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My Tale  作者: 氷滝 流冬
4/12

3 加速する世界

 一夜明けて、昨日できなかった皇心回収を今日行うという事でユウイとリュウセイは朝からラフェスタの外に捜索をしに出かけていて、希咲はサークル内で、幼稚園児や小学校低学年くらいの小さな子達と遊んでいた。

 遊ぶと言ってもオモチャがあるわけではないので、最初はどうしていいのか判らなかったけれど、肩車をしたり馬になったりと、いろいろやる事はあった。

 ただ座っているだけでも誰かが膝の上に乗ってきたり、どこから持ってきたのか本を読んでとせがまれたりと意外に大忙しだ。

「クラウスは言った。『愛なんて形のないものに意味はない! 金こそ全てだ!』札束を部屋中にばらまいている奇行としか言えない行為に、エリザベートは嘆いた。『ああ、何と言うこと! いちゃいちゃしているカップルの仲を引き裂いて奪う愛の素晴らしさが判らないなんて、何て可哀想なの!』哀しみに暮れるエリザベートの涙は、男を奪われた女達の憎しみで黒く染まって……これ、楽しいの?」

 本から顔を上げると、希咲の前にきちんと座って聞いていた子達を見やる。

 純粋な瞳を見ていると、何だかとても悪い事をしている気分になってくる。教育上、これ以上ない程に内容が良くない。

 そうして問いかければ、全員一致で首を横に振った。

「楽しくないんなら、他の持って来ようよ。何でこれ選んだの。というか、誰の本なわけ?」

「シキ兄」

「……え」

 あんな理知的な顔をしていて、こんな愛憎劇と言っていいのか判らないが、人間として終わっている人達の物語を読んでいるという事なのか。

 ハードカバーでパッと見は小難しそうな本。シキの部屋にあってもおかしくないと思える外見なだけに、中身を読んで愕然としていた。元々、シキは大人すぎて希咲には何を考えているのか理解できない事が多々あったけれど、これ程までにシキが理解できないと思った事はないと、内容にショックを受けている。

 こんな本を幼い子に読ませたら、例えテイマーといえども精神が歪んでしまいそうだ。

「お姉ちゃん、その本、シキ兄に返してきて」

「あたしが?」

「うん。読み終わったよって」

「いや、確実に嘘だし、その嘘もどうかと思うよ」

 人間不信になりかねない本を読破したと言ったところでシキが喜ぶとは思えず、何より子ども達が気に入ってくれて良かったと思おうものならば、シキの人格を確実に疑うだろう。

 希咲は別に子ども達の面倒を見てくれと頼まれたわけではなく、サークルには年上の人も数人残っているから出て行っても大丈夫なのだろうと思う。行くのはシキの家なのだから。それに、年下の子から頼まれた事を放っておくわけにもいかず、何より荒んだ内容の本をこの子達の傍に置いておくのも気が引ける。

 どのみちやる事はないのだから外出したって問題はないだろうと思うと、すぐ本を返しに行ってくると告げ、子ども達に見送られて希咲はウルズサークルを出発した。

 シキの家に行ったのは一回だけだったけれど、そんなに複雑な道は通っていなかった筈。殆どウルズサークルが面している大通りで、一度左に曲がって真っ直ぐ行けば着けたなと記憶を辿って行く。だが、きちんと周りを見て歩いていたわけではないので、あまり自信はない。

 盛大に方向を間違えて迷子になるのは避けるべきだと思い、すぐ近くの家の前に立っている恰幅の良い女性に声をかけた。

「すいません。シキの家ってどこか判りますか?」

「ああ、テイマーのシキさんね。もう少し行ったら右手に道が見えてくるの。そこを曲がって行った奥にあるから判る筈よ」

 指差している道を見て確認すると、お礼を言って一礼して希咲は歩き始めた。ウルズサークルに行った時に左に曲がったのであれば、シキの家に向かう時に曲がるのは当然、右になる。そんな単純な事を忘れていて、危うく本当に迷子になる所だった。

 困った時には人に訊くのが一番だなと改めて思い、希咲は今さっき聞いた通りの道順を通って行く。

 辿り着いた家で、ドアの前に立つと軽くノックをした。呼び鈴かチャイムのようなものが見当たらないという事は、これでいいんだよなと思いつつも不安は残る。

「希咲?」

 しかし聞こえてきた声は背後からで、振り返るとそこにシキが立っていた。

 どうやら外出していて戻って来たところらしい。少しでも早く来ていたら入れ違いになっていたかもしれないと思うと、ナイスタイミングと言わざるを得なかった。

「どうしたんだい?」

「あ、これ返して来てって言われて」

 言って、持っていた本をシキに見せれば、納得したシキは家のドアを開けて希咲を招き入れてくれた。お言葉に甘え、中へと入って行く。

「おじゃましまーす」

「気にしなくていいよ。家だと思って寛いでくれて構わない」

 適当に座ってと言われて、希咲は迷う事無く一昨日と同じ一人掛けのソファに座った。何だか、一度座ったからかここが落ち着くような気がした。

 定位置になるのはきっとそんな理由なんだろうなと思う。

 帰宅してから何やら動き回っていたシキは、それらを終えたらしく希咲が座っているソファの方までやってくると、自身も三人掛けのソファに腰を降ろした。

「本を持って来たって言っていたね」

「うん。シキがこんな本読むの意外だよ」

「え?」

 手渡された本を改めて見て、シキは「ああ」と納得していた。

「これは、自分が負について詳しく知りたいと思って買った本だよ。これ、誰が持ってたんだい?」

「年少の子達」

 途端、シキの手から本が落ちた。

 それはショックだろうなぁと希咲も思う。恐らくは読書好きの年長の者が持って行ったとでも思っていたのだろう。それがまさか年少の子だったなど、あまり聞きたくはなかっただろう。

「これ、読んでたのかな」

「読んでってせがまれたから読んだけど、すぐやめた。面白くなかったって」

「そ、そう」

 何だかホッとしたようなシキに、面白かったって言われなかっただけで安心する内容だったなと納得する。

 こうして、シキと面と向かうのは殆ど初めてのような気がする。一昨日は自己紹介をしたくらいで、そもそもシキは他人の事情やら何やらを訊いてくるような事はしない。人として興味がない訳ではなく、他人には触れていい部分と触れてはいけない部分があるという事を理解しての事だ。自ら話をするのは、触れていい部分。話をしないのは、触れられたくない部分。そう割り切っているから、必要最低限の事しか質問しない。

 そんなシキを判っているからこそ、話してもいいと判断した時、皆がシキの許へとやってくるのだろう。詮索せずに見守り、話をしてきた時に初めて自分の考えを述べる。シキは、そういう人だ。

 関心がない、興味がないと思われる事は多々あったようだけれど、それでも良いとシキは言っていた。人によって地雷になる事は違うけれど、他人にはそれがどこなのか判らない。地雷を踏んで傷つけるなら、下手に触れずに待っていた方が良い、と。

 その考えが、希咲には理解できなかった。それは人と関わる事を避けているのではないかと思う事もある。

 その真意が知りたい。

「シキ、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」

「何かな」

 落とした本を拾い上げたシキが希咲を見る。

「シキはさ、あたしのこととか全然訊かないよね。どこの誰とか、素性っていうの? 気にならないの?」

 言って見れば、シキはそっと微笑んだ。

「気にならないという事はない。言い方は悪いかもしれないが、異世界というものに興味はある。自分達の常識を覆すような事だからね」

「じゃあ、いろいろ訊きたいんじゃない?」

 そうだね、と呟いてシキはソファに座り直すと背もたれに体重を預ける。

 そのまま天井を見上げた。

「でもね、希咲。人と言う生き物は、自身を知ってもらいたい、話を聞いてもらいたいと思ったら自ら話すものだ。それが心の深い部分でも、この人になら話しても良いと思える事が出来れば話す。自分は、そう思って貰えて話してくれるのが一番だと思っている」

「でもそれって、拒まれるのが怖いってことじゃないの? 相手も自分も傷つくから」

「痛いところを突いてくるね」

 苦笑するシキ。

 それから視線を希咲へと向けて、すっと目を細めた。その表情はどこか切なげで、どこか儚げで。

「テイマーは皆、自分自身を知られる事に少なからず恐怖を抱いている。サークルは家族だが、言わば他人の集まり。初めて会う人に何もかも話そうと思う人は居ないだろう。共に過ごし、仲良くなって、そこで初めて知って貰いたいと思う。判るかな」

 それは希咲も判る。

 転校生がまさにそれだと思う。幼稚園に入る前からの友達、小学校に上がれば幼稚園からの友達と、段々と知り合いは増えていくものだ。そんな中に、どこか遠い所から転校してくれば、周りは誰も知らない、他人だらけの空間になる。それまでそんな環境にいた事がない者が突然一人になった時、全てを曝け出せるかと言われればそんな事はない。

 中には全然物怖じしない人だっている。けれども、希咲が知っている大多数が人見知りだと言う。転校生は質問責めにされる事が多いけれど、前の学校の事は話せても自分の性格などを話せる者はきっといない。

 警戒心や恐怖心があるからだと希咲は思っている。

 どう思われるか判らない。さらけ出して、受け入れられなかったら怖い。そんな事は誰だって思う。

 シキはそこをきちんと理解した上で、訊かずに待つという方法を取っている。無理に訊けば、警戒心を強めたり嫌悪感を抱いたりするものだから。

「判るよ、あたしも判る。訊かれても言えない事、あるもん。でも、それを言ってもいいって思う人もいる……そういうこと、だよね」

 躊躇いがちに問いかければ、シキは優しい表情のまま頷いてくれた。

 自分が思っている事は、相手には言わなければ伝わらない。気付いてほしいと思うのは傲慢で、言わずに訊かれるのを待っているのは怠慢で、訊かれるとはぐらかすのは身勝手で。

 相手が話さないのであれば、話してくれるだけの信頼を得なければならない。シキはきっと、自然にそれが出来る。だからきっと、シキの許に皆が集まってくるのだろう。

 それから、とシキは更に言葉を紡ぐ。

「希咲は、皇帝と女皇と騎士の事は、知っているかな?」

 知っていると告げれば、シキは言葉を続ける。

 シキの話は、皇帝、女皇、騎士の意思を受け継いでいるテイマーについての事だった。テイマーは必ず、それぞれの意思を受け継いでいる者が存在している。自分自身でも、意思を受け継いでいるという事は知らないらしい。けれども、ある出来事をきっかけに意思は目覚める。一度目の目醒めはテイマーとしてのもの。そして意思を受け継いでいる者はテイマーから皇帝や女皇になる、二度目の目覚めを迎えるのだ。そのきっかけとなる事は、まだ解明されていないらしい。

 今まで、皇帝や女皇、騎士が現れたという話はなかったからだ。意思は、テイマーからテイマーへとマテリアが巡っていく中で、感情を集めているのではないかというのが、一番有力な説だった。そして感情が集めきれていない為に、覚醒していないのだろう、と。

「もし自身が騎士だったらと思うと怖くないテイマーはいない。詮索されるのは騎士だと疑われているのかもしれない、そう感じてもおかしくはない。マテリアが体中を巡っているとは言え、自分達は人間だ。負の感情を抱く事もある」

 普段、負の感情に触れる事のないテイマーは、言わば諸刃の剣だ。突如湧き上がった負の感情に押し潰され、身に着けていた皇心を破壊して負に呑み込まれ、死を遂げたテイマーもいたと言う。

 だからなるべくテイマーを刺激しない為の対策が、詮索しない事だとシキは言うのだ。

 そう言われると漸く納得できた。もしかしたら、訊き出す事で負が暴走するかもしれない。邪影者の負とは違う、自分自身の負に耐性のないテイマーはどう対処すればいいのかを知らない。

 そうした、ほんの些細なきっかけで生まれる負が、テイマーにとっては最も危険なのかもしれないと希咲は思った。

「でも、誰もが常に考えている事ではない。本能的に、そういった事を考えないようにしているんだ。自己防衛の一種だと考えてくれればいい」

「怒ったり泣いたり喧嘩したりしないのも、そういうのがあるから?」

「特に小さい時にはないかもしれない。年を重ねれば、マテリアの扱いも慣れてくるから制御できて、多少の負は簡単に打ち消す事ができるけど。結局は、表に出していないだけという事だ」

 判ったかな、と言われるけれども、正直頭はパンクしそうだった。学校の授業の方がもっとずっと判りやすいだろう。

 表情から読み取ったのか微笑を浮かべているシキに、改めてこの人は凄いなと思った。こういうところが、いつまでもリーダーたる所以なのだろうと。

「自分はね、希咲。早く女皇が目覚めてくれないかとずっと考えているんだ」

「どうして?」

「女皇は、皇心を邪影者から解放する唯一の存在。女皇がいてくれれば世界を統治する事が出来る。そうなればきっと、今よりもずっと素晴らしい世界になる。自分の近くに女皇がいてくれればと、昔から思っているよ」

 いつもみんなの事を考えているシキ。テイマーになった頃からずっと、夢見ているのだろうか。女皇が現れて、邪影者から人々を解放してくれる事を。そして皇帝が平和な世界を統治する事を。

 そうして話をしていて、一段落つくとシキは持っていた本を自分の横に置いた。

「さて。気分転換に外にでも出てみないかい?」

 徐に立ち上がったシキを見上げる。

「外?」

「昼を過ぎて随分経つから、そろそろ迎えに行こうかと思ってね。リュウセイとユウイの所に」

 リュウセイ達の所に行くと聞いて、パッと笑顔になる希咲。今日は朝からずっと会っていなかったからか、ずっと何かが足りないような気がしていた。それが消えたという事はやはり、リュウセイに会いたかったのだと確信する。

 自分が一緒なら安全だからと言うシキの言葉に甘えて一緒に行かせてもらう事にし、シキの家から出ると一昨日と同じラフェスタの出入口の方へと向かった。一昨日と違うのは、向かう先が森ではなく、傍を流れている川の方だという事。その川はラフェスタの中から続いている。ラフェスタの中にある川は、川と言うよりは小川や水路と言う方が合うほど細いものだが、外の川はしっかりとした川になっている。平地や短い崖になっている所など、海に向かっている川の淵でも様々な地形をしていて、今日リュウセイ達は崖の辺りの探索に出ているとの事だった。

 小説ではそこでまた邪影者が現れていたけれど、その邪影者は普通の皇心が暴走した事によるもので、一昨日の事件とは関係ないだろうと、シキと合流してからリュウセイ達は報告していた。

 崖と言っても断崖絶壁のような場所ではなく、数メートルの高さしかない割と緩やかな傾斜になっていて、崖の下には歩道のような狭いけれど立っていられる所があり、リュウセイ達はそこに立っていた。

 崖の上から、希咲はリュウセイ達を見下ろす。

「リュウセイ、ユウイ!」

 希咲が声をかければ、向かい合って何かを話していた二人が顔を上げてこちらを向いた。

「あれ、希咲、と、シキ。どうしたんだ?」

「迎えに来たんだ。もうすぐ日が暮れる。今日はここまでにしよう」

 探索終了を告げると、リュウセイもユウイも崖の出っ張った岩を上手く使い、軽々と崖を登ってくる。

 崖の上に立ち、希咲の目の前までやって来るとリュウセイは真っ直ぐ希咲を見た。

「希咲もわざわざ来たのか」

「うん。リュウセイに会いたかったから」

 ニコッと笑って言えば、リュウセイの顔が途端に赤くなった。まだ日が暮れてはいないから、夕焼けのせいという事はない。

「どしたの?」

「いや、ストレートだなと思って」

「だってホントのことだもん」

 隠す必要も回りくどく言う必要もないと平然と言い切った希咲に、リュウセイは頬を掻いたが、希咲を見てフッと笑むと希咲の頭をくしゃくしゃと撫でてきた。

「ありがとな」

「どういたしまして」

「……それ、何か違わねえ?」

「そうかな」

 言って笑い合う。

 こんなやり取りが何だか楽しくて、それだけで嬉しくて、今までこういう事を思った事なんてなかった。話題で盛り上がって楽しいのとは違う、一緒に居られるだけで幸せだと思える。

 それからリュウセイは「ちょっと待ってろ」と言うと、ユウイと共にシキに報告をしていて、そんな声を遠くに聞きながら、リュウセイの手の感触と温もりの余韻に浸っていた。

(普通に話したり、一緒にいてもドキドキしないのに、不思議……)

 頭を撫でられるだけで喜ぶなんて小さな子どもみたいで、何かがおかしくなったのではないかとさえ思ってしまうけれど、人を好きになるってこういう事なのかなと思う。

 今まで、夢の男の人以外に人を好きになった事はなかった。人として好きではあるが、恋になる事はなかった。夢の男の人以外にそういった感情を抱いたのは、小説の中のリュウセイだけ。読んでいた時もドキドキしていたけれど、実際に会ってみるとドキドキよりも安心感の方が強くて、でもこうして触れられるとドキドキして。

 リュウセイだからなのか、夢の男の人に似ているからなのか、それは今の希咲には判らない。

「希咲、帰るって」

 不意に名前を呼ばれてハッと現実に戻ると、報告が終わったみたいでリュウセイが呼んでいるのが判った。

「あ、うん」

 すぐにリュウセイの方に近づくと、並んで歩き始めた。シキとユウイは前の方を歩いていて、その後を追っている状態だ。

 遅れないようにと必死に歩幅を合わせようとしていたけれど、ふとリュウセイの歩みが遅くなった。そしてすぐに立ち止まったので、希咲も足を止めた。

「希咲、ちょっと手、出してみろ」

「え?」

 急にどうしたのかと思ったけれど、とりあえず右手を出してみれば、手のひらの上に何かが乗せられたのが判った。リュウセイの手が離れた事で露になったそれは、星屑が鏤められたようなブレスレット。桃色の石と小さな乳白石で出来たブレスレットの中央の石からは、垂直に三つ石がついている。その垂れ下がった先には黄色の星型の石。

 思わずリュウセイの顔を見上げた。

「これ……どうしたの?」

 率直に訊ねてみると、一瞬、リュウセイが戸惑ったように見えた。けれどそれは本当に一瞬の出来事で、リュウセイはすぐに笑みを浮かべた。

「やるよ。希咲に似合うと思ってさ」

 ニッと笑うリュウセイ。

 つけてみろよと言われて断る理由はなく、それ以前に見た瞬間に気に入った希咲は顔を綻ばせながら右手首につけてみた。やっぱり可愛い。そっとブレスレットに触れ、ニッコリと満面の笑みを浮かべた。

「リュウセイ、ありがとうっ!」

 不意打ちのような満面の笑顔に、思わずリュウセイの頬が赤くなった。それから照れ隠しをするように顔を背けて視線を宙に彷徨わせる。そんなリュウセイにキョトンとする希咲。

「あれ、どしたの?」

「い、いや、その……」

 たじろぐように声を漏らし、けれども結局言葉にはならなかったので飲み込むと再び前を向いて歩き始める。

 何だか、エルグランドに来てから見るリュウセイは、小説の時とは別人のようだと希咲は思った。出会った時は小説のままだと思っていたのに、こんな風に慌てたり誰かにプレゼントをしたり、そんなリュウセイは初めてで、けれども新たな一面を見られると何だか嬉しくなる。自分だけが知っているような特別な気がして。

 身長の高いリュウセイをもう一度見上げてみると、まだ少し恥ずかしそうな顔をしていて、それがまた何だか嬉しくて。

「わっ」

 そんな時だった。余所見をしていたからだろうか、凸凹としていた道だった為に思わず出っ張っていた石か何かに躓いてバランスを崩してしまった。だが、案外悪くなかった反射神経のおかげで転ばずに済んだ。

「大丈夫か?」

「あ、うん。意外と捨てたもんじゃなかったよ、あたしの反射神経」

 冗談めかしたように言う希咲に、笑みを浮かべるリュウセイだったが、何かを考える素振りを見せたかと思うと徐に希咲の小さな手を握った。繋いでいると言った方が適当な手に、目を瞬かせる希咲。

「今度は転ばない保障はなさそうだから、念の為ってことで」

「あー、言えてる。運動神経悪いわけじゃないんだけど、どうもたまにやらかしちゃうことあるし」

「そういうの、ドジって言うんだぞ」

「いやでも、メイミには負けるでしょ。何もないところで転んだり、頭ぶつけたり、あれはある種の才能だと思う」

「かもしれないな」

 そんな話をしながら前二人に追いつくと、談笑しながら四人で帰路へとついた。

 楽しい時間。

 幸せな時間。

 ずっと続いてほしいと思われた時間が急速に流れていくなんて思わなかった。嵐の前の静けさだったのだろうか。物語は刹那の内に過ぎていく。それはまるで、流星のように。


 ラフェスタが近付いて来た頃、ふとリュウセイが足を止めた為に手を繋いでいた希咲も立ち止まる事となった。リュウセイの向いている先、ラフェスタの入り口にはリュウセイと同い年くらいの蘇芳色の髪の青年が立っていて、彼を見ているのだと希咲はすぐに判った。

 それにユウイとシキも気付いている。

「お~い、スオウ!」

 リュウセイが大きく手を振って名を呼べば、スオウもリュウセイに気が付いたようで嬉しそうに小さく手を振っている。半袖のシャツに、装飾の施されたブローチのような黒い石が留め具となったクロスタイをし、裾が長く後ろの長い変わった形のベストを着、細身のズボンを履いているその姿。優等生スタイルのスオウはテイマーで、リュウセイ達と一緒のサークルに住んでいる者の一人。

 近付いて行くと、何やらスオウが誰かと話している様子が見受けられた。スオウの影にもう一人いるらしいという事が判り、希咲達が近付いて来るのを確認したからか、その人物は姿を現した。

 見た瞬間、希咲はその目を疑った。

 出て来た人物も、リュウセイやスオウと同い年くらいの青年で、艶やかというよりはくすんだ感じの菫色の柔らかな長髪を頭の中間辺りで一つに束ねている人物だった。彼を希咲が知らない筈が無かった。

 左は長袖、右は半袖と言う変わったデザインの服を着た、眼鏡をかけたツリ目の彼はキーキャラクターであり、エンドレステイマーにおいてメインと対象に位置する最も重要なキャラクターなのだから。

「あれ、ハルトも一緒だったんだ」

 ユウイも彼の存在に気付き、その名を呼んだ。

 ハルト。

 それが彼の名。彼が継いでいるものを希咲は知っている。けれど他の者達は知らない。内側の事は他の誰にも判らないのだ。見る事など到底できず、知る事さえも叶うわない。知る手段も術もないのだから当然の事だろう。そう、ハルトが何者なのかを知っているのは希咲だけ。この物語を知っているのは、この世界で希咲だけなのだから。

 談笑しているリュウセイ達の声が希咲には聞こえない。

 聞こえてこない。

 耳に入ってこない。

 周りの音が全てシャットアウトされたように何も聞こえない。否、ドクンドクンと脈を打つ自分の鼓動の音だけが、酷く煩く響いている。

 スオウがこちらを見ているのがかろうじて判った。それに続くようにハルトもこちらを見、リュウセイやユウイの視線も感じている。誰なのかとスオウがリュウセイに訊ね、リュウセイが希咲の事を紹介しているのだろう。笑顔のスオウが、真っ直ぐに希咲を見て口を動かす。

 何も、聞こえない。

 そしてハルトが一歩近付いて来た。

「キサキですね。私はハルト。よろしくお願いします」

 やけに鮮明に頭に響いた穏やかな声。

「よ……よろしく……」

 顔を隠すように俯き、リュウセイの服を掴み、その影に隠れるように立った。小さな声で囁くように呟いた声は震えてしまったかもしれない。けれど今の希咲は、そんな事を気にする余裕などなかった。

 なるべくなら、関わりたくない。知られたくない。憶えられたくない。印象に残りたくない。

 できる事なら、今すぐにでも忘れてもらいたかった。

 彼は、ハルトは騎士の意思を受け継ぐ者――リュウセイ達の敵だ。



 遥か昔。それは太古とも呼べるほど昔の事。

 この世界、エルグランドには皇帝と女皇がいた。二人が統治する世界はとても平和で穏やかだった。正の想いや感情が溢れ、幸せに過ごしていた。

 だがある日、一人の騎士が世界に現れた。騎士は負の感情を持っていて、騎士に近付いた者達は皆、負の感情に呑まれ影へと姿を変えてしまった。

 けれど、皇帝と女皇だけは騎士に近付いても影にはならなかった。

 正の感情を持っていれば平気だと気付いた皇帝と女皇は、影にならないようにする為に自分達の正の感情を解き放った。十二の正の感情は小さな石となり、無数に分裂すると世界中に散らばった。

 その石――皇心を手にした者達は影になる事がないばかりか、負の感情を消し去る力を手に入れた。正の感情を開放した皇帝と女皇は眠りにつき、世界中に飛び散った皇心の影響で動けなくなった騎士は闇の集まる場所に身を潜めた。

 皇心を手にした者達――テイマーは、再び平和な世界にする為に影を消していくのだった。


 始まりの物語と呼ばれる部分を思い出し、ベッドに寝転がりながら希咲は、手を伸ばせば届きそうなほど近くにある天井を見上げた。

 あの後――スオウとハルトに会った後、すぐに逃げ出すようにリュウセイ達と共にウルズサークルに戻って来た。サークルに帰って来るまでずっと焦っていたように感じる。それはやはり、ハルトに会ったからだろうか。

 負の感情を持つ騎士。正の感情しかなかった世界に、負の感情を齎した人物。人を影へと変え、滅ぼす存在。それが騎士。

 ハルトが騎士であるという事を知っているのは希咲だけで、他の者達はハルトの事をただのテイマーだと思っている。

 けれど、希咲が不安に思う理由はそれだけではなかった。

(まだ序盤の筈なのに、こんなに早く帰ってくるなんて……)

 そう、このタイミングでラフェスタに彼がいる事がおかしかった。本来ならばハルトが出て来るのは、時系列的にはまだ先の話。明らかに異様な事だ。

 もしかしたら小説に書かれていないだけで、一時的に帰郷したとも考えられなくはない。そう考えれば、別におかしな事は何もなかった。小説とはそういうものだ。全てが描かれるわけではない。

 だがしかし、希咲はその理由では納得がいかなかった。納得する事が出来なかった。根拠がある訳ではない。ただの直感であり、希咲の思い過ごしだと言われればそれまでだ。けれど、自身の心を希咲は無碍にする事など出来なかった。

 不意にガチャリとドアが開く音がして、暗い部屋に電気が灯され、足音も耳に届いた。この足音は――。

「希咲、大丈夫か?」

 リュウセイだ。

 希咲の様子がおかしかった事を気にかけてくれていたらしい。けれど、せっかく来てくれたというのに体を起こす気にはなれなくて、「うん……」と力なく返事をするだけだった。希咲が大丈夫ではない事などその声だけですぐに判ったらしく、ベッドについている梯子を数段上るとリュウセイは希咲の顔を覗き込んだ。

「どうしたんだよ。元気ねえじゃん」

「そんなことないよ」

「あるって……あのな、隠したってすぐ判んの。俺ら何年の付き合いだと思って……」

「三日だけど?」

「あ、そうでした。こりゃ失敬」

 言って悪戯っぽく舌を出すリュウセイに、何だかおかしくなって希咲はプッと噴出した。堪えきれなくなって声を出して笑えば、つられたようにリュウセイも笑い始める。

 何だか、少し気持ちが落ち着いた気がする。

「ありがと、リュウセイ」

「んにゃ、俺は別に何も」

「それでもありがと。あと、心配かけてごめんね」

「心配、か……あんまり塞ぎ込んでっと心配してやんねえぞ」

「以後、気を付けま~す」

 横になったまま敬礼するようなポーズをとればリュウセイはフッと笑い、希咲もニコッと笑みを浮かべた。

 何だか暖かい。

 やはりこの感覚はとてもよく似ている。夢で感じるものと、暖かさも優しさも全て、夢と酷似している。

「やっぱり似てるなぁ……」

「え?」

 想いが強すぎたのだろうか。リュウセイが訊き返してきた事で自分が声に出してしまった事を知ると、希咲は何だか恥ずかしくなってバッと上半身を起こした。

「あの、あたし、今――」

「似てるって何がだ?」

「……完全に言っちゃってる」

 がっくりと項垂れる希咲に、リュウセイは不思議そうに首を傾げた。

 こうなってしまっては話すしかないだろう。そう思い、観念したように息をつくと、希咲は微笑を浮かべる。

「あのね、小さい頃に見た夢があるの。その夢に出てきた男の人がね、何だかリュウセイに似てるんだ」

 リュウセイにも言ってしまった。メイミに続いて、話すのは二人目だ。

 本当は話す気なんてなかったけれど、あの男の人に似ているリュウセイにだったら、言ってもいいかもしれないと思った。違う。言ってみたいと思った。そして、ずっと想い続けていたのだから。

「私ね、あの男の人がリュウセイかもしれないって思ってたんだ。それくらい、よく似てるの」

 はにかんだように笑いながら喋る希咲。

 しかし、リュウセイはどこか呆然としたような表情をしている。

「……リュウセイ?」

「あ、いや……あまりに突拍子もないこと言うから、ちょっと驚いて……それに、オレと希咲は別の世界の人間だろ」

 その言葉に、ドクンと心臓が脈打った。

「……そっか、そうだよね……ごめん、変なこと言って」

「別にいいけどよ。それに、希咲がそんな乙女チックなこと言うタイプにも見えなかったから余計にな」

「確かに」

「だろ?」

 そうだよねと妙に納得してしまった。見たのは、エンドレステイマーを知るよりもずっと昔、まだ小さい頃の事なのだから。

 有り得ない事だと希咲自身、判っていた。けれどリュウセイに逢って、リュウセイと話して、リュウセイと過ごして、言わずにはいられなかった。もしかしたらという気持ちを抑えきれなかった。そんな筈ないという事など、当の昔に判っていた筈なのに。

「そういえばリュウセイ、あたしに何か用でもあった?」

「へ? ああ、晩飯でもどうかと思ったんだけどよ。準備できたし」

「あー……せっかくなんだけど、今日はいいかな。何かお腹空いてなくて。それに何だか眠たいし」

「そうか。疲れたのかもな。ゆっくり休めよ」

「ありがと」

 そう言い残すとリュウセイは梯子を降りてドアへと向かい、一度希咲を振り返ると部屋の電気を消し、自室を後にした。

 残った希咲は再びベッドに寝転がると天井を仰ぐ。窓から差し込む月の光だけが灯りとなる暗い部屋の中で、そっと希咲は目を閉じた。

 そうだ、ある筈がないんだ。絶対にある筈がなかったんだ。そんな事、最初から判っていた。判っていたのに、どうして抑えられなかったのだろう。ずっと、判っていた事だったのに。期待を膨らませ過ぎたのかもしれない。希望を持ち過ぎたのかもしれない。

 今までそれを実感させられる事がなかったから、想っていれば本当になると勘違いしていたのかもしれない。ここは本の世界なのだから、何でも良い事が起こると思っていたのかもしれない。

 世界が違う。それを痛感させられてしまった。

 胸が痛い。胸が苦しい。喉の奥が痛い。息が苦しい。目の奥が熱い。頭が痛い。ココロガイタイ。

 じわりと目に滲んだもの。けれど希咲は、それを気にする事はなかった。

 自分の事で泣くのは何年ぶりだろう。もう随分と長い事、泣いていない気がする。感動をしたり欠伸をしたり、そんな涙なら最近も流したけれどそれとは質の違う涙。

 自分の為に流す涙。

 痛みを和らげるように、消し去るように流す涙。

 自分の中を綺麗に洗い流す涙。

 早く寝てしまおう。

 眠って、次に目が覚めればきっと元の自分に戻っている筈なんだ。もしかしたら、自分の部屋に戻っているかもしれない。きっとそう。

 明日からまた日常に戻るんだ。学校に行って授業を受けて、友達と遊んで、家に帰って弟とテレビを見て、家族でご飯を食べて。そんな他愛もない生活がまた始まるんだ。

 起きてしまえば、もう二度とこんな夢を見る事はないだろう。すぐに寝てしまうのは勿体無いかもしれない。

 せっかくだから、またご飯を一緒に食べれば良かったかもしれない。この機を逃せばもう二度と食べられないのだから。けれど、どんな顔をしてリュウセイと過ごせばいいのか判らなかった。

 こんなのはただの傲慢で、欺瞞で、勝手に思い込んで否定されて勝手に落ち込んでいるだけなのだから、気にしなければそれで済む話だった。けれども気持ちはそれでは済んでくれない。少なくとも、今はまだ平常心になれる気がしない。落ち込んでいたらきっとみんな心配する。そういう優しい人達だから。誰ひとり例外なく、きっとそう。

 だから、今は眠ろう。

 現実に戻ろう。

 私は、この世界の住人じゃない。

 本の世界には、いられない。


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