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My Tale  作者: 氷滝 流冬
11/12

10 流星河の日

 真っ暗な部屋の中。窓から差し込んでいる淡い月の光に照らされた室内は、希咲の自室であるという事が分かる。希咲は今、ベッドのすぐ傍に立っている状態で、ベッドに視線をやれば本が散らばっていた。

 夢、だったのかと錯覚する。

 しかし希咲が着ている服はエルグランドにいた時のもので、ハルトのテイマーコアも、リュウセイにもらったブレスレットもついた状態だ。

「帰って、きたんだ……」

 記憶はしっかりしている。

 起こった出来事も全て覚えている。

「良かった……」

 正直、戻ったら全て忘れてしまうのではないかと危惧していた。小説にはそういう設定のものだって少なくはない。だから戻って来るのはある種の賭けのようなものだったのだが、見事、賭けには勝ったらしい。

 部屋を見ていて、自分がエルグランドに行った時は確か昼間だったから、時間は少し経ってしまっているらしい事を知る。時間軸にはやはり違いがあったようだ。同時進行だった場合は大変な時間が流れていた事になるので、そうではない事でホッとした。

 履きっ放しのブーツを脱いで、とりあえずドアを開けて部屋から出てみる。本当に帰って来た事を確かめる為に。

 テレビでもつけてみれば判るかもしれない。そんな事を思いながら階段をそっと降り、リビングのドアを開けると電気がついていて、ソファに座っていた両親が驚いたようにこちらを見た。

「あれ、父さん帰って来てたんだ。珍しいじゃん、仕事は?」

 単身赴任中の父は週末になっても帰って来る事があまりないのに、こうして家にいる事は本当に珍しい。

 だから単純に思った事を口にしたのだが、父も母も黙っている。

「どうしたの?」

 何だか様子が変だ。

 キョトンと首を傾げて、不意にバタバタと母が駆けて来たかと思うとぎゅっと体を抱き締められた。

 訳が判らない。一体どうしたというのか。

「何、母さん」

「希咲……! ああ良かった……心配してたのよ……!」 

 泣いている。声が震えていて、体も震えている。ますます訳が判らない。学校に行って帰って来て、居なかったのはほんの数時間だけの筈なのに、何故こうも号泣されなくてはならないのか。そんなに涙もろい人ではなかった筈なのだが。

 一方の父は気難しい顔のまま近付いて来て、やっと体を離してくれた母から解放された希咲の頬に、平手が振り降ろされた。

 バシン……ッと重たい音と衝撃がきて、訳も判らないまま顔は横を向いていて、赤く腫れ上がった頬を希咲は右手で抑える。

 目を丸くしたまま父を見つめ、父の目に涙が浮かんでいる事に初めて気がついた。

「一体、今までどこに行っていたんだ! 親に散々心配をかけて!」

 この時、漸く気が付いた。

 希咲がエルグランドに行っていた時間が、数時間ではなかったのだという事を。

 心配と怒りに震える父を泣きながら必死に宥める母。

「あたし、どのくらいいなかったの……?」

 まだ惚けるのかと眉を顰めた父だが、それを制するように母が静かに言葉を紡いでいく。

「四日よ」

「……そっか……」

 そんなに経っていたのであれば、両親がこれだけ心配するのも当たり前だ。ましてや希咲はまだ中学生。無断で外泊などする年齢ではなく、連絡手段もなかった。携帯電話を持ってはいるが、あの日は学校の鞄の中に入れたままだった為に使えなかった。

 軽く考え過ぎていたのかもしれない。

 何もかもを。

「父さん、母さん……話があるの。あたしが、四日もどこにいたのか。全部正直に話すから、聞いてくれるかな」

 真っ直ぐに両親を見据えると、戸惑ったように両親は顔を見合わせていた。

 今までこんなに真剣に親と対面した事はない。まだ、そんなに真剣な話をする年齢でもない。恐い。緊張もする。すんなり信じてもらえるとは思わないけれど、どうか届いてほしい。

 食卓テーブルにつき、両親と対面するように希咲は座った。

 静寂に包まれた室内は希咲の緊張に拍車をかけていて、けれどそこで負ける訳にはいかなかった。

「信じられない話だと思うけど、ちゃんと聞いてほしいの。あたし、本の中に入ってたんだ」

 エンドレステイマーという大好きな小説があり、その本を買った時に偶然混ざっていた漆黒の本を開くと、エンドレステイマーの世界の中に入っていた。そこでエンドレステイマーのキャラクターと出逢い、物語を良い方向へ向かわせようとしたけれど出来ず、自分がいた事によってキャラクターの一人が亡くなってしまった。崩壊へ向かう世界で仲間が自分を元の世界に帰してくれる事になって、元凶となった者が亡くなった事で世界は平穏を取り戻し、こうして帰って来られた。

 簡単にだけれど、総ての事柄を順序立てて包み隠さず話した。

 嘘も隠し事も出来ない。した瞬間に、作り話だという隙が出来てしまうから。

「馬鹿馬鹿しい、そんな作り話で親を騙そうなんて、どういうつもりだ!」

「作り話なんかじゃないよ。全部本当のこと。この服も、このブレスレットも、エルグランドのものだから」

「下らん! 私はもう寝る。お前ももう寝なさい。明日からきちんと学校に行きなさい、いいな!」

 声を荒立て、父はリビングから出て行ってしまった。

 希咲はただ見送る事しか出来なくて、立ち上がった母がそっと優しく希咲の肩に触れた。

「……もう遅いわ、寝ましょう」

「母さん。あたし、嘘なんてついてないよ」

「希咲……」

 困ったような母の顔。

 どうして、本当の事を話しただけなのに困らせてしまうのだろう。判らない。正直に話せば伝わると思っていたのに。

 悔しさに胸が苦しくなりながら部屋に向かえば、弟の部屋のドアが開いた。

「お姉ちゃん……?」

 眠い目を擦りながら出て来る幼い弟に、希咲は無視できずに弟へ近付く。

悠飛ユウヒ、起きちゃったんだ。ごめんね」

 眉根を下げて謝罪の言葉を口にすると、弟はブンブンと頭を振った。

 それからすぐにたたたっと駆けて来ると、希咲の腰に腕を回して抱き着いた。

「お姉ちゃん、お帰りなさい」

 落ち着いた声音で、けれども抱き着く腕に力が込められていて、弟にもずいぶん心配をかけていたのだと知り、希咲は小さな体を抱き締め返す。

「ただいま……心配かけちゃったね。体、熱いよ。熱あるの?」

「うん……でも、だいじょうぶだよ」

「大丈夫じゃないよ。いっつも、あたしのケガの心配してくれるの、悠飛でしょ。お姉ちゃんも、おんなじように悠飛が心配なの。お部屋行こう」

 まだ四歳の弟を部屋へ促そうとしたが、弟は首を横に振った。

 普段は駄々をこねたり泣き喚いたりする事のない、手のかからない弟がこんな風に我が儘を言う事は珍しい。

「お姉ちゃんといる」

「……一緒に寝たいの?」

 優しく訊ねれば、コクンと頷いた。

 本当に淋しい思いをさせてしまったようだ。先程の両親との事もあり、今は一人でいるのは気が退けて、希咲は弟の頭を撫でる。

「判った。悠飛の部屋で一緒に寝よう。いい?」

「うん!」

 瞬時に笑顔になると、弟は希咲から離れると嬉々として希咲の腕を引いて自室へ戻って行く。可愛らしい弟の行動に笑みを零し、弟の部屋に入るとそのままベッドへ向かった。子ども用の手狭なベッドだが、小柄な希咲と幼い弟の二人なら寝られる広さはある。

 弟を先にベッドに寝かせ、自分も横になると布団をかけた。横向きに寝、向かい合うと悠飛がじっと希咲を見つめていて、すぐに希咲の頬へ手を伸ばしてくると、叩かれ赤く腫れ上がっている頬に小さな手が触れた。

「いたいの?」

「あー、これね。父さんに叩かれちゃった」

「何で?」

「そうきたか……」

 この年頃の子どもは何にでも興味を持つ。そして決まって、何で、どうして、と訊いてくるものだ。

 先程、父には盛大に怒られた話だ。話すべきか困ったものの、弟になら良いかと口を開いた。

「お姉ちゃんが、居なかった四日間、本の中にいたって言ったから」

 キョトンとしている弟に、言葉の意味は伝わっているだろうか。

「悠飛には話したよね、エンドレステイマーって本のこと」

「お姉ちゃんが大好きな本!」

「そう、それ。その本の中に入ったの。それでね、ずっとリュウセイとかユウイと一緒にいたんだ」

 それから、両親に話した事よりもずっと簡単に弟には説明した。理解できない事が多くあるだろう。それでも、弟は希咲から視線を外す事無く、絵本を読み聞かせている時と同じように聞いている。

「お姉ちゃん、うれしい?」

「え?」

 話し終えると、弟はそんな事を口にした。

 唐突な質問に、希咲は目をぱちくりとさせた。

「どうして?」

「だって、本よんでる時とおんなじ顔だもん」

 どうやら自分は微笑んでいるらしい。まるで自覚がなかったが、こうして話すだけでも幸せな気持ちになっているのだろう。父に怒られた後の喪失感などどこにもなくて、心が暖かい。

 思わず、フフッと笑みが零れた。

 そうして希咲が笑ったからだろうか。弟も嬉しそうに笑った。

「ありがとう、悠飛。さ、もう寝よう。早く、風邪治さないと」

「うん」

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 目を閉じ、すぐに寝息を立てる弟を見、柔らかな髪を撫でて希咲も目を閉じ、その日は眠りにつく事になった。



 次の日の朝、目覚めたその場所は弟の部屋で、夢ではないのだと改めて実感させられた。まだ眠る弟を残して自室へ戻ると、制服はエルグランドに置いて来てしまったから予備の制服を引っ張り出して着替え、リビングに行くとすでに父の姿はなかった。朝早くに仕事に戻ったと聞いて、無理をして帰って来てくれた事を知った。

 娘が姿を消すというのはそういう事だ。弟は、希咲がいなくなったショックで風邪を引いてしまったらしい。

 ご飯を食べずに家を出て、学校に着いてからもそれは痛感させられる事になった。

「希咲! もういいの?」

 友人達が登校した希咲の周りに集まってくる。

 学校では、どうやら風邪を引いて休んでいた事になっていたらしいが、クラスメイトであり親友である瀬里奈とナツミは恐らく、見舞いにでも希咲の家を訪ねて事実を知ってしまったようで、それは顔を見ただけで判った。

 適当に笑って返して親友の許へ行くと、途端に空気が重くなった気がした。

「希咲……無事だったんだ」

「良かった、希咲ちゃん。心配してたんだよ」

 瀬里奈に強く抱きしめられて、ナツミにはぎゅっと手を握られる。

「ごめんね……」

 それ以上の言葉は出なかった。

 説明しても、きっと理解してはくれない。エルグランドの人達と違って、この世界の人間は皆、現実的だ。現実で起こり得ない事態は、ある筈がないと思っている。超能力やオカルトを信じない事と同じ。自分の目で見るか証明されるかしなければ、現実だと受け入れる事は出来ない。

 だから何でもなかったのだと言って、担任が入って来た事で窓際の自分の席へと座り、希咲は頬杖をつきながら窓の外をボーっと眺めた。

 あの後、エルグランドはどうなったのだろう。

 事件を起こしていたスオウは居なくなった。恐らく、スオウが宿していた皇帝の意思は消え去った。これから、きっとフォルティスやエスクード、エクストレイルの復興が行われるだろう。結果として、生き残った人間はラフェスタの住人と逃げ延びたフォルティスの数人しかいない。世界の四分の一の人間しか居なくなってしまった。

 悪の根源である皇帝が居なくなった事で、世界は変わるのだろうか。皇帝は居なくなったけれど、皇心がある事に変わりはない。人間が負を持っている事も。復興しながら、今まで通り皇心の回収などを行っていくのだろうか。それに、女皇の意思を受け継いでいる希咲は今、地球にいる。その場合、女皇の意思は受け継がれる事はなくなるのだろうか。

 様々な事が片付いてから戻って来れば良かっただろうか。

 しかし、そうして滞在時間が永くなれば現実世界での時間も経っていく事になり、家族や親友の心配による心労は相当なものになっていただろう。

 あれから、ユアテイルの本は開いていない。本当にあれが扉となっているのであれば、迂闊に開けばまた飛ばされかねないのだから。それにもし、もう一度開いて何も起こらなかったとしたら、エルグランドとの繋がりが本当に絶たれてしまう事になる。それは避けたかった。

 繋がっていると示唆するものがほしかった。

 制服の袖の下にはブレスレット、そしてハルトのテイマーコアはスカートのポケットに忍ばせている。

 離す気にはなれなかった。置いて来る事も、肌から放す事さえも。こんな事では駄目なのかもしれない。縋ったままでは生きていけない。けれどせめて、気持ちが落ち着くまでは持っていようと思った。どんな事があっても。

 ホームルームが終わって、授業が始まって、授業の合間にある休憩時間にも、希咲はその場から動かずにただ外を眺めていた。何度か教師に注意されたけれど、それでもやめなかった。

 校門の方を眺めていた時、誰かが敷地内に入ってくるのが見えた。

 もうすぐ昼になろうかというこんな時間に、遅刻者だろうかと思って目を凝らし、希咲は思わず立ち上がってしまった。

「っ!?」

 声にならない声を上げ、ガタガタっと机と椅子が音を立て、教室中の視線が希咲に向いた。

「おい、立花。まだ授業中だぞ」

 教師の注意する声が聞こえないかのように窓に両手をつけてしっかりとその姿を両の瞳に映し、それは確実なものとなった。

「ごめん、先生、それどころじゃない!」

 言うや否や教室を飛び出した希咲。教師の制止の声などには構わずに、猛ダッシュで階段を駆け下りると玄関から飛び出した。

 校門前の道に立っているのは、見間違いようのない人物。

「希咲。迎えに来たよ」

 優しい声、表情。

 教室が校門に面している為、クラスメイト達も異変に気付いた他のクラスの者達も希咲とその人物を見下ろしている。

 ざわめく学校。

 だがもう、その声は希咲の耳には届いていなかった。

「何で、何でここにいるの。だってここ、地球だよ、日本だよ。どうしているの、シキ」

 目の前にいるシキを見つめる。

 確かに別れ際に、地球とエルグランドを繋ぐ方法を研究すると言っていた。エルグランドと地球で流れている時間が違うから、もしかしたらその方法が判ったのかもしれないと思っていた。

 指に光るものを見るまでは。

「シキ……それ、どうしたの?」

 それ、と言って見つめる先が右手に向けられている事を知り、シキは希咲に見易いように手をあげた。

 黒く輝く石の嵌め込まれたリング。

「それ、スオウのテイマーコアだよね……何で、シキが持ってるの……?」

 頭の中で警鐘が鳴っている。これはおかしい事だと、心が、ハルトのテイマーコアが告げている。

 青かった筈の空が赤い。血で染められたかのように、赤い。

「おかしな話だ。これは元々、自分がスオウに渡したもの。本来の持ち主の許へ戻っただけの事だ」

「何、言ってるの……シキ、おかしいよ。それに、どうしてここにいるのがシキだけなの? リュウセイ達は?」

 微笑むシキ。けれどその表情は、希咲が知っているシキの優しい顔ではなかった。

「君が消えた後、開かれたままになっていたあの本で世界を移動する事が出来た。その際、邪魔になったからね、負を植え付けて来た。今頃、自身の負に耐え切れず、邪影者になっているだろう」

「……そんな……」

 足に力が入らなくなって、希咲はその場に座り込んだ。

 あんなに仲が良かったのに。ずっと一緒にいて、テイマーのリーダーもしていて、時には諭し、常に導いていたシキだったのに。そんなに簡単にリュウセイ達を邪影者化させてしまったなど、信じられない。

 それに何より、理由が見当たらない。そんな事をする理由が、シキには無い筈なのに。

 じわりと、涙が目に浮かんだ。

 どうして……どうしてこんな事になってしまうのだろう。大切な人が居なくなっていく。傍に居られないのならせめて、繋がっていたかったのに。ただ、それだけだったのに。

 繋がる事すら、出来なくなってしまった。

 絶望が、渦を巻いていく。

「勝手に殺すんじゃねえ!」

 力強い声。

 ハッと顔を上げればシキが見え、その先には鮮やかな山吹色が見えた。

「リュウ、セイ……?」

 目が合い、ニッと笑う彼。

「よ。俺も来ちまった」

 屈託なく笑うその顔は紛れもなくリュウセイのもので、逢えた途端、再び涙が溢れ出した。

 振り向いてリュウセイの姿を目にし、シキは目を眇めてリュウセイを睨み付ける。

「負に呑まれなかったのか」

「相手が悪かったんだよ、シキ。俺は騎士で、ユウイとメイミは元々の皇帝と女皇の因子を継いでた。負に対する耐性は誰よりも強い」

 皇帝と女皇の因子と聞いて、ピンと来るものがあった。

 ハルトも因子を継いでいると言っていた。因子と言うのは、つまり元々の世界、エンドレステイマーで意思を継いでいたという事を示唆しているものだったのだろう。だとするならば、それがユウイとメイミにあったとしても驚きはしない。もしかしたら、ハルトと同じように自分が因子を継いでいる事を知っていたのかもしれない。

 そしてリュウセイは騎士。それも、理が変わった後の騎士。それは元々の皇帝と同じ存在である。負を封印する力を持った者が負に呑み込まれる筈がないという事だ。

「そういう事か。なるほど、あれだけの負の暴走にも耐えられた筈だ」

「……どういうことか説明してくれんだよな? シキ。いつもみたいに」

 シキを睨み付ける。

 フッと笑みを浮かべるシキは、皇帝の意思に呑み込まれていた時のスオウと同じようで、背筋に悪寒が走った。

「スオウは、実によく動いてくれたよ。自分の代わりに、様々な実験を行ってくれた」

「……実験?」

「そう。人の心には必ず、負が存在している。自分はこれまで、負を操る術を研究していた。一般人が皇心に触れて邪影者化したところで、負は大きくならない。そこで考えたのが、テイマーコアを使って邪影者化させる事」

 皇心とテイマーコアの違いは、真詞を刻んでいるか否かというだけ。しかし、真詞を刻むという事は正の力がより強固となる事を意味し、そのテイマーコアが負に染まれば負の量も一気に増えるという事。シキはそこに目を付けたのだと言う。

「負の種をテイマーに巣食わせれば、徐々に心の中で膨れ上がって暴走する。しかしこれでは時間がかかる。そこで、外から心の中にある負を操作出来ないかと考えた。スオウがエスクードで繰り返し行っていた事だ」

「ハルトとスオウが報告してたのって、そのことかよ」

「そう。そしてリュウセイ、君が見つけたテイマーコアの暴走、あれは自分が仕組んだものだ。テイマーコアに負を埋め込み、テイマー以外の者が触れて暴走するかというもの。その事で、負というものはどんな形であれ暴走させることが可能だという事を知った」

 どれか一つでも失敗していたら、大量の犠牲者が出る事はなかったのだろう。しかし、全てが上手くいってしまった。だからシキはそのまま、スオウに次の段階の実験を行わせる為にラフェスタから出させたのだろう。

 あの時、見回りを行う日にシキとスオウが二人で話していたのはその事についてか、それともラフェスタ内でテイマーコアの暴走を起こす事か。その両方だったのかもしれない。

「そしてフォルティスで、一度に大量の皇心を暴走させる事に成功し、皇心に負を溜め込んだスオウはエクストレイルの住民を全て消滅させる事も出来た。負が人間を呑み込み、全てを無に帰す事が出来ると判ったんだ。けれども自分は、エルグランドの負では満足出来なかった。実験の段階で、エルグランドの人間の大半が消滅する事は判っていたからね。そこで、異世界に目を付けた」

「あたしを帰そうとしてたのは、その為……?」

 ラフェスタでも、フォルティスから向かう陸羽艇の中でも、希咲を帰そうとしていたのはずっと、地球に来る為だったという事。

「何で、そんなに負に執着してるんだ。何がしたいんだよ!」

「勘違いしないでほしいが、スオウは皇帝ではない。自分が皇帝の力を貸しただけの模造品。真の皇帝は、自分だよ」

 リュウセイと希咲の目が見開かれる。

 そんな事があるのかと。しかし先程、シキはスオウのテイマーコアが自分のものだと言った。本来の持ち主が自分だと。その皇心が負を吸収する事が出来るものだったとしたら、それが皇帝の力を凝縮したものだとしてもおかしくはない。それを身に着けていたから皇帝の力を使えていたという事も。

 だがそれでは、あまりにも惨すぎる。スオウが願い続けていた皇帝が、本来のものではなかった上に実は皇帝ですらなかったなど。それでは何故、スオウが命を犠牲にしなければならなかったのか。

 それに、スオウは皇帝の心があると言っていた。

「偽りの心を植え付ける事など、皇帝には簡単な事。負と同様に、意思の一部を与えればいい。だが、スオウの心は思ったよりも弱かった。あれだけの負を吸収してくれた事に感謝はしているがね」

 言って、一瞬にして短刀を出現させる。その武器さえもシキの物だったとしたら、一体、スオウは何だったのか。スオウという存在が否定されているような気がして、希咲もリュウセイも眉を顰めた。

 どうして、こんな風になってしまうのだろう。

「話はこのくらいでいいかな? 自分は女皇と、この世界の負を喰らわなくてはならない」

「ッ! 何でお前らは希咲に、女皇に執着すんだよ! 希咲を巻き込むな!」

「女皇と共に世界を統治する事が目的だ。そこに女皇がいなければ意味がない」

「どいつもこいつも……てめえの言ってる女皇は希咲じゃねえ! お前の焦がれる女皇はここにはいねえんだよ! 皇帝!」

 リュウセイのルベライトコアから溢れ出たブレイブマテリアが双刃剣を形成し、リュウセイは地面を蹴って飛び出した。一気に間合いを詰め、振り降ろした双刃剣をシキは短刀で受け止める。ぶつかった衝撃で風が巻き起こった。

 シキは意識を集中させて皇心に光を収束させたが、気付いたリュウセイは短刀を押し付けるように力を込めると地面を蹴って高くジャンプし、シキを飛び越え着地した直後に足払いをするように自身の足をくるりと回した。

 バランスを崩すかと思われたシキは短刀を振り降ろし、リュウセイはすぐさま双刃剣で受け止める。短刀を押し返し弾いたリュウセイは、地面と水平にした双刃剣を振り切り、シキは腕でガードし、腕の前についていた短刀が双刃剣を受け止めた。

 しかしリュウセイがそのまま力で押し切り、ぶんと双刃剣を振り回せばシキの体は簡単に横の方へと吹き飛んで行った。校舎前にある花壇に着地し、地面を滑るシキ。

 その間に、リュウセイは希咲の許へ駆け寄り、シキから希咲を護るように立つ。

「リュウセイ」

 間近でリュウセイの後ろ姿を見て、ボロボロになっている事を初めて知った。服は所々破け、傷だらけになっている。

「リュウセイ、ケガしてる」

「あー、不意打ちくらっちまったからな。ま、掠り傷だ、心配すんな」

 きっとシキが、地球に来る前に負わせた傷だろう。幸い、大きな怪我はしていないようだけれど、それでも痛々しく映る。

 眉根を下げて泣きそうな表情の希咲に手を伸ばし、くしゃっとその頭を優しく撫でた。

「大丈夫だ。こんなことで泣くな」

 うん、と頷き笑い合った、その時。

 体が重くなったような気がした。まるで通常の何倍もの重力がのしかかってくるかのように。そして恐怖が、絶望が、憎悪が、不安が、孤独が、苛立ちが、身体を支配していく。

 巨大な負の感情が膨れ上がるような感覚。希咲が二度感じたそのどちらとも、スオウが負に呑み込まれた時のものとも全く違う感覚。スオウから発せられた負でさえも生易しいものだったと思えるほどの感覚。

 土を踏み鳴らし、一歩一歩、近付いて来るシキ。

「何、あれ……!」

 シキの足元にあった草花が枯れ、その周りにある草や木から黒い靄のようなものが出てシキへと集まっていくと、また枯れていく。 

「周りの負を取り込んでんだ。あれが、負を喰らうっていうことか」

 取り込まれる負は、植物だけに留まらなかった。上空を飛んでいた小鳥や烏、近くを歩いていた猫、そしてそれは校舎の方からも流れ込んでいる。

「瀬里奈、ナツミ……! みんなが、学校のみんなが消えちゃう……!」

 野次馬のように覗いていた彼らから出た負もどんどんシキに取り込まれていく。

 あれだけの人数を今から避難させる事など出来ない。それに、このままシキが負を喰らい続けたら、範囲だって学校だけでは収まらない。周辺の住宅から、街から、市から、それはどんどん広がっていってしまうのではないだろうか。事実、負は四方八方からシキへと流れ込んでいる。空にかかる毒々しい赤色の靄。遠くを見ても赤黒い空。それは遠くから負が押し寄せている事を意味している。

 王都の住人を一手に消し去る事の出来る力を持っている皇帝。日本なんて、簡単に無くなってしまうのではないだろうか。日本だけではない、世界ですらも呑み込んでしまいそう。大きすぎてとても想像できるものではないが、実際にフォルティスとエクストレイルを見ている希咲には、それが大袈裟なものだとも思えなかった。

 体が震える。

 リュウセイは希咲の手を取り、しっかりと地面に足をつけて立ち上がらせる。

「希咲……俺達なら止められる。あの話が本当だったとすれば、皇帝を止めたのは女皇と騎士だろ。方法は判んないけど、俺と希咲が一緒なら、きっと」

 リュウセイと一緒なら。

 それに女皇と騎士でなかったとしても、何とか出来る気がする。二人一緒なら何も怖くない。今まで何度も苦しくなったり辛くなったりしたけれど、リュウセイが居てくれたからこうして立ち上がる事が出来る。そして、いつも叱咤してくれていたハルトも傍に居る。

 大丈夫、リュウセイが一緒ならもう何も怖くない。

 握ってきたリュウセイの左手を握り返し、リュウセイを見上げる。

「そうだね。あたし達ならできる。シキを止めよう。スオウはスオウの心を取り戻した。もしかしたら、シキも戻るかもしれない」

 真っ直ぐにシキを見据える。シキは、高揚していた。

「素晴らしい。この世界の負は、こんなにも強大だ。マテリアの、皇心のない世界がこれほどまで負を溜め込んでいるとは……!」

 負を抑え込むものが地球にはない。エルグランドのように、皇心やマテリアが抑えてくれる事がない代わりに、爆発して暴走する事もない。どちらが良くて、どちらが悪いなんて言えない。

 けれども、マテリアや皇心がないからこそ、自分達で負を抑え込んでいて、偶に吐き出しもする。そうして人は、自分の中の負の感情と向き合っている。それがないテイマーだからこそ、きっと壊れやすい。

 だからこうして、強い力に簡単に負けてしまう。

 シキを解放してあげたい。元のシキに戻したい。スオウは叶わなかったけれど、本物の皇帝の意思を継いでいるシキなら。

「負を取り込んだっていいことなんてない。取り込んだ負は、絶対いつか暴走する。そんなこと、皇帝が一番よく判ってるじゃない! 負を取り込んで力をつけたって、女皇は哀しむだけだよ!」

 シキが、ピクリと反応した。

「皇帝! あんたが本当に欲しかったものは何だったんだよ! 女皇とずっと一緒にいたいだけだったんじゃねえのかよ!」

 呼びかけるのは、受け継いでいる意思に対して。皇帝への、そして女皇への執拗なまでの執着。それが、シキのものとはどうしても思えない。

 皇帝の意思の一部に呑み込まれたスオウ。もしそれが、シキにも起こっているのだとしたら。呼び起こすべきは、皇帝。

「お願い! 応えて、皇帝!」

 希咲の言葉に、強い想いに呼応するかのように、希咲のブレスレットについているトパーズコアが、リュウセイのブレスレットについているルベライトコアが、シキのピアスについているトルマリンコアが光を放ち、光が各々の前に立つと人の形を成す。

 希咲の前には、豪奢な白いドレスを着た、希咲が二十歳になったような姿の、蜂蜜色の長く美しいふわふわとした髪を靡かせた女性が。

 リュウセイの前には、軍服の様などこかの国の騎士団長の様な恰好をした、二十代後半まで成長したリュウセイの姿をした男性が。

 シキの前には、沢山の装飾品で飾られた国王のような服を着、マントを羽織っている三十前後のシキの姿をした男性が、それぞれ立っている。

 それが誰なのかという事は、すぐに理解した。

 皇帝が、目を覚ます。

「あの頃は幸せだった。私と、女皇と、二人で穏やかな日々を過ごしていた」

 ゆっくりと皇帝の口から語られるのは、エルグランドという世界を愛し、慈しみ、女皇と二人で統治していた頃の事。穏やかで、幸せな時間。永遠に続くかと思われた日々。

「ずっと、共に過ごしていたかった」

 そんなある時、一人の男が城にやって来た。

 その男は、騎士。

 エルグランドの事を知りたいと言う騎士に、皇帝も女皇も様々な事を話した。この世界がどれほど豊かで素晴らしいのかという事を。行く宛てがないという騎士を、皇帝も女皇も城に好きなだけ居たら良いと居城の許可をし、その日から、騎士も共に城で暮らすようになった。

 そしてその日から、女皇は皇帝よりも騎士といる時間の方が永くなった。

 これまでずっと二人で過ごしてきた皇帝にとって、独りでいる時間というものは残酷なまでに孤独だった。幸福しか知らず、それが永遠だと思っていた皇帝にとってそれは何よりの苦痛であり、同時に、初めて抱いたその感情を抑える事は出来なかった。

 独りでいる事の、孤独と空虚。女皇を奪った騎士への、嫉妬と憎悪。女皇に対する、陶酔。自分を見ない女皇への、憤怒。このまま女皇が居なくなってしまうのではないかという、恐怖と憂慮。心配する女皇と騎士への、虚飾。騎士に女皇を奪われ全てを失ってしまった、絶望と破滅。

 それらの感情が溢れ出すのに、そう時間はかからなかった。

 民が邪影者化する中で皇帝の異変に気付き、これ以上、皇帝に民を苦しめさせないように、女皇と騎士は皇帝を封じる事にした。封印は成功し眠りについた皇帝だったが、その意思だけはテイマーコアへ宿らせていて、皇心を転々としながら負の感情を増していった。騎士を消し去る為には膨大な量の負が必要だと判断し、悠久の時を経て、今、ここにいる。

「私はただ、女皇と共に居たかっただけだ。共に、過ごしたかっただけだ。だが、私の中に湧き上がった感情に耐えられなかった。耐えられるほど、強い人間ではなかった」

 そして、女皇と騎士も目を覚ます。

 目の前にいる皇帝を見つめ、優しく微笑んだ女皇が口を開いた。

「そうね。貴方はとても弱い人だわ、皇帝」

 しかし、出てきた言葉はその顔に似つかわしくないほど辛辣な言葉だった。笑顔はすぐに消え、更には腕組みをし仁王立ちになってしまい、その姿は女皇というよりは女王様のようだ。

「騎士に嫉妬? 私がいなくなることへの恐怖? 絶望ですって? 馬鹿じゃないの! 大体ね、私が貴方だけのものだと思ったら大間違いなのよ! 勘違いも甚だしいわ! 民を巻き込んで、何代も先の子に迷惑かけて、恥ずかしくないの? 私、貴方のそういうところ、大嫌いよ!」

 ふんっと顔を背けてしまった女皇。自分のしてしまった事の大きさと責任の重さに沈んでいた皇帝は、今の女皇の言葉で更に落ち込んでいるのが見て取れる。間近でその光景を見ている希咲達は、涙目になっている皇帝に居た堪れなさを感じていた。

「けれど、貴方だけを責めることはできないわ。貴方が負に負けてしまった理由は、世界にも、私にもあるのだから。私たちは、世界に正の感情しか与えなかったわ。けれど人は、負の感情も潜在的に持っていたの。私たちは自ら、負に弱い人間になってしまったのよ。だから、自分をそんなに責めないで」

 そう言ってニコリと微笑む。

 慈しみに満ちた笑み。それまでの冷たい空気とは真逆の、暖かく穏やかな空気。それは、皇帝がよく知る空気だ。

 そして、騎士は皇帝の前で片膝をつく。

「皇帝。私も配慮が足りませんで、皇帝に不快な思いをさせてしまったこと、お詫びのしようも御座いません。こちらの意向を汲んで下さった皇帝に、無礼な振る舞いをしてしまい、申し訳ありません」

「ちょっと騎士。そんなに堅苦しいことを言うものではないわ。わたし達の仲でしょう? それと、貴方は自分を卑下しすぎなのよ。撤回なさい」

 左隣に立つ女皇を見上げ、苦笑を浮かべながら騎士は「すみません」と謝り、皇帝に向き直る。

「私は、貴方と女皇のお力になれればと、今も変わらず思っております。この気持ちは、伝わっておりますでしょうか」

「……ああ。全て勘違いだったと、思い知らされた。すまなかった。これから、共に歩んでいけぬだろうか」

「身に余るご厚意、感謝致します」

 心にあった蟠りは消え去り、和解する事の出来た皇帝と女皇と騎士。ただ一度、話すべきだったのだ。けれども皇帝は聞く耳を持たず、女皇と騎士は話し合う事を避けて封印してしまった。

 思っている事を口にしなければ伝わらない。それは、希咲も身を持って知っている。

 もやもやとした気持ちがどんどん膨らんでいくという事も、独りで出来る事はとても少ないのだという事も、誰にも告げずに独りで行動しても碌な事にはならないという事も。

 けれど今、こうして和解できた。

 とても永い年月をかけて、自分の思っていた事を話しただけで。蟠りなど、終わってしまえばその程度のものなのだ。

 和やかな空気へと変わり、立ち上がった騎士はリュウセイと希咲を振り返る。

「君達に話しておくことがある。私は、異世界の人間なんだ」

 突然のカミングアウトに、驚いたのは希咲もリュウセイもシキも同じで、更に今、初めて聞いたらしい皇帝も驚いて騎士を見ている。

 そんな皇帝を見て、女皇が不思議そうに首を傾げた。

「あら? 教えてなかったかしら」

「……聞いていたら、嫉妬などしなかったよ」

「あら、ごめんなさい」

 そう言ってニッコリと笑う女皇は、うっかりという言葉では済まされないような気がするのだが、皇帝はただ言葉もなく項垂れるだけだった。

 そんな女皇を見て、騎士は苦笑を浮かべると再びリュウセイと希咲を見る。

「私がエルグランドに行ったことで、あの世界には他の世界と繋がるゲートのようなものができてしまった。故に、君もあの世界へと渡ったのだろう。そして、異世界から来た君に女皇の意思が宿った。全ては偶然ではない。必然だ」

「あたしがエルグランドに行ったのも、必然なの?」

「ああ。君がエルグランドへ行った時のことを思い返してみるといい」

 そう言われてみれば、おかしな事は多かった。

 いつもは絶対に行かない古びた本屋へと行き、新刊だけを買えばいいものを、何故か気になりユアテイルを買った。しかし、年老いた店主はユアテイルの本を認識してはくれず、仕方がないと買うのを諦めて帰ったにも拘らず、帰って見てみると袋の中に本はしっかりと入っていた。その時、間違って入っていたと本屋に返しに行けば良かったのに返さず、更にエンドレステイマーを最初から読み進め、最終巻手前で手を止め、何故かユアテイルの本を開いた。

 これが全て偶然だと断言する事は出来ない。

 そして、必然だと言われれば納得できるような事だった。

「でも、あたしのせいでエルグランドの世界は変わっちゃったよ? それでも?」

「君の知っていたエルグランドは、もう存在しない。言うなれば、架空のものだ。そのことをよく知っているのではないか」

 そうだ。希咲の知っているエルグランドは、小説の中の世界。それは架空の世界だ。実在していたエルグランドの真実が何なのか――それを知っているのは、今、エルグランドで生きている者だけだ。

 誰かが書いた小説は、事実では有り得ない。

 そういう事、なのだろう。

「希咲。希咲が来たことで確かに変わったのかもしれない。けど、言ったろ。未来は自分達で決めるもんだって。俺らは、物語通りになんか生きられないんだ。それが、人間って奴だろ」

 今、現実の世界で、こうしてリュウセイが隣にいる。小説の中の登場人物でしかなかったリュウセイが、本の中で出会い、現実でも触れ合えている。これが、本の中のキャラクターだと言えるのだろうか。

 そうではない。確かに生きているのだ。希咲がエルグランドへ行った時から、本物の人間として、彼らは生きている。

 命が吹き込まれたのだ。

 そして、女皇が真っ直ぐに希咲を見つめる。

「希咲。ありがとう。貴女のおかげで、こうして和解することができたわ。もう、私たちの意思も必要ないわね。このまま眠りにつくわ」

「え? せっかく、勘違いだったって判ったのに?」

「ええ。どんな理由があろうと、エルグランドの民が大勢亡くなったのは私たちの責任だもの。女皇として、責任を果たすわ。この身に残った全ての力をエルグランドの為に使うの。それに、今の女皇は貴女でしょう。私はもう、必要ないわ」

 それは、エルグランドを希咲達に託し、自らはエルグランド再興への礎となるという事だろうか。確かに、世界の理である女皇・皇帝・騎士ならば可能かもしれない。

「でも、あたし……」

 そこで、唇に人差し指があてられた。今、答えを出す必要はないと、そう言われた様な気がした。

 そして呆然としたようなシキへ皇帝が近付く。

「現状を見れば状況は把握した。我が意志がすまぬ事をした。謝罪などでは済まされないと承知している。そなたの行った行為は我が意思によるもの。そなたが気に病む必要はない」

「いえ……自分の責任です。制御しきれなかった自分の弱さが招いた事。言い逃れはしません」

「それでも、だ」

 どうにも煮え切らない様子のシキと皇帝。このままでは堂々巡りしそうだと思った時、二人の前では女皇が仁王立ちになり頬を膨らませた。

「いい加減になさい! 誰が悪かったという話ではないのよ。後悔するなら、全てを掛けてエルグランドを、エルグランドの民を護るべきだわ。それが、皇帝の役目でしょう!」

 キッパリと言い切った女皇。その清々しい気持ちに、一切曇りのない心に、心が晴れやかになるようだ。

 こうして話して話を聞いて、実感した。テイマーが女皇に惹かれる理由が。凛とした強い意思と、民や世界を想う慈愛と、溢れんばかりの優しさと、全てを包み込む暖かさと。それらが女皇の魅力なのだ。

 かっこいいと、素直に思った。こんな女性になりたいと憧れる。

「ええ、そうですね。自分がしたことを赦して貰おうなどと思わない。赦されるべき事ではないから。だからこそ、生涯をかけて償う。皇帝として、テイマーとして」

 それはシキの決意だ。疎まれようと、恨まれようと構わない。それだけの事をした自覚がある。自覚した上で、逃げないと決めたのだろう。のうのうと生きているなど赦せないと憎悪を向けられる事もあるだろう。だが、それでも命を断つ事は出来ない。死しても、何も変わらないと知っているから。

 最後に、騎士がリュウセイを見た。ただ真っ直ぐに。

「どうか、ずっと大切な者の傍に。私が果たせなかった事だ」

「言われるまでもねえよ。昔から、それは変わんねえ」

「そうか」

 とても短いやり取りだが、それだけで互いに理解したらしい。似たもの同士であると。故に、言葉など要らないのだと。

 それぞれの意思は受け取った。女皇が、そっと微笑む。

「そろそろね……あなた達には感謝してもしきれないわ。本当にありがとう。これからのエルグランドをお願いね」

 優しく微笑む女皇の姿が、皇帝と騎士の姿が光へ変わっていく。キラキラと輝きながら光は中央に集まっていき、小さな塊が三つできると女皇達の姿は消え、光の塊が希咲の前にやってくると反射的に両手のひらを出し、光は希咲の手に降りると弾けた。

 手に残ったのは、黄・朱・藍の三色の植物の種。

「種?」

「命ってことなのかな。女皇たちの」

「そうかもな」

 そこで言葉を区切り、リュウセイは真っ直ぐにシキを見る。

「シキ……俺は、シキのしたことを赦せない。仲間が、テイマーがたくさん死んだ。スオウも、ハルトも。テイマーじゃない人もたくさん。全部がシキのせいじゃなくてもな」

「ああ、分かっている」

「だから、一緒に帰ろうぜ。エルグランドに。俺が騎士なんて自覚まるでねえんだけどさ、それでも何かできるだろ。エルグランドの為に、頑張ろうぜ」

 ニカッと笑うリュウセイはいつものリュウセイで。

「ああ……ありがとう」

 微笑むその表情はシキそのもので、リュウセイも希咲も顔を見合わせて笑い合った。

 皇帝の中にあった負が消え去った事で、シキが行っていた負を喰らう行為は止まっている。どうやらこれで一段落ついたらしいと思ったその時、短刀からリングへ戻ったオニキスコアに、ピシッと亀裂が入った。

 瞬間、影のような膨大な量の負が溢れ出す。

「え……っ、どうして……!」

「判んねえ……シキ!」

 溢れ出す負は噴水のように勢いよく噴き出ていて、シキはその勢いに押されないように左腕を抑え、何とかその場に立っている。気を抜けば倒れてしまいそうなほどの噴出。

「恐らく、皇帝の意思が眠りについた事で、皇心が負を抑えきれなくなったのだろう。今まで溜め込んでいた負が逆流している。このままでは、この世界が負で溢れる……!」

 噴き出した負は空を覆い尽くすかのように、赤黒かった空を更に濃く黒く染めていて、真昼の筈だというのにそれは夜と見紛うほどだった。

 見渡す限りの黒。今は空に停滞している負が、もし地上に降り注いだとしたら一体どうなってしまうのか。シキは、皇帝は心に負を巣食わせる事が出来ると言っていた。もし、この負が降り注いだ事によって心に負が住み着いたとしたら、もしかしたら地球でも邪影者が現れるかもしれない。

 もしそんな事になったら、地球の人々は対抗手段を持ち得ていない為、世界は忽ち邪影者で溢れるだろう。一人が邪影者になれば、触れて負に呑まれた者も邪影者になる。それはまるでゾンビのように増え続ける。

 シキが言った負で溢れるとは、つまりそういう事態を指している。

「どうにかしないと!」

「当たり前だろ。希咲の世界を、壊してたまるもんか!」

 握っている手の、リュウセイの腕輪と希咲のブレスレットについていた皇心が触れ合い、二人の意志の強さを表すように強い光を放った。

 それはとても強い輝きを放ち、シキのオニキスコアから噴き出る負を消してしまいそうなほどのもので、そんな中で希咲とリュウセイはお互いの顔を見合った。見つめ合い、心を通わせる。

 出逢ってからこれまでの事が頭の中で巡っていく。

 全ての負を消し去るほどの強い想い。

 互いに強く手を握り合い、黒い空を見上げた。

「輪廻を導く流星の奇跡! 天昇! ヴェガ・アルフェラッツ・アスケラ・シェアト!」

 希咲とリュウセイの声が重なり、希咲のトパーズコアから放たれた黄色い光と、リュウセイのルベライトコアから放たれた紅い光は上空へと絡み合いながら登っていき、黒い空を突き破るかのように天高く消えていくと真っ白な光が世界を覆いつくし、黒い空から雨が降り出した。

 否、正確には雨ではない。

 雨のように見えるのは、とても小さな光の粒子。雨のように雪のように降っているのは十二色の光の粒子で、それを降らせているのは、天の川のように大量に流れている流星。流星群よりもまだ多い流れ星。流星群に覆い尽くされた空は黒さを打ち消すように明るく、暖かい光を世界に振り撒いていた。

 光の粒子に触れた負は消えていき、負を吸われていた者達は見る見るうちに元気を取り戻す。

 幻想的で空想的な光景に、目の当たりにした人々は皆、建物から出たり外を覗いたりしている。

 それは希咲の母も例外ではなく、光が一際強い、希咲の中学校へと足を踏み入れていた。


 光が降る中でも、シキが嵌めているリングについているオニキスコアに入った亀裂はどんどん大きくなっていて、希咲とリュウセイは辛そうに悔しそうに眉を顰めた。皇心の崩壊は、心の崩壊、つまり存在の崩壊を意味している。

 どうにかしなければ、このままではシキが消えてしまう。

「シキ、何とかならないのか……?」

「こればかりはどうにも。自分は……運命を受け入れようと思う」

 しっかりと希咲達を見据えるシキ。その目に迷いはない。

「そんなのって……結局、俺達は誰も救えねえのかよ!」

 吐き捨てるようなリュウセイの言葉。騎士の意思を受け継ぎ、騎士として目覚めても結局救う事が出来ない。だとしたら、意思とは何だったのか、騎士とは何だったのか。何の為に目覚めたのか。皇帝達の確執は消えたが、シキが居なくなっては、リュウセイにとっては何の意味もない。

 このまま黙って見ている事しか出来ないなど、何よりも辛く、目を逸らしたリュウセイの手からフッと感触がなくなった。

 それは握っていた希咲の手が抜けた事を示していて、その存在を追うように視線を彷徨わせれば希咲は真っ直ぐシキに向かっていた。

「希咲……?」

 亀裂が大きくなる中で、希咲はシキの前に立つと、徐にシキの左中指に嵌められているリングを外してそのまま上空へ放り投げた。

「えっ!?」

 シキも、リュウセイも唖然としながらリングを見つめていると上空で雪のように降っていた光に触れた直後、パアンッとオニキスコアは弾け飛んだ。

 光に紛れ、粉々に砕け散ったオニキスコアがキラキラと光を反射して輝いている。

「き、希咲おま、何し、あれシキの命、壊れ……」

「違うよ。あれはシキの心じゃない」

 そう言って希咲が視線を向けた先をリュウセイも見てみれば、そこには変わらない姿で立っているシキが居る。シキの皇心だったオニキスコアが弾けたというのに体は消えていなかった。マテリア化している様子も見受けられない。

 シキ本人も珍しく何が起こったのか理解できないという表情をしていて、視線は再び希咲へと向けられた。

「どういうことだよ、希咲。何で……」

「自分も知りたい。一体、何をしたんだい」

 しかし希咲は、至極当然だと言うように言葉を紡ぐ。

「だって、シキの皇心はトルマリンコアだもん。スオウの前で、シキはちゃんと自分の武器を出したし、真詞も使ったでしょ? だから、それがホントのシキの皇心だと思って。あのオニキスコアは、皇帝の力を宿した皇心だったから平気かなって。それに、今思えばスオウのホントの皇心はクロスタイの石だったと思うんだ。スオウが消えてリングが残るのは判るけど、クロスタイまで残るなんて変だもん」

 淡々と説明され、リュウセイは脱力するようにその場にしゃがみこんだ。そのような重大な事を、相変わらず淡々と話す希咲には恐れ入る。

 シキも何だか疲れたような顔をしていて、希咲はキョトンとしてからすぐに笑った。

「伊達にエンドレステイマーの愛読者じゃないんだからね」

 その笑顔に、何だか頼もしい言葉に、リュウセイとシキも笑顔になった。こういうところが、きっと皆を惹きつけていたのだろうなと思って。

 降り注ぐ光が消えゆく頃、遠くで、正午を知らせる時計塔の鐘の音が響いていた。


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