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八束脛

作者: 周防常陸


 荒れ野に私と彼、二つの影だけが落ちている。

彼は背が飛び抜けて高いから、肩を並べて歩くとまるで親子のようだと、地面に落ちた影を見てひとり思う。

乾燥した土を踏みしめるさくさくという音、ごうごうと唸る乾いた風の音。静かな夜に二つの音だけが響く。

寂しい半月の夜、私は彼とたった二人ぼっちで歩いていた。


 虫一匹すらも歩いていない。なにやら気のふれた妖怪が村ごと何もかも焼き払ったのだと聞いたが、私には何も関係ない。


「本当に良かったのか」


 彼が呟く。ばつの悪そうな顔で、私を見つめる。

彼の言葉にこくりと頷くと、彼は眉を寄せて私を諭し始めた。


「お前は家を捨てたんだぞ」

「ええ」

「今から俺の住む山に行くんだぞ」

「ええ」

「化け物に喰われるかもしれないんだぞ」

「ええ」

 

 とんとんと用意していたように話していた彼の唇の動きがふと止まる。そうして、なにかを口の中で整えるような、そんな空白のあとに彼はゆっくりと息を吐き出すように言った。


「俺は、妖怪なんだぞ」

「知っていますわ」


 やつかはぎ、だったか。

彼は、自分は蜘蛛の妖怪であるのだと言った。

 しかしにわかに信じがたい話である。当然、今現在隣に居る彼はどうみても人間なのだ。妖術を使うところを見た訳でもないし、人を襲うところなんて想像すらできない。 善良なひとだった。


「信じているもの、あなたを」

「信じるなんて、そんな簡単に使うな」


 ふい、とそっぽを向いてしまう彼。


「本当よ。それに私、あなたになら殺されても構わない」


 先を行こうとする彼の浴衣の袖を指でつまむ。彼は返事をせずに黙々と歩みを進める。



 いつかもこうだった。

 

 私が、山奥で倒れていた浴衣姿の彼を助けた時の事だ。村で薬屋をしていた両親のあとを継いで薬師の真似事をしていた私は、ときどき山に入って薬草を集めることをしていた。ついでに茸や山菜を集めてみたり、木の実をおやつ代わりにしたり、一人で過ごすその時間を私はとても気に入っていた。

 はじめは、何か大きな動物の亡骸が横たわっているのだと思った。私が発見した時には、もう彼には意識が無く、喘ぐような呼吸をどうにか繰り返しているような状態だった。ひどい熱だった。つい先刻摘んだ薬草をちぎって彼の口に入れ、持ってきた竹筒から水を無理に飲ませた。

 そして彼に呼び掛け続けた私は、うっかり眠ってしまったようで、いつのまにか意識が回復していた彼に起こされて目が覚めた。周りはもう真っ暗だった。

 そして彼は礼を言うより先に、私を怒鳴り付けた。今でもはっきりと覚えている。


『おなごが遅くまで山に居るものではない、山賊にでも襲われたらどうするつもりなのだ』


 と。

 なんだかズレた彼の怒りの言葉に、私は思わず吹き出した。大体、誰のせいだと思っているのか。生死の境目で逆立ちをしているようだった誰かを助けたときには、まだ空には太陽が秋らしく冷たくなってきた空気を暖めるために輝いていたというのに。目の前の女が突然笑いだしたのを見て、彼は酷く困惑した。

 しかしそれも束の間、彼は馬鹿にされたと思ったのかむっとした顔をした。

 可愛らしい人だと思った。ころころと表情が良く変わるのは、感情を隠そうとしないからなのだと思った。酷く素直で、まるで人を疑うことを知らないのだろうと。


『ありがとうございます』

『何がだ』

『私が起きるまで待っていてくれて、です』

『恩人だ。無下にはできん』


私が手当したのを理解していて、何よりも先に叱ったのか。私は曖昧に微笑んだ。

 


 さて。

 そう言って彼は立ち上がった。

 

『山をおりよう。こんな時間だ、村の近くまで送ってやる』

『あなたは?』

『俺はもう少し歩く。ここからずっと行ったところに故郷があるんだ』


 遠くをぼんやりと見つめる目で、なんとなく、もうしばらく帰っていなかったのだろうと思った。


『帰るのですか、こんな暗い道を』 

『そうだな、そろそろ帰るのもいいかもしれない』

 

 それに、どうせ泊まるあてがない。

 そう言って自嘲的に笑った。こんな山奥では、宿を営む人間などいない。確かにそうだった。加えて、近頃は物の怪が出るというので、どこの村でも余所者を近付けようとしないのだった。

 ただでさえ閉鎖的な空間であるのに、それがいつもよりずっと濃く表れている。息苦しい、と思う。生きづらくはないのかと、日頃から周りに問いかけたくて仕方がなかった。

 黙ってしまった私を気遣ってか、それともお前のうちに止めてくれるというのか、といたずらっぽく少年のように笑った。 

 いつもならそうしない自信があった。笑い飛ばしたであろうと思った。

 夜の静寂からくる寂しさがそうさせたのか、何だったのかは今となってはわからないが、私はただ一言、いいわ、とだけ答えた。


    

 もうすっかり暗くなった山道を彼と肩を並べて歩く。しかし彼は背が高く、というよりは出会ったことのない程の大男で、身長の小さくない私とでさえあまりにも歩幅が違うために何度も放って行かれそうになった。その度に小走りを繰り返すが、知ってか知らずか彼は歩みを遅くしない。痛みはじめた足にいい加減嫌気の差した私は、彼の浴衣の袖をぐい、と引っ張った。


『もうちょっとゆっくり歩いて下さる?』

『お前……小さいな』


 言いたいことを察した様に呟き、歩く速度をぐっと落としてくれた。

 私は決して小さい方ではないのだが。そう思ったがこの大男の前では皆がすべからく小人のように見えるのだろう。


『……お前、名はなんと言う』


 しばらくの静寂のあと、独り言のようにぽつりと呟いた。疑問符がつく言葉だと気づくのにすこし時間がかかった。

 その時間を拒絶だと思ったのか、言いたくないならいいんだと彼は呟いた。視線の一つすら動かさず、歩くために前だけを見据えて。

 

『桜の衣でさくらいっていうの。こんな響きだけれど、氏じゃないのよ。変でしょう』

『いや、良い名だ。お前に良くあっている』


 やはりこちらを見ないままでだった。

 

 私に良く似合っている、ですって。こころのなかでそっと悪態をついた。ついさっき出会ったばかりのくせに。

 私のこと、なにも知らないくせに。


 その後、彼は自分の番だと言わんばかりに名を名乗った。

 八束(やつか)。それが彼の名前であった。

 

 二人で黙々と歩き続け、夜のとばりが空気を冷やしはじめた頃、家についた。村の明かりが遠くにぽつぽつと見えた。家は、村から遠く外れたところにある。

 朝の残りの粟と芋を食べ、昔親が使っていた布団を取り出して自分のものの横にならべて敷き、寝た。

 次の日、朝目覚めたときには隣には冷たい布団だけが残されていた。別れの挨拶もなしに去るのもそれらしいと、たった数刻の交流で思わせる彼はやはりすこし変わっていると思った。

 

 昼に薬を売りに村へいき、帰って自分ひとり分のゆうげを準備しているときに、彼はふらりと帰ってきた。当然だと言わんばかりの顔で、どうやって捕まえたのかもわからない鳥を片手に。


 

 そうして私たちは二人で暮らしはじめた。村の人たちは余所者がひとり増えたことには気づいていないようだった。もとより、私に対しての興味もないのだろう。たまに薬を売りに来る薬屋の娘。あまり関わりたくないのだろう。

 しばらく一緒に暮らしても、私は彼のことをなにも知らないままだった。聞けば何かが変わる気がして、知ろうとさえしなかった。彼だって私の事を知ろうとしなかったからなにも知らない。


 その距離感はとても過ごし易く、私の理想とする生活だといってもよかった。誰かのぬくもりを都合良く享受できる生活。これからもこうして、お互いのことをなにも知らないまま、その上に積み上げていくようにして暮らしていけると思っていたのに、彼はそれらをすべて崩してしまった。もう、帰らなくてはならないと、そう言った。


 私はまたこうして置いていかれるのか。


『村で若い娘が物の怪かなにかに殺されているのが見つかっているのは知っているでしょう』

 

 数日に一度。ここしばらくのことだ。ただでさえ少ない村の若い娘たちが、変わり果てた姿で見つかっている。乳房や尻、太股など柔らかい部分だけが惨たらしく引きちぎられたようにして無くなっているのだそうだ。失った破片はいずれも見つかっていない。

 そんななか、今出ていくことはないじゃない、と吐くように言った。自分でも良くわかる。困惑している。なにもそんな言い方することないのに、と、自分に毒づく。

 彼が困ったような顔をして、わたしの右肩越し、遠くを見つめる。私は言い捨ててしまった手前、引くこともできずに黙っていた。

 彼はちいさく溜め息をついた。

  

『それが、おまえを守るための最高の手段だからな』


 どういうことなの。


私の問いに、彼は迷い、躊躇い、そしてもうひとつため息をついて、俺だ、と、ぽつりと呟いた。


『その事件の犯人は俺だ』

『娘たちは皆食べられていたわ』

『そうだな』

『自分を鬼だとか妖怪だとでも言うつもりなの』

『そうだ』

『信じられない……』


 呆れて目眩さえおぼえた私の頭を、ごつごつした太い指でかくように撫でた。くすぐったさと気持ちよさで俯いた私の頭のてっぺんに、彼の言葉の続きが降り注ぐ。


『俺は八握脛(やつかはぎ)、いわゆる土蜘蛛だ。聞いたことくらいはあるだろう。当然人を喰う。いつお前を喰ってしまうかわからないのだ。自分でも押さえられるかはわからない』


 信じられるわけない、とは言えなかった。

 頭に乗せられた手は震えていた。手だけじゃない。声だって絞り出したことがよくわかる細かな震えを孕んでいた。

 

 怖かったんだ。

 

 独り言のように呟いたその言葉を聞いて、そこで、やっと私は彼が言いたいことを理解した。

 彼女たちは、代用品だったのか。良く似た年代、さして栄養のある食べ物を食べているわけでもないから、みんな良く似た貧相な体つきをしている。良く似ているのだ、他でもない私と。


 しばらくなにも言えずに黙っていた。理解は追い付かず、感情の整理もできず。

 状況をひとつひとつまとめて、やがて、ひとつのところへと行き着いた。

 

『それじゃあ、もうここには居られないのね』


 娘たちがこのまま減って行けば、村としてはどうにか娘たちを守らないといけないと動き出すのだろう。そしてその保護の対象にはきっと私も含まれるのだ。そうなれば彼の存在は周知のものとなる。村の人間が、わざわざ遠く離れたところにあるうちにやってくることが無かったから知られずに済んでいたが、そうはいかないだろう。彼のいる生活の匂いも、もうどうしようもなく強くなっている。

 私に選択肢なんてなかった。

 

 

 そして今、少ない荷物を手に彼の横を歩いている。


 彼は住処へと帰るのだといった。なら、私もついていくと、そういったのだった。彼は、何度も考え直せと私を諭した。そんなことを言うくらいなら、はじめから黙って去っていってくれたらよかったのだ。とは、本人には言わなかった。

 家を捨てた。俗世を捨てた。確かにその通りだが、もとより親類のいない私には何も捨てた感覚はない。 生きるために村との交流を繋ぎ止めていたが、住む世界を変えてしまえるのなら捨てたってなにも問題はない。むしろ、喜ばしいくらいだった。

 私は今から彼と生きていく。彼の話を信じるなら、私は妖怪と生きていくのだ。人間でないものと生きていくこと。それは、許されることではないのかもしれない。

 彼の容姿は何度見たって人間にしか見えない。実際にその姿を目にしたわけではないから、普通なら狂言としか思えない状況だ。


「最後にもう一度聞くぞ。俺は人間ではない。危険な目にもあうかもしれない。人生を捨てることになるんだぞ」

 

 それでも、と言いながらどうしようもなく苦しそうな顔で先を行く彼が振り向く。

 何度目かわからない問に、おもわず苦笑が漏れた。

 

「もう言わせないで。決心は揺らがないわ。どんな危険な目に遭おうが、私は、っ……」

 

 あなたを愛してるの。

 

 そう言おうとするより早く、彼は私を抱き寄せた。


「子は生せないんだぞ」

「わからないわよ。数年後にはあなたの子を孕んでいるかもしれないわ」

「無理だ、人間となど……」


 私を抱く腕に力が篭る。


「知ってる? この世に無理なことはないのよ。人と妖が愛し合う世の中だもの。きっと何でもできるわ」


 そういって笑って見せた。

 

 それから、私も彼も何も話さなかった。流れ落ちる滴を見ないふりして、黙ったまま、ずっと歩き続けた。

 

 死んでもいいと思ったのだ。騙されていたとしてもいい、と。

 寂しい思いをせずに過ごせた時間のことを考えれば、何もかもがどうでもよかった。私は、村との交流を最低限で留めたまま、同時に、誰かと繋がりたいと思っていたのだと思う。


 ありがとう、は、どの瞬間に伝えればいいのかしら。何の話だと、彼は怪訝な顔をするだろう。

 その時には、私の話をしよう。私がどうしてあんなに村から離れた場所で住んでいたのか、どうして今の生活を選ばざるを得なかったのか。ありのまま、話すことはないとしても。

 先のことを考えて、すこし心が綻ぶ。

 


 わたしは新しい世界で生きていく。




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