7.恐怖の歯周病
執事やお母さんについ暴言を吐いてしまい、一人ぼっちの夢を過ごしてしまった翌日。はづきは口数少ないまま、とぼとぼと学校へと向かいました。歯の検査や歯に関する様々な話をお医者さんから聞く日という事もあり、一応念入りに口をゆすいだりはしましたが、結局歯磨きは乱雑に口の中を動かしただけで終わってしまいました。いい加減歯を磨け、磨かないと大変な事になる――そんな言葉が脅しめいたように聞こえてしまい、逆にテンションを下げてしまったのも理由かもしれません。
ですが、その結果は当然――。
「うーん……」
――学校の生徒たちの歯を検査するお医者さんや看護師さんを、複雑な表情にさせるものになってしまいました。お医者さんたちが言う専門用語が何を示すか、はづきにはさっぱり分かりませんが、とにかく普段どおり『歯垢が多く歯石が目立つ。歯医者に行った後、もっと歯を磨くべき』と言う結果が返ってくるのは目に見えていました。あの痛い治療を受けたり、ブラシの嫌な感触を無理やり経験しなければならない、と言う事を。
「はづきー、どうだった?」
「どうだった、って言われても……」
「冗談冗談、あたしも全然何言ってるか分からなかったし♪」
また虫歯があるって言われた、と自分の歯の状態を明るく言うクラスメイトもいましたが、はづきはとてもそんな気分にはなれませんでした。結局またいつもの通りの流れになってしまうのか、と言う憂鬱な気分が溜まっていたのです。そして、悩んでいるうち、はづきはある考えを抱き始めてしまいました。結局悪いのは、いちいち嫌味ばかり言っては自分を苛立たせていたブラッシュや、昨日に限ってやかましかったお母さんじゃないか、と。
「……そうか……そうだよね……うん」
嫌な気分を払拭させたいがために、彼女はつい他人に責任転嫁をしてしまったのです。
ですが、そのような考えが非常に甘かった、と言う事を、午後の特別授業で思い知らされる事となりました。
「えー、皆さんは『歯周病』と言う病気を聞いたことがありますか?」
学校へやって来た歯医者さんが語り始めた病気の名前に、はづきは聞き覚えがありました。お母さんやお父さんと一緒に見るニュース以外にも、毎回歯の治療を行うたびに耳に入る言葉だからです。ですが、その度に嫌な気分になったはづきはその後に続く言葉を聞き流し、何も知らない振りをし続けていました。どうせ虫歯と同じような歯の病気、自分はきっと大丈夫だろう、と空元気を保ち続けていたのです。
ですが、続く言葉を聞いて、はづきは心を打ち抜かれたような気分になりました。周りで座るクラスメイトたちも、どこか緊張した顔になっていました。歯周病は下手すれば命にも関わる病気である、と言われてしまえば当然でしょう。その様子を見て、いきなり厳しい事を言い過ぎてしまった、と謝りつつ、歯医者さんは話を進めていきました。
「歯周病というのは、こちらの通り歯を支える『歯周組織』を中心に起きてしまう病気の事です。歯ぐきや骨と言ったほうが分かりやすいかもしれないですね……」
口の中に潜む厄介なバイキンたちが口の中を滅茶苦茶にして歯を抜けやすくしていくまでを、歯医者さんは図を使って分かりやすく説明してくれました。可愛らしく描いた絵でしたが、その内容は生徒たちは勿論、先生たちも真剣にさせるのには十分なものだったようです。
ただ、その中で最も衝撃を受けたのは、はづきだったかもしれません。
(『ししゅうびょう』……こんなに怖かったなんて……)
歯周病を引き起こすバイキン連中が襲い掛かるのは歯ぐきだけではありません。症状が悪化していくにつれ、歯と歯ぐきの間に侵入していき、『歯周ポケット』と言うバイキンの秘密基地のようなものを作ってしまいます。そうなるとバイキンたちの勢いは更に増し、歯ぐきを支える骨まで壊してしまい、最終的には歯を抜けさせてしまう――何度も何度もしつこく耳に入っていたあの病気は、文字通り非常に恐ろしいものだったのです。
しかも、『歯周病』の影響はそればかりに留まりません。バイキンと戦うために体も負けじと様々な形で応戦するのですが、その影響が体の各地に及び、体の具合を悪くしたり血管を詰まらせたりと大変な事態を招く事もあるのです。
そして、大人ばかりではなく子供にも歯周病が現れ始めている場合がある、と言う説明が行われたとき、彼女はようやく全ての真相に気づきました。
あの時、夢の中で必死に執事――いえ、はづきのわがままでクビにさせてしまった「元」執事ブラッシュが必死に訴えようとしていたりお母さんが声を荒げたりしたのは、全ては彼女自身の歯の事を心配し、このような怖い病気にかからせないためだったのです。
(どうしよう……私……私、とんでもないことを……!)
呆然としたはづきには、その後に続いた歯医者さんの説明を聞く余裕はありませんでした。
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歯周病を追い払うには、歯に溜まった『歯垢』を日々取り出すのが一番。
そのためには、歯磨きをしなければならない――。
「……分かってるのに……分かってるのに!」
――それでもはづきは、歯を碌に磨けないまま、今夜も夢の世界にやってきてしまいました。歯に付いた汚れを取らないといけない、と乱暴に口の中で歯ブラシを動かしたせいで、あの嫌な心地が倍増してしまい、結局まともに磨けないままだったのです。そしてお父さんやお母さんにも、結局謝れずじまいでした。
「私……どうすればいいの……!?」
歯周病になるのは怖い、特に自分にはその可能性が強い、でも歯磨きは苦手――気持ちだけが焦り続ける彼女は、解決策が見出せないまま、豪邸にあるテーブルの前に伏してしまいました。いっそこのまま夢が覚めなければ良い、とまで考えながら。
その時、彼女は暖かい感触を頭に感じました。誰かがそっと、頭を撫でているのです。顔を上げ、その方向を振り向いた彼女は――。
『……やあ、はづきお嬢様』
「……ペリオン!!」
――優しい笑顔を向ける御曹司ペリオンの姿を見るや、目に涙を浮かべながら彼に抱きついたのでした……。