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・視線を合わせてもらえなかったので、

 

 着替えを済ませ螺旋階段を下りるとホールへ入るドアの前でわたしは足を止める。

 両掌で頬を軽く叩いて気合いを入れてドアを開ける。

「やっと起きたのか? 」

 同時に飛び込んできた顔が呆れたように言って笑いかけてくれる。

 それだけでわたしの鼓動が跳ねた。

「朝食皆さんお済になりましたが、珊瑚様どうしますか? 」

 一緒にいたキューヴが振り返ると訊いてくれる。

「ん、ありがと。でも、いいよ。

 せっかく片付けたのにまた散らかしたら申し訳ないし。

 お腹すいたらキッチンに行くから」

 ホールの中央に移動しながらわたしはキューヴに言う。

「そうですか?

 でしたら料理人に言いつけておきますね」

「それよりもキューヴ」

「はい、今お呼びします」

 殿下に言われてキューヴが足早にホールを出てゆく。

「留守の間に随分魔術が上達したと聞くが」

「上達したっていうのかな? 」

 キューヴの背中を見送りながらわたしは答えると、殿下に促されていつもの席に座る。

「猫の仔まで蘇らせたと聞いたが」

「まぁ、それは…… 」

 まだ胸を張ってそうと言えないところが哀しい。

 思わず伏せてしまった瞼を上げると、わたしに向けられていたと思えた殿下の視線がふと反れる。

 なんだろう? 

 視線が合わなかったことに一抹の不安を感じた。


「傷…… 」

 不意に思い出してわたしは殿下に向き直った。

「なんだ? 」

 わたしの言葉がわからないように殿下は睫をしばたかせる。

「傷、見せて。

 キューヴは完全に治ったって言ったけど、確かめたいの自分の目で」

 何しろわたしのしたことだし、どうなっているのか自分で確認しておきたい。

「ああ、わかった…… 」

 少し戸惑ったような顔をした後殿下は頷く。

 

「よかった…… 」

 シャツの前をはだけ、露になった肩に手を置いてわたしは一息ついた。

 殿下の肩には本当にキューヴの言うとおり傷痕一つない。

「動かしてみてくれる? 」

 言われるままに殿下が肩をうごかす。

 その動きも自然で痛みさえ全く感じていないようだ。

 目を閉じて浮かび上がるあの紅い糸の流れにもよどみは全く見出せない。

「痛くない? 」

「ああ、全く。あの日以来何の支障もないが」

 睫をしばたかせて答える殿下の顔をわたしが覗き込むと殿下はおもむろに視線を反らせる。

 ……まただ。

 どうしてだろう? 

 今日は朝から殿下はわたしの顔を真直ぐに見てくれない。

 胸が絞られる思いで無意識に胸元に行った手がドレスを握り締める。

 それとほとんど同時にホールのドアがノックされキューヴが顔を出す。

「殿下、お連れしました」

 キューヴは背後に伴っていた若い男を振り返って視線を送る。 

 男は怪我をしていたみたいで右手を吊っていた。

「彼なんですけどね、珊瑚様。

 実は先日の戦闘で怪我をしまして。

 傷は塞がったのですが手が思うように動かせなくなってしまったようなんです」

 男をわたしの前に出るように促した。

 

「……見せてもらっていい? 」

 わたしは男の手を取った。

「握ってみて」

 言われるままに男は動かしているようだけど、その指先は全く動かない。

 指先だけじゃなくて手首や肘も動く様子がない。

 代わりに男の顔が辛そうに歪んだ。

 わたしはその差し出された手に自分の両手を重ね、そっと睫を伏せる。

 伏せた瞼の裏側に無数の欠陥のような紅い流れが浮かび上がる。

 同時にぴりぴりとした軽い痺れが指先に走る。

 目を閉じたままその流れを目で追っていると、その中の一本が途中でぷっつりと切れているのが見て取れた。

 それをもう片方の流れとつなげて流れがもとに戻る様子をイメージする。

 ……っとわたしの掌に重ねられた男の指先が動いた。

「どう? 」

 睫を上げると男の顔を覗き込んでわたしは訊く。

「はぁ? 」

 男は何が起こったのか理解できていないような表情をしながら目をしばたかせて動かなかったはずの手を目の前で何度か握ったり開いたりしてみせる。

「……動きますね」

 まるで他人事のように呟く。

「痛く、ない? 」

「はい、全く! 

 ありがとうございました」

 男は嬉しそうな声をあげ、わたしに頭を下げる。

「よかったですね」

 キューヴが微笑みかけた。

「じゃ、またその様子によっては声を掛けてね」

 男を送り出すとわたしは一息ついた。

 

「たいしたものだな」

 それまでずっと黙って様子を見つめていた殿下がようやく口を開く。

 顔には満足そうな笑みが浮かんでいた。

 

 その笑顔がわたしに向けられているかと思うとたまらなく嬉しい。

 

「珊瑚様、もう昼食の時間なんですが、いいですか? 」

 その笑顔を堪能する間もなくキューヴに遮られた。

 いつもそうなんだけど、この力を使っていると、わたしの時間の感覚はものすごく曖昧になる。

 朝から正午までそれほどの時間を殿下は言葉もなく見守っていたんだと思うと驚かされる。

 

 それから午後はいつものように殿下の帰りを待っていた人々の相手に時間は費やされ一日が終わる。

「……はぁ」

 よく内容のわからない話に一日付き合わされてようやく開放されわたしは部屋に戻ると大きなため息をついた。

「どうしました? 」

 解いた髪にブラシを通してくれながらアゲートがわたしの顔を覗き込む。

「うん…… 

 結局、今日は殿下とお話できなかったなぁって」

「殿下のお帰りを待っているのは珊瑚様だけじゃありませんからね」

 アゲートが微笑む。

「あら? 珊瑚様、また髪伸びました? 」

 わたしの髪を手にアゲートが首を傾げた。

 

 それからの数日間、殿下は珍しく砦に長逗留していた。

 だけど…… どうしてなんだろう。

 殿下は帰ってきて以来、わたしの顔をまともに見てくれない。

 あの日以来触れることもしてくれない。

 だけじゃなくてまともな会話すらままなっていないような気がする。

 

 そのせいかな、一人になると考えてしまう。

 初めてされた突然のキス。

 驚きすぎるほど驚いたけど、嫌じゃなかった。

 きっとわたしは殿下のこと初めて見た時からただの好みの容姿ってだけじゃなくてどこか見えない部分に惹かれていたんだと思う。

 わたしの指があの時の感触を思い出させようとするかのように自然と唇に向かいそっと触れる。

 でもあの時殿下は『契約』だって言った。

 だったら…… 

 もしかしてキスが仮契約でそのあとが本契約だったとか。

 それって、なんだか哀しい。

 ……契約とかそういうの抜きだったら良かったのに。

 わたしはこんなに殿下のこと、好きで好きで仕方ないのに。

 殿下にしたらわたしはただの道具に過ぎないのかな、なんて思えてしまう。

 きっと殿下はわたしのこんな気持ち、気が付いてくれていないんだろうな…… 

 ……なんか、これ以上ないほど切ない。

 どうしたら殿下の気持ち、こっちに向けることができるんだろう? 

 どうしたら側に寄り添っていられるんだろう。

 もう帰れなくってもいい。

 殿下の側にいられるなら他に何にもいらないのに…… 

 気が付くとまた膝の上に握り締めたわたしの手の甲が濡れている。

 

 いっけない。

 あしたの朝また瞼を腫らしていたら、アゲートが大慌てしちゃう。

 

 わたしは涙の浮かぶ目元を乱暴に拭うと部屋を出た。

 

 なんだか無性に殿下の顔が見たくなっていた。

 殿下の顔を見たらこの涙が止まるような気がして…… 

 そもそもの原因はまともに視線を合わせてくれない殿下なんだから。

 顔を見て『おやすみ』の一言でももらえたらそれで満足できるはず。

 

 螺旋階段を下りると、わたしはホールの前で足を止める。

 中の人はまだ休んでいないみたいでドアの隙間からかすかに灯された蝋燭の明かりがもれ出ていた。

 

 わたしは息を一つ吸うとそのドアをノックする。

 

「誰だ? 」

 中からは殿下の迷惑そうな声が響いた。

「あの、ごめんなさい。

 わたし…… 」

 ドアを開けたもののその場に立ち尽くしたまま、わたしは部屋の中を見渡す。

 そこにあったのは殿下の姿だけだった。

 キューヴでも一緒にいてくれれば暫く側に置いてもらえるかな、なんて思ったんだけど。

「どうした? 」

 目を落としていた書類から顔を上げ、殿下の視線がこっちを向く。

「ううん。なんでもない。

 邪魔してごめんなさい」

 わたしは慌ててドアを閉めようとした。

「待て! 」

 殿下は椅子がひっくり返るほどの勢いで立ち上がると大またでこっちに歩み寄ってくる。

 わたしの顔を覗き込むと乱暴と思える程に強い力で腕を掴む。

「私はもう限界なんだがな」

「何? 」

 わたしは戸惑って目を見開いた。

「全く。あの時は雰囲気に流されて強引に迫ってしまったから、今度は無理強いしないで置こうと思ったんだが…… 」

 言って困惑気味の表情を浮かべた。

「待てど暮らせど、お前は…… 」

 殿下は大きく一つ息を吐いた。

「だって、その…… 

 迷惑なんじゃないかなって」

 わたしは顔を赤らめながら口篭もる。

「私の気持ちは伝えたはずだがね」

 殿下はもう一つ大きな息を吐くとわたしを見つめる。

「そんな言葉聞いてない! 」

 わたしは少しむくれて声を荒げる。

「ああ、そうか…… 」

 殿下は頭に手をやると無造作にそのきれいな色の髪を掻きあげながら渋い顔をした。

「お前…… 」

 少しためらう様子を見せながら、殿下の手がわたしに伸びる。

「あの時のことは、もう忘れたのか? 」

「あの時って何時? 」

 わたしは殿下の言おうとしていることが読めなくて、それを読み取ろうと殿下の瞳を覗き込む。

「お前との契約だ」

 呟くように殿下は言う。

「契約って、あの最初のキス? 」

 確かにあれは突然で…… 

 でもあれから何回か殿下とキスを交わした今ならわかる。

 あの最初の一回は紛れもなく契約行為だったって。

 あの時受けた衝撃は全く別物の異質なものだった。

「魔力の発動していないお前とどうして契約を結んだと思っているんだ」

 まだ答えにたどり着けないわたしに少し呆れたように殿下は息を吐く。

「せっかく呼び出したんだから、誰かに横取りされないように唾つけたんじゃなかった? 」

 あの時の言葉を思い出してわたしは言った。

 それに殿下は大きなため息で答えた。

「……確かにそう言ったな。

 しかし少しは考えられないのか? 」

「考えるって? 」

 わたしは目をしばたかせる。

「あの時のお前の魔力はまだ未知数だった。

 もしかしたら一生微妙な魔力しか持たないかも知れなかったのに契約する気になった訳を……  

 正直言うと契約前なら別の魔女を召還しなおすこともできた」

「それって…… 」

 わたしは目を見開く。

 それに対して殿下はうっすらと笑みを作った。

「それでもお前と契約した。

 私の魔女にしてしまえば一生側に置いておける。

 そう思ったら歯止めが利かなかった。

 お前を手元に置けるのなら、魔力の大きさなんてどうでも良かった」

 言って満足そうな顔をする。

「それって…… 」

 思わずわたしの顔に血が上る。

「そんな…… 

 一方的に理解して行動されてもわかるわけないじゃない」

 真っ赤に染まっているであろう顔を見られるのが恥ずかしくてわたしの声は自然と大きくなる。

「それに、成り行きだったと言ってもお前そのあと拒まなかっただろう。

 だから…… 」

「そ、それは…… 」

 わたしの顔に一気に血が上がる。

「殿下こそ、雰囲気に流されて誰でも良かったんじゃないのかなって…… 」

「誰でもよければ、お前に手を出すわけないだろう。

 魔女とは一生の付き合いになるんだ。

 友好な関係を壊しでもしたら厄介なことになる。

 ただ抱くだけの女なら王都からいくらでも連れてくる」

「そんなのヤダ! 」

 反射的に思わず口をついて出る言葉。

 殿下が複数の女と関係を持っているのはなんとなくわかってはいたけど…… 

 その人たちと同じ屋根の下で暮らすなんて絶対に受け入れられない。

 それを受け殿下の顔にうっすらと笑みが浮かぶ。

「やっと正直に言ったな…… 」

 殿下の手がわたしに伸び抱きしめると耳朶を甘く噛みながら呟いた。

「や…… 」

 わたしの鼓動がこれ以上ないほどに早く打つ。

 それに呼応するように血液が一気に躯中を駆け巡りわたしの頭に上る。

 次いで殿下が動いたと思ったら両足を掬い上げる形で横抱きにされた。

 私の躯がふわりと宙に浮き上がる。

 

 ……だからぁ。

 いくら殿下の体格がよくっても、ぎっくり腰にしちゃったら責任取れないから…… 

 

「降ろして…… 」

 言葉とは裏腹に殿下の首に自分の両腕を回しながらその耳元に訴える。

「いいから、黙っていろ」

 いとおしむようにわたしの頬に頬を寄せ、優しく言うとそのまま歩き出しホールの壁に並んだドアの一つに歩みより開く。

 寝室のベッドにそっとわたしを降ろすと羽織っていたフロックコートを肩から滑り落としながら殿下は唇を重ねてきた。

 体重を掛けないように気を使いながら、それでもわたしの胸やデコルテに掛かる重みと暖かさ。

「好き…… 」

 その幸せな暖かさを実感しながら、声にならない言葉がわたしの口からこぼれる。

「大好き…… 」

 もっとしっかり肌を合わせてもらいたくてわたしはその大きな背中に腕を回す。

「ああ…… 」

 優しい声と微笑みと共に唇が重なる。

 ずっとこのまま離れたくなくてわたしは背中に回した手に力を込めた…… 

 

 

 重い瞼を開くとわたしはゆっくりと身を起こした。

 肩を包んでいた毛布が滑り落ちる。

 ベッドの中にはさっきまで合わせていた肌がない。

 ぽっかり空いてしまったベッドの傍らを目にずり落ちた毛布をむきだしの胸に引き上げながら、わたしは小さくため息をついた。

 なんだろう…… 

 部屋の中に充満している空気が冷たく肌を刺す。

 妙な不安と切なさがわたしの胸を苛む。

 わたしは一つ身震いしてベッドを降りた。

 その不安に呼応するように胸元に下がった紅い石がちりちりと熱を帯びていた。

 

 

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