・役立たずだったので、
砦の主の帰宅を聞きつけて、あちこちから集まってきた人の姿が消えたのは晩餐が済んだ後だった。
殿下は荘園を預かる荘園主や森番、厩の馬丁に至るまで、すべての報告を聞き的確に指示を出し、短時間で片付けてゆくが、さすがに人数が多すぎた。
わたしは以前のようにホールで殿下の傍らに座らされて、同じ話を聞く。
とはいっても政治にも農園経営にも領地の管理にもましてや軍事にも無縁だったわたしに簡単に理解できる話じゃなくて、ただ耳を傾けているだけだった。
ベテランの魔女だったら、ここで何かを提案し乞われれば魔力を提供するらしいんだけど。
……自分の無知と役立ずっぷりが恨めしい。
こんなことなら、何でもいいから雑学片っ端から頭の中に詰め込んでおけばよかったかも。
なんて思うけど、今更遅い。
「どうした? 」
ようやく開放され席を立つと同時についたため息をしっかり殿下に聞かれて問われる。
「なんでもない」
自分に腹を立てていたせいで、少し口調が荒くなっているのに気がついてはいた。
「何を怒っている? 」
それを自分のせいとでも勘違いしたのか、殿下はわたしの顔を覗き込んで訊いてきた。
「別に、怒ってなんかいないけど…… 」
言ってその視線から目を逸らす。
まさか、自分にあきれ返っているなんて恥ずかしくて言えない……
「悪かったな。何も言わずに出かけたきり戻れなくて」
その言動を勘違いしたのか殿下はわたしの手を不意に取ると優しいまなざしで顔を覗き込んであやすように言う。
「そうじゃないの、あのね…… 」
殿下がわたしに何も言わないでいなくなるのはいつものことだ。
それ自体はあんまり気にしていない。
ただ長い間顔が見られないことだいけは切ない。
言いかけたところを身体ごと持っていかれそうな勢いで、強引に引き寄せられ抱きしめられる。
甘い何かを予感してとろけてしまいそうになるわたしの理性をあのときのキューヴの言葉が現実へと引き戻した。
わたしはその胸から抜け出そうと身体を捻り、自分の躯がすっぽりと収まっているその胸倉を押しやった。
「どうした? 」
わたしの顔を見て、いぶかしげに殿下は片眉を上げる。
「…… 」
その問いにわたしは口を噤む。
声に出せばきっと恨み言を言ってしまいそうだ。
「誰かに何か言われたか? 」
更に黙ったままのわたしを見て殿下の顔がふと緩んだ。
「心配しなくていい……
誰が何を言おうと、お前はわたしの隣に置いておく。
もう、そう決まっているのだからな」
言ってもう一度わたしを抱きしめると、そっと頬にキスを落としてくる。
そんな風に言われると抵抗なんてできなくなる。
ずっと側にいたいと思う人の隣にずっといていいなんて言われたら、意地を張ってそれを手放すなんてこと、わたしには不可能だ……
額や耳に、そして唇に落とされる深いキスに自然とわたしは応えていた。
肩の辺りで何かが動く感覚にわたしは目を覚ました。
そっと視線を動かすと、わたしの首の下を廻って肩の側に出された殿下の手がシーツに広がるわたしの髪を掬い上げ、指に絡めては解いて弄んでいる。
視線を反対側に移すと、ぼんやりとその髪を眺める殿下の視線と目が合った。
「髪、随分伸びたな…… 」
そっと耳元でつぶやかれた。
「うん、アゲートに時々切ってもらってはいるんだけどね…… 」
これだけはなぜか未だにコントロールできない。
わたしはその手に自分の手を重ねると、しなやかな指に自分の指を絡め頬に引き寄せる。
暖かい……
頬に触る手から伝わってくる暖かさ。
その柔らかな熱は不思議とわたしを安心させてくれた。
ずっとこうしていられたらいいのに……
そんな風に思っても、無慈悲にも空が白み始める。
窓の外からは小鳥の囀る声がかすかに聞こえてきた。
自分の胸に引き寄せるようにわたしの躯に絡まる殿下の腕をそっと引き離し、起き上がる。
それを逃すまいとするかのように殿下の手が伸びてくる。
「まだいい」
少しかすれた声で言う。
「駄目」
やんわりと笑みを浮かべてわたしはその手を交わした。
「このお部屋から出てゆくところ、キューヴ達に見られたくないし」
「私は構わないが」
「殿下は構わなくっても、わたしは構うもん」
殿下がここにいるときには、キューヴをはじめとした使用人の数はかなりだし。
陛下のお部屋から朝帰りなんて何をしていたかひとわかりになると思うと恥ずかしい。
だから伸ばされた手に少しは未練を感じてもベッドを降りる。
その途端、首から下がったペンダントのヘッドが揺れ薄暗い室内に紅い光を放った。
「それ…… 」
殿下がかすれた声で訊きいてくる。
「ん、いただいたの。先王陛下に」
「じいさん、よく渡す気になったな…… 」
少しだけ驚いたような声。
「これ、先代の魔女様のお形見のような品物なのよね」
揺れる紅い光を見つめながら言うと手早く身支度に掛かる。
「知ってるのか? 」
「いただくときに話してくださったもの。
だから、いつかはお返しするって約束したの」
ベッドの上で気だるそうに横たわる殿下の姿を目にわたしはドアノブに手を掛けた。
「今日は昨日言っていた領地の枯れ井戸見に行くんでしょ?
わたしも連れて行ってくれるのよね」
言ってドアを開ける。
「そういえば将軍から乗馬を習っているそうだな」
「うん。馬に乗れるようになれば行動範囲が増えるでしょ?
今日も馬でもいいけど」
「いや、今日は少し遠出になるからお前を連れてゆくなら、馬車だな」
気だるげにベッドに伏せたまま殿下は言う。
「わかった。
じゃ、あとでね」
部屋を出るとわたしはドアを閉めた。
「ん~ 」
馬車を降りるとわたしは大きく伸びをする。
ずっと砦の中にいたから、こんな開放感は久しぶりだ。
目の前に広がるのは黄金色に枝垂れたおそらくは麦畑。
それがかなりの面積で連なっている。
「遠いところをわざわざ申し訳ございません」
この荘園を管理していると言う白髪の男が殿下を前にこれ以上ないほど深く頭を下げる。
「お話したのはこの井戸ですが…… 」
言って倉庫みたいな建物の影に案内してくれた。
砦の中庭にあるのとは少し違った形の井戸というよりは小川の跡みたいなものがある。
多分地下の水脈に穴をあけてくみ上げるんじゃなくて、水脈から自然に流れだすようにしたもの。
「今まで使い切れないほどに湧き出していたのですが、先日から急に水が流れ出さなくなりまして…… 」
男はその白い眉を八の字に寄せた。
なんか…… どことなく様子が変だ。
井戸を前にわたしは思う。
それが気になって、すっとわたしは目を細めた。
「何かわかるのか? 」
殿下がわたしの顔を覗き込む。
「うん…… 」
閉じた目蓋の後ろで浮かび上がる赤い流れの糸が井戸には全く通じていない。
「何か、水源が断たれたような…… 」
無意識にわたしの口から言葉がこぼれた。
「……! 」
それに対して何か思い当たることでもあったのか、周囲を取り囲む数人の男たちが顔を見合わせた。
「先日の大雨! あれか? 」
誰かが口走る。
「お前達、ちょっと山へ行ってきてくれ! 」
途端に周囲がざわめきだし、茫然とただ立っているわたしをよそに皆があちこちへ動き出した。
「……さすが、殿下の魔女殿ですな」
白髪の男は帰路につこうとした馬車に乗ったわたしに言う。
問題があっさりと解決したことが余程嬉しいのか、さっきから笑みが絶えない。
結局のところ、先日に降った雨で山中の小川の流れが変わりそのせいで水脈が断たれたというきわめて現実的な話だった。
魔女の能力なんて借りなくたって対処できちゃいそうな。
でもこういう時に魔女の能力が充てにされるんだって改めて思い知った。
「見事だったな、疲れたか? 」
走り出した馬車の中で殿下が訊いてくれる。
「ううん」
わたしは首を横にふる。
「わたし何にもしてないし…… 」
こんな風にずっと側にいられるなら、少しくらいの遠出なんて苦にならない。
「あのね、殿下。お願いがあるの」
「何だ? 」
殿下の顔がふと緩む。
「その、政治とか経営とか外交とか……
とにかくいろいろ、陛下の側にいて誰の話を聞いても理解できる程度の知識を欲しいの」
今のわたしじゃ完全に飾り物。
これじゃどっかの輸入品の壷でも飾っておくほうがまだマシ程度の。
だから、側で話を聞いていてそれに対する意見を積極的に言えるまでじゃなくても、せめてその話の内容くらいわかるようになりたい。
「わかった、誰か適当な教師を手配しよう」
そう言ってくれた殿下の顔はとても満足そうだった。
馬車で半日掛けていった道を半日で戻り、砦に入った時にはすでに日が暮れていた。
「お帰りなさいませ」
砦の出口で使用人がいっせいに並んで出迎えてくれる。
それがなんか慣れなくてこそばゆい。
そんな風に思っていると、年かさの使用人が殿下の前にひと巻きの書状を差し出した。
「王城からでございます。
至急お戻りあそばされるようにと…… 」
その言葉に今まで上機嫌だったわたしの心は掻き曇った。
殿下は仕方なさそうに書状を広げる。
「馬を! 」
指示を出しながら、書状に目を通すと諦めたような息を吐く。
「……全く、昨日の今日だぞ。
陛下もこのくらいものご自分で処理されればいいものを」
いかにも面倒だといった感じで呟く。
「キューヴ、済まぬがお前は王城へ向かえ。
わたしはこのまま北方の領地へ向かう。そのほうが早い。
それから…… サードニクスを呼べ、奴はわたしと共に」
殿下の指示に廻りに居た人々が手際よく動き出す。
わたしはと言えば、その場に立ち尽くしたまま何もできないで居た。
一通りの指示を出し一息ついた殿下と目が合う。
丁度そこへ支度を整えた殿下の愛馬が引き出されてきた。
「行ってくる。
できるだけ早く戻るようにするから」
そう言ってもう一度わたしの目を覗き込んで柔らかな笑みを向けてくれた。
「いってらっしゃい…… 」
引き止めることができないのをわかっているわたしは殿下の袖を握り締めたまま呟いた。
「済まぬな。
今度はもう少し長く一緒にいられると思ったのだが…… 」
言いながら手を伸ばしわたしの腰を抱き寄せる。
「や、殿下。
皆が見てる…… 」
それだけのことでわたしの顔には血が上る。
「構うな」
やんわりと笑みを浮かべると殿下はわたしの真っ赤に染まっているだろう額にそっとキスを落とした。
甘く優しい感覚がわたしの全身を駆け巡る。
同時に何か不思議な安堵感がわたしの頭の中を占める。
大丈夫……
脳裏で誰かが囁いたような気がして、ようやくわたしは安堵して殿下の袖を握り締めていた指の力を緩めた。
「なるべく早く戻ると、約束できぬところが痛いが…… 」
いいながら殿下は馬の鼻先を城門に向ける。
何時の間にか殿下の指示どおりに集まった人々がそれに習い、一向は砦を後にした。




