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My Tale  作者: 氷滝 流冬
8/12

7 離別と再会

 リュウセイが希咲の残した手紙を見つけた朝。その日の朝はとても早かった。

 服を着替えて準備を整え、手紙を握り締める。桜色のリボンを手首に巻き、ドアを開けて部屋を後にした。階段を降りて行き、そのまま早足でリビングの前を通り過ぎようとした時だった。

「どこへ行く」

 鋭い低音が聞こえてビクリと身を震わせリビングの方を見やれば、大きく開いたドアの先に、ソファに座っている家長の頭が見えた。

「げ、テツ。何で起き、今何時だとっ」

「明け方、誰かが出て行ってな。目が覚めたから暇つぶししてた」

 言いながら本のページを捲る。この間読んでいた本とはまた別のハードカバーのもので、朝っぱらから頭をフル活用するような小難しい本だ。何となく気まずい雰囲気の中、テツは淡々と確信を突く。

「リュウセイ、出て行ったのはキサキだな」

「……」

「まあいい。だが、追うのは少し待て」

「っ、何でだよ!」

「この状況下だ、一人での遠出は許可できん。沸騰しかかった頭でまともな考えができるとも思えんしな。とりあえずユウイのとこ行って来い。あいつなら起きてる頃だし、一番の理解者だろ」

 後ろ向きにソファが置かれていてテツの表情は全く見えないけれど、さっさと行けと言うオーラが出ていて。こうなったテツに逆らう事は難しく、年長者の言う事は絶対のサークル内でそれが出来る筈もなく。

 渋々といった様子ながらもリュウセイは下りて来たばかりの階段を上り、三階にある、通りとは逆側に面したテラスへと出た。

 朝日が昇って間もない朝焼けの空の下、耳に届くのは優しいメロディ。それは空の方から聴こえてきて、テラスから屋根へ上るとその姿が見えた。

 屋根の棟の辺りに座り、白と緑の龍笛を吹いているユウイ。静かな都市の中に溶け込んでしまいそうなほど繊細で、美しい旋律。曲は終盤に差し掛かっていて、聴き惚れていれば数十秒もせずに音色は途絶えた。

 ふぅっと息をついて龍笛についている黄緑色の石――ジェダイトコアに触れると、黄緑色の粒子――グレイスマテリアに変わり、ユウイの首元で光るペンダントについているジェダイトコアへと戻っていった。

「どうしたの、リュウセイ」

 突っ立ったままだったリュウセイは声をかけられて目を丸くし、フッと笑うと頭を掻いた。

「何だ、バレてたのか」

「当たり前でしょ。僕がリュウセイに気付かないはずがないよ」

 相変わらず、変なところで勘が良い。

 敵わないなと思いながらユウイの近くまで寄ると、その隣に腰を降ろした。

「どうしたの? こんな時間に出かける準備なんてして。希咲と、何かあったの?」

「そこまで判んのか」

「希咲の様子が何だかおかしかったでしょ。一緒にいた時間は確かに短かったけどね、それでも、見てたら判るよ」

 彼女がどういう人だったのか、詳しく知る訳ではない。けれど、根本的には自分達と何も変わらない。普通の女の子で、異世界から来たというのに明るくて、素直で。

 最初に会った時の希咲が本当の希咲だとすれば、その後の浮かない顔は何か理由があった筈。ユウイが言っているのは、そういう事だ。

「そっか。なら、聞いてくれるか」

「もちろん」

 握り締めていた希咲の手紙をユウイに差し出すと、何も言わずにユウイは中に入っている便箋を読み始めた。

 そこに書かれているのはリュウセイに対する「ありがとう」という感謝の言葉、ただそれだけだった。突然出て行く事を決めた理由も、これから先どうするのかも一切なく、別れの言葉すらもない。

 これを手紙としていいのかすら疑うようなもの。

 朝起きた時、それまでいた筈の希咲がいない部屋で、一人この手紙を見たリュウセイは一体どんな気持ちだったのだろうか。その気持ちの現れが、明け方なのにも拘らず準備万端なこの状況なのだろう。

 朝焼けを浴びながら朝のひんやりとした風を頬に受け、ユウイは手紙をリュウセイに返した。

「リュウセイ。一緒に希咲のこと、迎えに行こう」

「……ユウイ……」

「会って、ちゃんと話さなきゃ。リュウセイが想ってることも、希咲が何を考えてるのかも。僕達四人で行こうよ」

「そうだな……って、四人?」

「そう。僕とリュウセイと、メイミとシキの四人」

 ニコッと笑うユウイに、リュウセイは首を傾げる。どうしてメイミとシキも一緒なのかとリュウセイが思っているというのはすぐに判ったので、ユウイはふふっと笑う。

「だって僕達、いつも四人だったでしょ。二人よりも四人の方が心強いし、ね」

 いつもいつも、ユウイの笑顔には助けられる。笑顔だけではない、居てくれるだけで安心できる。

 ユウイにも、テツにも敵わない。

 フッとリュウセイは微笑む。

「ああ、そうだな」

 一人だと気付けない事も、仲間と共にいれば様々な事が見えてくるのだと改めて思った。

 それからユウイはメイミの許へ行き、リュウセイがシキの許へ行く事となった。それぞれで事情を説明してからシキの家の前に集合し、そこからターミナルへ向かおうと。

 シキの家に行く為に再びリビングの前を通り過ぎようとして。

「リュウセイ」

 また、名を呼ばれた。

 声の主に視線をやっても、一切こちらを見ていないテツ。

「大事にしろよ」

「……ったりめーだ」

 一言だけ返し、ぎゅっと拳を握り締めるとリュウセイはウルズサークルを後にした。

 真っ直ぐシキの家へ向かい、家に辿り着くなりドアをノックしようとした瞬間、まるで来る事が判っていたかのような絶妙のタイミングで内側にドアが開かれ、思わず前のめりに転びそうになったリュウセイだが、何とか踏みとどまって、開けた張本人であるシキを見上げる。

 いつもシキの朝はとても早いけれど、それでも時間帯的には朝の支度を済ませてのんびりしている頃なのだが、シキはすでに準備万端といった格好をしていて身だしなみは完璧だった。

「話があるんでしょ、聞くよ」

 どうしたのかとリュウセイが問う前に紡がれた言葉。中へ通してくれたシキは何かを悟っているのだろう。

 落ち着いて話がしたいという事と、走ってここまでやって来たリュウセイが上気している事から、息を整えさせる為に招き入れるとリビングのソファに座らせ、シキは一人用のソファに腰を降ろす。少し深呼吸をして鼓動が落ち着いてきた頃、リュウセイは話し始めた。

 サークルで生活していた訳ではないので、希咲と一緒にいた時間が極端に短いシキ。そのシキが珍しく細かく質問してきたという事もあって、ユウイに話した事よりもずっと多くの事をシキに伝えた。希咲の行動や言葉も、出来るだけ正確に。

 時々何かを考えるような素振りを見せながら、リュウセイの話を聞き終えたるとシキは口を開いた。

「自分も共に行こう」

 返事は早かった。

 その為にもう準備は済ませてあると言っていて、やはり何かを感じ取っていたのかもしれないと改めて思い、納得する。

 それから少し会話をし、シキの家のドアがノックされたのはそれから数十分後の事だった。出てみれば、笑顔でそこに立っているのはユウイとメイミだ。

 シキの家から出て合流し、四人が揃った事で早速ターミナルに向かう事になって歩き出した一行。しかし、リュウセイだけはその場で踏み止まった。

「メイミ、シキ」

 背中に投げかけられた声に、呼ばれた二人も、ユウイも、振り返った。

「何です?」

「本当に、いいのか? シキもメイミも、希咲とはあんまり話したことないだろ。なのに……」

 そこで言葉が詰まり、それ以上は出てこなくて、少し俯いた。

 静寂が辺りを包み込んで、けれどそれを破ったのはシキだ。

「……そんなに、会話というのは大事な事かな」

 リュウセイは思わず顔を上げて、真っ直ぐシキを見つめる。

「確かに交わした言葉は少ない。それでも判る事はある」

「はいです。わたしは、希咲のこと好きですよ。希咲が笑ったらもっと楽しいのに、と思ってたです」

「自分達が希咲を迎えに行く理由はそれだけで十分」

 二人の意思は揺らがない。

 そこへ、リュウセイに向けて促すようにユウイがそっと手を伸ばし、確かな光が見えた気がした。

「変なこと訊いて悪かった。今度こそ、行こうぜ!」

 目指すは光の先、希咲の許だ。

 ハルトとスオウが天橋立へ向かった事をシキから聞き、もしかしたら希咲も一緒にいるのではないかと言う事でエスクード方面にあるターミナルへとやって来た。

 船着き場のようなターミナルの受付にテイマーコアを見せて陸羽艇に乗り込もうとしたリュウセイ達だったが、すぐに受付の女性に引き留められた。

「天橋立は現在メンテナンス中で封鎖されておりまして、フォルティス行きに変更しておりますので予めご了承ください」

「メンテナンス?」

「はい。重力制御円が安定していないので、飛行艇が航行できない状態のようです。今朝の便は連絡が届いていなかったので通常通り運行しましたが、この後の便からは直接フォルティスに向かうことになります」

 昨日から続いていると言うメンテナンス。恐らく希咲達は通常通り運行したものに乗り、天橋立が封鎖されている事を知って、そのままフォルティスへと向かった筈だ。とするならば、直接フォルティスへ向かえるというのは有り難い。

 フォルティス行きで良いと伝えて陸羽艇に乗り込んだのは、希咲達がラフェスタを発ってから半日が経った頃の事。

 本来ならば天橋立を経由してフォルティスに向かうが、経由する必要がなくなったと事で、道のりは大幅に短縮される。

 約二日の旅。

 その間、焦燥する気持ちがずっとリュウセイの中に渦巻いていた。一刻も早く希咲の許へ向かいたいと、腕に巻いた桜色のリボンが目に入る度に想いは募っていく。焦っていてもどうにもならないからと、ぎゅっとリボンごと腕を握って、きゅっと唇を噛み締めて。

「リュウセイ」

 甲板に佇むリュウセイに、そっと近寄って来たユウイ。

 けれど反応したのは目だけで、すぐに視線が流れていく地面へ戻される。

「いつまでそうしてるの。そうして思い詰めて、何か変わった?」

「……いや……」

 消えていく語尾にふっと微笑を浮かべ、ユウイはリュウセイの隣に立った。

「リュウセイは、思ったことをすればいいと思うよ。想ってることを言っても良いと思う。言いたいこと、あるんでしょ」

「……ああ」

「でも、迷ってることもあるってところかな。僕は、そんなに気にすることないんじゃないかって思ってるよ。昔のリュウセイと今のリュウセイは違う。もちろん、想いもね。例えきっかけがどうだとしても、今ある想いが総てだと、僕は思う」

 ニコッと笑うユウイは、本当にいろいろ理解してくれている。恐らくは、昨日不機嫌だった理由にも気付いている。夕食時に希咲がいなかった事についても、きっと。けれどその事についてユウイは一切触れなかった。それはリュウセイ自身が気付いていると知っていたから。

 そして、夕食前にリュウセイが物思いに耽っていた事も。ユウイは、テラスで佇むリュウセイを目撃したから。その時に答えが出ていたのだろう事も何となく気が付いた。

 だから、このタイミングでの話だった。

 もう迷う必要はないと告げるべきだと感じたから。それでリュウセイが少しでも心に余裕が持てるようになるのであれば良いと。

「……そうだな」

 強く、決意を固め、ぎゅっと拳を握りしめた。



 永い時間が終わりを告げたのは、陸羽艇に乗った翌々日の陽が傾きかけようという頃。到着したターミナルに降り立った時、リュウセイ達はその目を疑った。

「何だ、これ……!」

 どんよりと淀んだ空の下、広がる都市は荒廃していた。綺麗な音で溢れていた筈の場所から聴こえてくるのは、調律の狂った不気味な音。不協和音としか言いようのない音。

 それから、微かに耳に届く悲鳴。

「ユウイ、リュウセイ、様子を見て来てほしい。自分とメイミはここを死守する」

「判った。お願いね」

「気を付けてくださいです」

「うん。行って来るよ」

 リュウセイと顔を見合わせて頷き合うと、凄惨なフォルティスの中へと入って行った。

 彼らの背中を見送って、すぐさまシキは陸羽艇を振り返る。

「自分達はラフェスタのテイマーです。一般の方々は落ち着いて、速やかに陸羽艇に戻って下さい」

 不安そうな人々。密やかにざわついている。

「でも、息子が中に……」

 一歩前に出た年配の女性を、シキは言葉で制する。

「見て判るでしょう。中がどんな状況なのか判らない、邪影者がいるかもしれません。仲間が中の様子を見に行っています。戻るまでは、せめて陸羽艇上に居て下さい。ここの安全は自分達が保証します。彼らの帰りを待ちましょう」

 落ち着かせ、静かな声で説得すれば大人しく陸羽艇へ戻って行ってくれた。宥めながら誘導するシキ。メイミは、ユウイ達が消えて行ったフォルティスをずっと見つめていた。


 その頃、フォルティスの中へと入ったリュウセイとユウイは、その惨状を目の当たりにしていた。

 壊れたオルゴールのように不快で悲痛な音を奏で続けている機械達。破壊され、煙が上がっていて視界が悪い。辺りには邪影者が溢れ、一体一体を相手にしている暇などないと、全て素通りしていた。けれど、数が異常としか言いようがない。

 フォルティスのテイマーは何をしているのか、そう思ってからテイマーコアの暴走の事が頭を過ぎった。

 三つあるサークル全てのテイマーが邪影者化していたとしたら――。

 リュウセイは慌てて頭を振る。

 自分が諦めてはいけない、と。

「リュウセイ、人がいる」

 ユウイの声に反応してハッと前方を見据えれば、煙の向こうから誰かがこちらにやって来るのが判った。

 数人の、まだ人間としての姿のままの者達。その中に見覚えのある姿が混ざっていた。それはフェオズサークルのリーダーのアヤタカで、その隣にはウィンとアンスールのリーダーも居て、他にも数人のテイマーが、恐らく一般人であろう人々を引きつれて後からやって来た。リーダー達が立ち止まっている事で同じように他のテイマーも止まってしまったが、フェオズサークルのリーダーであるアヤタカの指示に従って、すぐにリュウセイ達の横を通り過ぎて行った。

 それでも十数人ほどだ。それ以降、誰かが来る様子はない。

「……フォルティスは、どうなってるの」

 訝るユウイに、アンスールのリーダーは首を横に振る。

 今後のフォルティスについての会議をしていたところ、外が突然騒がしくなったので出てみると街は邪影者の巣窟と化していて、駆けつけた他のテイマーに話を聞いてみれば、一斉にテイマーコアが暴走し邪影者化したとの事だった。どのサークルも、残ったのは強いマテリアを持った一部の者だけらしい。

 その説明を聞いて、リュウセイもユウイも先程通って行った十数人のテイマーが生き残った全てだと悟った。

 残っていた一般人を護る事で精一杯だったのだろう。今、目にしている限りでも、とても他のテイマーを捜しに行ける状況ではない。邪影者にならなかった者達は、自らリーダー達の許に集まったのだ。それが出来ないという事はつまり、助ける事が出来ないのだと覚悟を決めている。

 誰もが苦渋の決断を迫られ、救える命を優先させた。それが最良だと信じて。

「アヤタカ、ハルト達を見なかったか」

 先程通り過ぎた者の中に、ハルトもスオウも見当たらなかった。訊ねれば、アヤタカは眉を顰める。

「我らは見ていない。マテリアが強いあ奴らなら大事ないと思うが……」

「……」

 拳に力が入る。

 こうなってくると時間との勝負だ。時間が経てばそれだけ危険が増える。リュウセイの心情を察して、ユウイはアヤタカを見る。

「この先のターミナルでシキが待ってるから、アヤタカ達は行って。僕達はハルト達を見つけて戻るから」

「心得た。くれぐれも用心するように」

 頷き、ユウイはリュウセイの肩を叩くと共に走り始めた。

 まだ希望を捨ててはいけない。あのスオウとハルトが、そう簡単に邪影者に成り下がる筈がない。希咲があの二人と一緒にいるのであれば絶対に大丈夫。だから諦めてはいけない。

 瓦礫で崩れた道を迂回しながら、リュウセイとユウイはある一点を目指していた。黒ずんだ空に仄かに光が反射している部分。それはフォルティス中心部から南西に位置する場所で、ターミナルからそう離れてはいない場所。あそこに何かあるに違いない。

 直線状からずれては空を見上げて目的地を確認し、そして走っていけば数分でその場所に辿り着いた。

 小さな広場のようになっているそこは薄い光の結界で護られているかのように、周りの邪影者はその場所を避けていて近付こうとはしない。広場に一歩足を踏み入れて、リュウセイも、ユウイも、その場に立ち尽くした。

 右奥には純白の十字架が建っていて、左手には、横たわるハルトの傍に座り込んでいる希咲がいる。

 希咲の嗚咽だけが広場に響いていて、そこに、他の音は何もなかった。

 リュウセイとユウイは、動く事も、瞬きをする事も、息をする事さえ出来ないでいる。

 だが不意に、ピシッとひび割れる音が響き渡った。ハッとして息を呑んで音の方を見ると純白の十字架の下方から亀裂が入っていき、鏡が割れるように砕け散った。破片は橙色の粒子――カンパネラマテリアへと変わっていく。そして同時にハルトの体も、地面に触れている部分からカンパネラマテリアへと段々と変わっていっている。カンパネラマテリアは、ハルトのベルトについているバックルに埋め込まれているテイマーコアへと、弧を描いて集まっていく。


 消えていく。ハルトが、消えていく。

 足も、胴も、顔も、希咲が握っていた手も。希咲の目から零れ落ちた雫が地面に触れて、弾けるように消えていった。

 カンパネラマテリアはハルトのテイマーコアへ全て入っていき、カシャンと音を立ててバックルが落ちた。膝の前にあるそれに、希咲の目は見開かれたままで、ただ溢れた雫が落ちていく。バックルに施されているカーネリアンコアが、一度煌いた。

 感触がなくなって、存在がなくなって、それでも、希咲はただ涙を流す事しか出来なかった。


 その時だった。完全に消え去った純白の十字架があった場所から気配を感じたのは。

「やっと消えたか」

 氷のように冷たい声音。けれども知っている声に、リュウセイとユウイはそちらを見た。

「スオウ、無事だったのか」

 言った直後、自分の言葉が酷く滑稽に思えた。この状況で、ハルトの結界があった場所に立っているスオウ。それが何を物語っているのかという事に気付かないリュウセイ達ではない。

 笑みを浮かべるスオウだが、その目はやはり、冷たい。

「何も言わずに女皇をこちらに連れて来てもらえないかい」

「……何のことだよ、女皇って」

「そこにいるだろう。僕の女皇が」

 スオウの視線は希咲に向けられていて、リュウセイもユウイも驚愕の色を隠せなかった。

「何、言ってんだ、お前……」

 そんな事は有り得ないと、リュウセイとユウイは知っている。希咲は異世界から来た人間で、エルグランドの者ではないから。その事をスオウも知っている筈だ。スオウとハルトには告げていたのだから。

 しかし知っていながら、彼は希咲を女皇と呼んだ。

「僕には判るのさ、女皇の存在が。それが希咲だと告げている」

「どういうこと?」

「僕は現在の皇帝だ。そう言ったら伝わるかい?」

 スオウが皇帝。それが事実だとすれば、希咲が女皇であると判るという話にも信憑性は出てくる。自分達は誰が皇帝で、誰が女皇なのかを知る事は出来ないのだから。

 そして思い出すのは、スオウが口癖のように言っていた事。

 自分が皇帝だったらいいのに、と。その思いはもしかしたら、皇帝の意思を受け継いでいる証のようなものだったのかもしれない。だとするならば、スオウと希咲が力を合わせればエルグランドから負を消し去る事が出来るかもしれない。

 動く事の出来ない、リュウセイとユウイ。

 一歩、スオウが前に出る。

「さあ。女皇をこちらへ……ッ!」

 しかし、急に苦しそうに胸を押さえてスオウはその場に立ち止まった。

「くっ、結界の影響か……そこにいるのに、僕の女皇が、そこに……」

 スオウのリングにあるオニキスコアが黒い光を放ち、黒い光に包まれるとスオウの姿は瞬時に消えてしまった。

 その瞬間、フッと背後にあった壁がなくなったような感覚に、リュウセイとユウイはハッとして現実に引き戻された。今の感覚は、この広場を覆っていた何かが消えたもの。

 護っていたものがなくなったとなれば、広場に邪影者が入って来てしまう。今はまだ、ハルトのカンパネラマテリアが満ちているから平気だが、危険が迫っている事に変わりはない。唾を呑み込み、腕に巻いているリボンごと腕をぎゅっと掴むと、リュウセイは希咲の方へと近付いた。

 希咲が女皇。その言葉が頭の中をぐるぐると巡っていて、けれども振り払うように頭を振ると希咲を見下ろした。会った時に言おうと思っていた沢山の言葉を全て飲みこんで、唇を噛む。

「……希咲。ここから出るぞ」

 希咲は、ピクリとも反応しなかった。

 気持ちの整理がつかないのは判る。ただの少女が受け止めるには、フォルティスの状況も人間のマテリア化も衝撃的すぎる。けれど、気持ちが落ち着くのを待っている時間はない。

 希咲の手首を掴む。

「危険なんだ。行くぞ」

 ぐっと腕を引いて、けれども希咲はまるで人形のように動かない。

 リュウセイは奥歯を噛み締め。

「希咲!」

 有りっ丈の声でその名を強く呼んだ。

 ビリビリと空気が震えるほどの声。ゆっくりと、希咲の顔がリュウセイを見上げる。涙が零れ続ける希咲は痛々しくて、直視するのは辛すぎる。だからと言って、立ち止まれない。

 リュウセイは顔を背ける。

「行くぞ」

 今度は静かに言って強く腕を引けば希咲は立ち上がって、歩き出そうとしたがすぐに逆方向に希咲の力が向いた。

 何を、と思ったリュウセイだが、口を噤む。

 地面に手を伸ばし、拾い上げたのはハルトのテイマーコア。テイマーコアを掴めばふっと途端に軽くなり、リュウセイは希咲の腕を引いて駆け出した。

 広場を抜ける前にリュウセイはブレイブマテリアで自身の武器である双刃剣を出現させ、ユウイもグレイスマテリアで龍笛を形成した。

 そのまま広場を駆け抜けるように出ると、なだれ込むように邪影者がリュウセイ達に襲い掛かる。前方にいる邪影者はリュウセイが薙ぎ払い。

「タウ・ケーティ」

 ユウイが龍笛を吹けば埋め込まれたジェダイトコアが光を放ち、音色が視覚できる音符となり辺りに降り注ぎ、邪影者の体を取り巻いていくと邪影者は混乱しているかのようにその動きを止めた。

 そしてユウイの龍笛から溢れた音符はユウイ・リュウセイ・希咲の周囲を旋回しているので、このままターミナルまで行けそうだ。リュウセイもユウイも武器をマテリアへ変えて皇心へ戻すと、再び走り出す。

 走って走って、煙が晴れた先にあるターミナルと陸羽艦がハッキリと目に映り込んだ。同時に、心配そうに見送っていたメイミの姿も見え、こちらに嬉しそうに手を振っているのが判ってユウイはフッとその口元を緩めた。

「リュウセイ、ユウイ、希咲! 早く乗り込んでくださいです!」

 奥にいるシキの方へ誘導すると、メイミは胸元に煌く白い石――ダイヤモンドコアにそっと触れれば白い粒子――ハピネスマテリアが溢れ、卵型のダイヤモンドコアにファンシーな天使の翼がついた武器を形成する。

「ここから先には行かせないです! ユプシロン・レオニス!」

 メイミの武器からはピンクのハートが無数に放たれ、フォルティスのゲートを埋め尽くした。

 陸羽艇から伸ばされたタラップを上っていき、足止めの終わったメイミとシキも後からやって来る。シキに急かされ一気に甲板へと駆け上がれば、タラップはすぐに収納された。

 甲板には、逃れて来たテイマーやフォルティスに居た人々、フォルティスが心配で様子を窺っていた人々で溢れ返っていた。

 シキが甲板に上ってすぐの所にいた従業員の男性に出艇させるように指示を出すと、即座に従業員は艇長に伝令し、すぐさま陸羽艇は出艇した。

 動き始める陸羽艇。段々と遠ざかっていくフォルティス。甲板にいる人々は、一体どのような想いでフォルティスを見ているのか。

 泣きじゃくる声も、艇を戻してくれと懇願する声も、何故見捨てて来たのかと責め立てる声も、全てリュウセイ達の耳に入ってきている。

 アヤタカ達の想いを知っているリュウセイもユウイも悲壮感に耐えられずに目を逸らしたが、アヤタカも、あとの二人のリーダーも、フォルティスを眺めながら胸の辺りでぎゅっと手を握り、目を瞑って黙祷を捧げる。弁解も釈明もせず、ただ黙祷を捧げたアヤタカ達。憤慨していた者達も、泣き崩れていた者達も、その場にいた者達が彼らの行動に目を瞠り、そして誰からともなく黙祷を捧げ始めた。

 語らずとも伝わる心。

 暫しの間、フォルティスが見えなくなるまで黙祷は続けられていた。

 少し落ち着いたところで甲板にいた人々は、各々艇内に入っていったりその場に留まったりと行動を始め、リュウセイ達はある一室へとやって来た。その部屋は、来る時にリュウセイ達が使っていた部屋で、一人増えた今でも十分使える広さだった。

 各々適当な場所につき、シキが口火を切る。

「とりあえず、ラフェスタに向かってもらっている。天橋立が修復するにはまだ時間がかかるそうだし」

 王都のエクストレイルに行くよりは、ある程度事情を知っているウルズサークルを頼った方が良いと判断したからだ。避難するには王都であるエクストレイルの方が環境は良いが、今現在エクストレイルがどんな状況下にあるかは判らない。

 シキとメイミには、リュウセイとユウイがアヤタカ達から聞いた話はすでに伝えていた。実際、殆ど何も判明しなかったのと同じ事で、シキも聞いた後、腕を組み顎に手を当てて考え込んでしまっていた。

 引き続きこれからの事を話し合っている中で、リュウセイはふとベッド脇の壁の方へ視線を移した。この部屋に入ってからずっと、希咲は床に座って膝を抱えたまま、じっとしている。

 そっと足を踏み出して近付いて、ぽつりと呟かれた言葉に自然と足は止まっていた。

「ハルト……ごめんね……」

 とても小さな声で、聞こえたのは傍まで来ていたリュウセイだけだっただろう。声と言うよりも息と共に漏れたという感じで、音にまではなっていなかった囁きのようなもの。

 一度は止まった足を再び動かして希咲の前まで行くと、リュウセイは希咲と視線の高さを合わせるようにしゃがんだ。

 覗き込むように見、口を開く。

「……何が、ごめんなんだ……?」

 リュウセイは、ハッキリと音にした。

 その声は室内に静かに響いて、会話をしていたユウイ達は言葉を区切ると、視線は希咲とリュウセイに向けられた。

 希咲は動かなかった。反応しないかとも思われたが、希咲の纏っている雰囲気にそのまま待ってみると、唇が動き出す。

「……あたし……ハルトが、騎士って思ってて……」

 不意打ちのように語られる話。騎士と聞いて反応しないテイマーなどいない。魂に刻まれているその名。全てのテイマーが騎士を悪の根源だと思っており、そうであると様々な本に記されている。

 だが、反応を示しただけで誰も言葉は発さず、希咲の次の言葉を待っている。

「違う……ハルトは実際、騎士で、あたしは知ってて……でも違った。騎士の因子があるだけって、スオウが自分は皇帝だって言って、でもホントは違ってて。あたし、こんなの知らない……スオウ、因子でも騎士だから倒すって……大義の邪魔するなって……スオウが、ハルトを……っ」

 息を呑んだ希咲。

 嗚咽で詰まりながら、必死に、言葉を紡いでいく。

「あたし、あたしがいなければ、ハルト、あんなこと……あたしのせいでハルトが……っ、ごめん、ごめんね、ハルト……っ」

 手のひらいっぱいの大きさの、ハルトのテイマーコア。そっと握る右手の指に力を込めて、胸の辺りで抱くように左手を添える。止まらない涙、もう枯れていいほど泣いているのに、それでも零れ続けている。

「……帰りたい……帰りたいよ……」

 どんなに願っても帰る事の出来ない家。遠すぎる家路。

 心臓が締め付けられるような苦しみも、胸が張り裂けそうな痛みも、本当は経験する事がない筈だった。目の前で人が死ぬという現実離れした出来事。日常を生きていた希咲には縁のない事柄。

 きっと日本に帰れば、痛みは消えてなくなるんだ。

 きっと、何もかもなくなってしまうんだ。

 エルグランドでの出来事は全て泡沫の夢のようなものだったのだと、そう思う事すら出来なくなるんだ。

 そうなった方がいい。

 この苦しみを知ったまま生きるのは辛すぎる。

「……うちに、帰りたい……」

 それが今の希咲の総てだった。


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