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・ストロベリーソーダの湖で溺れたので、

 目の前を紅い水が被う。


 いっけない…… 

 どこか切ったみたい。

 

 無理ないか。

 さっき思いっきり転んだ。

 しかも転んだ場所がバスルームで今まさに入浴しようって時。

 あれだけ派手に転んであの格好で、無傷で済むほうがおかしいよね。 


 幸いなのはあんまり傷みがないこと。


 でも、この出血量からしたらそんなはずない。

 きっと水の中のせいだ。

 多分水からあがって暫くするとものすごい痛みに襲われる。

 

 そんな予感がする。

 

 それにしても、バスタブのお湯、こんなにぬるかったっけ? 

 

 一応適温にセットしてお湯を張ったはずなんだけど…… 

 

 なんて暢気に思っていると身体が沈む感覚。

 息が苦し、い…… 

 

 わたしは反射的に口を開く。

 口腔内に流れ込んでくる水流。

 ……なんか甘い。

 

 じゃなくて、死にたいの? わたし。

 ここは水の味を堪能している場合じゃないの! 

 もう一人のわたしが叫ぶ。


 ……そうでした。

 ここは水の中。

 口をあけたところで空気は吸えない。

 

 呼吸をするつもりで吸い込んだ水が気官に流れ込み、わたしは激しく咳き込んだ。

 とにかく、まずはここから抜け出さないと。

 

 わたしは手足をばたつかせた。

 身体にまとわりつく紅い水。

 なんだろう? 凄く重い…… 

 動けば動くほど絡み付いてわたしを水底へ引き込もうとする。

 

 や…… 

 まだ死にたくない。

 

 お願い、誰か…… 

 誰か助けて! 

 

 無意識に願う。

 と、何かがわたしの腕を掴み、ぐっとひっぱられる感覚がした。

 あれほど沈むままになっていた身体がふわりと水面へ浮かんでいく。

 

 

「大丈夫か? 」

 水から引き上げられようやく息ができるようになったところで、激しく咳き込んだわたしの頭上から誰かの声がする。

「こん…… は…… 

 けん…… だ……じょ、

 ひっく、へん! す」

 問われた声に言葉を返すが言葉にならない。

 散々咳き込んで、気管に入った水をすべて追い出し、とりあえず咳が止まったところでわたしは顔を上げた。


「な…… 」

 わたしは言葉を失う。

 

 ……どうして? 

 何故に? 

 どーして? どーして? どーしてぇ!!!!!!!

 

 頭の中が完全にパニくってそれ以上の言葉も何も出てこないし、思考も動かない。

 言葉の代わりに出てくるのはさっきの続きの咳ばかり…… 

 

「おい、本当に大丈夫なのか? 」

 さっきの声がもういちど訊いてきた。

 

「はい、ありがとうございます」

 反射的にわたしの口をついて出る言葉。

 でも、頭の中ではそれどころじゃなかった。

 

 確かさっき、わたしは今日一日の汗を流すつもりでバスタブにお湯を張り、バスルームに入った筈だった。

 そこでまずいことに濡れた床に足を滑らせ思いっきり転んだ。

 転んだ先が運悪くバスタブのなかへ一直線、だった。

 

 そこまでの記憶はある。

 で、転びどころが悪かったのか、どこかをざっくり切った……筈。

 でないと転がりこんだ先のバスタブのお湯があそこまで紅く染まる訳がない。

 

 で、ちょっと待った。

 となるわけである。

 

 わたしが転んだのは自分の部屋のバスルームだった筈なのに。

 何故他人がいるの? 

 それも声からして、男…… 


「え…… ? 

 は…… ? 」

 いやいやいやいや………… 

 んとに何がなんだか……  

 

 その謎を解き明かす前に湧き上がる新たな謎。

 

 ……ここどこ? 

 今わたしが浸かっているのは確かに紅い水なんだけど、狭いバスタブじゃない。

 もっと広くて大きくて…… 

 まるで湖みたいな…… 

 

 そこまできてわたしの思考は止まった。

 

 だって、そこはわたしの部屋のバスルームじゃなかったから。

 

 まず目に入った空、建物とか樹木とか大きなものが間近にほとんどなかったせいで、顔を上げただけでよく見える。

 空本来の青と浮かぶ雲の白のはずなのに、虹色のまだらだった。

 その空には月らしき大きな衛星? みたいなものが三つ並んで浮かんでいる。

 視線を移すとわたしが溺れかけ、まだ足の一部が浸かっている湖の水はゆるゆると色を変え、赤からオレンジそして黄色になろうとしていた。

 対岸近くの水面からは群れになった虹色の小鳥が湖水の中から湧き出したように現れて飛び立ってゆく。

 

 完全に御伽噺かファンタジーの世界だわ…… 

 

「……に、しても。その格好、何とかならないのか? 」

 わたしの目の前に立つ男がつぶやく。

 

 ん? オトコ? 

 

 わたしは隣に立つ人物の足から徐々に視線を上げていった。

 

 凝ったつくりのブーツに半端な丈のパンツ、刺繍の前面に入った豪華なフロックコートを羽織った割とがっしりとした上半身の上に挿げられた首。アッシュブロンドの髪を首筋の辺りで一つにまとめた二十歳少し過ぎらしい、若いけど少し渋めのイケメン。

 

 ……やっぱり、オトコだ。

 

「へ? は…… 」

 

 オトコはわたしの姿をガン見する訳じゃないけど、でも至極あたりまえのものを見るように青灰色の瞳を向け眺めている。

 

 かく言うわたしは入浴寸前の用意万端な状態だったので…… 

 

「う…… ぅぎゃぁあああああああああああああああああああ! 」

 

 ……困ったというか、どうしようと言うか。どうしようもないと言うべきか。

 羞恥で一気に身体中を血液が駆け巡る。

 顔といわず耳といわず真っ赤に染め上がっているのを自分でも自覚しながらわたしは思いっきり大きな声で悲鳴をあげていた。


 つまりわたしは見知らぬ場所で見知らぬオトコに無防備にも全裸の裸体を晒していた訳である。 

 

 とりあえずその場にしゃがみこんだまま、腕で胸を隠しオトコに背中を向けた。

 

「駄目ですよ、混乱している人間を脅かしては…… 」

 少し離れたところからもう一つの別の声…… 

 見ると、さっきのオトコよりは少し若い、わたしと同じ年齢くらいの男が着ていたフロックコートの袖から腕を抜きながらこっちへ駆け寄ってくる。

 こっちもきれいな蜂蜜色の髪が印象的な超イケメン。

「え? あの…… 」

 手を伸ばせばほとんど触られそうなほど間近にせまる二人の男から逃げようとわたしは思わずあとずさる。

「大丈夫です。僕たちは君に危害を加えるつもりはないから安心してください」

 言ってわたしから視線を逸らせると脱いだフロックコートを、そっと肩にかけてくれた。

「あ、ありがと…… 」

 コートに袖を通すとさっきまで着ていた人物のぬくもりが身体に広がった。

 前を合わせようやく人心地つく。

 

「すみません。僕たちは君を迎えに来たのですけど。

 まさか全裸で来るなんて思ってもいなかったから、何の準備もしてなくて…… 」

 若い男は済まなそうに言った。

「かなり水飲んだみたいでしたけど、平気? 」

「はい、おかげさまで…… 

 もしかして、水の中から引っ張り揚げてくれたのってあなた? 」

 オトコの顔を見上げわたしは訊いた。

「いえ、殿下です。

 驚きました。僕たちがここにきたらあなた溺れている真っ最中で。

 でも間に合ってよかったです」

 若い男は華やかな笑みをこぼした。

 

「ありがとうございます」

 わたしは一つ頭を下げた。

「どうしたしまして。

 歩けますか? 」

 男は笑顔を浮かべたままわたしに手を差し出してくれる。

「うん、多分…… 」

 言いかけてわたしの言葉は止まった。

 バスタブの水を真っ赤に染めるほどの大量出血。

 どこかがざっくりと切れているはず。

 上半身に痛むところはないけど…… 

 男の手を借りてわたしは恐る恐る立ち上がった。

 

 ……歩けるんだろうか?

 

 一抹の不安がよぎる。

 

「どうかしました? 」

 止まってしまったわたしの動作をいぶかしむように若い男はわたしの顔を覗き込む。

「ううん…… 」

 首を横に振りながらわたしは足に痛みのないことを確かめた。

 

 うん、平気。どこも怪我はないみたい。

 ほっと息をつく。

 

 でもじゃ、あの紅い水は…… 

 思い返すと口の中にわずかに甘い味が残っているのに気がつく。

 それもイチゴの香りと酸味つきで。

 血液の広がった水というよりもイチゴソーダのような…… 

 

 ……もしかして、ここの水のせい? 

 

 バスルームで転んだわたしはバスタブの水の中に一直線じゃなくて、バスタブの中に入る寸前にこのイチゴソーダの湖にトリップした? 

 

 トリップ…… 

 

 考えたくない言葉だったけど。

 今のわたしの置かれた状況はその言葉でないと説明がつかない。

 

「キューヴいけるか? 」

 難しい顔で空を見上げながら目の前に立つ男が言う。

「はい、コーラル殿下」

 男の問いに答えながらわたしの手をひいた。

「行きますよ、ここに長居はできませんから」

「え? あの。どこへ? 」

「砦です、話はそちらでいたします」

 言っている間に岸辺が近くなりわたしはようやく水からあがった。

 

「あの、それどころじゃなくて。

 お話はここでいいんで、わたし帰りたいんですけど! 」

 こんな格好で人様のお家にお邪魔するなんてありえない。

 せめて一旦帰宅して、きちんと身づくろいしてからにして欲しい。

 

 お風呂で溺れたらトリップしてたって言うんなら涙を流したら帰れないだろうか? 

 以前観た何かの映画を思い出す。

 

「それともずっとここにいますか? 

 ロク鳥の餌になってもいいなら止めませんけど」

 キューヴと呼ばれた若い男は、促すようにわたしの顔を覗き込んだ顔を軽く斜めに傾げた。

 

「餌」ってなんなのだろう? 

 わたしは首をかしげる。

 と、一面に広がるまだら虹色の空の端に何か動くものが目に入る。

「来たようだぞ」

 もう一人の男が空を見上げて言う。

「大丈夫です。砦に行けば着替えも用意できます。

 あの鳥の餌になりたくなかったら、ここを離れる方が懸命だと思います。

 でないと行き先は君のもといた場所じゃなくてあの鳥の胃袋になりますよ」

 キューヴが言っているうちにその動くものはどんどん近くなって…… 


 ……なんか、ありえない大きさなんですけど? 

 比較になるものがないから何ともいえないんだけど、まだかなり距離がありそうなのにすでに鷲の実物大より大きさが倍はありそう…… 

 間近でみたらどうなるんだか、想像もつかない。

 

 同時に男の言った餌の意味がわかったような気がした。

 

「さすがに離れるほうがいいので行きます」

 男は強引にわたしの手を引っ張った。

 

 少しはなれた斜面で二頭の馬が待っていた。

 男はその一頭の背にわたしを押し上げ急いで自分も乗る。

 馬は早足で駆け出した。

 

 

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