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My Tale  作者: 氷滝 流冬
9/12

8 遥かなる人

 あの後、泣き疲れたのか希咲はいつの間にか眠ってしまっていた。

 心に負った傷が深すぎたのかもしれない。

 気を失ったように眠る希咲を入り口側のベッドに寝かせ、リュウセイ達はそこから少し離れた窓際に集まっている。

 先程の希咲の話。

 引っかかる単語や言葉が多数出てきた事に、シキもユウイも問いたい気持ちを押し殺していた。とても質問できるような状況ではなかった。何より、希咲が自ら語っていたという事に驚き、そして水を差す事は出来ないと誰もが悟っていた。あそこで誰かが口を挟めば、彼女は再び押し黙ってしまっていただろう。そうなれば訊き出す事は更に困難となる。それは避けねばならなかった。

 そしてシキとユウイには何となく感じ取れる事があって、それも黙っていた要因の一つだ。

 それをどのタイミングで訊ねようかと二人共に考えあぐねていて、だが、口火を切ったのはどちらでもなく、リュウセイだった。

「今まで、黙ってたことがあるんだ。混乱を避ける為に時期が来たら話そうと思ってたんだが……今がその時だと思う」

 そう前置きして一度息を吐くと、ユウイ、シキ、メイミを見回す。

「実は希咲、普通に異世界から来たってわけじゃねえんだ」

 異世界から来た事に普通も特殊もないと思うのだが、そういう事を言っている訳ではないとこの場にいる誰もが理解している。促す事も急かす事もせず、リュウセイのタイミングに任せていると空気で判っていて、リュウセイはまた一呼吸おいた。

「最初に希咲に会った時に聞いたんだけどな、希咲の世界で、エルグランドは本の中にある世界らしいんだ」

 言葉は、なかった。

 やはりショックだろうか。リュウセイも希咲からその話を聞いた時、正直信じられなかった。自分達が生きている世界が本の中のものなどと、誰が信じられるだろうか。確かに今生きているというのに、誰かが創った世界で誰かが創った命だなどと。

 けれど同時に思う事もあった為に、結局、隠し立てする事にした。

 最初聞いた時は、そこまで深く考えてはいなかった。リュウセイは、今生きている自分は自分だと思う事で、それ以上の考えを否定した。否、リュウセイにはそれだけで良かった。

 自分が自分であるならばそれでいいと。

「だから、あの質問だったんだね」

 納得したような、漸く謎が解けたようなユウイの声音。

 あの質問。それは恐らく希咲が、自分の未来を知りたいかとリュウセイとユウイに問うた事。

 エルグランドが本の中の世界であるとするならば、その事実を知っているという事は希咲がその本を読んでいる事を示している。それはつまり、リュウセイ達の未来を知っているという事になる。

「ああ。最終巻を読む前だったから結末は判らないけどって、言ってたけどな。あの時、未来を知りたいって言ったら、ハルト達の後を追って行こうなんて思わなかったかもしんねえな」

 希咲の奇異な行動は、知っているからこそのものだったのだと、これで合点がいった。ハルトに出会った時に表情を強張らせて逃げるように帰ったのも、街の見回りをする事になった時にハルトについて行くと言ったのも、ハルトがラフェスタを出るのと同時にいなくなった事も、全てが繋がり、その理由も見えた。

 未来を変えようとしていたのだと。

「リュウセイ、それは結果論だ。希咲が未来を変えようと行動していたなら、話そうが話すまいが行動していたと自分は思う。他人に任せるのであれば、最初から、悩む事もどうにかしようと行動する必要も無い筈。それが出来なかったからこそ、あのように辛く苦しい現実にぶつかった」

「そうだね。僕達に話す機会は幾らでもあったんだから。でも、希咲はそれができなかった。放っておけるような性格じゃなかったってこと、だよね」

 そうだ。タイミングなら幾らでもあった。それこそ、最初にリュウセイと出会った時に全てを話してしまえば良かった筈だ。全てを話して、全てをリュウセイ達に任せれば良かった筈なのだ。

 しかし、希咲はそれをしなかった。仄めかすような事を一度口にはしたものの、結局、彼女は自らの手で解決しようとしていたのだから。

 全てをあの小さな体で背負おうとしたのだ。

「それと、先程希咲は気に掛かる事を言っていたね。《こんなの知らない》と。その言葉はスオウとハルトの事と関係があるようだった。そして、ハルトが死んだのは希咲自身のせいだとも言っていた」

 ハルトがマテリア化したという話はすでにシキとメイミの耳に入っていて、希咲の哀しみの理由がそこにあるという事は理解していたのでその点はすんなりと聞き入れられたのだが、その前の言葉が問題だった。

 しかし、疑問を抱いているのはシキだけのようで、訝るリュウセイ達を見据えながらシキは続けた。

「いいかい。エルグランドは希咲がいた世界では本の中の世界だ。つまり、物語として存在している世界。希咲は本の中に入ってしまった、言わば現実世界から来た人間だ。だがその希咲が、ハルトが命を落とす要因になっている。これは有り得ないと言っていい」

「希咲が、エルグランドの住人じゃないからか……?」

 訊ねたリュウセイの言葉を否定するようにシキは静かに頭を振る。

「いいや。実際の本に、希咲という人物は存在しないからだ。居ない者が影響を与える事は出来ない。つまり、この世界は希咲が知っている物語からずれているという事になる」

「ずれてる?」

「そう。タイムパラドックスという言葉を聞いた事はあるかな。過去に戻った者が過去に干渉する事で未来が改変される。矛盾が生まれる事で歪が生じた結果、崩壊を回避する為には矛盾の元となった未来を変えるしかない。今回で言うならば、希咲という、居る筈の無かったキャラクターが迷い込んだ事によって出来た歪を修復する為に設定が変更され、結末も別の物に変わったという事」

 本というものは、その世界の道筋が一本のストーリーというレールで敷かれ、キャラクター達はその上をただ歩いている。他の道は存在せず、真っ直ぐにゴールに向かって進み続けるもの。だが、そのレール上に異物が現れると、そこから先のレールは消えてしまう。道を阻まれたキャラクター達が進む為には横道に逸れるしかない。しかし、横道に逸れようにもレールがなければ進み続ける事は出来ない。そこで、新たなレールが敷かれる。キャラクター達は異物と共に新たなレールの上を歩き続けるが、一度逸れたレールが元のレールに合流する事はなく、新たなゴールへと進むしかなくなる。

 これが、本の中でのタイムパラドックスで起こりうる現象。

 その異物は希咲で、キャラクターはリュウセイ達だ。

「道を逸れる際に出来た矛盾は全て修正されなければならない。その為、設定すらも変わってしまったと考えるのが妥当だろう」

 それは騎士と皇帝のこと。

 希咲はハッキリと、ハルトが騎士だったと口にした。そして、スオウが皇帝ではなかったという事も。この点を踏まえれば、その二人が元々と違うという事は容易に判る。

 そしてシキにはもう一つ、疑問に思っている事があった。

「スオウは、自ら皇帝だと名乗ったんだね」

「ああ、それはハッキリ聞いた。そして、希咲が女皇だってこともな」

 希咲に関しては彼女が自分で言った事ではないが、自らを皇帝だと名乗ったスオウが言った事ならば間違いないと思っている。

「ただ、僕はハルトの十字架の結界が張られていたのが気になるんだ。ハルトがわざわざ結界を張ってた。そして、そこにいたのはスオウだったんだ。これ、どういうことだろう」

 そこまで聞いて、シキの中に、ある仮説が立った。

 一度、肺の中の空気を全て吐き出す。

「これは、自分の勝手な憶測だから確証はないんだが」

 そう前置きをするシキ。

 シキが確証のない事を口にするのは非常に珍しい。いつも、先入観は考えを鈍らせるからと全ての事柄を念頭に入れ、あらゆる可能性を消し去ってから結論へと持っていく。

 それだけの事が起こっているのだと、実感した気がした。

 確証がなくても良いと告げているような空気を肌で感じ、シキは再び口を開く。酷く喉が渇いているような錯覚に陥りそうだ。

「どうも今回の一件、テイマーコアの暴走を含め、全てがスオウの目論みのような気がしてならない。そうでないと、消えたスオウの説明がつかない。希咲の言葉から、スオウが大義とやらの為にハルトを抹殺したらしい事が判る。その大義がもし、邪影者化の事だったとしたら」

「スオウが、テイマーコアを暴走させてたってことか? けどそれって、皇帝っていうより騎士じゃねえか」

「その通り。ここで二つの仮説が立てられる。一つは、皇帝であるスオウは騎士を追って行動しているという事。そしてもう一つは、スオウが本当は皇帝ではなく、騎士であるという事」

 前者であれば、ハルトを殺した理由は大義である騎士の制止を邪魔した事でありエルグランドを護る為に止む無しだったという事。後者であれば、騎士の因子を受け継いでいるにも関わらずテイマーとして大義の阻止を図ったハルトを裏切り行為として罰し、葬った事になる。

 両者とも、全ての事柄にスオウが関係していた事にも説明がつく。

「それと、見回りを行った日にスオウと希咲が街の中心部付近で邪影者に襲われている。スオウが撃退したが、自作自演か狙われたか……どちらにしろ、スオウが関わっているという事に変わりはない」

 何にせよ、スオウが何かを知っている事は間違いなさそうだ。彼に直接会って話を聞くのが解決への一番の近道と言える。

 しかし、それは同時に最も危険な道になる。

 どちらであったとしても、現在の騎士に会う事になるのだから。

「そうなると、エスクードも最悪のことを考えた方が良さそうだよね。天橋立がメンテナンスに入る前に、テイマーコアの暴走を間近で見たのはスオウだったんでしょ。フォルティスと同じようなことになっててもおかしくないよ」

「覚悟はしなければならない」

 壊滅状態となったフォルティスで生き残ったテイマーは一握りしかいない。同じような事が、封鎖されてしまっているエスクードで起こったとなれば、助かる見込みなど無いと言っていい。

 くそっ、とリュウセイは壁に拳を叩きつけた。

 歯痒い想いをぶつけるかのように。

 しん……と室内が静まり返る。

 そこに、今までずっと黙って話を聞いていた、希咲が寝ている隣のベッドに腰掛けていたメイミが初めて口を開いた。

「希咲を、元の世界に帰してあげることはできないです?」

 皆の視線がメイミに集まる。

「さっき、帰りたいって言ってたですよ。帰りたいのなら、帰してあげたいです」

「……そういや、希咲が帰りたいって言ったの、初めて聞いたな……」

 出会ってから一度も聞かなかった。問うてみた事はあったが、何とかなるからと言って笑っていた。シキが帰りたければ言ってほしいと伝えても、そういう素振りはまるでなく、親に会いたいとも言っていなかった。

 その希咲が「帰りたい」と言った。

 それが何を意味するのか、判らない彼らではない。それが例え、逃避の言葉だったとしても。

「帰して、やろうぜ。希咲の世界に。方法を探してさ」

「うん。希咲が望んでるんだから」

「わたしも頑張るですよ」

「そうだね。自分達が力を合わせれば、きっと大丈夫」

 希咲がこの世界で傷つく必要はないのだ。

 何故なら彼女は、外の世界の人間なのだから。

 それからシキはアヤタカ達に話をしに行くと言って部屋を出、メイミも他の人達の様子を見に行くと言って出て行った。ユウイも、リュウセイの気持ち次第だよという言葉を残して部屋を後にし、残ったのは眠っている希咲とリュウセイだけとなった。

 希咲が横になっているベッドに腰を降ろし、その顔を見つめ、そっと柔らかな蜂蜜色の髪を撫でた。

「希咲……俺は、ずっと昔から、お前のこと知ってる……見てたから。ぼやけそうになるけど、それでも、忘れたことはなかった」

 決して届かない声。

 それでも伝えたい想い。

「それを言われてどう思うのか、俺は知ってるから言えないけど……それでも、この想いは本物だ。お前が女皇だとしても、俺は……」

 そっと希咲の前髪をかき上げ、その額に口づけを落とした。



 希咲が目覚めたのは、辺りが暗闇に包まれている頃。

 暖かいものに包まれているような感覚がずっとあって、眠っている間もとても安心していた。この温もりにずっと抱かれていたいと思って、ラフェスタを出た日の事を思い出した。

 リュウセイの手に自分の手を重ねて、ずっとこのままでいたいと想った時の事を。

 ゆっくりと目を開けて、目に飛び込んできたのは鮮やかな山吹色と、リュウセイの顔。

 目をぱちくりとさせて暫し思考が停止した後、急激に頭が覚醒してきて現状を理解した。ベッドに横になっている希咲は、リュウセイに抱かれるような形で眠っていたのだ。あの時綺麗だと思った寝顔が至近距離にあって、どぎまぎしてしまう。

 けれど、何だか妙に納得している自分がいて。

 温もりの正体がリュウセイであるならば、安心感の理由もすぐに判る。やはりリュウセイの雰囲気は好きだ。不安なんて心の中から消え去る。痛みも和らいで、スッと楽になる。けれど今、こうして普通に出来るのはそれだけではないという事も判っていた。

 何かを握っていると判って、胸の前で重ねられている自分の両手の、右手に目をやればそこにはテイマーコアがあって、それは紛れもなくハルトのものだった。

 眠ってもずっと放さなかったらしい。放せなかったと言った方がいいかもしれない。けれどおかげで、触れる事が出来た。もう一度、抱きしめるようにテイマーコアを握る。

「希咲……?」

 不意にすぐ傍から声が聞こえて、顔を上げれば目が合った。

 その顔の近さにリュウセイの顔が一瞬で赤らみ。

「ぅわわわわ!」

 ばっと起き上がるとそのままベッドを降りて背中から壁に激突していた。

 声の大きさとぶつかった時の衝撃音に、眠っていたユウイ達も目を覚ましていて、皆一様に不思議そうな視線をリュウセイに向けていた。

 希咲も体を起こしてベッドに座ると、リュウセイを見る。

「わ、悪い……」

 何となく居たたまれなくなって出た言葉。何がどう悪いのか、希咲は全く理解しておらず、首を傾げている。

 そんな時、艇内にアナウンスが響き渡った。

『あと半刻ほどでターミナルに到着致します。お降りになる方はご準備をお済ませ下さい。あと半刻ほど……――』

 どうやら、いい時間になっていたらしい。

 アナウンスを聞いてシキは何かを思案すると、ベッドに座ったまま希咲を真っ直ぐに見た。

「希咲。まだ心の整理はつかないと思うが、話をさせてもらう。自分達は、希咲を元の世界に戻す事に決めた。ラフェスタに着いたらすぐにエクストレイルへ向かおうと思う」

 どうして、と問おうとして、シキの言葉を思い出した。

 もし帰りたいと思った時は自分の所に来てほしいと。

 そのシキがエクストレイルに行くと言うのであれば、そこに何か手がかりがあるという事なのだろう。ユウイとメイミは不思議そうにシキを見つめていて、シキは口を開く。

「王都の大図書館に異界の扉があるという噂があるんだ。そこに、ヒントがある筈」

 大図書館と聞いて、希咲には思い当たる事が一つだけあった。

 それは漆黒の本。

「あたしエルグランドに来る前、本を開いてたの。全部真っ黒の、ユアテイルって本」

 学校帰りに寄った古びた本屋で見つけた漆黒の本。表紙に《YourTale》と白抜きされているだけで、作者も何も書かれていない本。

 思えば、不思議な事はあった。ハードカバーのその本に惹かれて会計へと持って行ったが高齢の店主はその本を認知してはくれず、諦めてエンドレステイマーの最終巻だけを買って帰った筈だった。しかし家に帰って紙袋から出してみると、YourTaleも一緒に入っていた。文庫本とハードカバーの本が一緒に入っていた事に気がつかなかったのもおかしい。

 そしてその本を開いて瞬きをした次の瞬間、希咲はリュウセイと出逢ったあの森の中にいた。

「本……この世界が本の世界だと言うのであれば、それが扉となったと考えるのが妥当か」

 本の世界。

 それがシキの口から出た事に驚いた希咲だったが、リュウセイが視界に映ってすぐに察した。リュウセイがシキ達に話したのだという事を。誰にも言うなと希咲に口止めしたのはリュウセイだったというのに。

 けれどそのリュウセイが話したという事は、その必要があると判断したからだと理解している。

 だから追及する事はせずにシキへと視線を戻した。

「自分はアヤタカ達に話をしてくる」

 言うなり上着を着たシキは部屋から出て行き、ドアが閉まった音の余韻だけが室内に木霊する。

 ずっと壁にくっついたままだったリュウセイは空いたベッドへ向かい、腰を降ろした。


 それから一時間弱でラフェスタのターミナルへ辿り着き、乗客は皆、陸羽艇から降りて行った。助かったテイマーと共にウィンとアンスールのリーダーも降り、彼らがウルズサークルへと連れて行ってくれるという事だった。ウルズサークルに行けばきっと、テツが面倒を見てくれる筈だから、と。

 フォルティス-ラフェスタ間を走行していた、ラフェスタからここまで乗って来た陸羽艇はお役御免となったので、エクストレイルに行く為に使いたいと艇長に交渉すればすんなり了承を得る事が出来た。ただし、乗務員はフォルティスがあのような事態になってしまった事で定期便の運航を停止させなければならず、その為に他都市との連絡を取るので皆忙しいから手は貸せないとの事だった。話を聞いていたアヤタカが、だったら我が操作すると申し出てくれたので、お願いする事になった。

 アヤタカの操縦でエクストレイルを目指す事になったリュウセイ達は、ターミナルで降りた者達に別れを告げた。

 遠く離れていくターミナルを後方の甲板から眺めながら、リュウセイは手摺に背中を預けたまま、隣に立っている希咲に視線を落とす。

「なあ、希咲」

「何?」

「会ったら言おうと思ってたこと、言ってもいいか」

 問いかけるのはきっと、希咲の心情を心配しての事。けれども希咲は頷き、リュウセイは少しだけ目を細めた。

「何で、何も言わずに出てったんだよ。お前がいなくなって、あの手紙を見た時、俺がどんな気持ちになったか判るか。言ったよな、俺。自分が何を伝えたいかより相手がどう思うかが重要だって。言えなかった理由は判ったけど、それでも……俺にだけは、言ってほしかった」

 本当は会った時に叱りつけたかったんだろうな、ぶつけたかったんだろうな、という気持ちがリュウセイの言葉から伝わってきた。今までずっと我慢していたのだと思うと、何だか心が温かくなる。

 おかしな話だと自分でも思うけれど、そこまで考えてくれているのが嬉しい。自分の事を想ってくれているのが嬉しい。

「ありがと」

 だから、謝罪ではなく感謝の言葉を紡ぐ。

「あたし、馬鹿だったんだ……何でも出来るって思ってた。ここは小説の中の世界だから、何とかなるんだって思ってた。でもそうじゃなかった。一人で全部やってたつもりだったけど、全部、みんなに助けてもらってた。ハルトにも、シキにも、ユウイ達にも、それに、リュウセイにも」

 真っ直ぐリュウセイを見つめる。

 もう隠し事はしたくなかった。けれど、言えない事もある。大切だから、特別だからこそ言えない事。

 希咲は手摺に腕を乗せ体重を預けると、暗く見えない地平線を眺める。

「さっき夢の中でね、ハルトに逢ったの」

 紡がれた言葉に、リュウセイは「えっ?」と声を漏らしたけれど、希咲は遠くを眺めたまま。

「いつまで泣いているのですか、全く、貴女という人はどこまで我が儘で身勝手なのですか。辛いのは貴女だけではないのですよ。それに、言いましたよね。自分を責めるのはやめて下さいと。人の話くらい、まともに聞いてほしいものです。逢いたい人がいるのでしょう。帰る場所があるのでしょう。だったら、立ち止まっていてはいけません。希望が咲いているから希咲の筈です。さあ、歩いて行きなさい。貴女の未来へ……って。怒られたのか、貶されたのか、励まされたのかよく判んなかった」

 思わず、ふっとリュウセイから笑みが零れた。

「あいつらしい」

 ただでは、他人を褒めたり励ましたりしない人だった。

 それで誤解される事も多かったけれど、理解している人はいる。その厳しさは優しさであると。

 微笑んで、希咲はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

「ハルトね、漢字に凄い興味持ってたの。名前に意味があるのが凄く良いって。自分の名前が漢字だったらどんな風になるだろうって。その時は判んなかったけど、今なら漢字で言える」

 すぅっと息を吸い込むと、冷たい空気が喉を通った。

「凄く遠くに行ってしまって逢えないけれど、傍に居てくれるから。遥かなる人で、遥人」

 もう二度と逢う事は出来ない。それだけ遠い、遥か先に行ってしまったけれど、テイマーコアからはまだハルトを感じられる。

 ハルトの事を考えるとまだ涙が出そうになるけれど、気を緩めたら溢れてしまいそうだけれど、それでも前を向いて行く事を決心できた。

 じわりと、滲む涙。

「ダメだな……決心したのに、やっぱり、涙、出ちゃうや」

 微笑んでいる口元が震えて、声も震えて、喉が痛くなってくる。

 手摺を掴む手に力が入って。不意に、体が力強く引き寄せられた。胸に希咲の顔が埋められて、視界が塞がれ、ぎゅっと包み込まれる。

「いいんだ、泣いたって。哀しけりゃ泣くのは当たり前だ。泣ける時に泣くもんなんだ。我慢出来りゃ偉いわけでも大人な訳でもない。泣きたくても泣けないことだってある。だから今の内に思いっきり泣いとけ。俺は、全部受け止めてやるから。希咲の全部、受け止めてやるから」

 ボロボロと零れ落ちる涙。

 声を押し殺す事さえ出来なくなって、リュウセイの胸に縋り付いて、小さな子どものように声を出して泣きじゃくった。それ以降、リュウセイは何も言わなかった。ただ強く抱きしめてくれていた。

 ああ、やっぱりこの人が好きだ。

 そう思った。

 もう、夢の男の人の事など頭から消え去っていて、その気持ちはリュウセイにだけ向けられていた。

 心から、リュウセイが好きだ。



 四大都市の中央に位置するエクストレイル。ラフェスタからはそう遠くなく、明け方頃にはその姿を視界に捉える事が出来た。

『そろそろ到着する。皆、身支度は整えておけ』

 アヤタカの声でアナウンスが艇内に響き渡る。

 希咲は一室で身支度を整えていて、ふと桜色のリボンを手に取った。

 リュウセイが腕に巻いていたリボン。ラフェスタを出る時に手紙と一緒に置いてきた、希咲が着ていたセーラー服のリボン。希咲からの手紙だと一目で判るように目印として置いてきていたそれを、リュウセイはわざわざ持って来て、会えたからという理由で希咲に返してくれた。

 手紙の事を何か言われるかと身構えていたけれど、リュウセイは何も言わなかった。黙ってリボンを差し出しただけだ。その時、何を伝えたいかより相手がどう受け取るかが重要、というリュウセイの言葉が頭を過ぎった。

 黙って差し出された事が、答えだと思った。

 だからありがとうと言って受け取った。それが最良だと思ったから。

 リボンにハルトのテイマーコアを通すと、リボンを緩く腰に巻きつけて結んだ。左側にテイマーコアがくるようにして。そっと、ハルトのテイマーコアに触れた。

「行こう、ハルト」

 呟き、希咲は部屋を後にした。

 辿り着いたエクストレイルのターミナルへと降り立ち、希咲は巨大な王都を見据えるのだった。


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