
実は、殿下から戻ったら魔女殿に兵法についての講義をと言われていたのですが、当分見合わせたほうがよさそうですね」
将軍はやんわりとした笑みを浮かべた顔をわたしに向ける。
「殿下が、そんなことまで? 」
「はい、魔女殿のお能力ですと、前戦に出ることはほぼありえないと思いますが、知識として戦法も頭の片隅に入れて置かれたほうがこの先いいだろうと…… 」
「はあ…… 」
将軍の言葉にわたしは思わず大きなため息を隠さずについた。
「当分先にしますよ」
将軍は声を出して笑う。
「いいの? 」
「もちろん。
魔女殿はこの先ずっと陛下と一緒ですし、私はその陛下と行動を共にするのが常ですから、時間なら相当、余るほどあるはずですから…… 」
わたしの顔を見ながら答えると、将軍は一気に馬を走らせた。
ついて来いって言っているみたいに時々振り返ってわたしに視線を送る。
「……なにが、時間があるから見合わせるよ」
わたしはその後ろ姿を目に呟く。
かろうじて乗れるようにはなったものの、まだ早駆けは苦手だ。
それを承知でついて来いといいながら先に行くって、やっぱり乗馬の訓練じゃない。
わたしは誰も見ていないのをいいことにもう一つあからさまに大きくため息をついて、馬に拍車をかけた。
結局、休むなんてとんでもない話で、砦に戻った時にはもう日が暮れていた。
くたくたに疲れて戻ってくると白髪のおじいちゃんが待っている。
「随分長い休憩でしたな? 」
ツァボラ先生は半ばお冠の様子で言う。
結局、このあと。
蝋燭の明かりを頼りに、深夜まで授業を受ける目に遭った。
経済学といいつつ、こっちも領民からどうやって気持ちよく納税してもらえるかとか、資金運用とか、挙句には荘園のいさかいの治め方とか、多岐にわたりすぎ説明不能。
「お疲れの模様ね」
翌朝、眠い目をこすりながら朝食をしにホールへ向かうとカイヤ夫人がわたしの顔を覗き込んで言ってくる。
「ダンスや、お作法入る余裕あるかしら? 」
夫人は手にした扇を広げると、その影でくすくすと軽い笑い声をあげる。
「ダンス、も? 」
わたしは顔を引きつらせた。
決められたとおりに身体を動かすのは正直苦手。
「ええ、殿下からそうお願いされていてよ。
完璧とまではいかなくていいので、恥をかかない程度のステップが踏めるように仕込んでくれと。
ここじゃ、あまり必要はないけど、いずれあなたが王城に上がった時には必要不可欠になるからって」
それって……
ここにきてからずっと、この砦の中だけで生活していて、主も使用人も皆で一緒に食事をしてマナーとか何とか、ややこしいこと誰も言わなかったから、そんなもんだと思っていたんだけど。
それが通じるのって、この砦だけの話だったってことだよね。
わたしは眉根を寄せて唸りたいところを抑える。
先日もキューヴに感情丸わかりだって言われたばかりだし。
すでに『ダンス』って言われた時点で凄い顔しているはずだから一緒なんだけど。
「ダンスは次の機会にしておきましょうか?
それで安心しないでね。
お辞儀の角度からドレスの捌き方、覚えることはたくさんあってよ」
華やかな笑みをこぼしながら夫人は続けた。
なんともそれが色っぽくて、どうしてこんな人が礼儀作法を教えに来てくれたのかと、わたしは頭を傾げた。
一週間ほどして三人が引き上げた翌朝。
何か妙な痛みにわたしは眠りから覚めた。
「……なんだろう? 」
額の辺りを抑えつつ、起き上がろうとしてわたしは息を吐く。
頭を何かが締め付けている。
そんな感じの頭痛に襲われ、もう一度枕に引き戻される。
そのまま動くこともままならないでいると、やがていつもの時間にアゲートが現れた。
「珊瑚さま?
どうしました? 」
ベッドの中で枕を抱えたまま身動きのできないでいるわたしを覗き込んでアゲートが訊いてくる。
「ごめん、少し、このまま寝かせておいてくれるかな? 」
頭痛薬をお願いしたいところだけど、そんなものあるかないかわからないし、あまりの痛さに説明するのも辛い。
何よりアゲートに余計な心配をかけさせたくなくて、わたしはうめくように言った。
「大丈夫ですか?
これを飲んでください」
結局、わたしの様子から症状を察したアゲートが大慌てで手配してくれたカップを手渡してくれる。
「何? 」
カップの中では真っ青な到底口にする意欲を萎えさせる色をした液体が揺れている。
「頭痛に効く薬湯です。
少し苦辛いですけど、よく効きますから。
午後には起きられるようになると思いますよ」
そう言って飲むのを促す。
「少し、根を詰めすぎたんですよね。
教授方がいる間は珊瑚さま本当に夜中まで何をする暇もなかったですから…… 」
言われるままにカップの中のものを喉の奥に流し込み、わたしは再びベッドに突っ伏した。
そのまま動けないわたしの頭に濡れたタオルを乗せながらアゲートが言ってくれる。
「でも、駄目ですよ。
お辛い時にはちゃんとそう言ってくださらないと。
もし珊瑚さまに何かあったら殿下に叱られるのはわたし達なんですからね」
言葉はきついがその声はものすごく優しい。
「うん、ごめん。
一日も寝ていれば治るから…… 」
うめくように言ってわたしは目を閉じた。
「殿下には言わないでね、心配かけさせたくないから」
枕を抱えて側にいるはずのアゲートに言う。
「わかっています」
そっと囁くように言って、アゲートは優しくわたしの頭を撫でてくれた。
「もうすぐ、麦の収穫祭なんですよ。
楽しみにしていてくださいね」
そう言ってアゲートは部屋を出て行った。
楽しみってなんだろう?
痛みが酷くて、その上さっき飲んだ薬が効いて来たのか強い眠気にも襲われ、わたしはそれ以上何も考えられないまま、眠りに引き込まれていった。
綴じた瞼の裏側に殿下の顔が映っている気がして、なんだか凄く幸せな気分だった。
「大体無理をさせすぎなんですよ。
一度に三人もの家庭教師を送り込むなんて…… 」
枕もとで誰かの話声がする。
「それは私の責任では……
そこまで徹底しろとは言わなかったのだが」
一つの声は殿下に似ている。
「……確かに珊瑚様の覚えのよさに、面白がって詰め込んだのは教授たちですけどね。
教授達が言ってました。
珊瑚様はこの国の水準では比較にならないほど高度な教育を受けてきた可能性があると。
読み書きどころか計算もかなりの難易度のものを簡単にやってのけたそうですよ、殿下…… 」
その言葉の端にわたしの意識は一気に現実に引き戻された。
そこにはあんなに焦がれていた顔がある。
嘘、まさか?
そんな思いで飛び起きる。
「珊瑚さま! 」
アゲートが声をあげた。
「あ…… 」
ぼんやりとした目で周囲を見渡す。
午後の日差しに熱を持つ部屋の空気の中にいたのはアゲートだけ。
ずっとついていてくれたのか、膝の上には途中の針仕事が乗っていた。
「お加減は? 」
訊いてくれるアゲートにベッドに座ったまま額に手をやりこぼれ落ちた前髪をかきあげながら確認して答える。
「うん、もう大丈夫みたい。
心配かけてごめんね」
「良かった……」
そうそう、珊瑚さまにいいお知らせです。
殿下が二・三日のうちにお戻りになるそうですよ」
アゲートは花が開くときのように華やかな笑みを浮かべる。
と、言うことはもしかして……
わたし、殿下恋しさに幻でも見るようになったのかな?
いくら何でも我ながら重症かも?
まだ少しだけぼんやりとした頭で考える。
確かに枕もとで殿下とキューヴの会話しているのをきいていたような気がしたんだけど?
「どうしました? 」
「ね? キューヴは? 」
「キューヴも殿下と一緒だそうです。
それが何か? 」
「ううん、なんでもない」
アゲートの問いにわたしはその妄想を振り払うように頭を振った。




