9.再始動
目が覚めてしまった。
期待を裏切られた虚しさに春香はかすれた声で一言漏らした。
「……死んでない…?」
「ええ、死んでいません。」
自分の右側から冷たい秋仁の声がした。まさか、自分の呟きに返答が返ってくると思わず、春香は驚き言葉を失う。
「春香、私が何を言いたいか分かりますか。」
秋仁がとても怒っている。
「…ごめんなさい」
「何故こんなことをしたのかお聞きしても?」
今まで一度も怒ったことのない秋仁が怒っている。
「も、もう死に、たくて、」
秋仁の前で言葉にすると自殺が禁忌であり、さらに、秋仁に生きていて欲しい、と言われたことを思い出した。
「それは違いますね?」
「え、?」
どう意味だろう。
「貴女は死にたくなかった。生きたいと思った。そんな気持ちが嫌で死のうとした。違いますか。」
「そ、それは…」
秋仁の両手が春香の両頬を挟む。叩くというほど力は籠っていないが、パチンと乾いた音が鳴った。
「いい加減になさい、春香!貴女は生きたいと思っているのです。なのになぜ死のうとするのですか!素直になりなさい。ひねくれるのも大概にしなさい。」
ひんやりとした秋仁の手から温かいモノが流れてくるようだった。
「で、でも、だって、、」
秋仁は何も言わない。
「…っ、うっ、っく、ぅわあああぁああぁ」
堰を切ったように嗚咽が止まらない。
「あ、秋仁、お兄ちゃ…!あ、あたし生きたい!
っく、生きたいの!」
「し、死に、たくなくて
お、父さんも、
お母さんも、
こ、こ、殺してしまったの!」
「そんな、ヒトを、
お、お父さんと、
お母さんを
っく、殺してまで
い、いきたいと
切望する、じ、自分が
嫌で、
いやで、
いやで!!」
「それでも、私は貴女に生きていて欲しいのです。
いくら泣いても、もがいても構わないから、そういうことは私の隣でして下さい!」
秋仁の細い髪が春香の頬にかかり、次いで額に秋仁の額が重ねられた。
秋仁が、他人が、肉親からいらないと言われた自分を求めてくれていることは、春香にも痛いほど感じることができた。
「…秋仁、お兄ちゃん、」
ひとしきり泣いたあと訪れた静寂を破ったのは春香だった。
「はい、なんでしょう?」
秋仁は春香に存在を主張するために彼女の手を握る。
「小野寺さん、」
「なに?春ちゃん。」
涙声の小野寺は春香のベッドに浅く腰掛ける。ベッドがぎしっと軋む。
思う存分泣いて
自分の矛盾を言葉にして
それもみんな彼らのおかげだ…
「たくさん心配かけてごめんなさい。」
それに、
「ありがとう、私のために。」
秋仁も小野寺も言葉が咄嗟に出なかった。
「私は何もしてません。何もできなかった。」
秋仁がようやく言葉を放つ。
小野寺が鼻を啜った。
私の痛みを自分の物のように感じてくれる秋仁お兄ちゃんと、私のために泣いてくれる小野寺を裏切ることはできない。
今度こそ、始めるの。
私を求めてくれている人のために。
もう、私は自分のために充分生きたから
誰かのために
生きたい
それが唯一、許された道だと思うから。
春香はそう固く自分に戒めた。
***
予想を裏切らず、秋仁は甲斐甲斐しく退院した春香の面倒をみていた。
自分の面倒くらい自分でみなくては、と自ら進んで、親をなくした子供たちのための施設の門戸を叩く勢いだった春香を押し留め、秋仁が春香を引き取ったのだ。
最初は恐縮していた春香も、今ではまた時折笑うようになった。春香の体力ほうは、退院して3ヶ月、ようやく回復してきた。しかし、学校にはまだ行っていなかった。秋仁も春香が行きたいと言い出すまでは、無理に生かせる気もなかった。
そして、春香は魔法学校の話を聞き、小野寺の予想を裏切り、あっさりと行くことに決めた。寮生活で自立した生活が送れること、それに自分の能力をコントロールしたい気持ちと、自分の高祖母が行っていた学校、というのが気に入ったようだ。そして、春香は本格的に英語を学び始めた。アルファベットに触れるのですら初めてだった春香だが、簡単な本ならぼちぼち読めるようになったし、秋仁にいつもの会話に英語を混ぜるようお願いして、英語を話す練習をしていた。
まずはきちんと自分を面倒見られるようにしたくて、春香は必死に色々と学んでいた。
秋仁は春香の気持ちが痛いほど分かり、なにも言わず春香に協力していたが、寝る時間にだけは厳しかった。
「春香、もう寝なさい。」
「…も、う少し。」
英語の本から顔を上げない。
「春香、もう寝なさい、12時になります。」
「……。」
集中しているのか返事がない。
秋仁は溜息をつく。このまま読まさせてあげたいのはやまやまだが、春香はまだ子供であり、睡眠の方が大切である。
「春香、一緒に寝ましょう。」
こう誘えば、渋々と本を置き秋仁の方に歩いてくる。春香はこの後の秋仁の行動が分かっているかのように少し照れながら秋仁のもとにたどりつく。そんな春香を抱き上げると、秋仁は寝室へと向かった。以前は触れると身体を緊張させる彼女に遠慮して、あまり触れないように心掛けていたが、今は積極的に触れることで、春香の存在を必要としている事を示したかった。春香を抱きしめれば、無意識なのか微かに秋仁に擦り寄ってくる。
「前から不思議だったのですが、なぜ春香は私がどこにいても分かるのですか。築くといつも近くにいますよね。」
思えば、秋仁は春香を探したことがない、いつでも振り返ると近くにいるのだ。背中に回された小さな手が秋仁のナイトシャツをぎゅっと握るのが分かった。
「春香…?」
返事がないことを訝しんで春香の顔を覗き込むと、それを気配で察知した春香は秋仁の肩口に顔を埋める。それでも春香の真っ赤な耳は隠れていなかった。可愛い反応をする彼女を少しいじめたくなって、更に春香の耳元で問う。
「どうしてですか、ん?」
「……秋仁お兄ちゃんは、いい匂いがするから。」
全く本当に可愛いことを言う。
絞り出すような声で答えた春香を、ブランケットを捲ったベッドに横たえると、秋仁もその横に寝転がり春香の頭を撫ぜる。
「どんな匂いですか。」
「……お兄ちゃんの匂い…」
更に顔を真っ赤にして答える春香が可愛くて堪らず強く抱きしめた。
「!なっ、お、お兄ちゃん!?」
「もう随分と遅いですよ。おやすみなさい。」
「…オヤスミナサイ。」
電気を消してしまったので、もう春香の顔は秋仁に見えないけれど、春香の小さくて温かい手を握りながら眠りに落ちることが出来るのが倖せだった。




